■ 許否の在り処

LastUpdate:2003/05/18 初出:web

 迂闊だった、としか言いようが無い。
 ブラジャーのラインに手を掛けながら、蔦子は自分の愚かさを呪った。今までどんな時でも保守的に生きてきた自分を知っている。だから、私がどうしてあの時に、こんな幼稚なミスをしたのか解らなかった。
 暗室という場所は自分の心を深い部分から駆り立て、興奮させる。特に夜ともなればなおさらで、光を求めない蔦子には唯一の採光源である窓からの光さえ絶ってしまえれば、そこは世界から切り離された、蔦子だけの世界になる。闇の中でこそ感じる壁の圧倒感と、神経を酔わせる定着液の淡い特有の匂い。孤独の中で感じる一種の快楽と、その裏にはりつく獏とした不安。総ての要素が、そのそれぞれが。蔦子の冷静さと感性を削り取っていたのだ。

 

      *

 

 心は穏やかだった。春の陽気が空気に澄み渡れば、もう夏にも間もない暖かな日々がやってくる。見納めの桜が少しだけ寂しいけれど、夏の日々に思いを走らせれば、それも些細なことになってしまうのかもしれない。
 窓に走らせた想いは、まだ初々しい制服に身を包んだ一年の女子へと向かう。心の中でシャッターを切れば、そこにはひとつの世界ができあがる。なんと綺麗な世界だろうか。蔦子はこの学院、リリアン女学院に存在できる総てを、心より日々歓喜している。
 しかし、この世界には私は入れない、踏み込めない。私は、傍観者であれば良いのだ。写真に写るという事は、世界を共にするという意味と同義語だ。私は、撮る者であればいい。居住者である必要は無いのだ。
 無邪気な少女達を見ていて我慢がならなくなった蔦子は、腰のバッグからカメラを取り出す。心にはいつまでも世界を留めることはできない。だから、写真を撮る。気まぐれな忘却の妖精は、私から沢山の物を奪っていくから。だから、写真という鎖でしばって、箱に入れて封じておくのだ。
(チーズ)
 カシャッ、という小気味良いシャッター音が大好きだった。そこに現れる一遍の世界をも、余すところ無く留めようと蔦子は感性が赴くままにシャッターを切る。
 透明人間になれれば良いのに。そう思う瞬間が少なくなかった。そうすれば、もっと余すところ無く、総ての求める世界を収めておくことができるだろうか。もっと蔦子自身の存在を、在り得ないものに遠ざけておくことができたのだろうか。
「あちゃ」
 ジーッという音とともに、カメラがフィルムの限界を告げた。少しだけ残念に思ったが、それもやがて、どうでもよくなってしまう。やっぱり、春の陽気って気持ち良い。
 放課後の夏の訪れを待ちわびる、緑濃く映える木々の下を、鞄を抱きながら少女達は去っていった。このまま景色を眺めながら穏やかに時間を感じて居たい気持ちもあったが、蔦子にはまだ残された仕事があった。
 カメラを手にしてからの蔦子を、捕らえて離さない快感が2つある。1つはシャッターを切る時、もうひとつは、現像して初めて、世界を手にした時。
 陽気の中では鼻歌も歌いたくなる。折しも紡ぐは「アヴェ・マリア」の旋律。ああ、心躍る日々の中では、厳粛なままにいられない私をお許しください――マリア様。そんな祈りを思いながら、浮き足立って蔦子は廊下をかろやかに歩いていくのだった。

 

      *

 

