■ 被独占願望

LastUpdate:2007/12/28 初出:東方夜伽話

 ――ドンドンドン! と。
 喧しく自宅のドアを叩かれる音で、虚ろに目を覚ました瞬間。
 未だ布団の中の文は、すぐさま誰とも知らぬ来客に対して居留守を決め込んだ。

 

 

 

 ただでさえ冬の朝は苦手で。特に今日みたいな冷え入りの厳しい日には、朝のうちから寒い思いをしたいとは到底思えない。特に約束をしている覚えもなかったから、この布団の温もり恋しさを誰とも知らない来客のために棄てる気には文はなれなかった。
「文さま! 文さま、いらっしゃらないんですか〜?」
 ドンドンドン、と。何度も戸を叩く音に混じって聞こえる声。喧騒なんて気にも留めなければ、やがては聞こえなくなるだろう。
 それでも、まもなく再び眠りに落ちるだろうかという文の意識を、ドアの外から掛けられてくる聞き慣れた声がどうにか現実へと引きとめた。
 聴こえてくるのは、稚い少女の声。
(……椛、ですか……?)
 声を聞いただけでも、すぐに文は戸の向こうにいるのが誰なのか見当がついた。そこに居るのが椛であるなら、居留守をして出ないわけにもいかない。
「ふぁーい、いま出ますぅ……」
 仕方なくもぞもぞと布団から這い出すと、すぐに厳しい寒さが文の肌に襲い掛かってくる。
 外の椛を少し待たせながら、起きたばかりなので最低限だけ人前に出られる体裁を整えてから。文は戸を開けて、客人を迎え入れた。
「おはようございます、椛。今朝はどうしたんですかぁ……?」
「……眠そうですね文さま。もうお昼ですし、それにもうすぐ夕方になると思いますが」
「あ、あれ……? そ、そうなんですか?」
 言われて玄関口の脇に掛けてある壁時計を見やると、確かに短針はもう“5”の数字にさえ近いあたりを指し示している。一体何時間眠っていたのだろう、と文は一瞬だけ考えながらも、すぐに怖くなってやめた。
「うう、すみません。どうにも最近、調子が狂っていまして……」
「判っています。――写真機が手元にないから、ですよね?」
「……はい、お恥ずかしながら」
 文だって普段からこんな自堕落な生活を送っているわけでは、決してない。それでも、普段から肌身離さず携帯している写真機――ただひとつ欠けるだけで、文自身にも毎日何をしていいのかが決定的に判らなくなってしまったのだった。
 先日どこぞの森で黒白魔法使いと弾りあった際に、不覚にも写真機の一部を破損してしまって。すぐに修理に出したのはいいのだけれど、そのせいで写真機が文の手元から離れてもう四日。
 だいぶ昔の頃の私は、写真機無しで新聞を作っていたはずなのに――もうその頃の感覚を、文は思い出すことができなかった。
 文花帖ひとつで幻想卿を飛び回っていた頃、私はどうやって新聞を作っていたのだろう。今ではもう文花帖と写真機とは、どちらも生活からは欠かすことのできないものになってしまっていて。だからこの四日間、文は本当に何ひとつするべきことも見出せずに、ただ自堕落に過ごすことしかできなかったのだ。
「文さまが修理を頼まれたのって、にとりですよね?」
「え、ええ。そうですが」
 写真機を巧みに扱うことには誰にも負けないほど長けていても、文は写真機の仕組みや構造について少しの知識さえない。文ができることといったら写真機を維持するための簡単なメンテナンス程度のもので、だから少し写真機を破損してしまったり、部品を欠けさせてしまうだけでも、機械に詳しい友人――河城にとりを頼るしかなかった。
 文が頷いて答えると、椛は少し嬉しそうに笑ってみせて。
「でしたら、文さまに喜んで頂けるかもしれません。丁度こちらに、にとりから文さま宛てにお預かりしてきた荷物が」
「わ、わわっ! ほ、本当ですかっ!?」
 椛が差し出す小箱を受け取って、文は即座に開封する。
 簡素な外見の箱の中に、精密機械を傷つけないための厳重な梱包。緩衝材をほとんど引き剥がすようにしながら、中に包まれているものが僅かに見えただけでさえ、文は歓喜の余りに思わず飛び上がりたい心地にもなった。そこに見えた相棒の姿を、どうして見間違うことがあるだろう。
 中には殆ど新品同様にしか見えないぐらいに磨かれた写真機。破損していた暗箱の一部は勿論、誰かと弾りあうたびに少しずつ蓄積されていった細かい傷に至るまで、痕跡さえ判らないほど完璧に修繕されていた。
(ああ――にとりさんと友人で、本ッ当に良かった……!!)
