■ 第5章−「Do You Love Me?」

LastUpdate:2005/08/11 初出:姉妹の絆・恋人の絆(同人誌)

 休み明けの日、放課後の薔薇の館。祐巳さまに(なかばむりやり)連れて来られて可南子さんもいらっしゃるその風景は、数日前のそれとなにも変わらない。だけど、そこには数日前の解散時に流れていたような、冷たくて苦しい空気はどこかに消え失せている。
 前のように心地よい空気が完全にここに戻ってくるまでにはもうすこしかかるかもしれないけれど、それも決して遠くはないように思える。それに、私たちはあの場所を愛していたから。だから、もう一度あの場所を手に入れる為の努力なら、なんだってするつもりなんだから。
 そんな中、祐巳さまが「ちょっといいかな」と席を立ち上がった。
「……休日の間、必死に考えたんだ。瞳子ちゃんのこと、可南子ちゃんのこと、これからのこと……」
 全員の視線が注がれる中、祐巳さまは静かに話し始める。
「結局ね、私は可南子ちゃんも、瞳子ちゃんも、ふたりとも好きなんだって、そう気づいたんだ。どちらか片方だけを好きなんじゃなくて、どうしてもふたりとも好きなの。だから……」
 そう言いながら、祐巳さまは鞄の中から、透明な包装に包まれた、簡素なロザリオをふたつ取り出した。
「よかったら、瞳子ちゃんにも、可南子ちゃんにも、妹になって欲しいの。あ、もちろん嫌だったら、姉妹の関係は別に断ってもいいんだけど。だけど恋人として、このロザリオ、受け取ってくれると嬉しいんだけど……」
 最後のほうは恥ずかしそうに声を細めながらそう言った。
 斜めに座る可南子さんのほうに目をやると、驚きの表情を浮かべながら、同時に嬉しいのか恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めている。
「……もちろん、あまりにも我侭で私の勝手な意見だし、もしこれで嫌われても仕方がないと思ってるけど……どうかな?」
 そう言いながら、祐巳さまの反対側に座る瞳子と、ふたつ隣に座る可南子さんに、それぞれの手でロザリオが包まれたそれを差し出してくる。だから瞳子は、立ち上がってその左手のロザリオを受け取った。
「……瞳子には異存はありませんわ。瞳子は祐巳さまの妹であり、恋人であれるならそれ以上に望むことは他にありませんから」
 私はそう言い切ったあと、可南子さんのほうに視線で(あなたはどうするの?)と問いかける。瞳子のそれにつられて、その場に居たみんなの視線が可南子さんのほうに集まる。
「どうかな、可南子ちゃん……」
 祐巳さまが、可南子さんに再び言葉を投げかける。
 可南子さんは、緊張のせいなのかなんなのか、とにかくビクビクと全身を怯えさせながら、静かに祐巳さまが差し出すロザリオに、自分の両手を重ねた。
「わ、私だって、祐巳さんの……!」
 涙目になりながら、可南子さんが声を上げる。
 みんなの顔に喜びの笑顔が溢れるその光景の隅で、ひっそりとビスケット扉から退室していく祥子さまの姿が瞳子の視界に見えた。
(……また、この姉妹は……)
 どうせ、幸せそうな祐巳さまの姿を見れたから、満足してそそくさと帰るつもりなのだろう。どうしてこの姉妹は、お互いにきちんと愛しあっているのに、こうも控えめで積極性というものに欠けているのだろう。
 やれやれ、と瞳子は溜め息を吐く。
 これが終わったら、祐巳さまを案内してあげなければならない。
 まったくもう、この消極的すぎる姉妹は、どこまでも手がやけるんだからっ……。

