■ 3.「拭えない黒溜まり」

LastUpdate:05/01/03

「……!!」
 普段眠っているときとは全く違う違和感を感じ、不意に瞳子は目を覚ました。勢いよく上体を起こそうとするものの、勢いに任せて何かベルトのようなものに首を締め付けられてしまい、酷い苦痛に息を詰まらせてゲホゲホと咽返る。灼けるような喉の痛みと自分の滑稽さとで、瞳子の目には涙も溢れてきてしまう。
 慌てて心を冷静に保って状況を把握しようとする。地下室か何かだろうか。窓のような採光できるものが何ひとつ無く、ひとつぐらいはあってよさそうな何らかの待機中の電子機器ランプの類さえ無い。自分でさっき上げてしまった声がやたら篭って部屋に反響したことところを見ると、実際には窓があって夜なだけ、ということもないだろう。それに暖房が動かされている気配も無いのに寒く無いのは――やはり、地下室か何かと考えるのが自然だろう。
 眠っていたのだから瞳は暗順応している筈だが、それでもいま瞳子がいる部屋は薄らとさえ何ひとつ見えはしなかった。おそらく、この部屋には本当に光がまったく存在しないのだ。
 次に身体の現状を確認する。どうやら何かの台のようなものに拘束されているようだった。拘束されているのは、まず首。そして両手両足もやはり動かせない。斜め上に開いた両手、斜め足に大きく開かされた両足。何かずっしりと重いテーブルか机のようなものに、きつくX字型に拘束されているようだ。
(……痣が残りそうですわね)
 起きたてはいきなり喉をきつく締め上げられたものだから思わず興奮してしまったけれど、すこし時間が立っただけでこんな現状にも関わらず、不思議と瞳子は冷静になることができた。
(服も剥がされているのでしょうか……?)
 風の流れが感じられない部屋では意外にもそれがわからないので、拘束されながらも身を捩って感触で確認してみようとする。やはりと言うべきか、身に付けるものはインナーも含めて全て脱がされているようだった。
 改めて裸で拘束されている自分の姿を思い浮かべると、恥ずかしさよりも先に今の自分のあまりの滑稽さに、小さく自嘲してしまったりする。
 そのとき。部屋の奥の方から(拘束されている瞳子にとっては両足を向けている側から)ガシャン! と重たい金属音が響き、ギギーッと繋いでいた扉のようなものが開く音がした。
 瞳子は慌てて覚悟を決め、努めて冷静になろうとする。
(――大丈夫、相手が誰かは予想がついてる)
 部屋の中に隣の部屋からであろう薄い光が充満し、冬を思わせる冷えた空気が流れ込んでくる。裸に剥かれている瞳子にはさすがにそれが身に堪えて、思わず身震いをしてしまう。
「……ごきげんよう、瞳子ちゃん」
 階段のようなものをこちら側に向かってツカツカと歩きながら、その人は――こちらからは角度的に見えないのに、まるで薄ら笑いを浮かべていらっしゃる光景が目に浮かぶかのような声で――瞳子にそう言った。
「……ええ、ごきげんよう、由乃さま。このような無礼な格好で失礼致しますわ」
 瞳子を監禁した犯人は目星が付いていた。そして彼女の声を確認し、それは確信へと変わる。
「さすが大女優。こんな状況でも弱音は吐かないのね」
「恐れる必要などありませんから。……理由ぐらいはお聞かせ頂けるのでしょう?」
「なるほど、そりゃ気づかなかった」
 あはは、と不敵な笑い声を上げながら由乃さまがさらに瞳子のすぐ傍にまで近寄ってくる。
 首を強くベルトで固定されているせいで、瞳子は必死に由乃さまのほうを見ようとするものの、角度的にぎりぎりの所で見えないようだった。
 ちょうどその時、かろうじて由乃さまが片手を上に上げたのが見てとれた。
 そしてその手は、そのまま勢いよく振り下ろされる。
 パシィィン……。
「んくああっ!」
 空を切る音がしたあと、パシィンと乾いた音が部屋の中に小気味よく響いた。由乃さまが上げた手はそのまま振り下ろされ、瞳子の下腹部を平手で強打する。ちょうど瞳子の性器があるそこを、違わずに打ち付けた。
 何かされることは予測できていたけれど、まさかいきなりそんなことをされると思わなかった瞳子に、不意に強烈な痛みが襲い掛かる。鋭い痛みが走り、そしてまだじんじんとした鈍い痛みが残っていた。
「ど、どうして……」
 瞳子は問う。しかし、由乃さまは答えない。
 答える代わりに二度三度と、拘束されて閉じることができない瞳子のそこに、掌を振り下ろす。
 パシィィン……。パシィィン……。
「……ふううっ! ああっ!」
 耐えようとする。けれど、その鋭く尖った痛みを我慢しきれずに、瞳子は悲鳴を上げて拘束の中で無駄にもがこうとする。
 硬質の壁が幾重にも反射音を響かせる。一定のリズムで由乃さまは何度も何度も瞳子のそこを打ち付けた。そのたびごとに意識を失うぐらいの強烈な痛みが瞳子を蝕んでいく。
「ふあああっ! はああっ! ……んあああっ!」