 思わず文は、少しも信仰してもいない八百万の神様にだって感謝してしまう。
 いかに種族を通して機械に詳しい河童とはいえ、これだけ写真機にも精通している人が他にいるだろうか。それに、にとりは文が写真機に掛けている情熱を熟知しているだけに、決して仕事には手抜きをしないから。だから文が求めるだけの、完璧な仕事をして応えてくれる。
 手に抱くと、慣れ親しんだ写真機であることが否応無しに文には判る。じーんと熱い感動が心に込み上げてきて、同時ににとりへの感謝の気持ちが堪えなかった。
「あの、喜びを噛み締めておられる所を、申し訳ないのですが」
「…………はっ。すみません、少しトリップしてしまってました」
「あ、はい。文さまのお気持ちは判りますし。ただ、その……にとりから、もうひとつ荷物をお預かりしてきているのですが」
「もうひとつの荷物、ですか?」
 椛が差し出してくる箱は、写真機のものよりも随分大きい。
 その箱を見て――文は嬉しさ半ばの夢心地から、完全に目が醒める思いだった。
(――そういえば、それがあった)
 もうひとつの箱。開封するまでもなく、その中に入っているものが判ってしまうだけに文は少し憂鬱な気分にもなってしまう。箱の大きさからして、中身は……十数個ぐらいか、あるいは二十個ぐらいだろうか。
「にとりは中身を教えてくれなかったのですが。……コレって、何ですか?」
「ええと、そうですね……にとりへお支払いする、修理費代わりみたいなものです」
「はあ」
 文の回答に、訝しそうに首を傾げてみせる椛。
 できれば中身は見られたくないのだけれど。文を見つめてくる椛の視線は、「開けてみたい」と雄弁に語りかけてくるかのようで。
「……見たいなら、開けてもいいですよ」
「あ、では是非是非〜♪」
 仕方なく文が許可すると、待ってましたとばかりに椛は箱を嬉々として開封し始めてみせる。
 そして。
「ひゃああああっ!?」
 たちまち椛が上げた悲鳴を聞いて。はあ、と文はひとつ大きな溜息を吐いた。
(もしかして違う荷物だったら、なんて……)
 そんな甘い希望も少しだけ抱いていただけに。椛の悲鳴は、文の淡い期待をあっさり打ち砕いてみせるには、十分な答えだった。
「あ、あ、あ、文さま。こ、こ、これ、は……?」
「……お願いなので、私に言わせないで下さい」
 顔を林檎みたいに紅潮させながら、訊ねてくる椛。
 まるで怖いものを見たかのように、ひとしきり騒いでみせてから。かと思えば今度は、興味津々といった様子で椛は箱の中身を入念に検分している様子だった。椛が手に取ってみたり持ち上げて見たりする小さな機械たちは、どれも趣味の悪い色合いや歪な形をしていて。
 見なくても判っていたことだけれど。……箱に入っている中身のどれもが、ことごとくエッチなことに使うような道具たちばかりだった。
「う、わぁ。わ、私……初めてこういうのの、実物を見ました……」
 耳まで真っ赤にしながら、ひとつひとつを検分する椛の様子を見ながら。
(――それが、どんなことに使う機械かは判るのですね)
 と、口には出さないものの、文はそっと心に想う。
 もしも椛が、それらの機械を見て何なのか判らなかったならどう説明すればいいだろうと、内心恐れてもいたのだけれど。どうやら説明責任からは逃れられたようで、文はほっとため息を吐く。
「で、でも……どうしてコレが、にとりへの修理費代わりになるんですか?」
 椛の疑問は至極自然なもので。文も答えないわけにはいかない。
「そのう……レポートを書くんです。実際に使ってみた感想を」
「あ、なるほど。修理費代わりに、モニターを引き受けるわけですね〜」
 納得したかのように、うんうんと椛は何度も頷いてみせてから。
「って、えええええええ!?」
 直後には、まるでノリツッコミのように。盛大に椛は驚きの声を上げてみせた。
「じ、実際に使うんですか! 実際に使うんですか!! 文さまがコレ全部を!? ……どきどき」
「――違いますからー!? あと二回言わないでください!」
 ホントは……機械を使って自分でするのも嫌いではないのだけれど。いくら何でも、コレだけの数の機械を自分の体で試してレポートに纏めるなんて、さすがに文の身が持たない。