      *

 帰宅して落ち着いた後、祥子は自室で、今日の光景を再び思い返していた。
 幸せそうな祐巳の笑顔。……瞳子ちゃんの笑顔、可南子ちゃんの笑顔。
 あの笑顔をみてしまえば、これでよかったのだ、と祥子にも納得できてしまう。結局私の想いは祐巳には届かなかったけれど……それでも、祐巳が幸せになってくれるなら、きっとこの結末は最高のものだから。
 だから、祥子はそれを心から祝福してあげるつもりだ。
 そう自分に言い聞かせようとする。……けれど祥子の目からは、どうしてだろう、涙が出てきてしまうのだ。
 これで良かったんだ。良かったのよ。
 わかっているのに、泣けてきてしまうのは。
 とめどなく溢れる涙、漏らしてしまう嗚咽。
 今日ぐらいは、泣いてしまう自分を、許してあげよう。
 そう思うと、本当にとめどなく、それは溢れてくる。
「祥子さん、いらっしゃいますか?」
 そう声が掛けられた後、祥子の私室のドアが静かにノックされる。祥子はあわてて自分の涙を拭って嗚咽を止め、心を平静に抑える。私は自分の弱い部分を、ごく親しい友人にしか見せられないから。背筋を伸ばして、ちゃんと前も向いて。いつも通りこうやって、完璧に自分を演じるのだ。
「どうなさいましたか、お父様?」
 扉を開けた先にいるのは、声で予想できていたけれどやっぱりお父様。
「玄関にお客様が来ているよ。体育祭で会った、祐巳ちゃんと言ったかな?」
「あ、はい。すぐに出ます」
 祐巳がうちに来ている、その事実は少なからず祥子を驚かせた。
 だって、いままで特別に祥子が誘わない限り祐巳がうちに来ることなんてなかったから。だけど、今回は訪問の理由もすこし考えれば簡単にわかることだった。きっと早々に帰ってしまった私の為に、妹を作った報告にわざわざ来てくれたのだろう。
 玄関口に出ると、案の定制服姿のままで祐巳が来ていた。
「いらっしゃい、祐巳」
 私はさっきお父様に接したように、祐巳にも完璧な自分を演じながら接してみる。
 しかし、祐巳はすぐに悲しそうな顔になって、「泣いていたのですか、お姉さま」と私に訊いてきた。
 お父様にはなにも疑われなかったけれど、それでも祐巳には隠しごとはできないのか。祥子はそう諦めた後、慌てて、昨日よく眠れなかったから、と言い訳した。
「それで祐巳、今日はどういう用件でうちに来たのかしら?」
 心まで見透かされてしまう前に、早々に話題を持ち出してみる。
「はい、お姉さまにご報告がありまして……」
 祐巳の報告は祥子の予想通りの内容だった。瞳子ちゃんと可南子ちゃんを妹にしたこと。同時に、恋人同士になったこと。だから私は心の奥底で小さく沸いた衝動を努めて無視しながら、できるだけ平静を装いつつ「よかったわね」と祝福した。
「はい、お姉さまにも」
「え?」
 見れば、今日瞳子ちゃんと可南子ちゃんに渡していたのとまったく同じロザリオが祥子のほうに差し出されている。
 一瞬その意味がわからなかったから、「なに、私を妹にする気?」と祥子は笑いながら祐巳に訊いてみた。
「……お姉さまが望むなら姉妹関係だけでもいいですけれど……私だってお姉さまのことが好きだし、お姉さまと恋人同士になりたいんです」
 祐巳が言うその言葉の真意を理解するのに、たっぷり十秒は要したかもしれない。
 ああ、なるほど。
 これは姉妹の証としての、ロザリオじゃない。
 恋人としてのロザリオ。恋人としての、証。
 そう判ると、さっき必死で押し留めたばかりの涙が、再び祥子の瞳に溢れてきた。
 だって、嬉しいから。涙が出るほど、嬉しいことだから。
 祥子は崩れ落ちるようにその場に座り込む。
「……お受け、するわ」
 祐巳の両手で祥子の首筋に掛けられたロザリオを、祥子の目元から落ちた涙の雫が伝っていった。