■ 6.「持たざる者の檻」

LastUpdate:05/01/06

 細長い指先が、薄明かりの暗闇の中を手探りするように乃梨子の秘所を弄った。刺激に耐え切れずに漏らしてしまった声が、くぐもった音となって薔薇の館一階の倉庫に響く。慌てて口を閉じた乃梨子の唇に、祥子さまの人差し指が触れた。
「あんまり声を上げると、気づかれてしまうわよ?」
 小さな声で祥子さまがそう注意する。乃梨子もこくんと頷き、了承の意を告げる。
 素直に了解した乃梨子に満足したのか、祥子さまは優しい笑みを湛えながら、再び乃梨子のそこに片手をあてがってくる。
「あ……はっ……」
 身もだえするほどではないが、たまに細かく声を漏らしてしまう。そのぐらいの滲むような淡い快感を連続的に与えられて、乃梨子の緊張した全身から力が解されていく。はあーっと背を軽く反り返らせながら吐き出した吐息が、濃淡な白に部屋を染めては霧散して消える。雪が降るほどの外の寒さは行為の最中にある二人に何の影響も与えはしなかったが、熱い躰から漏らす吐息の濃さが部屋の寒さを物語っていた。
「風邪を引いてしまうかもしれないわね」
 祥子さまがそう言った。そうかもしれない。
 だけど、そんなことは大した問題ではないように思えた。そう言いながらも行為をやめようとはしないところから察するに、祥子さまにとってもそうなのだろう。別に二人して風邪を引いてしまっても構わない。
 失恋の痛痒が、毎日二人を蝕んでいた。
 いま乃梨子と祥子さまの二人のまさに真上――薔薇の館の二階には、志摩子さんと祐巳さまが居るはずだ。温かいストーブに見守られながら、二人で交歓を交わしているに違いない。
 それは、とても単純な問題だ。乃梨子は志摩子さんを愛していたが、志摩子さんは祐巳さまを愛していた。祥子さまは祐巳さまを愛しておられたけれど、祐巳さまは志摩子さんを愛していた。
 両思いの二人には温かい部屋がよく似合う。そして、淋しさを紛らわす為だけのあまりに淋しい交歓を交わすことがしか出来ない私たちには――暗く冷たい、冬の倉庫がよく似合う。
 風邪をひけば苦しいだろうか。
 でも毎日がこんなに苦しいのに、これ以上に苦しいことなんてあるのだろうか。毎日がこんなにも悲しいのに、これ以上に悲しくなることなんてできるのだろうか。
 いっそ風邪で高熱でも出せば学校を欠席できる。肺炎で入院でもすれば、しばらく上の二人に会わずに済む。
 毎日、乃梨子の目をまっすぐ見てくれない志摩子さんが悲しかった。ひどく申し訳無さそうな顔をしてしか乃梨子と会話してくれない祐巳さまを見るのが辛かった。
 どうしてこの世に乃梨子なんかが存在してしまうのだろう。もし私さえいなければきっと二人はこんなにも苦しんでお互いを求め合うことになんかならなかった。乃梨子さえいなければ――。
 体は火照っていても心は冷え切っている。
 それは祥子さまも同じだから、私たちが触れ合っても冷たい心同士が澱みながら絡み合うだけ。自慰と何も変わらないような淋しさが、絶頂を迎えた体にもしんしんと降り積もる。――それはまるで、外の雪のように。
「はあっ……!」
 断続的に乃梨子から真っ白の吐息が漏れては霧散していく。
 心がどんなに淋しく冷たくても、躰は熱くなり疼きそして達するのだ。乃梨子のことを愛しているわけでもない祥子さまが相手でも、乃梨子のそこは愛液を満たし乳房や陰唇上部の突起は性の衝動に膨らむのだ。
 それは、悲しいことのように思える。
「あ……」
 乃梨子の手もまた祥子さまの秘所にあてがうと、祥子さまも淡い声を漏らした。既に幾度か乃梨子の手によって絶頂を迎えた祥子さまのそこは既に大量の蜜で満たされていて、熱い体温で温められている。
 躰を交わすことは心を交わすこと。
 交歓の中で二人の心が交じり合う。
 なのに、二人して心にあるものは哀しみの澱だけだ。それが混ざって果たしてなんの意味があるだろう。
「ふあっ、ああっ……!」
「はあっ……!」
 二人の体が痙攣して、崩れ落ちるように冷たい床に落ちる。
 幾度達しても頭も心も真っ白には染まらない。
 二人の上に雪が降る。哀しみの雪。失意の残滓。
 それは白いように見えるが、雪が覆うのは上辺だけだ。
 中は黒く穢れている。
「ふああっ!」
 祥子さまが悲鳴のように声を上げた。乃梨子が爪を立てて、祥子さまの乳房を力任せに掴んだからだ。
 祥子さまは痛みのあまりに涙を流す。だけど、抵抗はしない。
「痛ぅああっ!」
 乃梨子もまた悲鳴のように声を上げる。祥子さまの長い爪が、乃梨子の左乳房を強く引っ掻いたからだ。
 乃梨子もまた痛みのあまりに涙を流す。だけど、抵抗はしない。
 痛みを交し合う。
 二人の傷は癒されない。深い裂傷が、ただ淡々と血を溢れ零し続ける。
 決して癒されない傷の痛み。それを忘れる方法はいくつかある。夢も見ない眠りに落ちること。快楽の中に身を落とすこと。そして、他にも傷を負って新たな痛みで紛らわせること。
 痛みを忘れる為に、私たちは痛みと快楽を交歓することしかできない。
 幸せな宴が二階で開かれているであろうその真下で、私たちはこんなにも悲しく躰と心を交わす。
(――惨めだ)
 我ながらそう思う。
 だけど、これしかできることがないから。