「……というわけで、椛。ひとつ嫌な仕事を、頼まれては頂けませんか?」
「嫌な仕事……ですか?」
 何だろう、といった様子で椛は首を傾げる。
「文さまの為でしたら、何でもしますけれど……?」
「ああ、そう言って頂けると非常に助かります。――これらの機械のレポートを作る為に、弱い妖怪を適当に、一匹で構いませんので拿捕してきて下さい」
 文ひとりの躰でこれらの機械を全部試すだなんて、恐ろしくて到底できることではない。けれど自分には決してできないような酷いことでも、他人になら幾らでもすることができる。
 実際、今までもそうしてきた。にとりへの修理費代わりにレポートを書くたびごとに、どこかの氷精や暗闇の妖怪などを捕まえてきては酷い陵辱を繰り返してきたのだった。
「ええと……それはつまり、誘拐してきた妖怪に、これらの機械をお使いになるのですか?」
「え……? もちろん、そういう意味に違いありませんが……」
 椛の問いに文が頷くと、椛は少しだけ複雑そうな顔をしてみせる。
 無理もない、と文は思う。椛だって誰かを誘拐したり、ましてや心無い陵辱の相手とするために誘拐を働く、となると嫌な気持ちにもなるだろうから。
 それでも――椛が拒まないことを、文は心の中で理解していた。
 どうして椛が文のことを慕ってくれているのか、文には判らない。けれど、不思議と……椛は、本当に文のことを慕わしく想ってくれているらしくて。余程無理なお願いであっても、文がお願いすることには、いつも拒まずに従ってくれるのだ。
(……本当は、自分でやるべきなのでしょうけれど……)
 卑劣な行為を椛にお願いするのは文だって心が痛まないでもない。けれど最近では困ったことに被害者のネットワークから噂が広まったのか、力をあまり持たない弱い妖怪たちは文の姿を見かけるや否や、一目散に逃げてしまうようになってしまっているのだった。
 幻想卿最速の天狗の足を持ってしても、必死に逃げ回る妖怪を捕まえるのは容易ではない。けれどその点、椛の顔は割れていないから彼女にお願いできれば仕事は容易に済むと思えたのだ。
「……い、嫌です」
「ええ、ではお願いしま……って、ええ!?」
 断られるとは全く思っていなかったものだから。文は思わず、仰け反るようにしながら椛の表情を伺う。
「で、ですから、その……いくら文さまのお願いでも、き、聞けません……」
 まるで、とても辛いことを口にするかのように。同時にとても申し訳なさそうに。
 悲痛な表情で、椛はそう言葉を紡ぐ。
「そ、そうですよね! いくら何でも、人攫いとか、そういうのは嫌ですよねえ……」
 椛に頼みごとを拒まれたのは、これが初めてのこと。
 信じられない気持ちもまだ心に抱きながら、半ば茫然とした心地のまま文はそう答える。
「違います……! 私、文さまのお願いできたら、どんな汚い仕事だってできます!」
 そう、強い語調で文に言い放ってから。
 今度は一転した弱弱しい口調で。「でも……」と椛は言葉を濁してみせる。
「私が……もし妖怪を捕まえてきたら。文さまが直接、妖怪を機械で、虐められるのですよね?」
「え、ええ。それは、そうですが」
「でしたら……!」
 普段の椛のものとはまるで違う、強い語調。
 それには、椛の強い意志が籠められているかのように文は思う。
「……でしたら。私は、誰かを連れてくるのなんて、嫌です……」
「は、はあ……」
 椛が強い気持ちから拒んでいるのは、文にも痛いほど伝わる。
 けれど、腑に落ちない。椛が言いたいことが判らなくて、文は首を傾げるしかない。
 何でもする、と念を押してくるのに、これだけは嫌、と頑なに拒否する椛。嫌なら無理強いするつもりは勿論文には無いのだけれど。椛が言いたい真意がどうにも見えなくて、文は対応に困ってしまう。
「……………………ゎ、たし、で……」
 椛が漏らす、小さなつぶやき。
「え?」
「で、ですから! その……私で、お試しになれば、いいじゃないですか……」
 椛に言われた言葉の意味が、文には一瞬判らなくって。
 いち、にー、さん。
「……え、えええええっ!?」
 たっぷり三秒の間をおいてから。椛が口にした言葉の意味に、文は驚きの声を上げる。
「も、椛にそういう趣味が、そういう趣味があるなんて知りませんでした。……どきどき」