「おーい、蔦子さーん」
 薄い意識の中で呼ぶ声が聞こえた。蛍光灯の明かりが、細くしか開けない瞼を重く開かせ、染み込むような小さな痛みが涙腺を刺激して、少しだけ涙が溢れた。しかし、冷たい机の感触が気持ちよくて、蔦子が元の世界に帰るのをなかなか許してはくれない。
「……帰りたいんだけどー?」
「……ああ、ゴメン」
 とはいえ、起きないわけにもいかないのだろう。
 気が付けば時計の短針は6の数字を示していた。
「あー、かなり寝てたみたいね、私」
 それを聞いた目の前の、写真部員の歩さんが苦笑いした。
「うんうん、すっごく気持ちよさそうに眠ってたよ。思わず写真撮りたくなるぐらいにね」
 写真を撮る、という単語にピクッと反応する。心にジン、と寒気が走った。
「……撮って、ないよね?」
「撮って無い撮って無い」
 思わず安堵の息を漏らす。写真を撮られるのだけは、勘弁して欲しい。
「あー、帰るんだっけ。ごめんね、遅らせちゃって」
「いやいや、私も現像するのが溜まってたから、それは別にいいんだけど」
 大きい茶封筒を鞄に押し込みながら歩さんが言った。そういえば、市のコンクールか何かに出すという話を聞いたことがある。歩さんは風景しか撮らない人で、その中でとても綺麗な写真を撮る。前に貰った満開の桜は、見ているだけで総ての寂しさを忘れられそうなぐらい、心地よい写真だった。
「でも、よくこの匂いの中で寝れるね。私には絶対無理」
 それは、と言いたくなったが、やめた。またひとつ、自分という人間の変質した部分を教えてしまうだけでしか無いだろうから。
 写真というのは、決してスマートにできあがるものではないのだ。写真屋なんかにある機械でもあれば話は別なのだろうが、写真を現像する為には水も薬品も使う。中でも定着液の匂いの悪さには定評があって、写真という区分の面白そうな響きに釣られて入ってきた新入生は、まずこの匂いに苦しめられることになるのだ。
 だが、蔦子にとってみれば、これは一種の快楽でもあった。心を落ち着けるというか、不思議と嫌なことを忘れさせて、安らかに平常心を保つことができる、お香というかテラピーというか、そんなのみたいなものだ。
「鍵お願いしてもいいかな?」
 蔦子は「当然」と言わんばかりに頷いてみせた。彼女の手から鍵を受け取る。手を振って見送った歩さんの肩は自信に満ち溢れていた。よほど今日現像した写真の出来が良かったのだろうか。これは是非に拝ませてもらわねばなるまい。
 人がいなくなって静かな世界が訪れる。蔦子は進んで電気を消す。暗幕に遮られて夜の光も入って来ない部室には、ほぼ完全と言っていいほどの闇が支配する。僅かに残る光源は引き伸ばし機のランプとデジタル時計の電源オンを示すランプ、この2つだけしかなく、まだ慣れてもいない目には何ひとつとして存在を認めることができないでいる。
 とはいえ慣れた部室ではそう活動が制限されるわけでもない。寧ろ現像時にはいつもこのぐらいの闇を求める蔦子には、よほど精密な動作でない限り困ることは無かった。立ち上がった蔦子はタイを緩めながら、ドアに近寄り、そこに内側から鍵を掛けた。
 スカートを外し、カラーに折り目をつけないように脱ぐ。胸元の小さな双球を開放した後、ショーツを脱ぎ捨て、靴を脱ぎ、最後に靴下を脱ぐ。
 光の無い場所には、写真が存在できないように、世界もやはり存在できない。蔦子は、闇の中で世界から切り離された自分を思う。そして、自分の存在を確認するかのように、自分の躰を手探りする。初めに胸元の周り、やがてその先端に触れ、左手でそれをしだきながら、右手はへそを通過して、より下へと到達する。
 感覚だけが研ぎ澄まされて、他の総てが朧げになっていく。蔦子は快感に総てを委ねるままに、切り離された世界へと身を寄せていった。

 

      *

 

