■ 2.「フロンティア」

LastUpdate:05/04/16

 会議、あるいは作業。山百合会の集まりに参加した時には、だいたいいつも家に着く時には日が暮れてしまっているのがここ最近の習わしみたいなもの。だから今日、会議のお開きがいつもより十分近く早かったおかげなのか、学園を出た傍からバスに出会えた上に駅でも電車がちょうど来ていたこととか、あるいはそもそも冬が終わり始めていて日が暮れるのが遅くなってきているのか。ともかく、久方ぶりに見えたやや角度の急な坂を上りきった先の小寓寺正面門を潜り抜ける際に視界に映ってきた、鮮やかに空を染めあげる透き通るような橙に、志摩子は半分涙混じりの瞳で見惚れてしまっていた。
 まだ若さを見せる夕焼けの色合いは緋よりも黄に近い橙。だから、まだあと志摩子の帰宅が五分遅れていたとしても、きっと夕焼けはまだ空を染めていたことだろう。もちろん、いま志摩子の胸を打つようなこんな真夏の海のように華奢に蕩けていく透いた橙ではなく、もっと空に大きく響き侵食していくスカーレットの空。そう考えると志摩子がこの夕焼けを拝めた理由も、やはり冬が終わり春の訪れを告げ始めている季節のサイン、といった解釈が適切かもしれない。
 実際そこでただ空を見上げて過ごすと、空は徐々に灼かれていく。太陽が離れていくから、夜が訪れ始めているからこそ姿を見せる筈の夕焼けは、けれどその先にある夜の持つその閉塞感や淋しさとは真逆の印象を伴って見えた。空はどうして蒼が橙になり、そして朱に染まって闇に落ちるのだろう。一瞬、志摩子の脳裏にそんな子供染みた簡潔な疑問が生まれたけれど、真紅に染まった空は橙から緋色へと変色する際の魅了してくるような誘惑さではなく、囚われてしまうような恐怖感を志摩子に感じさせてきた。
 志摩子は慌てて自宅への僅かな帰路を急ぐ。不思議と、この朱が穢れた黒に滲み塗りつぶされていく姿を見ていたくなかったからだ。
 小寓寺の敷地は結構広いけれど、だからといって自宅が遠いわけではない。すこし早歩きに振舞えば、すぐに家の玄関に辿り着く。半ば逃げるように早歩きで帰路についたくせに、お寺の敷地も、山の緑も、自宅の玄関も、総てが闇ではない色に塗りつぶされているその幻想の光景に、けれど志摩子はもう一度空を仰いだ。
 こんな夕焼けを見るのは、別に初めてのことじゃなかった。今年に入ってからは初めてだけれど、やはり去年も冬の終わりを告げる橙の夕焼けを見たことがある。
 その時には、傍に由乃さんが居た。薔薇の館で奇妙な偶然から由乃さんと二人きりの居残りになって、やがて薔薇の館から外に出た瞬間、その夕焼けは志摩子と由乃さんの視界を灼いたものだ。志摩子も由乃さんも、どちらから言葉を交わさなくても、薔薇の館から出て飛び込んできた橙に歩くという行為さえ忘れ、ただ見とれ続けたものだった。
 いや、正確に言うと夕焼けに見蕩れ続けていたのは由乃さんだけだった。志摩子は始めは夕焼けに視界を奪われ、そしてそのすぐ後には夕焼けに見蕩れた由乃さんに心を奪われたからだ。由乃さんが歩くことも言葉さえ忘れて夕焼けに吸い込まれていったように、志摩子もまたその夕焼けの橙に頬も髪も瞳さえ染め上げられていく幻想的な由乃さんの魅力に虜になっていったのだ。
 今にして思えば、それが由乃さんへ向けられた、志摩子が心に秘めた淡い恋心を知ることになった初めてのきっかけだった。その時の由乃さんを見なければ、橙色の空さえ無ければ、きっと志摩子は胸の裡で犇く言葉に表せない感情の答えを、友情や気の迷いといった有り触れた錯覚で片付けて、ずっと正直な答えと見向きあう機会を得ることなどなかった筈。だからいまこうして夕焼けを見上げながら志摩子がただ心に思い描くのは、愛しいその人の姿だけだった。

