■ 2.「梅重」

LastUpdate:2008/01/05 初出:web

 実際、告白をされたのは雅のほうだったけれど。
 おそらく――如月殿が自分などを意識してくれるよりも、ずっと前の頃から。心の中で、密かに慕っていたのは雅のほうだった。


「寒かったり、しないだろうか」
 訊ねると如月殿は、まだ顔を真っ赤に染めたまま首を左右に振って否定してみせり。
「……寒いはず、ないです」
 返ってきたのは、強い否定の言葉。如月殿が言いたい意味が判る気がしたから、雅はそれに頷くだけで答えた。暦の上では春に入ったとはいえ、肌寒さでいえば未だ厳しい冬の延長にしか感じられない。九州で梅が咲いたという報道も今年はまだ聞いていないから、実際に春が少し遅れているのかもしれなかった。
 エアコンを入れたばかりでは、すぐに部屋が温まる筈もない。それなのに、不思議なぐらい――雅は寒さというものを感じはしなかった。部屋の中の空気が冷たいままであることは体感の温度で判ることだったが、その冷たさが肌よりも内側まで及ぶことはない。今だけは胸の裡から伝播してくる不思議な温かさがあって、却って空気の冷たさが心地よいぐらいだ。
 心の深い場所で密かに熱を持つ、その答えは漠然と雅にも判る。そしておそらく雅が感じている温かさと同じ類の源から、如月殿も冷たさに負けない熱を感じてくれているのだと言うことも、訳もなく判るような気がした。
「……」
 如月殿の視線は、少しだけ逸れながら雅のほうへと向けられていた。そこには言葉かずを失った姿と、不安を湛えるような表情で何かを待つような様子さえ伺うことができる。不安と一緒に寄せられてくる、彼女の瞳に混じる期待にも答えてあげたいと思った。
「初めてのことだし、予習も不十分だと思う」
 それでも、求めているのは雅のほうも同じだから。
「上手くできるかは判らない――それでも、構わないだろうか?」
 これからする行為は、きっと今までの私たちの関係を台無しにしてしまう。友人として誰よりも如月殿の傍にいられた雅の全てを、簡単に失わせてしまう恐ろしいものでしかない。けれど――それを承知の上でさえ求めたくなる、恋人としての地位。夢にさえ幾度と無く描いてきた、唯一無二である『如月殿の恋人』としての自分の姿が在った。
「上手くして欲しい、だなんて、思ってないですから」
「そうか」
「私はただ、キョージュさんに……して頂ければ」
 特別な力を持つかのように、如月殿の言葉は雅に確かな力を持って伝わってくる。温かな言葉に乗せて伝わってくる、温かな感動がある。
 雅はただ、半ば無意識のままに如月殿の体を抱きしめていた。
 如月殿ただ一人が、雅に与えることのできる嬉しさや倖せがある。特別な人だけが持つ、特別な力。そのことを如月殿に伝えたいとも思うのだけれど、たぶん自分では上手く口にすることができないから。
 抱きしめれば温かな彼女の熱が制服越しに伝わってくる。きっとこの温かさに触れていられるなら、制服など失っても暖かなままで居られるだろう。
「……脱がしても?」
 躊躇いがちに雅はそう訊ねる。
「……はい」
 如月殿もまた、どこか躊躇いがちに頷き、受け入れてくれた。
 制服に手をかける雅の指先は少しだけ震えていて、それが僅かずつ脱がせていく手をもたつかせてしまう。やがて如月殿から制服を脱がせ、下着にまで差し掛かってもそれは治らなくて。雅の様子を見た如月殿が、くすりと小さく笑みを漏らしてみせた。
「キョージュさんでも、やっぱり緊張するんですね」
「……もちろん、するとも」
 長い間ずっと夢見てきた如月殿との交歓を直前に控えて、どうして緊張などせずにいられるだろうか。まして雅がひとつ脱がしていく度に、いままで見ることの叶わなかった如月殿の肌が露わになってくるものだから、緊張はなお根深さを増していくばかりでしかない。
 そんな雅とは対照的に、初めは雅以上に緊張していたはずの如月殿は、却って緊張から解放された様子にも見えて。余裕を失っているのはたぶん、私のほうこそなのだと思えた。
 とはいえ私たちは同じ女同士なのだから、辿々しい指先でも脱がしてしまうのにさして手間取るわけではない。ブラを取り、ショーツをずり下ろしてしまえば、それだけで簡単に生まれたままの如月殿の躰だけが、そこにはあった。
「綺麗だ」
 気障な台詞など、口にしようと思ったわけでは決してない。
「……綺麗だ、如月殿」
 どんな高名な人物が生み出した絵画にも、造形にもない。無意識にそう言わせてしまうだけの絶対的な美が、そこにはあった。
「は、恥ずかしいですぅ……」
 反射的に身を隠そうとした如月殿の手を、雅は掴んでしまう。
「隠さないで」
「うぅ……」
 ずっと見ていたいと思えるだけの、美術品のような。
 初めて、心を奪われたのだと――そう、思った。
「はぅ」
 すっと抵抗の力が抜けたのをいいことに、雅はゆっくりと感触を確かめるように彼女の肌を指先でつつと滑らせた。熱い吐息が如月殿の喉から漏れる。優しい感触と、柔らかな弾力。触れあわせれば包み込むように、雅の指先に返してくれる。
「キョージュさんも、脱いで下さいよぅ……」
 そう望む如月殿の声は妥当なものだけれど、雅は首を左右に振って拒む。
「……それはまた、今度」
「ず、狡いですよっ! そんなの……!」
 咎めるような如月殿の言葉も、けれど今の雅には届かない。例え狡いと言われても、今だけは。――今だけは、如月殿の肌にだけ、触れていたかった。
「……狡い私は、嫌いだろうか?」
 ふと、訊いてみる。
「……………………好きです、よ」
 そう答えてくれることが、どんなにも雅には嬉しかった。
 愛した人に、愛することを許されることほど、倖せなことなどない。
 まして愛した人が、自分を愛してくれると言うこと。
 それは、どれだけ果報なことであるだろうか――。