■ 01−素敵な生活

LastUpdate:2009/02/03 初出:YURI-sis

「こ、こんにちは」
「………………こんにちは」

 


 元日の朝のこと。それはまるでアリスの目の前に天災の如く唐突に現れた。
 ちょうど昨日には、年を締め括るいつもより少しだけ規模の大きな宴会が神社で繰り広げられたばかりで。だからこうして玄関まで迎えに出てなお、アリスの瞼はどうにも重たいままだった。きっと本来ならお昼までは余裕で眠っていたはずの穏やかな時間を、霹靂のような玄関の戸をノックする音に起こされたというのだから堪らない。目の前の彼女に対する恨みのようなものは――少なくともかつての地震の一件が済んだ今となっては無いはずだけれど、叩き起こされた不快感から自然と唇が尖ってしまうのは最早アリス自身にさえ抑えようが無いことだった。
 透き徹るように清涼な藍青の髪、それを引き立てる薄桃のドレス。かつての異変の折に一度だけ会ったことがある、印象的な彼女――比那名居天子がそこには居た。
(……違う、わね)
 一度だけ会った、というのは真実ではない。あの異変以来というもの、彼女はまるで霊夢に対して誼あるかのように宴会のたび毎にいつも顔を出しているのだから。
 アリス自身はそう頻繁に宴会へ足を運ぶわけではないけれど、参加した時には必ずと言っていいほど天子の姿を見かけることができた。しかもきっと毎回のように参加しているに違いない魔理沙でさえ、いつも天子の姿を見かける、とちょうど昨日の折に語っていたのを覚えている。
 それでも、宴会で顔を見かけるからといって言葉を交わすわけではない。異変が起きる都度に参加者数の膨れあがる宴会は、どうにもアリスには居心地が悪くて。大きな宴の輪の中には加わらず、咲夜や妖夢、それに早苗といった気心の知れる人間と輪を外れて少人数で呑んでいることが多いからだ。
 だからアリスの中で天子の印象が残っているのは、やはりかつての一日だけのことでしかない。言葉を交わしたことも弾りあったことも、まして天子をこてんぱんにしたことなんてあの日を置いて他には無いはずで。……だというのにどうして年明け早々、彼女が自分の家を訪ねてきているのかアリスにはどうしても理解できなかった。
(手がかりになりそうなもの、と言えば)
 アリスは半ば睨め付けるかのように天子の様子を念入りに窺う。強いて上げるなら、天子が携えているバッグにそのヒントがありそうに思えた。彼女の体躯には不釣り合いな大きさのバッグは、まるでどこかに泊まる時の荷物であるかのような、余程の重装備であるようにも見える。
 この家に宿泊目的で人が訪ねてくるのは、珍しいけれど無いわけではない。そうした目的でアリスの元を訪ねてくる人は泊まりたいという意志を告げたあと、常にその理由として「魔法の森で迷った」ということを付け加えてくる。鬱蒼としていて迷いやすく、磁針も効かないこの森では迷う人間や妖怪は決して少ないものではないのだろう。
(……けれど、有り得ない)
 天子も森に迷い、疲れたところにこの家を見つけて訪ねてきたのではないか。そうした仮説を、アリスは浮かんだ傍から否定するしかなかった。彼女は空を飛ぶことができる程度の実力は最低限持っている、そのことを以前に手合わせしてアリスはよく知っていたし、そもそも迷うぐらいなら自身の持ちうる力で力ずくにでも道を押し開くだろう。――例え森の一角を更地にしてでも。

 

「あの……?」
「……ああ、ごめんなさいね。確か、比那名居天子さん、だったわよね?」
「はい、天子です。覚えていて下さったんですね」
「え、ええ、名前ぐらいはね。それで天子さん、わざわざうちを訪ねて来たご用件は何かしら?」

 

 天子が掛けてきた訝しげな声に、ようやくアリスは考えに陥っていた自分に気付いて我に返る。考えてもどうにも解りそうに無いことは、もう直接本人に訊いてしまうしかなかった。
 率直に訊ねたアリスに対して、天子は何だかきまりの悪そうな顔をしてみせて、少しの間言い淀んで見せる。そんな天子の様子を見て(聞きにくいことを訪ねてしまったのかな)とアリスは一瞬思うけれど、それでも用件がわからないことにはアリスにだって対処のしようもないというものだ。

 

「――あ、あのですね!!」
「ふわっ!? な、何かしら?」
「あっ、ご、ごめんなさい、驚かせてしまって。今日こちらをお尋ねした用向きなのですが」
「え、ええ……どのような御用なのかしら?」
「ええっと、その、ですね……」

 

 すぅ、はぁ。すぅ、はぁ。
 大きな深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ数えてから。
 キッと天子は視線でアリスのほうへ真っ直ぐに向き直ってみせて。

 

「わ、私を! こ、この家に住まわせて頂けませんかっ!」

 

 そんな風に言ってみせたのだ。

 


     *

 


 お湯を注いだ瞬間から、たちどころに良い香りが部屋の中へと拡がっていく様子が簡単に伝わってきた。茶葉の見た目だけで語るなら何の変質もない緑茶のように見えるのに、馨しく上品な花の香りは茉莉花の花弁が確かな割合で封入され、そして後から丁寧に取り除かれた証なのだろう。アリスが淹れているこのお茶は、新年の挨拶と称して天子がアリスに差し出してきた『お持たせ』なのだけれど、こうした高級品をあっさり持ってくる辺り、さすがは天人のお嬢様といった所なのだろうか。
 魔法の燭台を幾つか灯しただけのアリスの自宅は基本的に薄暗い。それは明るい所では落ち着けないアリスが意図的にどの光源も光量を絞ったものに抑えて設計したからなのだけれど、その薄暗い世界に於いても天子の髪は目を牽く程に美しく煌めいているように見て取れた。素朴な木製のテーブルに備え付けた、素朴な木製の椅子。、華がなく質素なアリスの自宅の中において、そうした簡素な家具に腰掛けていてなお、天子の外観が持っている美しさは色褪せることがない。

 

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 

 丁寧にお辞儀をしてみせる天子は、何故か緊張しているようにも見えた。態度と同様に、言葉の端々にも気遣いが見えるような丁寧な口調は、僅かな違和感をアリスに抱かせる。それは、彼女の敬語が辿々しいと言うことでは決して無くて。逆に、意外にも稚いながらも相応に彼女に似合っているかのように感じられる敬語が、初めて会った時の……いかにも直情的そうに見えてしまった彼女のイメージに、余りにも反するからだろうか。
 天子が一口ずずっとお茶に口を付けているのを確かめてから、アリスもまた自分のカップのお茶に口を付ける。……一応、一度は彼女のことをこてんぱんにしてしまった以上、復讐の可能性も無いわけではないのだから用心するに越したことはない。おそるおそる口に付けてみるお茶は芳醇な花の香りに負けないだけの、深く新鮮な味わいを裏に内包しており、間違いなく一級品の茶葉のそれに他ならなかった。
 アリスがささやかな感動を覚えていると、じっと何かを強請るような視線が向かい合わせる天子のほうからずっと寄せられてきていて。はあっ、とアリスは重たい溜息をひとつ吐き出す。お茶は嬉しかったし、お土産まで持ってきてくれた天子の願いを無下にはしたくないとは想うのだけれど。それでも、彼女の願いを受け入れるわけにはいかなかった。