 声を抑えきれない。瞳子が叩かては悲鳴をあげるのを、ただくすくすと由乃さまが笑っていた。
 十度ほどは叩かれただろうか。ようやく止んだ平手の雨に、瞳子は荒れた息のままぐったりと体をだらりと落とした。
「くんうっ……!」
 しかし再び痛みが瞳子を襲う。弛緩しはじめていたその最中、いきなりさっきまで叩いた瞳子のそこに、由乃さまが数本の指先を無理やりに差し入れてきた。
「瞳子ちゃん、濡れてるんだねえ……」
 にたっと笑う由乃さまの姿が、ようやく瞳子の視界の片隅に入った。由乃さまもまた見られているのに気づいたのか、瞳子に一瞬視線を重ねる。
「うっ! ううっ……! や、やめっ……!」
 ぐいっぐいっと、断続的に無理やりに瞳子の中に指を押し込もうとしてくる。瞳子はそれに対して腹筋に力を入れることぐらいしかできない。鋭いのに鈍くて重たい痛みが、瞳子の中で切なく暴れまわる。
 涙が止まらなかった。快楽を求めるために指先を一本だけ差し入れて自分を慰めるときとは違い、何本かの指がそれも無理やりに押し込められてくる。ひょう疽のようにずきずきとした痛みが止まらない。
「どうして、こんな……」
 再び瞳子は問う。由乃さまは今度は無視せずに、くつくつと笑いながら答えた。
「だって――瞳子ちゃんったら、穢いんだもの」
 漏らすような笑い声は大声の嘲笑に変わる。その笑い声は、もはや正気のものとは思えなかった。
「……そんなに、私が祐巳さまに近づくのが気に入りませんか?」
「…………っ!」
 図星だったのか、視界の中の由乃さまが不意に笑い顔を引きつらせた。
「……わかってないね、瞳子ちゃん」
「ふぅあああっ……!」
 急にくぐもった低い声で、脅すように由乃さまが喋り始める。いや、実際に脅しているのだ。由乃さまの手が強く瞳子の陰核を抓った。
 性感帯の集中点である陰核も、そんな無理に抓ってはただ痛みを発するだけだ。快感なんて僅かにさえ感じられず、気を抜けば意識を失いそうな、飛び上がるぐらい痛烈な痛み。
「瞳子ちゃんを生かすも殺すも、私次第なんだけどなぁ……」
 ぞくぞくっと恐怖が背筋を駆け抜けた。しかし、瞳子は屈することを選ばない。
「祐巳さまは、由乃さまのものではないでしょう?」
 誰のものかと言えば、もちろん祥子さまのものだ。
「……悔しいけれど、その通り。私のものじゃないわ」
「それがわかっているのでしたら、何故このようなことを」
「何故かって? 決まってるじゃない。祐巳さまの近くにいる瞳子ちゃんを見ると、私が苛つくからよ」
「ああ、嫉妬ですか」
「……!!」
 表情に隠しもしない怒気が顕になる。由乃さまは今度は本気で怒ったのか、瞳子に一切の容赦をしなかった。
「ひああああっ! ひ、ひたいっ! 痛いいっ……!」
 容赦なく瞳子の陰核を抓り上げた。そしてそのまま力任せに上に引っ張り上げる。瞳子は腰を浮かせることもできず、引きちぎれそうなぐらいに容赦の無いその残虐な責めの痛みに、ただ悲痛に泣き叫ぶしかない。
 ひたすらに悲鳴を上げて。上げ続けて。
 それでも、瞳子は屈しない。
「はあっ、はああっ……」
 ようやくそれが離れたときには、瞳子も由乃さまも呼吸を荒くしていた。瞳子は激しすぎる痛みのため。そしてきっと由乃さまは怒り、あるいは――ご自分に対する苛立ちのために。
「はあ、はあ……わ、わかった? 瞳子ちゃんは穢いんだから、祐巳さんに近づこうなんて思っていい人間じゃないんだ」
「はあ、はあっ……。そ、そう、ですわね……そうかもしれません」
 瞳子はそう答える。それは由乃さまの暴力に屈したからではなく、それ自体については瞳子自身も否定する余地は無いように思えるからだ。
 その瞳子の答えに驚いたのか、由乃さまは目を丸くして見せた。
 祐巳さまは「純白」だ。綺麗な無菌室で温室栽培された、弱々しいながらも穢れを全く知らない花。しかし、瞳子という穢れた雑草が近くにいては、やがてそれは祐巳さまも穢し蝕んでしまう。
 私なんかが祐巳さまの傍にいていいのだろうか。そんな疑問は瞳子の中にいつだってあった。実際にそれとなく祐巳さまに訊いてみたことさえある。だけど祐巳さまはただ優しく微笑みながら「何言ってるのよ」と否定してみせてくれた。
 それが瞳子にとってどれだけ嬉しかったか。――そして同時に、それほどまでに優しい祐巳さまの心の片隅に自分なんかがいることを、どれだけ申し訳なく思ったか。
「私も穢いですが――由乃さまも穢いではありませんか」
 いつ来るともしれない痛みを覚悟しながら、瞳子は再び言葉で由乃さまを否定してみせる。再び陰核に訪れるであろう、決して耐えることなどできない痛烈な痛みに。
 しかし、意外なことに次に目を丸くするのは瞳子の番だった。あろうことか、由乃さまは「……そうね」と、ただひとこと瞳子に肯定してみせたのだ。
 由乃さまのその言葉は一瞬瞳子の思考を混乱させたが、すぐに瞳子はその気持ちを諒解することができた。

