■ 4.「素紗」
霊夢は拒まなかった。
避けることも、払いのけることも。どちらもきっと、とても簡単だった筈なのに。
それでも、拒もうという意志さえ見せずに。ただじっと、見つめてきていた。
伸ばした手のひらが、そっと霊夢の左頬に触れる。
ただ、こちらの瞳の中に映っている何かを、見定めているように。
言葉でもなく、仕草でもなく。霊夢のまっすぐな視線だけが、何かを伝えてくるみたいだった。
もっと露骨に嫌われたり、鬱陶しがられるとばかり思っていたものだから。そんな霊夢の対応に却って調子を狂わされるのは紫のほうだった。伸ばした手を拒まれることはもちろん、そのまま頬ぐらいはぴしゃりと叩かれると予想していたのに。
なのに……霊夢は拒まなかった。手を添えた霊夢の顔と、紫の顔とが徐々に間隙を詰めていく。
積極的というわけではないが、かといって余裕を失っているわけでもないようで、霊夢の反応はどうにも読みとることができない。
(何をされようとしているのか、判っているのだろうか……?)
そんな疑問さえ、心には浮かぶ。もしも受け入れようとしてくれているのであれば純粋に嬉しいけれど……紫が何をしようとしているのか、それが判らない程お子様なら奪うのは忍びない。
けれど、意図して押さえなければ吐息さえ掛かりそうな距離にまで間隙が詰められると。霊夢はゆっくりと、瞼を閉じてくれた。――ちゃんと理解はしてくれていたようで、紫は内心ほっと安堵の息を吐く。
紫もまた、静かに瞼を閉じる。唇と唇とが、少しだけずれて触れた。見えない視界のまま、そっと紫は位置を修正して口吻けを深めていく。
触れるだけのキスは長くは続かない。やがて距離が僅かに離れると、二人は揃って瞼を開き、お互いの素顔を伺い合った。
「よかったの……?」
紫がそう訊くと、霊夢は少しだけむっとしたように口を尖らせる。
「紫が、したかったんでしょう?」
「それは、そうなのだけれど」
こんなにも呆気なく許されるとは思ってもいなかったものだから。実際に許されて、キスを終えた今でさえ、その意味を紫はどう取りかねていい物かわからなかったのだ。
「……別に、いいわよ。減るものじゃないし」
「そう」
溜息と共に返された答えに、紫は少しだけ笑む。
「じゃあ、もう一回」
「………………いいけど」
今度はさっきみたいに、紳士的にじゃない。霊夢から同意の言葉を引き出すや否や、ぐっと霊夢の顔を抱きかかえるようにしながら、紫はその唇を奪ってしまう。優しい触れあいだったキスはどこへやら、押し潰れる唇同士の感覚は、けれど優しさを含むキスよりもなお深い酩酊を齎してくれた。
「っ、ぅ……」
唇を奪って、たっぷり一分は経った頃。強く押しつけ合う唇の隙間から、僅かに霊夢の息が漏れ出てくる感触があった。同意を得たとはいえ、殆ど不意を突くように奪ったものだから、きっと息苦しいのだろう。
「んぅーっ!!」
ばんばんと、霊夢の手が紫の背中を叩いて訴えてくる。けれども紫は、僅かにさえキスの拘束を緩めることなく、逆にぎゅっと霊夢の後頭部に回した手の力を強めた。
薄目を開けると、半泣きになっている霊夢の表情が見て取れて。
それでも紫は、すぐには霊夢のことを許してはあげない。心の中でゆっくり数字を二十まで数えてから、ようやく霊夢の唇を解放してあげた。
「っ、はぁーっ! はあっ、はあっ……」
まだ余裕のある紫とは対照的に、ぜいぜいと息を継ぐ霊夢。
「な、何するのよ!!」
「――ああ。そうそう、それよ」
激昂した霊夢に、紫はうんうんと頷く。
「変に自分を、隠そうとしないで。余裕があるように、偽ったりしないで」
「あ……」
素に戻ってしまっている自分に気付いて、慌てて霊夢が口元を隠した。
「しても、いい?」
紫が再度訊ねると。
今度は霊夢は素直に頷いてくれて。
「私も……して、欲しいから」
そう言葉を返してくれるのだった。