 

「……駄目よ。できないわ」
「どうしてなのか、聞いてもいいですか?」

 

 天子の言葉は、きっととても自然な問い返し。けれど訊かれて、アリスは言葉に詰まる。
 突然押しかけて『住みたい』なんて言うほうがきっと非常識なのだから、それを拒む理由なんて本当は幾らでも考えられる筈なのに。『一人暮らしが気に入っているから』とか、『他人に生活を影響されたくないから』とか、拒む筈の理由なんて幾らでも並べられるはずなのに。言葉を選ばず、相手を傷つけることを厭わないならば『あなたと一緒に住みたくないから』とはっきり言ってしまうことだってできる……筈なのに。
 けれど不思議と、アリスは悩んでみても天子の要求を拒むだけの理由を並べることができないでいた。
 理由はアリス自身にもわからない。ただ、ひとつ言えるのは……他ならないアリス自身、天子が提案してきた『一緒に住む』ということを、それほど嫌だと思ってはいないらしいことだった。
 もしもこの提案が魔理沙やパチュリー、早苗といったアリスにとってもっと親しい人からの提案だったならどうだろうか、とアリスは想像してみる。もしそうなら……きっとアリスは、何の躊躇もなくあっさり断ることができただろう。理由も何もなく『別に一緒に住む必要がないじゃない』と穏便に断ったり、あるいは『それで私に何のメリットがあるの』と素気なく突き放すこともできただろう。
(――ああ、もしかして)
 アリスは思う。一度もしかしたらと思ってしまうと、その考えはすぐさま確信に変わってしまった。
 私は多分、天子の提案してきたことに――少なからず、魅力を感じてしまっているのだ。
 そう感じる明確な理由は、アリス自身にも本当にわからないことではあるのだけれど。けれど、天子と一緒に過ごせる生活に想いを馳せてみると――不思議と、それはとても素敵なことのように思えてしまって仕方がないのだった。
(いつしか、独りの生活を淋しいとでも感じてしまっていたのだろうか)
 そんな風にもアリスは思う。
 ……それは、きっと真実ではない。一人であることはとても気楽なことで、魔術師としての本分からいっても、あるいはアリス自身の性格的にいっても、誰かと一緒に住むことのほうが不自由を感じるであろうことは間違いのないことだった。鬱蒼とした森に独りで住む――そのことが原因で、時折心に抗いがたい寂寥感を感じずにいられなくなる瞬間がないと言えば嘘になる。それでもアリスには偶にしか感じない寂寥感よりも、誰かと生活を共にする上で感じるであろう煩わしさのほうが遙かに疎ましいのだ。
 アリスの心の中で少しずつ整理されていく消去法は、確実に真実の心に近づいていく。一人で生きていることに不自由がないのだとしたら、孤独感への忌避念から『天子と一緒に生活』に魅力を感じるわけではないのだろう。だとしたら、私の心は――やはり他でもなく、彼女と一緒に紡ぐことのできる『生活』そのものに、なぜか魅力を感じているのだとしか思えなかった。

 

「あなたは……そもそも、どうしてここに住みたいの?」

 

 結局、アリスは彼女を拒むだけの言葉を吐き出すことができなかった。代わりに天子にその理由を訊いてみる。
 彼女の提案を拒むことができないでいる自分の心は、やっぱりどんなに考えてみても解らない。けれどそれ以前の問題として、ここに住みたいと天子が望んでくる理由そのものが、どうしてもアリスには解らないのだ。
 アリスが訊ねると、既に緊張からか薄い紅に彩られていた天子の頬が、より色濃いものになる。天子はほんの少しだけ逡巡してみせたけれど、やがて意を決したようにひとつ頷いてみせてから。

 

「――私、アリスさんのことが好きなのだと思います」

 

 恥ずかしそうに、けれどはっきりと。
 アリスと交錯した視線を違うことなく、そう言い切ってみせた。
 それは衝撃的な言葉である筈なのに。静かに告げた天子の言葉に、けれど不思議なほどアリスの心は騒めきを覚えることもなかった。天子が告げてくれた言葉に対する驚き自体はもちろんあったのけれど、意外ではなく――アリスの家を訪ねてきてくれて、少しだけ話しているうちに。天子が初めからそうした感情を自分に対して向けてくれていることを、他ならぬアリス自身も少なからず理解できていたからなのかもしれなかった。
 だから天子の言葉にも、驚きより(やっぱり、そうなんだ)という気持ちが先行した。平静な心のまま天子が伝えてきてくれる気持ちを理解して――好かれているのだ、ということを自覚してからようやく胸の鼓動が早くなってきてしまう。アリスと視線を交わしながら天子は真摯に想いを告げてきてくれたというのに、視線を向けてきてくれる相手の解釈が『私のことを好きな天子』に変わるだけで、急に見つめ合うことが恥ずかしいことのように感じられてしまって。慌ててアリスは、彼女の真っ直ぐな視線から逸らす。
 服の上から心臓の辺りに手を宛がってみて心をどうにか落ち着かせようとするのだけれど、早鐘を打つかのようにままならない心は抑えようがなくて。すぐに、息をすることさえも苦しくなってしまう。

 

「アリスさんは――私のこと、どう思われますか?」
「ど、どう、って……?」
「私のことは、お嫌いですか?」

 

 まだ彼女の顔のほうへ向き直ることはできないけれど、逸らしたままの視線でぶんぶんとアリスは頭を左右に振って否定する。――少なくとも、嫌いではない。私のことを好きだと言ってくれる天子のことを、どうして嫌いになどなれるだろうか。

 

「では……私のことを、お好きですか?」

 

 天子が続けて訊ねてくる言葉。アリスは、何も答えることができなかった。
 嫌いではない。けれど、だからといって『じゃあ好きなのか』というと……アリスにはよく解らなかった。正直、天子のことが好きかと自分自身に問い掛けるたび、(そうかもしれない)と答えてくる心もある。
 ちらりと、横目で天子のほうを窺う。じっとアリスのほうを未だ見つめ続けてくれている天子と一瞬だけ目が合って、アリスは再びすぐに目を逸らしてしまう。彼女が持つ綺麗な青い髪に、柔和な表情。さっきまでだって、ずっと向き合っていたはずなのに――こんなに綺麗で、可愛い子だったろうか、と今更ながらに思う。
 初めて会った瞬間には、ただ『子供』という印象しか受けなかった。彼女の言動、異変を起こした経緯。どれを取っても天子の我儘と破天荒さだけしか意識できなかったから、ただ(子供なのだなあ)と苦笑するしかなかったのを覚えている。無邪気な子供と思えばこそ、悪戯紛いに異変を起こした彼女を悪人だとアリスには思えなかったし、悪い印象を持ちもしなかったわけだけれど。
 ――なのに今では、特別に見えている。僅かに数分前までは『子供』でしかなかった筈の彼女が、今では可愛い少女として、アリスの中で確かなものとして意識されていた。アリスに対しての特別な気持ちを打ち明けてくれた瞬間から、アリスにとっても彼女は特別な少女になったのかもしれなかった。

 

「……アリスさん」

 