「――違いますよ!? そういう趣味とかないですよー!? あと二回言わないで下さい!」
 はあっ、と。大きな溜息をひとつ、椛は吐いてみせてから。
「……そうじゃなくって。例えにとりへのレポートの為とはいえ……誰かが文さまの手で愛されるのが。私には凄く、嫌なだけなんです」
 椛は静かに。
 けれどはっきりと、そう文に言ってみせる。
「愛するって……ただ、機械で苛めるだけですよ?」
 実際いままでにしてきた時も、間違っても愛するなんて呼べるほど平和的なものではなかった。
 氷精や大妖精、暗闇の妖怪に夜雀。泣きじゃくる彼女たちを力で捻じ伏せて、何度も何度も意識が失われない限り機械による陵辱を繰り返す。どうしてそんな行為に、愛なんてあるだろうか。
「それでも、私は嫌なんです……私ではない誰かが、文さまに苛められるのが、嫌なんです……」
 じわじわと、ゆっくり時間を掛けて。
 けれど今度は椛が言わんとしている言葉の真意までもが、はっきりと文には伝わってくる。
「椛、あなた……」
 まさか、とは思いながらも。
 訊き返した文の言葉に、椛ははっきりと頷いて答える。
「私……文さまのことが、好きなんですよ……」
 椛の言葉は。静かな語調とは裏腹に、とても強い衝撃となって文の心を揺さぶるようだった。
 根が正直な椛は、決して嘘を吐くことがない。できない、と言ってもいい。
 誠実な椛が、静かに吐露した言葉に、どうして偽りがあるだろう。
「好き、って。友達としてじゃ、なくて……?」
「はい……違います。恋する気持ちとして、文さまのことが……」
 椛がどうして、普段からあんなにも文に対して良くしてくれるのか。
 そして、どうして。暇さえあれば文の元へと遊びに来て、傍に居てくれるのか。
 その答えが、ようやく文にも判った気がした。
「こんな気持ち、文さまには迷惑なだけ、かもしれません……」
「め、迷惑だなんて! う、嬉しいです、もちろん」
 椛が好きと言ってくれること。それ自体は言い繕うのではなく、本当に嬉しいと文には思えた。
 だけど……。
「……どうして」
「え?」
「どうして、私なんですか……? 私なんかの、一体どこが……?」
 愛されている事実には、すぐに文は納得することができた。
 だけど……どうして椛が、自分なんかを愛してくれると言うのか。そのことが、どうしても文には解らなかったのだ。
 天狗社会は閉鎖的な部分があるから、同じ天狗同士に恋愛対象を見出すこと自体は、別に珍しいことではない。同性同士で愛し合うことさえ、もしかしたら珍しくないのかもしれない。
 それでも文にはどうしても解らない。自分が他の天狗たちに比べて別に魅力的な部分を持ち合わせてはいないことぐらい、文にだって十分自覚できていることだからだ。――新聞の押しつけとか盗撮とか、文が特別嫌われている理由というならともかくとして、だ。
「理由なんて……わかんないです。文さまのことを好きな所だって、文さまの全部が、としか」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳に、文はまるで射貫かれそうな心地さえ覚える。
「で、でも……文さまのことが好きなのは、本当なんです! それだけは、信じて下さい……」
 縋るような瞳。真摯な言葉。
 信じるとか信じないとか、そういう問題ではなかった。椛の誠実な人柄をよく知っているだけに文は初めから椛の言葉を疑うようなことなどしていないし、そうでなくとも椛の本心から紡がれた真実の言葉が持つ力強さは、心にひしひしと痛いほど伝わってくるかのように思えたからだ。
 椛の気持ちは疑いも無く心に捉えられていて。――なのに、文はどうしたらいいのか判らない。彼女が寄せてくれる気持ちに、どうやって応えたらいいのかが判らないのだ。
 それでも返事を待って――文の返事を待って怯えるように震えている、椛の姿を見ていては。
 これ以上椛に不安を抱かせてはいけないことは、文にも判ることだった。今や今やと文の返事を待ち続けている、椛の心を少しでも楽にしてあげないといけない。
「え、ええっと……椛」
「……は、はい」
 少なくとも、私は椛のことが嫌いではない。大好きでさえあると思う。