 ――ああ、なるほど。

 さっきまでの純粋に由乃さまを憎む気持ちはあっという間に霧散し、今度は同情の気持ちさえ芽生えてきた。
 いつか瞳子は由乃さまのことを「この人は私に似ている」と思ったことがある。それは外見的なものや能力的なものではなく、心の在り方。そして、考え方や欲求する本能のことだ。
 瞳子が祐巳さまを愛しているように、由乃さまもまた祐巳さまを愛していた。
 それは瞳子にはわかっていた。何故なら、私たちは似ているからだ。
 いつか瞳子は祥子さまに対してひどく嫉妬したことがある。……いや、今だってひどく嫉妬している。祐巳さまの心は妹である瞳子のものだけではなく、祥子さまへの想いも大部分を占めているのだから。
 だけど、祐巳さまに祥子さま以上に瞳子に目を向けてくれるようにお願いすることなんてできなかった。
 常々から瞳子は「自分は穢い」ということを自覚していた。祐巳さまは純白。そして、祥子さまもまた純白にして大輪の華なのだ。
 二人はとてもお似合いで……祐巳さまと祥子さまは、とてもお似合いで。
 ――なのに祐巳さまは。瞳子のことを祥子さまと同じぐらいに好きだよ、と言ってくれたことがある。
 それが瞳子にとってどれほど嬉しかったか。
 そして瞳子にとってどれほど申し訳なかったか。

 由乃さまは「穢い」から、祐巳さまとは友達までにしかなれなくて。
 瞳子は「穢い」のに、祐巳さまに愛されて。

 由乃さまが抱いておられるであろうその感情を「嫉妬」と言い棄てることは簡単。だけど由乃さまが瞳子に対して抱く感情の根は、きっととても深い。
 由乃さまはこんな風に瞳子を無理やりに物理的に傷つけようとした。
 それは自分と同じ存在でありながら、祐巳さまの近くにいる瞳子への苛立ちから。
 もしも……もし瞳子が逆の立場だったなら。
 瞳子もまた、由乃さまをきっと許せなかった。
 絶対に、絶対に許すことなんてできる筈がないのだ。
 だから……由乃さまがこうして物理的に瞳子を苦しめようとする気持ちが、瞳子にはわかってしまうのだ。
 もちろん、由乃さまがこんな風に瞳子を傷つけることは、赦されることではない。
 由乃さまがこんな風に瞳子を傷つけてくることを、赦していい筈が無い。

 なのに――心では許してしまいそうになる。

 だけどここで瞳子が「許してあげます」なんて言っても、それは意味の無いこと。
 拘束こそしているけれど、わざわざ週末の金曜日を選んで瞳子を誘拐したということは、日曜の夜には瞳子を開放するつもりなのだろう。
 瞳子自身未だに信じ切れていないことだけれど――祐巳さまは、確かに瞳子を愛してくれているのだから。
 だから、このまま監禁して瞳子を祐巳さまの前から引き剥がすようなことは、由乃さまはしないのだ。
 できないのだ。
 瞳子がいなくなれば、祐巳さまは悲しむから。
 瞳子なんかでも、祐巳さまは悲しんでくれるから。
「可愛そうなひと……そんなことをしても、祐巳さまが手に入るわけではありませんでしょうに」
 精一杯の侮蔑の笑みを演技にながら、由乃さまにそう言ってみる。
 由乃さまの気持ちを全て理解した上で。――それでも瞳子は、ただ由乃さまが悪態をつきながら、由乃さまを傷つける言葉を並べるだけだ。
 由乃さまの顔がみるみる真っ赤になっていき、逆上したように再び瞳子の体を傷つける。容赦の無い責めに、瞳子はただ拘束の中で身を捩りながら泣き叫ぶ。

 どうあっても、由乃さまに謝ることは意味を成さないのだから。
 ならせめて――由乃さまの満足がいくまで、瞳子は傷つけられていたい。
 絶対にわかりあえないから、きっと傷つけ合うしか残されていないのだから。