 ずずっ、と木椅子の脚が床板を擦る音がした。すっくと立ち上がった天子がゆっくりと傍にまで近づいてくるのが判るのに。……それでも、アリスには恥ずかしくて天子のほうを見る勇気さえない。
 アリスの頬を、柔らかな感触が包んだ。それが天子が差し出した手のひらなのだと、アリスはすぐに気付く。少しだけ冷たい天子の手のひらが、熱くなったアリスの頬には却って心地良くさえ感じられていた。

 

「天子……?」

 

 急に頬に触れられた驚きで、アリスは天子の方を上目に見つめる。
 すぐに天子と視線が合ったけれど――今度は逆に、吸い込まれるような彼女の瞳から、目を逸らすことができなかった。僅かずつ距離を詰めてくる天子の顔、近づいてくる視線。驚くほど自然に、アリスの瞼が閉じた。
 期待からか、コクッ、とアリスの喉が鳴った。僅かに遅れて唇に触れてくる――手のひらよりも圧倒的に柔らかな感触。手のひらとは違って夥しいほどの熱を孕んだ唇を押し当てられて、アリスの唇は今にも罅ぜてしまいそうなほど、小刻みに震えた。
(キス、されてる……)
 触れるだけのキスはお子様がするものだと、いつか恋愛小説で読んだ気がするけれど。きっとそれは嘘に違いないと、今だから思えた。舌も息も交わすことのない触れあうだけのキスだけれど、確かな温もりと感触とでアリスは唇を重ね触れあわせる相手――天子のことを、深くそこに想うことができた。唇を触れあわせるだけのことなんて、本当は手を繋いで指を絡ませるよりも余程薄い繋がり合いなのかもしれないのに――こんなにも恥ずかしくて、苦しくて、息もできない。なのに……馬鹿みたいに倖せだった。
 やがて唇が離れると、それが酷く惜しいことのようにさえ感じられて、心に切ない気持ちばかりが溢れてきてしまう。お酒とはまた違う酩酊が頭を支配していて、くらくらする。あれほどつぶさに感じられた唇の感触は怖いぐらいにリアルだったのに、まるで夢の中にいるかのように現実感が湧かなかった。
 キスは奪うものだと言うけれど、どちらかといえば天子からキスを『与えられた』という意識がアリスの中には抱かれていた。静かに瞼を開くと、やっぱり天子とすぐに目があって離せなくなる。気怠い熱が躰と心を包み込んでくるかのようで、躰も心も自由にはならず、今も変わらず恥ずかしいとは想うのに――物理的に目を逸らすことも、そもそも天子の視界から逃れたいという意志を保つことさえアリスにはできなかった。
(この気持ちが)
 これほど不確かで、鮮烈な感情。こんな気持ち、今まで誰に対してさえ抱いたことがない。
 だからアリスは、痛感するかのように想う。――この気持ちが、好き、という気持ちなのだと。

 

「……天子」

 

 愛しい人の名前。
 そう意識して口にすると。なるほどアリスの心には、真実として沁み入ってくる。
(私も、あなたのことが)
 アリスが今にもそう口にしかけた刹那。

 

「……ごめんなさい、アリスさん。私……ちょっとだけ、狡いことをしてしまいました」

 

 吐き出し掛けたアリスの言葉を押し止めるかのように。心底申し訳なさそうな表情で、天子はそう漏らしてみせる。
 キスによって与えられていた深い酩酊が、天子の言葉によって少しだけ現実に引き戻される。早く自分の想いを伝えないと――そうした焦燥感は理性が回復するに従って落ち着いてきたけれど、それでも天子に『好き』と自分からも伝えたいと願う心はアリスの中で変わらないみたいだった。

 

「狡い、こと?」

 

 想いを伝えること。それを抑止した理由をアリスが訊ねると、天子はコクンと頷いてみせる。
 ちらり、と天子は先ほどまで二人で腰掛けていたはずのテーブルを見やる。アリスもそちらのほうを伺ってみるけれど、そこには二人で一緒に飲んだお茶の缶、それに二組のティーカップがあるだけに過ぎない。

 

「……まさか」
「その、まさかだと思います……」

 

 じりじりと、嫌な汗が噴出してくるような、不確かな感覚があった。
 確かに――思い返してみると、色々と不可思議な点はあった。住みたいと訪ねてきた天子を強い言葉で追い返せなかったこと、天子に『好き』と言われて怖いぐらいに心が高鳴ったこと。キスされて……少しも嫌な気がしなかったし、離れた後にはとても寂しい想いがしたこと。
 この気持ちの総てが、嘘だとは思えない。嘘だと思いたくないと、願う心さえある。だけど、この気持ちの一部でも――あのお茶に含まれた何かしらの薬に導かれたせいであるとするなら――それはとても自然に合点の行くことのように思えるのだ。

 

「――何を混ぜたの」

 

 期待は、叶わないまま打ち消された時ほど強く苛立ちに変わることもないのだろう。無意識のうちに殆ど咎めるような口調になりながらアリスがそう口にすると、怯えたように天子は「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
 薬のせいなのか、それとも本心から導かれた想いなのか。何にせよ天子のことを自分も『好き』だと確かに意識してしまった今では、そんな風に天子を問い詰めることさえアリスには辛いことだった。
 薬草や毒草には相応の知識を持っている自負がアリスにはあるけれど、その知識も天界の草花にまで及ぶことは無いから。だから――例えば、媚薬のようなものを混ぜられたのだとしても、アリスには解らないことだ。
 もちろん、お茶を口にするときには細心の注意を払っていたつもりだった。香りを確かめたのは当然のこと、天子が実際にお茶を口にするのを確認するまでは、決して自分で口につけるようなことはしなかったのだから。

 

「混ぜた、というわけではないんです。ただ、お茶本来の成分のようなもので」
「言い訳なんていいわ。効果は何なの?」
「えっと……ちょっとだけ多弁になったり、積極的になったりする効能が」

 

 やっぱり精神に働きかける作用が含まれたお茶だったのだ、と諦めにも似た心地でアリスはひとつ大きな溜息を吐く。だとするなら、こうして天子に対して抱く感情の全て――彼女のことを好ましく想うこと、彼女のことを抱き締めたいと想えるこの気持ちさえ、お茶に惑わされた偽りのものだというのか。
 天子のことを責める気持ちはないけれど、ただ……悲しかった。今まで他人に対して特別な想いを抱いたことが無かったアリスが、初めて誰かに対して抱いた『特別な想い』だったのだ。心の深い場所で強く溢れる、この気持ちを否定して欲しくなんて、無かった……。
 そんな、悲しい気持ちばかりが止め処なく溢れてくるのを抑えきれないでいる最中。ふと、アリスは気付く。

 

「……待って、天子。一つだけ質問をさせて」
「あ、はい。私に答えられるものでしたら」
「このお茶の効能って、本当にその二つだけなの?」
「えっと……そのように、聞いています。自分で買った物ではなくて衣玖に調達してきてもらったものですが、他に何かの作用があるとは聞いてないです」
「そう、なんだ……」

 