      *


 自宅に足を踏み入れて普段着に着替え、ちょうど親戚の叔母さまと会話していた母に数分程度だけ電話を代わってもらって。そうしたあと自室に戻ってから窓の外を眺めて見ても、そこにあるのは真っ暗な空とやっぱりまだ冬は終わっていないのではないかと錯覚させられる冷たすぎる風だけだった。
 だから、また幸運に恵まれなければ見ることができない夕焼けはすぐに志摩子の心からは離れていった。なのに、胸がまだ少し速いペースで鼓動を続けているのは。
 それは、夕焼けに心を打たれたからじゃなくて。……由乃さんの顔を思い出したから。
 愛しいという気持ちを忘れていたわけじゃない。けれど由乃さんへ抱いていた筈の、好きと言う感情の本質を志摩子に思い出させたのは、やっぱり夕焼けが再生した去年の由乃さんのフィルム、好きを意識し始めたその瞬間を裡から見せ付けられたから。
 好きという気持ち自体や、あるいは由乃さんを想うこと自体を忘れていたわけではない。実際、毎日自分の部屋に独りきりでいる時には、特に布団に体を潜らせて眠りに落ちるのを待つときにはそれはことさらで。いま由乃さんはどうしているのだろう、由乃さんはもう寝てしまっただろうか、由乃さんには誰か好きな人がいるのだろうか、もし志摩子が好きと告げたなら由乃さんは一体――。
 好きと言う気持ちを学校で由乃さんと過ごす日常の中でたくさん見つけてしまうから。由乃さんを好きな理由を複数回答でいくつでも見つけてしまうから。だから、由乃さんを「好き」と思い始めたその瞬間をいつしか忘れてしまっていただけ。それだって、たったひとつの夕焼けの衝撃でそれは簡単に思い出されてしまったのだから。