 ただ、文の抱く「好き」と、椛が寄せてくれる「好き」の気持ちと。その二つには大きな隔たりがあるのかもしれない。……そんな風にも、思う。
「私も椛のことを好きになれるかわかんないけれど、その……友達から、とか?」
 それが、いま文に言うことができる、精一杯の言葉。
「――!!」
 椛の顔がぱあっと明るくなったのが見えて。
 喜んで貰えたのが判って、文はほっとする。
(本当に……私なんかのことを……)
 椛は絶対に嘘を吐かないから。椛が「好き」と言ってくれた言葉も、真実に他ならなくて。
 特別な想いを自分なんかに抱いてくれていること。椛の笑顔を見て、文にもそれが少しずつ実感されてくる。
(好き、と。……言われたせいだろうか)
 椛が自分に対して、特別な感情を抱いてくれているように。
 文もまた、少しずつ椛に対して。他の誰に対しても抱いたことのない、特別な感情を抱き始めていることが、なんとなく文自身にも意識されていた。
「……ですが、椛」
「はい」
「でしたらなおさら……椛に対して酷いことなんてできません。こんな、機械でなんて」
 文のことを、椛が真摯に愛してくれているなら、尚更。
 どうしてこんな歪な機械を用いて、椛のことを辱めることなんて、できるだろうか。
 けれど文がそう口にすると、椛はふるふると首を左右に振って。
「機械でも、いいんです。……文さまがしてくださるなら、私は嬉しいですから」
「で、ですが! きっと、とても辛いと思います」
「いいんです。機械でも、なんでも、文さまが直接私にしてくださるのでしたら、それだけで私は幸せですから。辛いことでも、きっと嬉しいんです。……優しくして、だなんて望みません」


       *


 椛の躰を、文はそっと抱き寄せる。
 幼さでいえば、文も椛もあまり変わらない。そう思っていたのだけれど、いざ犇と抱いてみると椛の躰は文のものよりもずっと稚いもので出来ているかのように、文には強く思えた。長くはない文の腕にもすっぽりと抱き包まれ、温かな椛の体温が感じられて――椛のことを傍に感じれば感じるほど、侵してはいけないような神秘性を、彼女の躰は強く感じさせてくるかのようでもあった。
 文よりも少しだけ低い高さから椛が見上げてくる、少しだけ不安の入り交じった表情を見確かめれば尚更。そうした椛の稚さのようなものは強固に文の心を締め付けてくる気がする。慕われることは、もちろん純粋に嬉しいとは思うけれど……これからする行為のことを思えば、疚しい気持ちばかりが文の心の中で呻くかのようでさえあった。
 そうした不安を、文は包み隠さず椛に訴える。同時に、今更だけれど――こんなこと止めた方がいいのではないかと、畏れる気持ちを付け加えることも忘れない。けれども椛は、文よりもずっと落ち着き払った様子で、あっさりと首を左右に振ってそれを拒んでしまう。
「私が文さまにして欲しいと。そう、望んでいることなのですから」
「そう、ですが……」
 椛にそう言われることは、少しだけ心を楽にしてくれる。でも、椛がそれほどまでに自分なんかのことを思ってくれているというのに、おそらく彼女が自分に対して抱いてくれている想いの半分さえ、文自身には抱けてはいないという事実がどうしても引っ掛かってしまう。
「……私では、ダメですか?」
「そういう、わけでは」
 椛が悪いわけではない。
 私が。文のほうの心が、割り切れていないだけで。
「機械でとはいえ、知らない誰かが文さまから抱かれるだなんて――私には堪えられないんです。だから、どうか苦しまないで。これは、私の我儘ですから」
 椛がそこまで自分なんかを思ってくれていることが。痛いほど胸に拉ぐ。
 今でも文には、どうして自分がこんなに慕われるのかが、どこか信じられないのに。椛の真剣な表情や真摯な言葉は、やっぱり文にそれを疑わせはしない。椛の言葉は、怖いほどにすんなりと文の心に届く。
「……わかりました」
 観念にも似た気持ちで、文は頷く。
 椛の顔がぱあっと明るくなったのを見て、文も少しだけ心が晴れる想いがした。
「ですが、機械は使いません」
「――それでは、にとりとの約束が」
「ええ、今回は使わない、というだけですが……」