 天子が嘘を吐いているようには見えなかった。
 彼女の言葉が真実のものであるとするなら、キスをされることを自分から受け入れてしまった私の積極性はお茶のせいであるのかもしれないけれど。――アリスが、天子に対して抱いている気持ちそのものは、お茶などに左右される物ではなく、あくまで真実のものであるかもしれなくて。
 初めて誰かを好きになった、初めて抱いた想い。……この気持ちだけは、お茶だとか、そんなつまらないものに左右されること無い真実の想いに他ならないのだとしたなら。
 嬉しかった。天子のことを特別だと思える自分のことが。そして、私のことを特別だと口にしてくれる天子のことが。

 

「もうひとつだけ、質問をいいかしら」
「えっと、何でしょう……?」
「あなたは私のことを『好き』だと言った。この言葉に嘘はないのね?」
「――ぁ、は、はい! それだけは、絶対に嘘じゃないです」
「そう」

 

 くいっと、天子の顎に片手を宛がって引き寄せて。
 彼女の瞼が閉じられるのを待つこともなく、有無を言わさずに口吻けてみる。

 

「〜〜〜〜〜〜!?」

 

 驚きのあまりに何かを口に仕掛けた天子の言葉は、けれどキスによって塞いでしまう。
 アリスは瞳を閉じなかった。天子もまた、瞳を閉じることができないみたいだった。
 鼻孔から漏れ出た彼女の呼吸さえ感じられて。短い睫毛もくっきり見えるほどの、ごくごく近い距離で。アリスは真っ直ぐに天子の瞳を絡めて、離さなかった。息苦しさと恥ずかしさからだろうか、顔を逸らそうとも唇を離そうともしてくる天子の抗議を、けれどアリスは許さない。天子の顎に添えた手のひらひとつで、逃れようとする彼女の意志全てをアリスは封じてしまっていた。
 長すぎるキスに限界がきたのか、鼻孔から呼吸する空気の振動をアリスは鋭敏に感じ取る。それでもアリスは彼女の顔が自分の傍から離れていくことを決して許しはしない。――それどころか、閉じ合ったまま触れあわせている唇の境を、舌の先でこじ開けようとしてみたりする。

 

「…………!!」

 

 さすがの天子も、これにはさらなる驚きを覚えたみたいだった。
 アリスの家に押しかけてきてからこれまで、ずっと天子の主導で進んでいたはずの二人の立場が、今では完全に逆転してしまっていた。殆ど一方的に弄ぶかのように、アリスはゆっくりと天子の口内へ自分の舌先を押し入れていく。

 

「…………はぁ、ぅ…………」

 

 交錯する唇の間隙から、天子の喘ぎが僅かに漏れ出てくる。そうした悩ましげな天子の嬌声は、やはりアリスの情欲の火に油を注ぐことにしかなりはしない。何の抵抗さえできないでいる天子の口腔を、蹂躙するかのようにアリスは舌先を遊ばせる。
 おずおずとアリスの舌に天子が自分の舌を絡ませてきてくれる。ねっとりと互いの唾液に満ちた柔らかな舌を幾度も幾度も絡ませていくうちに、天子の瞳からは完全に抵抗の色が消えて、とろんと惚けたものになっていった。
 顎に添えた手をアリスが外しても、天子がそれに気付いて自分の顔をアリスの元から離すまでには、十数秒の時間が経っていた。ぜえぜえと荒い息を吐く天子に対して、息一つ乱さずに彼女のことを眺めているアリス――この場の優位劣位が誰にあるかは傍目から見ても明らかだった。

 

「私もあなたのことが好きよ、天子」
「…………!! ほ、本当、ですか……?」
「ええ、本当に。そうでなければキスなんて、きっとできないわ」

 

 若干苦笑気味にアリスはそう告げる。まして先程まで二人で繰り広げていたような、舌を絡ませるような濃厚なキスともなればなおさらだろうから。
 アリスの言葉に、やがて驚きの表情を崩した天子は「えへへ」と嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。

 

「あなたのことが誰よりも好きよ。好きだからキスしたくなるし……それ以上のことも、したくなるわ。一応確認しておくけれど、その覚悟ぐらいはあって、ここに住むなんて言い出したんでしょうね?」
「あ……は、はい! 私だって、そのぐらいはちゃんと」
「そう――だったらちゃんと言葉にして、私にお願いしてみせなさい?」
「………………えっ?」

 

 アリスの言葉に、天子は息を呑む。
 二人の間に流れている時間が、まるで一瞬だけ止まったみたいだった。

 

「え、えええええっ!?」

 

 天子が驚くのは当たり前のことだった。何しろ言葉を発した本人であるアリス自身でさえ、自分が発してしまった言葉に驚かずにはいられなかったのだから。
(……お茶の力は、本物だわね)
 内心でアリスは苦笑せずにいられなかった。キスで一方的に負かされて、荒い息を吐く天子の表情を見ているうちに――少なからず、彼女のことを(苛めてみたい)とアリスが想ってしまったのは事実だったからだ。まさか『多弁になったり、積極的になったりする』というお茶の効果をこんな形で確かめてしまうことになるとは。
 それでも、一度発してしまった言葉を無かったことにはできない。一瞬でも天子のことを苛めてあげたい、だなんて。こんな気持ちを持ってしまって……そして言葉に出してしまった自分に、さぞ呆れていることだろうとアリスは思う。

 

「わ、わたっ、私、を……あ、アリスさんだけの物に、してくださいっ……」

 

 けれど天子が答えた言葉は、あまりにもアリスの予想を超えたものだった。アリスに対して天子は呆れてなんておらず……どちらかといえば、こうして想定外に生まれてしまった確かな上下関係を、寧ろ嬉々として受け入れているようにさえ見て取れてしまう。

 

「……本当にいいのね?」

 

 そう再度訊いたアリスの言葉の裏側には(本当にこんな関係のままでもいいの?)という意志も籠められている。天子はアリスのことを『好き』だと言ってくれるし、アリスも天子を『好き』だと心から思っている。互いに確かな『好き』を抱いているのなら――もっと、真っ当に愛し合う関係を望むべきかもしれないのに。
 アリスの質問の真意に天子も気付いたのだろう。コクンと一度アリスに頷いてみせてくれて。

 

「構いません。初めから私のことも、アリスさんの人形のひとつにでも加えて頂これば……そう思ってここに来ましたし、それに……」
「それに?」
「……私は、苛められるのとかも結構好きなので」

 

 天子の言葉にアリスは一瞬だけ虚を突かれて。やがて、お互いにくすくすと笑い合ってしまった。
 こんなにも好きだと思えてしまう、天子への気持ちは決して偽りなんかじゃない。
 ……ついでに、天子のことを苛めてしまいたいとちょっとだけ思ってしまった気持ちも、彼女のことを自分だけのものにしてしまいたいという欲求も、やっぱり偽りなんかではないのだった。

 


     *

 


 冬がまだ残っていることを主張する、森の梢の騒めきが微かな音となって外から聞こえてくる。普段アリスが眠ろうとしたとき、あるいはそうでなくとも生活の片時に不意に耳へと届く梢の騒めきは、いつも不快な程の喧騒となって耳に届くのだけれど――今夜ばかりは、本当に微かにしか聴こえては来ない。
 アリスと同じベッドの上、手を伸ばせばすぐに抱きしめられるほどの傍で天子が漏らす息遣いの音や、ベッドに掛けたシーツに擦れる彼女の衣服の音のほうが余程確かなものとしてアリスの耳には届いてくる。まるで天子の存在だけが意識されていくに連れ、外部の音がより希薄なものになっていくみたいだった。
 何も音だけではない。見慣れた部屋の風景も、暖炉で灼ける炭の匂いも、今は意識して確かめようとしなければ感じることが出来ないほどに頼りない。聴覚に視覚、そして嗅覚。総てが天子を感じることだけに特化されていくみたいだった。