   「よ、由乃さん、あのね……」
   「うん、どうしたの?」
   「え、ええっ? な、なんでもないのよ」

 ――お子様の恋愛か。
 我ながら、好きの始まりのその直後に彼女に気持ちを伝えようと努力して、そして及ばなかった拙さを思い出してしまうと苦笑しか出てこない。
 それでも、拙すぎるその告白未遂の思い出だって、今は少しだけ誇らしく志摩子は思い出していたりもする。
 できなかったとはいえ、あの時志摩子は「好き」という気持ちを由乃さんに伝えようとしていたからだ。そんなこと、「好き」を意識しはじめたその日にしか、志摩子はできなかったからだ。
(伝えられるわけ、無いじゃない……)
 その時は惚れた衝動でそのまま告白してしまいそうになっただけ。
 もちろん、今だって由乃さんのことが変わらずに好き。
 だけど、志摩子はその気持ちを……もう彼女に伝えることができない。
(由乃さんのことが好き。けれど、彼女には)
 それを思えば、どうして彼女に気持ちを伝えることができるだろう。
 由乃さんには令さまがいる。由乃さんが令さまを恋愛感情的な意味合いで「好き」かどうかは解らなかったけれど、令さまが由乃さんをそういった意味で「好き」なのは志摩子だけではなく誰でも知っていることだった。だから、志摩子が由乃さんに気持ちを伝えたならば、それは令さまの気持ちを無視することに他ならない。
 同時に、乃梨子への裏切りでもある。乃梨子が自分のことを好きでいてくれるのは志摩子にもわかっていたし、その感情が……志摩子が由乃にさんに向けている気持ちと全く同一のものであることも志摩子にはわかってしまっていた。
 由乃さんのことが好き。乃梨子のことも好きだけれど、「好き」の本質が根本的に違っているから、乃梨子への「好き」が前者に及ぶはずも無い。それでも乃梨子から寄せられている気持ちをきっぱりと拒絶できないでいるのは……志摩子が由乃さんに拒絶されたら確実に酷い痛みを伴うことであるように、乃梨子にそれらの痛みを与え傷つけてしまうことになるのがわかっているからだろう。
 ……あるいは、令さまや乃梨子だけならば傷つけても構わない、とさえ考えたことが何度かあったりもするけれど。それは志摩子にとって我ながら信じられないほどに過激な発想で、普段ならば決して考えの及ぶところではない筈。それを志摩子に考えさせたのは、由乃さんへの愛が深すぎる所以以外の何物でもない。
 けれど令さまや乃梨子を傷つけてしまうことを覚悟したからといって、結局は何も解決しないのだった。令さまが傷つけば、由乃さんもきっと同じだけ傷つくのだ。乃梨子が傷ついた場合でも、優しい由乃さんは無傷ではいられない。……そんな、間接的にとはいえ由乃さんも何らかの形で傷つけてしまうことになる告白を、どうして志摩子が無理に強行できるだろうか。
(誰も傷つけたくない)
 それは、博愛を愛し聖典を旨とする志摩子の基本理念だ。
(傷つけてでも手に入れたい)
 令さまを。乃梨子を。時には、由乃さんさえ傷つけてしまうかもしれない、その可能性さえ踏んだ上でさえ、志摩子はそう思うことがあった。
 気持ちを、告げてしまいたかった。けれど志摩子は気持ちを伝えること自体に怯えていながら、同時に伝えてしまった気持ちを拒絶されることも、あるいは受け入れられてしまうことも怖かった。
 気持ちを告げてしまえば、もう偽ることはできなくなる。求めてしまえば、逃げ場を失う。それが、恋愛の絶対のルールだから。
 いつまでも、いまの居場所を失いたくない。いまの関係を壊したくない。壊れる可能性を内包しているからこそ恋愛感情の上に成り立つ「好き」は崇高なのだけれど、それ故にどこまでも恐怖は心を蝕むのだ。
 幾度と無く自問を繰り返してきた。好きと言いたい。けれど、言えない。それでも言いたい。だけど、怖い。毎日問答を繰り返すのに、「したい」という希望と「できない」という前提が選択肢を囚われのものにする。
 一年問答を繰り返してきたのだ。三百六十五回もの問答を繰り返し、三百六十五回の告白の機会を無下にしてきた自分がいるのだから、きっとこの先も由乃さんへ気持ちを告げられる機会など来ることはないのだと、志摩子はいい加減に諦めることができる筈だった。
 けれど、それでも――志摩子はもう、自分の中で幾度も幾度も押し殺してきて、それでもなお溢れ続ける感情を、由乃さんへと向ける感情を、いま毎日のように抑えきれない痛みに苦しみ続けているのだ。
 殆ど毎日、由乃さんに出会うのだ。平日は学校で会うのはもちろん、休日だって志摩子は「環境整備委員会の集まりがあって」と理由を付けたりして、由乃さんが部活を始めてからと言うもの学校に来れば毎日会うことができた。
 ――由乃さんに合えない一日なんて、考えられない。
 しかし、毎日会ってはいても。だからといって「好き」と言えるわけもなく。
 由乃さんと会う時間は純粋に志摩子にとって幸せであり、そして同時に苦しみでもあるのだ。いつだって志摩子は自分の心の衝動を押し殺し続けなければならないのだから。
 それに、それ以上に志摩子にとって辛いのは、由乃さんと令さまが一緒にいる姿を見てしまうこと。親密な二人の姿を見ると……その都度胸が悲痛な痛みを上げる。
 苦しい? 淋しい? なんていう、生半可なものじゃない。ただ「痛い」。
 想いが敵わないと思い知らされること以上に、重い鈍器の痛みがあるだろうか。
 想いの丈なら……「好き」の気持ちなら、令さまにだって負けていないのに。

 

  

 

 ……世の中は不公平。
 自分の心に嘘を吐くこと。自分の本音に言い訳すること。
 そんなつまらないことにだけ、長けていく自分がいる。
 そうして、いつだって日中押し殺し続けた志摩子の心。
 拉ぎ続けた行き場の無い衝動は、やがて夜になると還ってくる。
 いつまでも栓をして置けるはずがない。だからといって、欲求の儘に求められるはずがないから。だったら……代替的な行為でそれを磨り減らしたり、あるいは満たすような。そんな安直な解決法しか、私は知らないから。