 ――コンコン
 急にドアがノックされたその音に驚き、それを弄り抓っていた右手に思わず力が入る。快感の波が蔦子を襲い、あっけなくも声だけはなんとか押し留めるに成功した蔦子は、ひっそりと静かに達した。
 全身へと響く余波が蔦子から冷静な思考を奪い取る。
(聞かれただろうか?)
 聞かれていない可能性を願いながらも、最悪のケースを想定して必死に言い訳を考える。生徒か、教師か、はたまた用務員か。女性の声という認識だけしかできず、この後の成り行きを予測できない。
「すみません、写真部の方、どなたかいらっしゃいますか?」
 徐々に緩やかに引いてきた波に、ようやく戻ってきた思考が頼もしい。まず、声を聞かれたわけではない。もし声を聞かれていたならば先に問いただすは行為の筈。写真部には光が入るのを遮るため、入り口のドアに窓が無い。当然電気がついているのかどうかも相手には確認できず、結果として部室内に人が残っているのかは確認できない。
 問うた声は若い少女の声だった。……一体、誰だ?
「隣の新聞部の者ですが、新入生歓迎式典の写真のことでご相談がー」
「ああ、真美さん?」
 喋り方で声の主を認識し、思わず返事を返してしまう。しまった、と思ったときにはもう遅かった。今の状況では無難に居ない振りを装い、やり過ごしたほうが賢明だったのだろうに。
 しかし、口に出してしまったものはしょうがない。
「今私独りだけなのよ。現像中で身動き取れないし、光が入っても困るからー」
「そうなんですかー」
 距離がある上にドアが声を遠ざけるため、お互い少し大きい声で呼び合う。
「終わったらこっちから行くから、部室にいてくれるー?」
「わかりましたー」
 とりあえず、事実がバレたわけでなくて、蔦子はホッとする。もしこれが教師で、行為を知られて、咎められていたら。そう思うと流石に寒気が走るのを止められない。停学で済むのだろうか。
 すっかり忘れていたが、達していた痕跡を拭き取り、下着に肌を包む。明かりを点し、制服を整え、タイを結ぶ。定着液の蓋を開け、全身に薬品の匂いを振り掛ける。同性同士というのは敏感なものだ。自分の躰に残る女の匂いは、こうでもしなければ消すことはできないだろう。
 きっかり待つこと10分。蔦子は鍵を開け、廊下に出る。部室の湿り淀んだ空気が抜けて、爽やかな夜の香りが充満する。蔦子そのまま隣の新聞部の扉をノックした。

 

      *

 