 

「……あ」

 

 アリスがそっと天子の頬に手を伸ばすと、小さな声が彼女の口元から揺れるように漏れた。
 見詰め合うほどに、心が熱くなる。彼女の頬に触れる手のひらから天子の熱を感じるほどに、彼女の存在だけが小さな世界の中でより濃密なものへと膨らんでいく。
 心が沸き立つように波打って、どうしても落ち着かない。感じられる天子の感触も体温もリアルに伝わってくるのに、まるで全部が嘘みたいに感じられてしまうのだから不思議だった。こういう感覚を、夢心地、と呼ぶのだろうか。

 

「脱がしても、いい?」
「ぁ、は……はい」

 

 どこか緊張したような声で応える天子。その気持ちが痛い程理解できるし、アリスも同じぐらいの緊張感に苛まれていたのだけれど……緊張のあまりに萎縮する天子の姿や表情を見ていると、少しだけ心の裡から勇気が湧き出てくる気がした。アリスも天子も、どちらにとってもこれが初めての逢瀬で、緊張しないわけがないのだから。せめてアリスのほうから、少しでも天子の負担が減るようにリードしてあげたいと思えたからだ。
 少しずつ少しずつ、緊張に震える拙い指先ながら、天子の身体を覆う衣服を脱がしていく。薄紅の上衣、それから彼女の髪に似合う青いワンピースのドレスまでも脱がしてしまうと、下着だけの格好になった天子が居心地悪そうにベッドの中で小さく震えてみせた。

 

「隠さないで……」

 

 視界から逃れようと、背中を向ける天子にアリスはそう声を掛ける。
 アリスは決して急かさずに、天子の心が落ち着くのを待った。多分アリスが強く望めば、天子がそれを拒まないでいてくれると思ったけれど……せめて初めての逢瀬なのだから、アリスから望むばかりではなく、天子の側方からも応えて欲しいと思ったからだ。
 額も頬も恥ずかしさからか真っ赤に染めながら。それでも、やがて天子はおずおずとアリスのほうへと向き直ってくれる。

 

「……ごめんなさい」
「ううん」

 

 申し訳なさそうな顔をする天子に、アリスは首を左右に振って答える。初めてなのだから緊張するのは当たり前なのだし、アリスだって……いざ自分が脱がされる側になるとしたら、きっと恥ずかしさでなかなか勇気を持つことができないだろうから。だから……少し時間は掛かっても、自らの勇気でアリスの側へと向き直ってくれた天子の心が、今はただどんなにも嬉しかった。

 

「……いい?」

 

 僅かに躊躇いながらも、アリスの問い掛けに天子は頷いてくれる。
 バンザイさせるような格好へと両腕を導いて、緩やかなシャツを天子の上半身からずりずりと脱がしていく。天子の綺麗な肌が徐々に露出していくに従って、アリスの視線はその肌色に魅惑されるかのように釘付けになる。
 小柄な彼女の体躯に於いても、病的に感じられてしまうほど細い腰とお腹が露わになって。……続けて、天子の胸までもが露わになると、もうアリスはどうにかなってしまいそうだった。薄い紅に彩られた、つぶらで可愛い胸。僅かにさえ膨らみと呼べる程の乳房もそこには確かめられなかったけれど、裏腹に抗いがたい程に夥しい天子の魅力をそこから感じずにはいられなかった。
 天子の躰を隠す最後の一枚。それに手を掛けると、さすがに彼女の表情にも怯えるような色が見えてしまう。
 それでもアリスはもう、脱がしてもいいかを天子に訊ねるようなことはしなかった。さっきシャツを脱がす時に彼女の意志は十二分に確認できたつもりだし、何度も訊ねてしまうことによって却って彼女の不安や緊張を煽るようなことはしたくなかったからだ。
 熱病に冒されたかのように熱く火照り、紅がかった彼女の素肌。彼女のお腹や太股にまで染まる薄紅に似た色のショーツを、意を決してアリスは脱がしてしまう。

 

「ああぁ……」

 

 幾重かの糸を引いて最後の布地が脱ぎ下ろされてしまうと、むわっとするほどの熱い天子の熱と匂いとを、秘匿されていた場所のすぐ傍にまで顔を近づけていたアリスは鋭敏に感じ取る。脱がされる端で不安げに天子が漏らす切なげな声。その声さえ、堪らなく愛おしかった。

 

「……綺麗ね」
「へ、変なこと言わないでください……」

 

 天子に窘められてしまうけれど、無意識に出てしまった言葉なのだからどうしようもない。
 いまは一糸纏わずに確かめられる、隠されていた天子の透き通るような躰。目映い薄紅と肌色の中に――まるで、無数の色彩を見るかのような想いがした。暖色ばかりに満ちている筈の天子の躰は、けれど彩りに溢れた彼女らしい服装を身に纏っている時よりも、余程鮮やかな輝きに富んでいるようにも感じられるから不思議で。
 どこに触れても、そこにあるのは布地一つも介さない彼女の素肌。熱気と汗のせいか仄かに湿った心地がするのに、けれどそれ以上にさらさらとしたきめ細やかな感触もある。
 自分の心で狂おしく猛る感情を、アリスは必死に振り払う。抑えていないと、すぐにでも組み敷いて昂ぶる欲望の儘に天子の躰を求めて……壊してしまいそうだった。一瞬でも早く彼女を自分のものにしてしまいたい――今まで一度として感じたことがない行き過ぎた情欲が心には渦巻いていて、脳が今にも痺れてしまいそうな怖い程の支配欲を、なんとか制止ながら少しずつ彼女の繊細な肌へと指先を這わせていく。

 

「……はぅ……」

 

 次第にアリスの指先が彼女の敏感な部位にまで近づいてくると、天子は密やかに息を詰めた。
 熱く息づく、深紅の膣口。
 薄らと湿りを纏わせながら熱を持つ秘裂は、すっかり柔らかく蕩けてしまっていて。優しく押し開くように隠匿されたそこへとアリスが指先を挿し入れると、指先はすぐに熱く濡つ襞の中へと取り込まれてしまう。

 

「ん、っ……!」

 

 一度指先が囚われてしまえば、それを僅かに動かすだけでも押し殺すような切なげな声が天子の喉から零れ出てきた。あるいは快楽も混じっているのかもしれないけれど、それ以上に戸惑いに満ちた天子の声色には、まだたくさんの不安を垣間見ることができるように思えて。

 

「あんなお茶なんか飲ませたんだから……優しくできるなんて思ったら、大間違いよ?」
「……構いません。乱暴にされるのも、私は大好きですから」

 

