■ 扞格恋情

LastUpdate:2004/09/26 初出:web

「やあっ……ちょっと、真美っ!」
 蓉子は制止の声を上げたが、真美と呼ばれた彼女が蓉子に這わせた指先を抑止することは無かった。
「真美、あなた正気? こんなところで……っ」
 薔薇の館は、例え一階の倉庫とはいえ、そんなことの為に利用する場所じゃない。
 あくまで思いとどまらせようとする蓉子の声を、真美の唇が無理に塞いだ。
 無理やりに塞がれたというのに、そうされれば自分から瞳を閉じて彼女に抗わなくなる自分。そんな自分が嫌いだ。そして、そんな自分を知っていて弄ぶ彼女も。
 キライ。
 だけど、それは偽りだ。蓉子にだってわかっている。蓉子が自分を好きではないというのは真実ではあるけれど、そんな自分を好きだといってくれる真美をどうして嫌いになどなれようか。
 日毎に好きになっていく。一日の交わりを欠かすことさえ、蓉子の中の彼女を求めて止まない欲望が許さない。だから真美にたかが口付けを交わされたからといえ、それだけで彼女に為すがままになるのは……きっと蓉子の本心に他ならない。
「あれ、もう抵抗されないのですか?」
 抵抗、なんて。初めからするつもりなんて微塵も無い。ちょっとだけ真美に抗ってみせたのは、本心から湧き出たものではない。それは、二人の間の無言の取り決めではなかったか。
「あなたは抵抗して欲しいの?」
 蓉子がそう問うと、真美は静かに首を左右に振ってみせた。
 真美は日常の私までを侵すことは望まない。
 日常の私たちはこうはあらない。真美がふざけたことやつまらないことを口にしては、それを私がいちいち咎める。その関係が真美にとっては心地良いらしい。そして蓉子にとっても。
 けれど日常が非日常に切り替わった瞬間、それはとても遠い日常になる。
 蓉子は真美に抗えないし、抗わない。
 性の交渉においてまで蓉子がいちいち真美を咎めたりしたなら、それこそつまらないことだ。そんなこと真美だって、される側の蓉子だって望んでいない。しかし、普段の蓉子と真美の関係がひとたび顔を覗かせたなら、それを口にせずにはいられない蓉子がいる。だから、そこで切り替わる。それは適切なことだ。
「触って欲しいんでしょ?」
 臆面も無く年下の真美は言う。それは、彼女が非日常に切り替わった証。
「…………」
 蓉子は否定しない。肯定と同じそれは、私が非日常に切り替わった証。
 いつからだろう、と思う。同時に、いつまでこんなことを続けられるのだろう、とも思う。
 蓉子も真美も、あまり過去や未来のことなんて話さないから。
 だから不安にもなってしまうのだろうか。過去を確かめることも、未来に馳せることもしないから。
 いつも真美のことを思うたびに、蓉子の中には暗い不安のしこりがあった。蓉子にはもう真美を失った生活は考えられなくて。だけど、きっと真美は私を失っても飄々と次の相手を求めるのだろう、という畏怖。
「あっ……」
 性の魅力など、真美と触れ合うまでは知らなかった。今ははっきりと言える。それは性の最中にいる間は、まるで深い酩酊の中にいるかのように、総ての不安から赦されるということだ。
 真美の指先が、弱点を知り尽くした蓉子の躰を襲う。濃厚にして、鋭い刺激。蓉子に思考を許される暇など微塵も無い。蓉子は刺激に体を震わせ、あるいは時おり与えられる痛みに顔を顰めたりする。
「はあっ……!」
 それでも与えられる刺激の大多数は快感に他ならない。蓉子を短い時間で狂わせるほどの刺激。その中で僅かな痛みが与えられても、それは快感をより深めさせることにしかならない。氷の中に一粒の塩が混じるように、より冷たい衝動に蓉子は侵されていき、溶けるような甘さの中に鋭く尖った刺激味が混入されるかのように、蓉子の甘い疼きはより抑えきれないものへと拡がっていく。
「蓉子ったら、いやらしい……」
「やだ、そんな、言わないで……っ」
 蓉子がどんなに拒否しても、真美は性の交渉中に蓉子を辱めようとすることを止めはしない。恥ずかしい言葉を掛け、あるいは恥ずかしい言葉を言わせようとする。
 その度に重い屈服感が蓉子を支配する。その感覚は……正直嫌ではない。
 蓉子を唯一虐げられるものがあるとするなら、それは真美だけなのだから。
「はっ、ふああっ……!」
 もう声を上げるのを止めることはできない。
「どうして欲しい?」
 真美がそんなよくわからないことを訊く。どうするもこうするもないのだろうに。
 すると、真美の与えてくる快感の波は次第に小さく収束していく。やがて蓉子の敏感な芽を包皮の上から軽く刺激するだけの状態。それだけの刺激では、もうすぐそこにまで迫っていたというのに達することさえ出来ない。しかし、そこに触れられている以上、蓉子の昂ぶりが収まることもない。
 そこを触れられているということは、蓉子の総てを真美に握られているということに同じこと。生殺与奪の自由。真美が指を離せば蓉子を生かすこともできるし、あるいはちょっとだけ力を入れるだけで簡単に蓉子を殺すことも出来る。
 もし真美が思い切り力を込めて抓れば、それだけで蓉子を激しい快感と苦しみで、何度だって思いの侭に殺すことができるのだろう。
 もちろん蓉子にそんな酷いことをする真美ではない。でも、たまに本当に酷いことをして欲しいと願う自分もいる。
 真美は優しすぎる。虐げることでしか蓉子と性的なことを交わせないくせに、いつもそれが終わった後に謝るのだ。
 ――ごめんなさい、と。
 その都度、蓉子をどれ程悲しい感情が襲うかなんて、きっと彼女は知らない。
 そんな台詞は、本当は聞きたくないのに。
 真美の瞳を見る。いま蓉子の自由を握る彼女の瞳は、まさに嗜虐者のそれ。
 嗜虐者でいるならそれでいい。蓉子は被虐者を貫く。だから、謝ったりしないで。
 きっと真美は今日も謝るのだろう。そう思いながらも、今日こそは謝らないでくれたなら、そう願いながら蓉子は自分を簡単に奪える彼女に、「殺して」と願うのだ。
 その答えに満足したのか、真美はきゅっと蓉子のそこを締め付けた。激しい快感の渦に、蓉子の意識は一瞬にして呑まれる。
 達するまでに僅かに数秒。けれど、真美はそれだけでは蓉子を許さない。
 一度達する度に、どんどん蓉子は抵抗力を失う。真美はそこにつけこんでくる。
 達したばかりなのに、さらに深くて濃厚な刺激が蓉子に与えられてくる。
 狂わされる。
 意識に掛かる霞はより白さを増していく。やがて何も見えなくなっても、快感と痛みの鎖だけが蓉子を縛りつける。
 何度も達させられる。それは苦しい責めだ。
(いつまでも、この時間が続けばいい、と)
 そう思うことは異常だろうか。どんなに苦しくても、性の中にいる間は不安になることもない。疑問を抱くことも無い。ただ蓉子は真美を愛し、真美も蓉子だけを愛してくれる。
 ずっとこの時が続けばいいのに。
 酷く恐ろしい考えだと我ながら思いながら、深く長い交歓の間、蓉子は願い続けるのだった。