■ 12.「ポラリスの黒鳥(前)」

LastUpdate:05/01/13

「まったく、なんでこんな時間に!」
 車から降りて二人きりになるなり、瞳子ちゃんが不満を口に漏らした。その気持ちもわからないではないだけに、祐巳もまた苦笑するしかない。
 ついさっき、ちょうど日が変わったばっかりの時間帯。夕方ぐらいに、今日この時間にここの24時間営業のファミリーレストランに来るようにお願いされて断りきれず、こうしていま祐巳と瞳子はいる。
「でもさ、瞳子ちゃんの家が車を出してくれて良かったよ」
「そりゃまあ……祐巳さまに深夜にこんな距離を歩かせるわけにはいきません」
 祐巳は今日、瞳子ちゃんの家に泊まっていた。というより、冬休みを利用してここ数日間はちょうど連泊しているところだった。
 だから、もし電話で夕方に呼び出しの電話さえ貰わなければ……もちろん今夜も瞳子ちゃんと二人きりの時間を過ごせていたわけだ。だからこんな時間に呼び出されたという不満以上に、二人の時間を邪魔された、という不満が瞳子ちゃんにはあるらしかった。
 もちろん、それは祐巳にもある。だけど、電話で真剣に事情を話されれば、祐巳にもその気持ちが解らなくもなかっただけに断ることができなかったのだ。
「祐巳さまは人が良すぎるんですのよ!」
 そう言いながら瞳子ちゃんが祐巳のコートの袖を引っ張って、早く店の中に入ろうと促した。確かにこうも冬の寒気が凄みをみせている中では、コートを着ていても寒いものは寒い。
 きっと相手も瞳子ちゃんの家から一番近いから待ち合わせをここに選んだのだろうけれど。それでもこの寒い中を歩いてくるのなんてかなり考えられないことだった。瞳子ちゃん(の家の使用人の方)が車を出してくれて本当に助かる。