 椛の頬に触れる。しっとりと、文の指先が心地よく滑る。
「せめてお互いに初めての今日だけは……機械とかじゃなく、純粋に椛のことを愛したいんです」
 椛が自分に対して寄せてくれるだけの思いを、文は持っていない。
 それでも、椛がいかに自分のことを想ってくれるのか、気持ちの大きさは痛いほど伝わるから。
 真面目な椛が精一杯の意思で伝えてくれた想いだから。文も精一杯の誠実さで、想いに応えたいと思うのだ。
「……嬉しい、です」
 言葉の通りに。真実嬉しそうに微笑んでくれる椛の姿を見れば、文も自然に嬉しい心地になって顔が綻んだ。
(――ああ)
 椛の顔を見て、じんと心に沁み入る感動がある。
 椛の心がそのまま文の心にも伝うような感覚。あるいは流れるような、繋がるような感覚とさえ呼べるかもしれないそれは、明らかに他の誰にさえ感じたことがない異質な感動。共感しているというより、心そのものが共有されるかのような。椛が嬉しいと感じてくれることは、そのまま文の心にもまるで同じ気持ちとなって溢れてくるかのようにさえ感じられる。
(私も、椛のことが……好きになってしまったのでしょうか)
 静かに、心の中でそう想う。
 一度として、恋愛の対象として椛を見たことなど無かったのに。

 昨日までは疑いもなく、文にとって椛はただの親しい友人のひとりでしかなかった筈なのに。
 なのに――。「好き」という言葉には、もしかしたら何かの特別な魔力があるのではないかと、文は真剣に思う。
 昨日までは間違いなくただの友人。それでも「好き」と訴えられてしまえば文だって椛のことを特別な視線で見てしまうし、意識せずにはいられなくなる。まして生真面目な彼女から、これほどまで真摯に「好き」と告白されてしまったなら……どうして絆されずにいられるだろうか。
(好きかも、しれない……)
 真実、気持ちを見定めようと、心の裡に問いかければ問いかけるほど。
 心は疑いもなく。自然なことであるかのように、すんなり答えを返してくれている気がした。
「椛」
 名前を呼ぶ。それだけでも、どこか特別にざわめく感情がある。
 それはきっと、特別な相手の名前だから……だろうか。
「――好きです」
 言葉に出して、真実を受け入れてしまえば。
 すっと心が軽くなって、不思議な心地よささえ文には感じられて。
「嘘でも、嬉しいです……」
 けれど文の言葉に対する椛の返答は、笑顔だけど少し悲しげで。
 当然の反応だと文は思う。さっき「友達から」と言っておいて、いまさら「好き」もない。
「やっぱり、疑う……よね」
 けれど数分前なら明らかな嘘にしかならない言葉でも、この瞬間には確かな真実で。
 信じてくれることを望むわけではない。それでも有りの儘の心として伝えておきたかったのだ。
「――いえ」
 紡がれた否定の言葉。
「信じます。信じたい、ですから……」
 椛の言葉はあまりにも意外なもので、文は少しだけ戸惑う。
 騙しているわけではない。もしかしたら一時的な感情かもしれないけれど、真実の言葉だから。
 どういう形にしても、信じて貰えるなら。いまの文にできることは、その信頼を裏切らないようにすることだけなのだと。そう、思えたから。
「……」
 何も言わずに文がずずっと身を乗り出すと、椛は慌ててぎゅっと瞼を閉じる。
 優しく触れあわせるだけの、口吻け。
 交わる唇の感触は少しだけ震えていた。椛が震えているのか、それとも文が震えていたのか。
「椛」
「は、はい」
「脱がせてしまいます、ね……?」
 文がそう告げると、少しだけ椛は驚いたような顔をしてから。
 恥ずかしそうに俯いて、けれどはっきりと。首を縦に振って、頷いてくれる。
「お願いします……」
 消え入りそうなほど静かな声。けれど静寂ばかりが満ちている部屋では、そんな小さな言葉でもはっきりと届く。
 ましていまから躰を求め合うのだと意識すればするほど、静寂は部屋中を満たしていく。お互い何も言葉を交し合わない部屋の中で確かに聴こえるものは、するすると文が両手で肌蹴させていく衣擦れの音。それと、二人ぶんの少しだけ早くなった息遣いだけ。
