■ 8.「恋情は幻想の理(後)」

LastUpdate:2008/04/04 初出:web

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 咲夜と気持ちが通じ合ってまだ間もない頃。愛し合うことにも慣れていなかった頃には、どうして恋愛の延長線上に性愛があるのかがどうしても理解らなかったのを覚えている。
 誰かを好きになる――日を追うごとに咲夜を好きになる感情はとても儘ならないもので、彼女を意識し始めた頃にはもう恋に墜ちていたようにも思う。恋愛の経験がなくても、咲夜に対して抱く想いが「恋」だと気付いた瞬間には、まるで恋愛の仕組みの総てを理解したような気持ちにもなったものだけれど。
 ……でも、性愛は違う。
 性愛は能動的なものであって、決して自動的には始まらない。霊夢の側から求めるか、あるいは咲夜の側から求められなければ自然に始まることなどありえない。それに「恋愛」を自覚するようになってからも、性愛に伴う「行為」にどのような意味があるのか、どうしても理解できなかったのだ。
 これが男女の営みであれば意味もあるのだと思う。けれど女同士では子を残すことはできない。だから勿論、性愛なんて全く意味の無い行為でしかなくて、例えば……愛する相手にキスをしたくなるような、行為自体に意味はないけれども、相手に許されることが嬉しくてしてしまうような。その程度のものなのだと、思っていた。
(――けれど、違った)
 こうして咲夜に求められることは、きっと両手の指でも足りないぐらい。そして咲夜に求められた数と同じぐらいに、霊夢の方からもまた求め返していた。
 身に付けている物の総てを取り払って。生まれた儘の姿で、狂おしく求め合う原始的な行為に。

 ……あんなにも大きな意味があるだなんて、知らなかったのだ。

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「よければ灯りを、消さないでもいい?」
「それ、は……」
 きっと普段ならすぐに拒んでしまう筈の要求。けれど霊夢の側から望んで引き出した要求であるだけに、せっかく咲夜が口にしてくれた願いを無下にしてしまうことは、どうしても躊躇われてしまって。数瞬の逡巡のあと、観念したように霊夢は頷いて咲夜の望みを頷いて受け入れた。
 もともと置行灯だけしか灯していない部屋はさして明るいわけでもないのだけれど、灯りを残した儘でするのは初めてのことで。一度は首を縦に振っているとはいえ、すぐに後悔の気持ちさえ霊夢の心には湧き出てきてしまう。
「……幻滅しても、知らないから」
 溜息混じりに口にした言葉。けれど、そんな霊夢の言葉にも、くくっと軽く笑ってみせて。
「そんな簡単に諦められるなら、苦労しないわ」
 咲夜がそう言ってくれる。そのことが、堪らなく霊夢には嬉しかった。
 愛されている。そう信じられるだけの信頼を、いつも咲夜は惜しみなく与えてくれていて。そんな咲夜にだからこそ、霊夢もまた同じだけの信頼で応えたいと思うのだった。――明るい中で裸になることは頼りなく、そして何より恥ずかしいこと。それでも、咲夜の為になら応えたいと思うから。
「……お願い」
 自分で脱ぐ勇気はなくて。霊夢がそう一言だけ漏らすと、咲夜も察したように頷いてくれた。
 冷たい指先が肩に軽く触れ、幾度も霊夢の肌を擦るように撫でていく。咲夜は霊夢が自分から服を脱ぐことより、脱がしてしまうことを好むものだから、こうして彼女の指先に衣服を剥がれていくことには慣れているつもりだったのに。ただ部屋の明るさひとつが違うだけで、いつもは意識せずにいられる不安めいた恥ずかしさを、否応無しに心に突きつけられているかのようだった。
 いつも以上に慣れた手つきで、咲夜はあっさりと霊夢の拠るべきものを奪い取ってしまって。部屋に漂う冷たい空気との接点が増えるたび、霊夢は頭がかぁーっと熱くなるような心地さえ覚えてしまう。お腹が露になって、乳房さえも露にさせられて。……その上、乳房以上に恥ずかしい陰部さえも露にさせられてしまうと、もう目を開けていることもできなくなってしまった。
「隠さないで」
「で、でも……」
「駄目」
 囁く声で咎められてしまえば、些細な抵抗さえすぐに叶わなくなる。
 さらに恥部を覆い隠す手のひらを、仕方なく下ろした刹那には。
「……あぅ……」
 不意に奇妙な感覚があって、思わず霊夢そんな声さえ漏らしてしまう。
 僅かにさえ意識できない時間の隙間のうちに。霊夢の両腕は背中に回され、柔らかな布か何かで括り縛られてしまっていた。
「……そういう趣味があったの?」
 時間を操る程度の能力。弾りあう際にはこれでもかと見せつけられる能力を、咲夜がこうした性的な世界の最中に用いてくるのは初めてのことで。
 霊夢がやんわりと咎めるようにそう口にすると、咲夜は優しく微笑んでみせる。
「どちらかといえば、縛るより縛られる方が好きね」
「そうなんだ……?」
 それなら次に愛し合うその時には、きっと霊夢からも同じだけの仕返しをしてあげたいと思う。
 咲夜が時間を止めて後ろ手に拘束してきた両腕の戒めは決して固いものではなくて、きっとある程度力を籠めれば自力で解くことができる程度のもの。縛られているせいで咲夜に見られること、触れられることを何一つ拒否することができない――そのことを酷く恥ずかしいことだと思いながら、けれど霊夢は心のどこかで、ありがたいことだとも感じていた。
 物理的な拘束にはなっていなくても、この柔らかな拘束が精神的な戒めとなって霊夢を縛っていてくれた。――隠させないし、抵抗も許さない。拘束には咲夜のそうした意志が籠められているのだと思えたし、霊夢もまた咲夜がそう望んでくれるというのなら、叶えてあげたい気持ちが心で何よりも強いものになる。けれど気意だけは高い霊夢には、なかなか咲夜の為とはいっても素直な自分を見せることができなくて。……でも、この柔らかな拘束ひとつが。プライドとか理性とか、咲夜の為に尽くしたいという意志を阻む余計な心に枷を掛けて、素直な自分を露呈させてくれる気がした。
「……」
 もう咲夜に対する憎まれ口は、喉を突いてはこなかった。
「……ぁ、ぅ……」
 触れてくる咲夜の指先だけが、くぐもった声を吐き出させて。
 霊夢はただ、余計な感情を総て忘れて。咲夜が愛してくれる指先の感触だけを、有りの儘に受け入れるだけでよかった。
「んっ、く……」
 咲夜の指先は巧みに霊夢の躰を昂ぶらせていく。躰をわなわなと震わせながら、愛撫が与えてくるしっとりとした熱にだけ、深く感じ入る。恥ずかしさが消えたわけではないから未だ目を開けることも出来なくて、暗闇の中で息を潜めながら霊夢は喘ぎの声を漏らした。
「声を我慢したり、しないで」
 恥ずかしさが無意識に声を窄ませる。それさえ、咲夜は見逃してくれない。
「霊夢の声が聴きたいの。……聴かせて?」
「……」
 未だきつく瞼を閉じながら、霊夢は頷く。
 声を聴かれること。痴態を見せるということ。
 それさえも咲夜に望まれてしまえば最後、抗う意志さえ持てはしなかった。
「ふぁ、ぁ……。は、ぁ……っ……」
 擽ったい感触が先行して。少しだけ遅れるようにして、ぴりりと痺れる甘い感触が、肌よりも少しだけ内側にまで食い込んでは躰の中へと伝播していく。霊夢の乳房、下腹部やその先の欲情に塗れた秘洞。緩やかな痺れが躰を満たしていくに従って、却って刺激に対する鮮明さを増してくる箇所へと咲夜の指先が触れれば、触れられた箇所には火照るような熱の籠もった痼りが残されて、それが快楽となって霊夢の躰の中枢へと静かに溶けていく。咲夜が執拗に愛撫の指を這わせるほど、彼女が皮下組織へと与えてくる熱量は膨大になって、より深い快楽を滲ませてくる。
「ぁ、ぁ……! ふぁ、ぁああ……!」
 切ない声と嗚咽とが霊夢の意志に関わらず漏れ出てきて、同時にわなわなと躰が震えてしまう。快楽が堕とす酩酊の中、無意識に躰が抵抗の意志を持ち始めるのに、けれど後ろ手の拘束は霊夢にその自由を与えてはくれない。
 縛られるほうが好き、と。咲夜が言う気持ちが、少しだけ霊夢にも判った気がした。
(……私も、好きになりそう……)
 そうとさえ、思えた。
 抵抗できないというのは、自分の躰の権利を奪われるということ。
 それはそのまま、この瞬間だけでも――咲夜だけのものになれている自分の姿を、霊夢に意識させてくれるようだった。
「あううっ……!! ……ん、ぁ……ぅ……!!」
 目眩のするような夥しい快楽の溢流。もはや抗う躰も心もなく、快感に委ねるまま霊夢は酩酊の深さに自身を溺れさせていく。言葉は言葉にならず、熱い息ばかりが喉から吐き出されて、時に這い出て混じる声さえ甲高い喘ぎにしかならなかった。