「では、この辺で次回の特集には使用しますね」
 二人きりの新聞部の部室。自販機で買ったホットミルクティーの湯気も、とうに出なくなってしまっていた。新入生歓迎式典の写真は、蔦子の中でも特に自信のあるものを2点、それなりのものを2点準備しておいた。実際リリアンかわら版で使用されるのは、蔦子の自慢の2点になることが決まった。
 驚いたのは、真美さんが撮っていた写真が、思いのほか良かったことだ。残念ながら技量的な問題で今回使用するには至らなかったが、簡易なレベルででも真美さんが写真の技術を学んだなら、今回蔦子の写真には出番が無かったかもしれなかった。
 蔦子が真美さんに認めたのは、何と言おうか、写真に対する嗅覚みたいなもので、「もしも上手く取れていたら」という点さえ抑えてしまえるならば。例えば感動、例えば歓喜。その写真から送られてくるメッセージが、確実に伝わってきたことだろう。つまり、その写真は良い写真であり、「傑作」である、ということだ。
 そういう意味では、真美さんは私に似ている。美奈子さまが抜けた新聞部は、美奈子さまには悪いが、より優れた新聞を作っていくような気がする。真美さんの持つ、天才的なセンスによって。
「すみません、遅くまでお願いしてしまって」
 時計の短針は7の文字を僅かに過ぎていた。途中で一度教師の方が遅くまで残っていることを問いに来たが、新入生歓迎式典のことを告げると、8時まで残る許可をして下さった。リリアンには用務員の方のほかに警護の方も多数いらっしゃるし、外部からはなかなか入ることができない。だから、遅い時間帯でも理由があれば、きちんと残って作業をさせて貰うことができるのだ。
「こんな時間なんてしょっちゅうだからね、気にする必要は無いよ」
 事実、蔦子は写真部室が容易に職員をやり過ごせるのを良いことに、この程度の時間まで残っているなど良くあるパターンだった。精力的に写真部の活動をしているわけではなく、ただ単純に個人的な作業をしていることが多い。写真には現像を含め、結構お金が掛かってしまうのだけれど、部室でやる分には、それも全く気にならない。
「どうぞ」
 気が付けば、暖かい紅茶を差し出してくれる真美さんがいた。蔦子は礼を言いながらそれを受け取り、口に付ける。紅茶の甘い味が、充満していくのが解った。
「ところで、蔦子さんはボイスレコーダーってご存知ですか?」
 知っているも何も、名前のまんまではないか。
「そりゃ知ってるけど……使ったことは無いかな」
 そう聞くと真美さんは胸ポケットから小さな機械を取り出す。全面の上半分に無数の小さな穴が開いているそれを翳して「これが私の使っているものなんですけどね」と真美さんは告げた。
「取材なんかにはとても便利なんですよね」
 なんでも、メモには限界があるので、取材の時には必ず持ち歩くようにしているらしい。メモにはその時に重要だと思ったことや概要、あるいは自分が何かしら思うところがあったことだけを書き止め、後で再生確認しながらその時の状況をまとめるそうだ。
「最近のこの手の機械は結構高性能なんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
 例えばデジタルカメラも最近はコンパクトで高解像度なものが主流になってきている気がする。それと似たようなものだろうか。
『…………』
 録音独自の、サーッという小さい音が記録されている、やがてその後に再生された声を聞いて、蔦子は驚愕することになる。
『あっ……、ああっ……』
『ふっ……く、くうぅっ……!』
 曇ってはいるが、確実に掴み取れる声。それは紛れも無い、蔦子の声だった。それも、つい先程の。
 蔦子がキッと視線を送ると、そこには小さく笑みを浮かべた真美さんが見ていた。
 ――迂闊だった。新聞部の声が写真部には漏れてくるというのに、こちらからは漏れないなどという、好都合なことなどある筈がないのだ。
「蔦子さんも、お好きですね。まさか放課後の部室でこのような興味深いものが聞けるとは、思いませんでしたわ」
 にこやかに微笑むその笑顔が憎い。
「……それで?」
 極めて冷静な自分を見せようとすることで、蔦子は寧ろ自分自身を冷静にさせようと勤めた。バレてしまったものは仕方が無い。ここは出来る限り真美さんの良心に期待して、被害を最小限に食い止めるしか無い。
「私に何をして欲しいの?」
 謝罪も哀願もしない。真美さんは無駄なことをする人ではない。自分に敵対される可能性を賭してまで持ちかけてきた以上、何かしら欲求するものがある筈だ。
「お話が早くて大変に助かります」
 真美さんは未だに笑みを崩さない。いっそあのヴォイスレコーダーを奪って逃げようか、とも思ったが、それもできなさそうだ。真美さんが現物だけを持って交渉など持ち掛けてくるはずが無い。バックアップぐらい取っているに決まっている。
「実は私、蔦子さんに非情に興味がありますの――写真を撮らせて頂けますよね?

 

      *

 