      *


 窓は閉めない。携帯電話を切らない。
 それだけが絶対のルール。雨の日も、真冬の雪の日だってこれだけは絶対に遵守することを怠らない。
 部屋の鍵は閉めて、窓は開いている。カーテンは半分ぐらいは閉めているけれど、わざと開けた隙間から冷たい空気が入り込んでくる。真冬よりは幾分か落ち着いたとはいえ、それだけでずいぶん部屋の温度が吸い取られてしまい、部屋の灯かりを落として志摩子が普段着や下着を総て脱いでしまう頃には、もうそこは部屋の中なのか外なのかわからないぐらいに肌寒かった。
 それでも、この寒さを求めている、というのが理由のひとつでもあるから。
 好きな、由乃さんと。繋がっているものなんて、実際には殆ど無くて。
 繋がっていられるものがあるとするなら。それは、例えばこの冬の寒さ。あるいは夜の帳と星空の天幕。これらは窓を閉めていないから部屋の中に入り込み、そしてカーテンを閉めていないから部屋に裸でいる志摩子からも夜空の様相が十分に見てとれた。そしてこの冷たい空気は、きっと由乃さんの家にも続いている。きっとこの星空は、由乃さんの部屋からも見えるはずだ。
 由乃さんへの「好き」を意識して間もない頃は、ただそれだけの繋がりで志摩子は由乃さんを意識しながら自分の躰に熱を与えていた。けれど傍から、それだけでは満足できなくなった。こんなにも頼りない繋がりだけではすぐに満足できなくなって、志摩子は携帯電話を買った。
 番号は由乃さんだけが知っている。携帯には由乃さんの番号だけが登録してある。ただそれだけの為にある携帯電話――だから志摩子はただその繋がりだけを確かな物だと半ば願望に似た形で自分の心に信じさせながら、彼女に想いを馳せるのだ。
 ゆっくりと、すでに準備状態が整いつつあるそこに触れる。夜のだいたいこのぐらいの時間帯にいつも志摩子はこの秘密の時間を設け、そして熱に滾る自分の躰の箇所に触れた。だから夜が更けていくに従って志摩子はやがて訪れくるその時間を意識せずにはいられなかったし、頭で思い出そうとすることをしなくても、志摩子の躰が不思議な疼きを伴ってそれを知らせるのだ。
「ふぁ……」
 激しい愛撫は必要ではない。触れるという行為は補助に過ぎず、熱を持つ理由は脳裏に焼き付けてはただ馳せ巡らせる彼女への想いからに他ならないから。ただ、想いを傾けることだけでは寂しさに打ちひしがれることも満たされることも得られないから。だからその為の補助として、緩やかな愛撫を敏感な箇所へ課しているだけにすぎないのだ。
「はっ、はあっ……!」
 静かな愛撫に伴う、静かな嬌声。それは愛撫が静かなように溢れる快感量が静かなわけではなくて、志摩子が必死に声を漏らさないように我慢している結果だ。窓を開いているからあまり声を上げることはできないから。
「ん、くふぅ……」
 窓の隙間からは、月だけが志摩子の痴態を覗き込んでいる。満月に想うのは、由乃さんの猫のような瞳。自分の手に重ねるのは、いつか由乃さんが志摩子を愛してくれるような――有り得もしない未来への期待に似た想像。
 だから、志摩子は自分で自分を慰めているような感覚は、こと一度行為の最中に堕ちてしまえば意識することは無くなる。志摩子はただ何にも抗わず、肢体を委ね任せるだけの能動的意識しか持つことはない。能が命令を出すわけではなく、きっと反射に似た形で愛撫の手は志摩子の性器を苛むけれど、それは志摩子の手と言う感覚は無くなり、そこに重ねるのは由乃さんの手だ。だから、志摩子が抱くのはただ「責められている」という意識だけ。
「はあっ! ふ、ふぁ……」
 一瞬大きな声が出て、慌てて志摩子はそれを抑えようとする。抑えるとはつまり、あくまで我慢しようと努力することにすぎず、責めの手を止めたり弱めたりすることには決して繋がりはしない。あまり声を上げれば父母などに聞かれてしまう危険性があるから怖いわけだけれど、それはあくまで志摩子の事情に他ならないから。行為の最中では責めの手への命令権は志摩子には一切無く、あくまで由乃さんの責めの手。だから志摩子の都合などお構い無しに――むしろ必死に我慢する志摩子をからかうように、責めの手はより強く、激しさを増していくのだ。
 加虐と嗜虐の構図。だから志摩子が身を捩ったり、時には心の中で「やめて」と請うことも意味を為しはしない。むしろその志摩子の翻弄に愉悦の笑みを浮かべるかのように。由乃さんの手は行為を最大限に楽しむべく責めは志摩子を深く苛むのだ。
「ふあっ! ……ひゃ、ひああっ!」
 膣よりも突起が弱い。それをすぐに探り当てた由乃さんの手は、集中的に志摩子の弱点を攻撃する。
 左右に躰を捩る。ガクガクと躰を震わせると、ぐわんぐわんとそれに伴って脳も揺さぶられるような気持ちになった。それだけ抵抗の素振りをしてみせても、けれど彼女の手は的確に志摩子を貫いてくる。深い快感の圧迫感が神経を走り、息を吐き出しながら嬌声を志摩子は上げる。
 吐き出した酸素を取り入れるために呼吸をしようとしても、乱されすぎた呼吸のリズムが合わなくて上手くいかない。志摩子息を吸い込もうとするや否や再び彼女の手はぎゅっと志摩子の最も敏感な――それを彼女に貫かれるだけで総ての自由を奪われてしまう器官の――そこを抓りあげるのだ。
「んっ、んふぁああああ!」
 取り入れようと僅かに吸い込んだ息が、そのまま求心力を失って吐き出される。ずっとそんなことの繰り返しだから、志摩子にはただ呼吸を上手くすることさえ自由にはならないのだ。外界に隔たれることなく冬の冷たい空気が溢れているこの部屋の中にあって、なお溺れてしまいそうに錯覚しそうになるぐらいに。
 呼吸が上手くいかないと、まず支障が出るのは肢体を上手く動かすこと。もちろんそれが特に意味が為さないことであるのはわかっているけれど、そうであっても身を捩ったり、あるいは首を左右に振ることさえできなくなることは、完全に彼女の手に屈服させられることに等しいから。だからいよいよもって躰が自由に動かせなくなると、それは本当にただの彼女の玩具にさせられて遊ばれているだけのような感覚になっていくのだ。
「んぁ……! はっ……!」
 次に、声が上手く出せなくなる。呼吸だけは取り入れることができなくても吐き出されるのに、それなのに声だけが出せなくなるのだ。だから嬌声はボルテージを高めて甲高い悲鳴のようなものになると、一転して急に静かな喘ぎへと急変化する。もちろん、より脳髄を刺激が齎す快感に侵され、狂おしい痴態を晒すことになるのは声がでなくなったその状態から。
「……っは! んっ! ふぁ……ぁああ!」
 肺に残された僅かな酸素を頼りに、志摩子は絶頂の嬌声を上げる。意識が霞みがかったように白ばんで、躰が急速に弛緩を求めてくる。
「……っ! んぅっ!」
 それでもなお、責めの手は休まらない。
(許して!)と志摩子心の中で彼女に請う。それでも、妖艶な笑みを浮かべた彼女はただ微笑むだけ。
 動かない躰。上げられない悲鳴。志摩子にできる唯一のことは、彼女が満足するまでただ為すがままに肢体を玩ばれることだけだ。