 そんな風に答えてくれる天子の言葉が堪らなく嬉しくて、そして愛しい。
 吐き出した軽口とは裏腹に、アリスはなるべく天子の躰を大事にしてあげたかった。優しくできる自信は正直あまりないし、今すぐにも激しく犯すことで彼女の躰に自分のものである証を残したいという欲求は、やはり心の中にあるのだけれど。……それでも、せめて初めての今回だけは優しくしてあげたかった。
 性愛に対する畏れを抱いて欲しくなかった。私は不器用だから――きっと天子のことを愛しているという想いをようやく自覚できてしまった今でも、それを普段から上手く口にすることはできないだろうから。自分の気持ちに対して正直になれるのは、きっとこんな風に天子のことを抱き締めることができる瞬間だけだから……彼女にそうした時間を共に過ごせることを恐れて欲しくなかった。

 

「好きよ、天子――」

 

 性愛の最中でなら、きっと何度でも、正直に言える言葉がある。
 だからこそ、アリスが倖せに感じるこうした時間を、ただ彼女にも倖せとだけ感じて貰えたなら。

 

「はぁ、ぅ……!」

 

 天子の躰の中に挿し入れていたままの指先を、ゆっくりと引き抜いてしまう。
 硬すぎる指先では、まだ慣らされていない天子の秘所を傷つけてしまいそうで。指先の代わりにアリスは彼女の下腹部へと顔を近づけると、唾液を纏わせた舌先をぴちゃりと秘所へと這わせた。

 

「き、穢いですよぅ」
「ふぉんふぁふぉと、ふぁいふぁほ?」
「はぅんっ……! そ、そこで喋らないでくださいぃ」

 

 ミルクを舐める猫のように、彼女の秘裂に添って細やかに舌先を這わせていく。秘裂から滲む愛液を舐め取るようにすると、舐め取る端から新しい愛液が滲んできてしまってきりがない。でも、それも(天子が私の舌に感じてくれているからなのだ)と思えば、ただアリスには嬉しいことでしかなかった。
(……まるで肉食獣にでもなった気分ね)
 同時にそんなことも思ってしまって、アリスは内心でくすりと笑む。天子の躰で一番弱い部分の味を確かめるかのように、アリスは舌を何度でも這わせていく。

 

「ふぁ……ぅ、ぁ……んっ」

 

 舐めさする度に漏れ出る、切なげな声。声色から十分に感じてくれていることを理解すると、アリスは少しずつ舌先を彼女の秘裂よりも内側、少しずつ深い場所を求めて挿入していく。

 

「ぁぅ、ぁ、ぁ……!」

 

 幾度も細かく震える天子の躰、細かく漏れ出る嬌声。声色にはまだ畏れの色が僅かに聞こえるけれど、同時にアリスの舌で感じてくれていることもわかるから。彼女の不安を少しでも拭い取るような気持ちで、彼女の膣口にある襞を舐め取っていく。
 ごく僅かに酸味の残る、無機質な味。けれどそれさえ天子が自分のことを受け入れて、感じてくれた蜜なのだと思えば嘸なげにも甘い。アリスの嗜好さえも蕩けさせようとするその匂いの甘さにもまた、幾重にも情欲が掻き立てられてしまって。
 頭の芯までがいやらしい気持ちでいっぱいになる。アリスはその愛欲を、ただ舌の愛撫だけで求めていく。繊細な舌遣いで追い詰めるように責めては、時折ただ貪るかのように荒々しくも舌先で天子の秘所を責め立ててみたりもする。

 

「ゃ、はぁん……!! も、ぉっ……!」

 

 緊張と共に切迫した雰囲気が、天子の上げる嬌声の色に混じり始めると、アリスは余計に自分の衝動を抑えきれなくなってしまう。声色に追い詰められている様子を感じることができるのは、天子がアリスの舌による愛撫に感じてくれていて、そして導かれようとしてくれている何よりの証だから。アリスにとってそれが嬉しくないはずが無くて、衝動はより粘質な舌先の愛撫という形で天子の裡に送り返されていく。
 華奢な天子の躰が小さく震える。彼女の細い両脚に顔を挟まれる格好のアリスには、その小さな震えも違うことなく伝わってきて。きゅうっと身を窄めるかのように両脚が軽く顔を圧迫してくる圧力感さえ、どこか心地良いようにさえ感じられてしまう。

 

「あぅうっ! は、ああああああっ……!!」

 

 まるでギターの弦のように張り詰めた声。彼女が上げる声の音程は高く、嬌声が奏でるトレモロの酩酊は密やかにアリスの心へと響いてくるみたいだ。幾たびも上がる悩ましげな声がアリスの脳に鈍い痺れを覚えさせてきて、その度に天子にどんどん惹かれずにはいられない自分を、感じてさえ、いる。
 一際高く天子の上げた絶頂の声とともに、蒸れるような匂いを纏わせながらアリスの顔に幾つもの熱い飛沫が飛びついてくる。穢い、だなんてことは微塵も思わない。自分の顔に掛かった天子の蜜さえ愛おしく、その幾つかを指先ですくって舐め取ってみる。少しさらさらした蜜は――不思議と、甘い味がするようにさえアリスには感じられた。

 

「――ふぁっ!?」

 

 緩やかな律動と共に弛緩しようとする彼女を、けれどアリスの舌は許さない。膣口ばかりを繰り返し責められることによって鋭敏さだけを増し続けていた場所、包皮から僅かに顔を出している陰核へとキスをするかのようにアリスが軽くだけ舌の先でちょんと触れると、疲れ切っていたはずの天子の躰が大きく震えるように跳ね上がった。

 

「な、なに、を……?」

 

 上体を起こして、怯えるような瞳でこちらを見つめてくる瞳。
 けれど――天子の怯える目つきの深みに、僅かばかりの期待が混じっていることを、アリスは見逃さない。

 

「ふふ、解っている癖に」
「ぇ、ぁ。――んぅっ!?」

 

 ちょんちょんと幾度か突くと、天子の陰核が僅かに膨らんでそれに答えてくれる。舌の先で器用に捲るようにそこを包む包皮を除いていくと、可愛らしい彼女の膨らみが完全に露わになった。
 天子の躰に隠れていた最も弱い秘密の場所を、アリスの舌先はゆっくりと転がしてみる。周囲の包皮との隙間を確かめるように舐めたり、そのものの膨らみや弾力を確かめるかのように愛おしげに舐めてみたりする。

 

「……ぁぅうっ! ひゃ、ぁ……ぅ、んぅっ……!!」

 

 上手く呼吸ができないのか、天子が上げる嬌声は酷く息苦しそうにも聞こえるけれど。……それでも、アリスは責める舌先の愛撫を止めようとは思わなかった。きっと乱暴にしかできないアリスを受け入れてくれたのは他でもない天子自身で、だから……彼女がアリスに甘えてくれるように、アリスもまた天子に甘えたいと思うからだ。
 達した直後を連続で、それも一番辛い部分を責められているのだから、これで辛くない筈がない。アリスの視線には秘所しか捉えられてはいないから、天子の表情を見確かめることができないのが残念だったけれど、それでも荒ぶる息遣いと嬌声とでその苦しさはありありと伝わってくる。けれど……それでも、天子は決してアリスに「やめて」とは言わなかった。
 もしも天子から「やめて」と言われたなら、それが無意識のうちに吐き出された言葉であるとしても、アリスはすぐにでも行為をやめるつもりだった。一度熱中してしまえばなかなか落ち着けない自分の性分を理解しているからこそ、もし天子が「やめて」と一度でも漏らすようなことがあれば、その時点で全部やめてしまおう――自己暗示に近い形で、アリスは自分自身にそう予め言い聞かせていたのだ。
 もちろんその事実は天子には伝えていない。なのに天子は、どんなにも苦しそうなのに決して「やめて」とは口にしなかった。……まるでアリスの心の裡を、全部見透かしているみたいに。
 見透かされているのなら、それでもいいとさえ思えた。アリスの疚しい心を総て見透かした上で、それでも健気に天子が答えようとしてくれているのだとしたら。これほど嬉しいことがあるだろうか。
(私、本当に天子のことが好きなんだ……)
 改めてアリスは、そんなことさえ痛感する。
 きっと真実に他ならない想いは、心の中で確かめる度により輪郭を増して確かなものになる。