 迂闊だった、としか言いようが無い。
 自分のブラジャーのラインに手を掛けながら、蔦子は自分の愚かさを呪った。今までどんな時でも保守的に生きてきた自分を知っている。だから、どうしてあの時に、こんな幼稚なミスをしたのか解らなかった。
 暗室という場所は自分の心を深い部分から駆り立て、興奮させる。特に夜ともなればなおさらで、光を求めない蔦子には唯一の採光源である窓からの光さえ絶ってしまえれば、そこは世界から切り離された、蔦子だけの世界になる。闇の中でこそ感じる壁の圧倒感と、神経を酔わせる定着液の淡い特有の匂い。孤独の中で感じる一種の快楽と、その裏にはりつく獏とした不安。総ての要素が、そのそれぞれが。蔦子の冷静さと感性を削り取っていたのだ。
「落として」
 そう言われては拒むこともできない。蔦子の決して豊かとは言えない胸が露になる。蔦子の持つ一眼レフのシャッター音が、今日ばかりは切なく聞こえた。
「下も脱いで」
 さすがに抵抗感が溢れてくる。悲しみと羞恥心が蔦子にうっするらと涙を流させた。哀願の目で真美さんを見上げてみても、彼女は決して折り曲げない視線をただ返してくる。結局逆らえずに、蔦子は最後の布にも手を掛けた。
 完全に一糸纏わぬ姿となった蔦子に、シャッターの嵐が降り注ぐ。羞恥心に心の奥から指の先に至るまで、総てが震えているのがわかった。蔦子の頭はやがて何も考えられなくなっていく。ただ、シャッターの音が聞こえるたびに、びく、びく、と自分の中で何かの神経が弾ける音と痛みが聞こえた。
「女性の裸とかがさ」
 ふいに声が掛けられたので、蔦子は一瞬それを話し掛けられたのだと認識することができなかった。
「載ってるような雑誌とかって、見たことある?」
 写真と芸術は紙一重である。そして芸術とエロスは紙一重である。
 蔦子が購入している雑誌にもそういう裸を扱った雑誌は少なくない。しかし、ここで真美さんが言っているのは、そういうジャンルではないのだろう。
「……ある」
 もう嘘をついても無駄な気がした。何もかも見抜かれている気がした。何もかも逆らえない気がしてきた。
「ああいう、男性向けのさ、雑誌みたいなポーズとってよ」
 嫌悪が背筋を走りぬけた。一度は止まった涙が、再びとめどなく溢れ出した。
「まず、足を開いて……そうそう」
 だけど、真美さんの言葉に、完全に逆らえなくなってきている自分がいた。もう、どうでもいいと思い始めている自分がいた。
「次に、ちょっと広げてみせてよ」
 その意味が解らないほど、蔦子はお子様ではなかった。
 蔦子のそこは、私自身が恐怖を覚えるほどに、溢れんばかりの蜜で濡れていた。自分を消し去るぐらいに部室で身につけた定着液の匂いはどこへ行っただろう。もう私の躰からする匂いは、いやらしい女性的な、それ以外の何物でもなかった。
 真美さんがカメラを手にうんと近づき、蔦子のそれにシャッターを切る。レンズが近づけば近づくほどに、蔦子の中の何かも上り詰めてくる。やがて何枚目かに刻まれたシャッターで、ただそれだけで。達してしまっている自分がいるのを知ってしまった。
「もしかして、いま、いった?」
 蔦子はそれにも肯定の意味の表れとして頷いてみせる。顔を伏せることも、目をそむけることもしない。私はただ正直なままに、真美さんの尋ねる総てに答えてしまう。
「蔦子さんって、とてもいやらしいよ……。撮られるだけでいっちゃうなんて……」
 羞恥が再び蔦子を襲った。だけど、それは事実でしかなかった。
「もう、遅いから、見回りの人がきちゃうね」
 慣れていない新聞部なので時計の位置を知るのにちょっと時間が掛かったが、短針はもう8を示そうかとしていた。もうじき、やはり先程の教師の方が見回りに来られるだろう。
「仕方ないから、今日はここまでかな」
 淡い寂しさ、などという生易しいものではなかった。
 その言葉をきっかけに、蔦子の心に怒涛のように埋め尽くされるほどの寂寥感が溢れた。ただ切ない感情に押しつぶされて、目からは大量に涙が溢れた。
 ようやくその時に知った。私は、真美さんに撮られることを、心底悦んでいたのだ。撮られる羞恥心のままに快感を張り巡らせて、麻薬のようにただそれだけに浸っていたのだ。
 そして、蔦子はこの短時間の中だけで、そんな僅かな中だけで。真美さんを――好きになってしまっていたのだ。
「部室なら……」
 蔦子は、それ以上を求めた。
「写真部の部室なら、電気さえ付けなければ、ば、ばれないです……」
 それは、直球に「続きをして欲しい」という意味でもある。
「……いいの?」
 真美さんが小さく蔦子に問い掛ける。だから、頷いて、そして小さく、して欲しいと告げた。