 椛の温かな肌にそっと指先だけ触れさせると、お互いの躰の震えが否応無しに意識させられた。きっと寒さからではなく、椛の躰は小刻みに震えていて、彼女の躰に伸ばす文の指先もまた、同じぐらいに震えている。緊張と逡巡、恥ずかしさと悖徳。それとやっぱり、少しだけの怯えや恐怖。されるままの椛も怖いだろうし、文もまた、これからすることを思えば少しだけ怖いのだ。
 それでも椛は抵抗をしないから、文は簡単に彼女の衣服を次々と取り払っていく。装束の上衣やスカートを脱がしてしまえば、胸元を隠す晒し木綿と可愛いショーツだけを残して殆どの椛の肌が露わになる。
「下着、ドロワーズじゃないんですね」
 以前に着替えを垣間見た時には、確かドロワーズを身に付けていたはずなのに。
「……にとりが、きっとこちらのほうが文さまが好きだと、言っていたので」
「そ、そうなんですか」
 確かに、こちらのほうが好きだけれど。――一体いつ、見抜かれていたのやら。
「うん、可愛いです」
「えへへ、嬉しいです……」
 恥ずかしそうに、あどけなく微笑む椛。
 その椛の胸元に文は指先を掛ける。
「……ぁ」
 文はそれ以上何も訊かず、椛もまた何も答えない。ただ文の指先の動きに合わせて、声にもならないほどの小さな声だけが、椛の吐息の中に静かに混じって聴こえてくる。
 震えることに慣れた器用な指先で、椛の胸元に巻かれた晒し木綿をゆっくりと文は解いていく。幼い柔肌に薄く痣を残す、きつい木綿の締め付けが緩まるごとに、椛の唇からは熱い吐息が漏れ出てきた。
「こっちは、私の趣味というわけじゃないよね?」
 木綿を指さしながら文が訊ねると、椛はこくんと頷く。
「なんだか心が引き締まるようで。なんとなく、使っているのです」
「そうなんだ」
 あれだけ強く締め付けていれば心も引き締まるだろうけれど。
 けれど幾重に巻きつけた木綿の痕は椛の綺麗な白肌に痛々しく映る。直視することが、それこそ文にも少し躊躇われるぐらいに。
「椛。今日からはこの、晒し木綿を着けるのは二度と止めなさい」
 だから文は、殆ど命令めいた口調で椛にそう告げる。
 文がそう強く言ったなら、椛が決して拒めはしないことを知っているからだ。
「そ、それは。も、もしかして……下着を禁止、ということですか……?」
「え? ああ――」
 痛々しい木綿を止めて欲しいという意味で。せめて肌着をシャツか何かの違うものにして欲しいだけであって、そういう意味で言ったわけではないのだけれど。
 けれど、椛が口にした『下着を禁止』というのはとても面白いことのように思えて。
「――ええ、そうです。もちろん、こっちも禁止ですよ……?」
 椛の言葉を利用して、文はちょんと彼女のショーツの端っこを摘んでみせた。
「そ、それでは。……もうスカートが着られなくなってしまいます」
「どうして?」
「だ、だって! その……見られたり、したら」
 怯えるような口調で慌てる椛が、どうしようもないぐらいに可愛くって。
 だから文は、とても意地悪な気持ちになってしまう。
「いいじゃないですか、見られても。――椛だって、見られるのが好きでしょう?」
「そんなことは……!」
「椛。――私のお願いを、聞いて頂けないのですか?」
「そ、そんなあ……」
 お願いと言えば、椛は拒めない。文も拒めないと判っていて言うのだから、実際「命令」と殆ど変わらない。
 耳まで真っ赤にしながら、椛は「お願い」に応えることを躊躇っているみたいだった。

 それでも、文はじっと椛の応えを待つ。椛が決して信頼を裏切ることがないと疑いもなく信じていればこそ、待つことはただ椛の口から言葉を引き出すための手段でしかなかった。
「わ、わかりました。……椛は明日から、下着を二度と身につけません」
「ええ。ミニのスカートが私は好きですから、それ以外も禁止ですよ?」
「――っ!? わ、わかりましたっ……!」
 拒めないと判っているから、どんなに酷い「お願い」だってできる。
 それでも、椛はどんなに酷い「お願い」にだって応えてくれる。
 好き合う傍らでの、絶対的な信頼関係。――これもまた、「特別な関係」と言えるのだろうか。
「椛。……判りますよね?」
 文が促すと、椛はおそるおそるといった調子で、こくんと頷く。
 下着を禁止したいま、椛がショーツひとつを身につけていることさえ、約束違反。