 

「ふぁ、ぁ……!! は、ぁ、ぅっ……ぁ、はああっ……!!」

 

 昔は性的な情事なんて、誰かと愛し合う上での余興のようなものだと思っていた。まして何かしらの意味を持ちうる男女の交わりとは違い、女性同士であればなおさら、それは戯れのようなものに過ぎないのだと。
(――でも、違うんだ)
 こうして経験を得ることができた今だからこそ、アリスはそう確信することができた。性愛は愛し合うお互いの気持ちを確認する為に、きっと必要なことなのだと。
(だって……こんな恥ずかしいこと、愛してる人とじゃないとできるはずない)
 愛していればこそ求めたくなるものがある、愛している人にだからこそ応えたくなる想いがある。互いに持ちうるただひとつの躰を全部求めて差し出して、深く混じり合う程に色濃くも朧気にもなる不確かなものがある。許して相手に委ねてしまうことも、許された相手の躰を激しく求めることも、情欲に塗れた行為はどちらも心は怖いぐらいに裸になる。許し許され至近距離で心を曝け出し合うのは堪らなく恥ずかしくって、気持ちよくて、怖くて、倖せで、不安なこと。こんなにも悖徳なこと、愛している人とでなければ求め合うことなんて、できはしないのだ。

 

「ぅ、ぁ……!! ぁ、ぁあ、あああっ……!!」

 

 経験したことはないけれど、一度絶頂に導かれたまま弛緩されることを許されなかった躰は、再度の絶頂へと導かれるのも早いのだろうか。天子の上げる悲鳴にも似た声は、もうつい先程絶頂を迎える直前のものと変わらない程に深く追い詰められているようにアリスには聞こえてくる。
 そうした変化が確かなものとして解る程に、天子の声は何よりも確かなものとしてアリスの耳には聞こえていた。響く荒い吐息と、断続的に上がる嬌声。それとすぐ傍から聞こえる陰核の傍に纏わった蜜が奏でる水音。何しろこの総てが、そのまま今二人きりの世界の中で確かめられる音の全部なのだから。
 舌の触覚と味覚で確かめる、弾力に満ちた天子の感触と蜜の味。その乱れる様相を捕らえるうちに、逆に囚われそうにもなる視覚。陰核のすぐ傍で、蕾から絶え間なく溢れてくる天子の匂いを感じる嗅覚。他の誰にさえきっと天子も聞かせることがない、荒々しく悩ましい息遣いと嬌声を感じる聴覚。――アリスの持ちうる五感総てが、今はただ天子の存在と魅力を確かめる為だけの器官へと特化されていた。

 

「はああん、っ……! ふぁ、あっ!」
「……ん、は、あぁっ……ぁ、ぁああ……」

 

 気付けば責められる側の天子からだけではなく、責める側であるアリスのほうからも少なからず声が漏れ出てしまっていて。実際その声に気付くと同時に、アリスは声が漏れてしまう程に感じてしまっている自分のことに気付かされてしまう。
(えっちなことって、する方も気持ちいいんだ……)
 アリスの舌先と天子の陰核、接点といえば本当にそれぐらいなのに。けれどアリスが舌による愛撫で天子の秘部を責めれば責めるほど、その気持ちよさは少なからずアリス自身にも返ってくる。
 愛しい人が、私のせいで乱れてくれるのが嬉しい。愛しい人が、私の為に声を上げてくれるのが嬉しい。そうした多幸感が、あるいはアリスにも彼女と同じような快楽を導いてくるのだろうか。
 実際、苛みの舌につられて天子が上げてくれる嬌声は、アリスの脳髄に突き刺さるかのように、易々と躰の裡の深い場所にまで突き刺さって浸透してくる。今にも追い詰められそうな、天子の上げるきれぎれの声。その声に絆されるかのように、どこかアリスにも今にも追い詰められそうな感覚があった。

 

「ふぁ、ぁあああ……!!」
「ぁ、はっ、ぁあ……。ん、ぁぅ……!」

 

 導かれるとともに発せられる、二人分の声。躰の中で大きくうなっていた何かが、罅ぜる感覚があって。
 疲れのままに弛緩していく感覚が、アリスの躰中を支配していく。……それは、達したときに得ることができる疲労感と、全く同一のもののように感じられた。
(私も、いってしまったの……?)
 ――そんなことってあるだろうか。そうは思いながらも、疑問のままにアリスは自分のスカートの中へと指先を導いてみる。
 上からそっと触れてみる自身の下着の感触は、果たして天子のそれに負けないほどの蜜に満たされていた。

 


     *

 


 きっと僅かに二時間もあるかどうか、その程度の時間だった筈だ。彼女がうちを訪ねてくるよりも以前には、彼女のことなんてまるで意識していなかった筈なのに。けれど今のアリスはもう――自分の心に正直なまま、何度でも彼女に『好き』という言葉を伝えられる自信を持つことができる。
(不思議、ね)
 恋情って、もっと時間を掛けないと育めないものだと思っていた。始めは友情か何かだった筈の感情が、やがて変質することで初めて生まれ得る感情なのだと思っていたのだけれど。
 隣で静かな寝息を立てて眠る天子、その頬にそっとアリスは口吻けてみる。しっとりと滑る天子の肌へと、僅かに自身の唇が触れる――たったそれだけのことで感じることができる、怖いほど倖せな気持ちがあるのだから。この感情の答えが、『恋情』でない筈が無かった。

 

「……好きよ、天子」

 

 言葉に出してみる。それだけでさえ、少なからず得られる幸せがあるのだから、恋するって凄い。
 何度でも『好き』だと言える、最愛の人。その人が、私のことを好きだと言ってくれるのだから――これほど倖せなことってあるだろうか。
 疲れで眠ってしまった天子とは対照的に、アリスは目が冴えてしまっていた。それに……目を閉じれば何度でも、穴が開くほど見つめ続けた天子の恥ずかしい場所のこととか、天子の嬌声なんかが頭の中でリフレインしてしまいそうで。眠ることなんて……当分はできそうになかった。
 本でも読むことができればいいのだけれど、生憎とベッドから届く場所にそういったものを置く癖は無くて。かといってベッドから起きて抜け出そうとしてしまうのは、隣に眠る天子を起こしてしまうのが怖くてできそうにない。
 仕方無しにアリスは、ぼんやりとベッドから近い窓の外を眺めてみる。――といっても、窓から見える景色なんて、見慣れた寂しい森の風景ばかりで。今更特別感じられることなど、ありはしないのだけれど。
(……こんなに、淋しい場所だったかしら)
 そう思ったのに。
 けれどこの時だけはいつもと違って、淋しいだけの風景にも少しだけ特別な感慨をアリスに覚えさせた。
 鬱蒼とした森の中だし、辿る月の光も弱弱しいとはいえ……改めて見つめてみる森の景色は、酷く色褪せたもののようにアリスには見える。元々人里を疎んでこの森を選び、その中で生きてきたアリスだけれど。おおよそ彩りというものとは無縁の景色は……今更にして思えば、淋しすぎるもののように思えた。
(私はこんな場所で、ずっと生きてきたのね)
 住んでいるうちには、決して淋しい場所だなんて思わなかったものだけれど。
 どうして……今更になってこんなことを思ってしまうのだろうか。