 

      *

 

 下着を脱ぎ捨てた真美さんの指が、蔦子の頬に触れた。
 初めは定着液の匂いに真美さんが顔をしかめたが、それもすぐに気にならなくなったらしい。今は……今は、この部屋には、いやらしい匂いだけが満ちていた。
「あ……」
 真美さんが漏らしかけた声を、口付けで押し留める。蔦子に被虐性愛的な性愛があったのか、それは自分自身わからなかった。ただ、真美さんのことは好きだった。その好きは、愛していると同義語だった。
 真美さんの腕は蔦子にも増して細く、躰は華奢だった。少し力を入れてしまえば壊れてしまいそう、そんな繊細で、そして綺麗な躰をしていた。
「私、胸小さいから……。あんまり見ないで」
 真美さんがそう告げたので、蔦子はより深く胸に焦点を絞って観察しようとする。真美さんが手で視線を閉ざそうとしたけれど、その手を掴んで「見たい」と言えば、真美さんは手を避けるしかなかった。
 確かに、お世辞にも大きいとは言えない丘がそこにはあった。というより、小さい。蔦子のそれも決して大きくない……というか小さいのだが、それよりも一回り以上、真美さんのそれは小振りだった。しかし大きさと敏感さは一概に比例しないようで、真美さんの反応の良さ、というより胸を責められることへの敏感さは、蔦子のそれを大きく上回った。ともすれば、胸を撫で、抓り、揉みしだくだけで達してしまうのではないかとすら思えてしまう程で、蔦子の指先、あるいは舌先の動きのひとつひとつに敏感に躰をくねらせる真美さんは、とても可愛かった。いつの間にやら状況は完全に逆転していて、蔦子の思うままに抵抗できずにいる、真美さんがそこにはいた。
 蔦子はもう自分を抑えきれなかった。理不尽な怒りがあるのなら、理不尽な歓喜も認められるのだろうか。ただ意味も解らずに、私はその喜びに奮えていた。

 

      *

 

「どうして……」
 その疑問に答えることは、蔦子にはできかねた。自分自身でも、解っていなかった。あたかもその総ての感情が、自分の意志ではない、別の場所から生まれ出たかのように。
 それでも、今伝えた気持ちに偽りは無かった。
 僅かに数時間の会話、そして行為。たったこれだけのことで、心は完全に真美さんの虜になっていた。欲情的な面でも否定できないが、あるいはそれはもっと深い、精神的な愛情でもあったと思う。
「……そんなこと言われたら、諦められない」
 真美さんの腕が蔦子の躰に伸び、強い力で抱き瘤められた。痛みにこそ感じなかったが、それには強い意志が感じられた。
「私はずっと前から蔦子さんのことが好きだったのに。だけど、蔦子さんは私を見てくれなかった。蔦子さんは総ての女性を見てた。だから、私だけを愛してくれることなんて、有り得ないとすら思った」
 それは、その通りだった。
 誰かを愛している自分の姿など、決して想像できなかった。
「だから、諦めようと思った」淡々と語るように真美さんは告げた。「だけど、隣の部屋から蔦子さんの嬌声が聞こえて、いてもいられなくなって」
 蔦子もまた、力の限り真美さんを抱きしめた。二の腕がじんじんと痛みを発するほどに抱きしめつづけた。
 真美さんの目から堰を切ったように流れた涙に、明滅したごく小さい機器のランプの光が映った。薄い緑色に染まるそれを見ていると、密かな酩酊感すら覚えてきた。蔦子はまるで、吸い込まれるかのように思った。