 文が脱がすのではない。文はただ椛に促すだけで、じっと椛の挙動を見つめる。
 はあっ、とひとつ熱っぽい吐息を吐いたあと。椛は片足ずつ上げて、身に付けている最後の下着を自らの手でその場に脱ぎ落として応えてくれた。
「脱ぎ、ました……」
「うん……」
 無茶を言ってるのに。健気に、応えてくれる椛があまりにも嬉しくて。
 一糸纏わない椛の躰を、文は力の限りに抱き竦める。
 嬉しかった。嬉しすぎて、愛おしかった。――椛のことが、心の底から愛しいと想えた。
「文、さま……」
「……怖い?」
 文が問いかけると。椛は一瞬どう答えるべきか躊躇いながらも、正直に頷いて答えてくれる。
 怖くないはずがなかった。着ている物を脱がされて、最後の一枚さえ身に付けていることを許されなくって。誰かの前でこんなにも無防備な姿を曝すことが、怖くないはずがあるだろうか。
 ましてやこれからする行為を思えば、不安を感じない人なんているだろうか。
 文もまた、少しだけ不安を心に潜ませながら。できるだけ椛を不安にさせてしまわないように、文自身の不安は努めて隠しながら椛の肌に触れる。抱き竦める体勢のまま、ゆっくりと椛の大事な部分の方へと指先を滑らせていく。
「あ……ぁ……」
 文の指先が素肌を撫でて大事な場所へと近づいていくにつれて、椛の声は不安を交えた熱っぽい声色になる。
「はぁ、っ……!」
 とうとう指先が秘所の入り口に触れると、一際高い声が椛の唇から漏れ出た。
 文が指先を少しでも動かせば、応えるかのように椛の喉からは熱く甲高い嬌声が上げられて。
「嫌だったら、言ってくださいね?」
 一応そう前置きしてから、文はさらに執拗に椛の秘部へと指先を走らせていく。
 堪えきれない。いかにもそんな不確かな声を漏らすと同時に、部屋の中に椛の吐息が白く霞んで溶けていく。
「へ、変な感じ、ですぅ……」
 はっはっと、夏場の犬のようにさらに息を荒く乱しながら、椛は辿々しくそう告げる。
 ぬるぬるした、熱い液体が文の指先にねっとり纏わりついてくる。それはきっと椛が文の指先を素直に感じてくれる証拠のようなもので、だからより多くの蜜を求めて、文の指先は椛の弱い所を探るように幾度も幾度も執拗に秘部を彷徨う。
「ふ、ぁ、わんぅ――っ!」
 そろそろいいかな、と思って。文が指先を少女の最も敏感な部位に伸ばすと、文が期待していた通りに大きく椛は背を仰け反らせて刺激に呼応してくれる。
「椛のここ、ねちょねちょしてます……実はすごく、エッチなんですね……」
「そ、そんなこと……んぅっ!!」
 慌てて抗議する椛の言葉を、指先の与える刺激ひとつで文は封じ込めてしまう。
「あれれ、違うんですか? ――ううん、残念です。椛がエッチだと嬉しいのに」
「わ、はわわっ! ち、違いません、違いませんから!」
「ああ、良かった。じゃあ……もっといっぱい、感じちゃって下さいね?」
 そう言ってから、文は指先が課す圧力を、少しずつ強めていく。
「ふぁ、ぁああ……!!」
 椛の声は、愛撫の指先を強めれば強めるほど、より切なく大きな嬌声となって顕れる。その形を確かめるかのように、文が優しく柔らかな突起を弄べば弄ぶほど、椛の躰は悶えるように震え感じてくれる。いまも抱き竦めるような格好のまま、椛の躰の震えを文もまた自分の体で感じて、もう十分すぎるほどとろとろになった秘部の震えもまた、指先で明確に感じ取る。
「椛のここ、なんだか大きくなってきたみたいです……」
「そ、そんなこと、い、言わないで下さい……!」
 包皮の上からでも、椛の陰核がふっくらと膨らんできたことが、確かな触感として判る。膨らんでくるほどに、さらに文が刺激を投げ掛けると椛の吐き出す喘ぎの声や吐息もまた明瞭なものへと追い詰められていく。
「ふぁ、ゎ……! い、いきそう、ですっ……!!」
 がくがくと震える椛の両脚。文もまた、さらに椛を追い詰めるよう愛撫の手を強めていく。
「ふぁ、あっ! ふぁ、わ……は、わぅんっ……!!」
 両脚から力が完全に抜けて、崩れ落ちる椛の躰をそのまま文は受け止める。
 小柄な文の躰にさえ抱き収まる、小さな少女。快楽と幸福感の狭間で、目を細める椛。
 最愛の彼女を受け止めながら。文もまた、負けないほどの胸一杯の多幸感に満たされていた。