 

「……ん」

 

 ふぁ、と大きな欠伸をひとつしながら、隣で瞼を擦る天子。
 起こしてしまっただろうか。そう思いながら、アリスは優しく天子の頭を撫でる。

 

「おはよう、天子」
「んぅ……おはよう、ございます、アリスさん」

 

 まだ眠そうな声で、そう応えてくれる天子がいじらしくて可愛い。
 暖かな毛布に包まりながら、隣でただ彼女の体温だけを感じていられる。
 裸のまま眠ってしまった彼女だから、いま見えるのは美しい青い髪と、しっとりとした肌だけ。けれど、色鮮やかな服なんか身につけていなくても、言い表せないほどの彩りに彼女は満ちているようにも感じられて。
 外の景色に魅入られていた寂しさなんて。一瞬で、どこかに吹き飛んでしまっていた。

 

「……なんだか、倖せですね」
「そうね」

 

 天子の言葉にアリスは頷く。実際、アリスもちょうどその思いを噛締めていたところで。
 冬は寒いのが当たり前。たとえ暖炉を焼べていたとしても、その寒さを総て除くことなんてできはしないのに。
 なのに、今はこんなにも温かな。――最上級の温もりと倖せだけが、アリスのすぐ傍にあるみたいだった。

 


     *

 


「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」

 

 アリスが差し出したティーカップとソーサーを、まごまごしながらも天子は受取る。普段から低血圧のアリスは毎朝目が覚めた後に紅茶を飲むのが日課で、その為に寝台の両脇にはちょっとした物を置ける程度のテーブルを添え付けてある。だから、置き場所には困らないはずだった。
(……自分で淹れることになるとは、思わなかったけれどね)
 普段ならアリス自身が布団から出るようなことをしなくても、人形を操って淹れて貰えば済む話なのだけれど。生憎とアリスが魔法で繰れる距離には人形達はどれも居なくて、今ばかりはアリス本人が直接淹れるしかない状況だった。
 人形達には程度の差こそあれ、どれにも少なからず自我のようなものがある。なればこそ天子との情交を見られてしまうことはいかに人形達にであっても恥ずかしくて、天子を押し倒すよりも前にアリスが命令して予め人形達を遠ざけておいたのだ。
 アリスも下半身だけをもう一度天子の隣、ベッドの内側へと潜り込ませてから紅茶へ口を付ける。アリスの隣で、天子も倣うように自分の分の紅茶へ口をつけた。

 

「あったかい、ですね」
「ええ」

 

 天子の言葉に、アリスも頷く。甘い香味と共に温かなものが躰の内側に流れ込むと、それだけで内側からぽかぽかと温まってくるような心地よさがあって、この感覚がアリスはとても好きだった。
 ベッドの上で上体だけを起こした格好のまま、同じく上体だけを起こしている天子の肩へ片手だけ回して、そっと自分のほうへと引き寄せる。天子は裸のまま眠ってしまったせいで服を身に着けていないから、少し恥ずかしそうに肩近くにまで毛布を引っ張り上げているのだけれど、同じ布団に入っているアリスの躰には直接に天子の躰が触れてしまう。紅茶の温かさと、そして天子の躰の温かさ。その二つがあれば、冬の寒さなんてちっとも気にならなかった。

 

「……アリスさんの身体も、あったかいです」
「そう、かしら?」

 

 まるでアリスの今の心地を見透かしたかのように、天子はそんなことを言ってくる。アリスのほうだけ服を身に着けているから、紅茶を淹れているうちに冷えてしまった服が彼女の肌に触れて、冷たくはないだろうかと気になっていたのだけれど。こくんと頷く天子の表情はとても素直なものに見えたから、それが天子の本心からの言葉だってすぐに理解できた。
 アリスが天子の肩に手を回しているように、天子もまたアリスの腰へと手を回してくる。アリスが天子の躰を引き寄せるように、天子もまたぎゅっと引き寄せ返してきてくれて。
 おかげで、私達はとても近い距離で互いの体温を感じ合うことができているように思えた。

 

「あとで、あなたの部屋を準備しないとね」
「……よろしいの、ですか?」
「当たり前。あなたのことを抱いておいて、出て行けなんて薄情なことは言わないわよ」

 

 半ば苦笑気味に、アリスはそんな風に天子に言ってみせる。
 けれど自分が発したその言葉は、酷い違和感を伴ってアリスの心の中で反芻された。
(違う、わね)
 天子のことを受け入れたい理由。それは抱いた責任とか、情とか、そういうことではない。

 

「……ごめんなさい、言い直させて。私は――あなたと一緒に暮らしたい。あなたと一緒の時間を生きていきたいと思うから、あなたにここで一緒に暮らして欲しいと思うの」

 

 すぐに偽りがちな心を、正直なまま伝えること。
 今はきっと、そんなに難しい事じゃない。

 

「アリス、さん」
「ただ……私は独占欲が強いから。あなたがそれを受け入れてしまったが最後、二度とあなたのことを諦めることも、手放すこともできなくなってしまうと思うわ。――それでも?」

 

(それでも、うちに来る覚悟がある?)
 言葉には出さなくても、アリスが伝えたい意志は天子に伝わるはずだった。
 こくっ、と小さく天子の喉がなる。彼女は、アリスの視線を違うことなく受け止めてくれる。

 

「か、勘違いしないで下さい。先に好きになったのは……わ、私の方、なんですからっ」
「……ありがとう」

 

 殆ど天子の躰を抱き締めるようにしながら、彼女の頬にアリスはそっと口吻ける。
 これは、約束のキス。――きっと彼女のことを倖せにしてみせると、誓う為のキスだ。

 

「私のこと、独占、して頂けるんですよね?」
「ええ、もちろん。……ひとりじめ、しちゃうんだから」
「……でしたら私は、きっと倖せにしかなれませんから……」

 

 アリスの目と鼻の先で、天子がそっと瞼を閉じる。
 強請られているのだ、ということがすぐに判ったから。アリスもそっと瞼を閉じて、自分の唇を天子のそれへと重ねていく。

 

 瞼を閉じていて見えない世界の中でも、沢山の感じられる天子の存在。
 服を介しているはずなのに、それを意識させないほど濃密に伝わってくる温かさがあって。
 この心地良すぎる彼女の温もり、この倖せのあまりを。――どうして手放すことなんてできるだろうか。