 


     *

 


 弛緩していく躰。微睡の中へと、溶けていく意識。
 そんな虚ろな感覚の中、ようやく霊夢は瞼を開いて、咲夜の表情を見確かめることができた。
 こんなにも恥ずかしい思いをして。これだけの恥ずかしい姿を見せて。今すぐに後悔したくなるぐらいに辛い恥ずかしさを味わったというのに。
 ……それでも、愛してくれた咲夜が嬉しそうにしているから。
 愛する人が笑顔でいてくれる。それだけで辛い思いをしたことにも意味があると思えたし、霊夢もまた、嬉しい気持ちばかりが心には溢れてくるようだった。
 絶頂の疲労感から、そのまま眠りへと薄れていく意識の中、霊夢はひとつだけ心に決める。
(――目を覚ましたらまず、咲夜に自分の気持ちを伝えよう)
 咲夜のことを愛しているということ。愛し合えていて、倖せ、ということ。
 言葉に出して「愛している」と伝えることは、きっとずっと恥ずかしいことで。それでも、言葉に出して伝えることには、確かに意味があると思えたから。
 不安に揺れたり、心を押し込めることはとても悲しいこと。もう二度と、そんな気持ちを心の中に僅かにだって抱きたくないから。愛している気持ちを何度でも咲夜にぶつけて、そうして彼女からも「愛している」という言葉を引き出してやるのだ。
(……愛している)
 言葉にすれば単純で、どんなに有り触れた言葉。
 けれど、これほど大きな力を持った言葉なんて、他にあるだろうか。
(愛している)
 その言葉を心の中で反芻する度に、真実に近づいていく心がある。
 霊夢は愛している自分の気持ちを疑わない。愛されているという気持ちもまた。

 

 ――だって、この狭い狭い幻想の世界の中で。
 彼女を措いて他に、どうして誰かを愛することができるだろうか。