      *


「いらっしゃいませー」
 店に入るなり店員の方がそう言いながらこちらにやってくる。祐巳は中に先に友人が来ているから、という旨を伝えると、やや奥のほうの席からこちらに手を振ってくる二人の姿を見つけてそちらのほうに移動する。やっぱり、これからそういう話をすることになるからだろうか。隅っこのできるだけ話が周囲に聞こえなさそうな席を選ぶあたりに、くすりと祐巳はちょっとだけ笑ってしまう。
「ごきげんよう祐巳さん、瞳子ちゃん」
 そう言ってきたのは蔦子さんだ。蔦子さんがこちらに一礼をするのに合わせて、隣の笙子ちゃんもこちらに深く一礼する。祐巳と瞳子ちゃんも合わせて頭を下げた。
 蔦子さんと笙子ちゃんが同じ側の席に座っているので、祐巳たちは瞳子ちゃんを先に入れてその向かい側に座る。メニューの裏面からドリンクだけを決めると、お絞りを持ってきた店員の方に祐巳はアイスティーを、瞳子ちゃんは野菜ジュースをそれぞれ注文する。六人掛けの余裕ある座席の奥の方に、祐巳と瞳子ちゃんの二人分のコートを押し込んだ。
「いやー、ごめんね呼び出したりして」
 蔦子さんはそう言って申し訳なさそうに頭を下げた。外ではあんなに怒りをあらわにしていた瞳子ちゃんにも、こう真っ先に上級生に頭を下げられると何も言えないらしく、ただふんっとそっぽを向いてみせた。
「そんな、いいよ。蔦子さんの頼みだし。それに、事情が事情だしね」
「事情?」
 祐巳に瞳子ちゃんが疑問をぶつけてくる。
「うん、えっとね……」
 まだ瞳子ちゃんには今日こうして呼ばれた理由を話していないわけだけれど、果たしてどう話せばいいものだろう。とりあえず蔦子さんの方に「話していいよね?」と訊いて、頷くのを確認する。
「えっと……その、私と瞳子ちゃんの今の関係が、あるじゃない?」
「は、はあ」
 少しだけ瞳子ちゃんは照れてみせる。
「それについてね、蔦子さんと笙子ちゃんが教えて欲しいらしくて」
「……それは、つまり」
「うん、そういうこと」
 ようやく事情を察してくれた瞳子ちゃんに対して、今度照れてみせるのは蔦子さんたちのほうだった。
「それは、どうもおめでとうございます」
「あ、ありがとう……って、何だか変な気分がするね、こういうのは」
 瞳子ちゃんの言葉に妙に照れながら、あははと蔦子さんが笑ってみせた。
 祐巳と瞳子ちゃんが注文したドリンクを店員さんが運んでくる。
「でも、私達に何かお話できることがあるのでしょうか?」
 瞳子ちゃんがストローをくわえながら少し困り顔をする。確かに、それについては祐巳も同感だった。
「私達自体テキストや誰かを参考にしたわけではないですし……結構テキトーでしかありませんから」
「うーん、実際そうなんだよねぇ」
 それには、祐巳も一緒になって困り顔をするほかない。
 何が正しいとか、そういうのではなくて。ただ祐巳と瞳子ちゃんとの関係が他の人たちに対してどうなのか、そう考えてしまうときがある。けれど、いつもあまり深く考えたりはしない。それは、結局瞳子ちゃんと一緒にいられるのであれば、他人と同じか否かなんて、些細な問題だから。
 だから、祐巳と瞳子ちゃんとの間で築いている関係やそれに伴う行為が、いわゆる一般的な同性愛者のそれと比べてどうなのかは、祐巳たち自身わからないのだ。
「あ、あの」
 座席の隅で押し黙っていた笙子ちゃんが、突然声を上げた。
「ですから、その、お二人のを、見せて頂けるだけでいいのです」
「見せるって、えっと……そういうこと、を?」
「あ、はい」
 笙子ちゃんの手元のグラスは既に空になっていた。空になったグラスを両手で玩びながら、笙子ちゃんは顔を真っ赤にしてつぶやくように話す。
「私も、祐巳さまがたのように蔦子さまに尽くしたいのですが……その、どうやればいいのかわからないのです。だから、その、とりあえず祐巳さまの奴隷でいらっしゃる瞳子さんの、真似をさせて頂けないかと思いまして」
「真似ねえ……」
 正直そう言われても祐巳は困ってしまう。
 祐巳が今まで瞳子ちゃんを奴隷にして、命令してきたことは、ただ自分の嗜好や興味の儘に振りかざしていただけのことに過ぎない。瞳子ちゃんを困らせたり、瞳子ちゃんを辱めたりさせるだけ。祐巳が命令する多くのことに瞳子ちゃんは従ってくれるけれど、本当に嫌なことには「嫌」と答えてくれる。
 あるいは瞳子ちゃんが「嫌」だと言ったことも、祐巳が無理に望めば瞳子ちゃんは決して拒まない。それは、祐巳との主従関係が瞳子ちゃんの中に前提としてあるからだ。瞳子ちゃんが「嫌」や「無理」と答えることの多くは、他の誰かに見られてしまったりすれば瞳子ちゃんだけでなく祐巳にも危険が及ぶことだから、だから瞳子ちゃんもそれを拒もうとするのだ。
 けれど、祐巳が無理に望めんだなら瞳子ちゃんは拒まない。それは、二人の責任は二人だけで受け止める覚悟がちゃんとあるからだ。
 その前提は常にある。祐巳が瞳子ちゃんに命じる全てについて、いつも責任は二人だけのものだから、という前提が常にある。だから、二人の関係に他の誰かを巻き込むことは、祐巳や瞳子ちゃんの望むところではない。
「……蔦子さんは、それでいいの?」
 だから祐巳は、蔦子さんにそう訊いた。
「笙子がそうしたいって言うんだから、いいんじゃない?」
「じゃあ私が命令するんじゃなくて、ちゃんと蔦子さんが命令してあげてよ?」
「了解」
 しゅたっと蔦子さんが右手を上げて応えてみせた。
 あくまで蔦子さんと笙子ちゃんの関係は、祐巳たちとは別のものだから。笙子ちゃんが何かをするにしても、それは蔦子さんの命令だから、という理由以外では意味がないのだ。
 だから、今からお手本として瞳子ちゃんに命令するのも、あくまで祐巳の意思からであって。ただ瞳子ちゃんを愛しく思う気持ちからであって。
「じゃあ、瞳子……とりあえず下着だけでも脱いで貰おっかな」
「あ、はい……」
 意図して呼称を『瞳子』に変える。それが、始まりの合図だから。
 冬だからニットまで上に着た厚着に少し戸惑いながらも、身を捩らせて瞳子ちゃんは器用にブラを外して抜き取ってみせる。手馴れているというかなんというか。慣れさせたのは私だけどさ……。
 上着が厚着なのに対して、スカートはいつもマイクロミニ。それは、祐巳が瞳子ちゃんにそう言いつけてあるからだ。いつだって、祐巳が求めたいときに瞳子ちゃんに触れられるように。
 瞳子ちゃんはスカートからもショーツをするすると抜き取る。
「ど、どうぞ……」
 くしゃくしゃに丸めた下着をひとまとめにして、おずおずと差し出してくる。
 いちど性の情調に触れると、瞳子ちゃんは急に弱気になる。弱気と言うか、受身と言うか。いつもの負けん気はどこへ鳴りを静めたやら、急に素直になってしまう。
 そんな瞳子ちゃんが、祐巳には愛おしくて仕方がないのだけれど。
「ほら、これが瞳子ちゃんの下着だよー」
 だから、意地悪してあげたくなる。
 蔦子さんと笙子ちゃんの目の前で、ひらひらと瞳子ちゃんの下着を振ってみせる。顔を真っ赤にしながら「や、やめてくださいっ!」と瞳子ちゃんが激昂した。
「瞳子」
「は、はい」
 祐巳が瞳子ちゃんの名前をただ二文字つぶやくだけで、たったいま激昂したばかりの瞳子ちゃんでさえ、すぐにまた素直で従順な奴隷へと姿を変えさせてしまう。
「とりあえずは、こんな感じでどうかな?」
 向かいに座る二人に対して問う。蔦子さんと笙子ちゃんとがいちど顔を見合わせたあとに、蔦子さんが祐巳に向かってこくんと頷いた。
「……笙子、下着を脱いで」
「はい……」
 ちゃんと笙子ちゃんに命令する蔦子さん。
 しかし笙子ちゃんにもやはり、冬場の厚着には苦戦する様子だった。瞳子ちゃんと違ってこういうことを要求されるのに慣れていないというのもあるのだろうけれど。必死に身を捩りながら――それはきっと、傍から見ても滑稽なぐらいに――ようやく胸元のブラを外してみせる。
 さすがに瞳子ちゃんほど短くはないけれど。ミニのスカートを穿いていた笙子ちゃんにもショーツを脱ぐのは簡単らしい。ブラと纏めた両方を瞳子ちゃんと同じようにくしゃくしゃに丸めて、蔦子さんに手渡した。
 瞳子ちゃんがいつでもマイクロミニなのは祐巳が要求したからだけれど。笙子ちゃんがこんな真冬にミニスカートを穿いているのは、きっと決意の表れからだろうか。
 蔦子さんが笙子ちゃんから受け取った下着をそのままポケットに素早く押し込む。未だに隠しもせずにテーブルの上に広げていた瞳子ちゃんの下着を、祐巳もポケットの中に押し込んだ。