 

 きっと、傍から見れば異常なほどに滑稽な光景。それは、わかってる。
 憧れが手に入らないから、代替的な手段で欲望を満たそうとするそのこと自体が、どうしようもなく惨めなことだというのも、志摩子にはわかっているのだ。
 ――それでも。
 志摩子は幻想の中に見る彼女の――由乃さんに責められて玩ばれる姿をそこに想って――僅かな幸せを手に入れられてしまう自分がいるのを知ってしまっているから。それが酷く淋しいことだと知りながらも、結局毎日この麻薬のような誘惑に抗うことができないのだ。
 愚かなことだなんて……言われるまでもない。

 

 いっそ、総てを棄ててしまえたら。
 令さまを傷つけることも、乃梨子を傷つけることも。自身が傷つくことも。
 由乃さんを傷つけることさえ。
 総て棄ててしまえたら。そうして、ただ欲望の儘に求めることができたなら。
 デートなんていらない。ずっと、ずっと性の行為に由乃さんと堕ちていたい。
 そんなこと、きっと誰かが馬鹿な考えだと嘲笑うだろうけれど。
 それでも、そこには……総ての志摩子の心も愛も偽らずに、ただ大好きな人に想う儘に大好きといえて、彼女のこと以外何も考えずに生きていられるような。

 そんな――夢のような楽園があるのだろうか。