■ 一夜の虜囚

LastUpdate:2009/02/10 初出:東方夜伽話

 日課のように繰り返している、大将棋。
 一回の勝負におよそ丸一日も掛かる大将棋は、まさしく二人の一夜を決めるのに好都合な遊びだった。

 

 

 

 普段の椛には見ることができないようなほんの少しだけ乱暴な手つきで、抱えられていたにとりの身体は投げ出されてしまう。椛の家まで『お持ち帰り』されるに当たって、にとりの身体を椛が易々と抱え上げてしまったのにもびっくりだったけれど……家に到着するまでの十数分ものあいだずっと、にとりの体重を抱えてくれていたにも関わらず、息ひとつ乱さずににとりの身体を投げ出せるほど鍛錬されている椛の筋力に、改めて驚かされる思いがした。
 投げ出されたにとりの身体はそのまま、ぽふっと柔らかなものに受け止められる。どこか男性的で硬派を思わせる凛とした顔や、普段からピンと張った背中とは裏腹に、ベッドとか人形といった少女趣味的なものを椛がこよなく愛していることをにとりは知っていた。
 掛け替えたばかりの新鮮なシーツからは、仄かに洗剤とお陽さまの匂いがする。同時に……シーツを超えて伝わってくるベッドからは、椛の匂いが少なからず感じられるような気がして、わけもなくにとりの心は高揚してきてしまう。

 

「……優しくしないと、ダメだよ?」

 

 ちょっとだけ挑発気味に、にとりがそんな悪態をついてみせると。
 椛は破顔するかのように緊張した面持ちを綻ばせて、優しい眼差しでにとりを見つめてくれた。

 

「捕虜がそんなふうに言っちゃダメだよ」

 

 そう、椛の指摘する通り、今のにとりの立場はただの捕虜でしかない。優しくするもしないも――それは全部、椛が自由に決めてしまっていいことで。もしも椛さえ望むなら……乱暴にされて傷つけられても、文句は言えないのだ。
 にとりと椛、二人で日がな一日打ち続ける大将棋に、ひとつの約束事が追加されたのは少しだけ前のこと。二十九種類もの駒のうち、玉将や太子が二人の勝負の中で辿る運命は――椛とにとり、二人が夜で迎えることになる運命とそのまま連鎖していた。
 今日の勝負で負けたのはにとりの方で。だから……今夜にとりの身体をどのように扱うか、総てを決定する権利は椛の方にあった。憎まれ口を叩くぐらいなら許されるけれど、本当に抵抗しちゃうことは許されないこと。
(抵抗なんて……するつもりも、ないけれどね)
 こんな勝負事を決めることになったのは、にとりも椛のどちらも、決して約束を盾にして相手の身体を自由にしたいと思ったからじゃない。寧ろ逆で……相手に少しでも、自分の体を求めることに遠慮を感じて貰いたくはないと思ったからだ。
 二人の関係が親友から恋人へ昇格したのは随分と前のことだから、こうして椛に押し倒された回数ももう数え切れないぐらいだけれど。椛はいつだって……にとりの躰を求めるとき、その傍に優しさを忘れなかった。誠実な指先、真摯な愛撫――もちろん愛する人の与えてくれる快楽だから、降り積む刺激のまま素直ににとりの躰は導かれてしまうけれど。いつだって優しすぎる程の愛され方は……少なからず、にとりの心に不安を抱かせることにも繋がってしまったのだ。
 もし椛がどれほど乱暴な求め方をしてきたとしても、絶対にそれを受け止めてみせる。それだけの覚悟をにとりは常日頃から決めていたし、例えどのような特殊なことを求められたとしても応えてみせるだけの意欲もまた併せ持っていた。そんなことで椛のことを好きな心は僅かにさえ欠けたりしないし、恋人として椛に扱って貰っているのだから……応えることは、恋人であるにとりとしては当然のことだとも思うからだ。

 

 にとりの躰の上に覆い被さるように椛が乗り上がってくると、心の緊張はより深いものになる。胸がつまる――これから愛して貰えるのだと思うと、嬉しくて恥ずかしくって息も出来ない。
 服に手を掛ける椛の指先は、初めて愛して貰った時にあれだけ手間取っていたのが嘘に思えるほど器用な手つきで、にとりの身に付けているものをひとつずつ容易く脱がしていってしまう。ベッドの上で身体を横たえているのだから、時々こちらからも身体を浮かせたりして協力しているとはいえ、にとりの衣服を全部剥ぎ取ってしまうまでにさしたる時間も掛かりはしなかった。

 

「今日も、にとりは綺麗だよね……」

 

 椛の言葉に嘘はなく、きっと正直な気持ちからそう口にしてくれている。普段から嘘を吐かず、たまに嘘を吐く時にも挙動や言葉尻で簡単にそれを見抜かれてしまう不器用な椛だけれど、それ故にこうしてかけてくれるお世辞ひとつに至るまで作り物の言葉でないことが判ってしまうし、それだけににとりにとっては余計に恥ずかしい。
 もちろん自分の躰を褒めてくれることを嬉しいとは思う。思うけれど……この椛の言葉ひとつにさえ、にとりは未だに慣れることができないのだ。なにしろ言われてしまうだけで心がかぁーっと内側から熱くなって、体温が幾つも上がってしまうみたいな感覚さえあるのだから。

 

「躰が目的なんだ?」
「うん、もちろん躰も目的だよ」

 

 恥ずかしさを紛らわすようなにとりの軽口も、慣れた口調で簡単にあしらわれてしまう。
 普段は会話をしていても聞き手に回ることが多かったりあまり積極的な性格を見せない椛だけれど、こうしてにとりを愛してくれる時には率先してリードしてくれる。牽制や挑発を孕んだにとりの軽口も、こうした時の椛にはまるで通用しなくなってしまう。
 リードを取られてしまえばもう、にとりには愛されることを受け入れるしかなくなってしまう。こうした愛され方を、他ならぬにとり自身もまた嬉しく受け入れてしまっている。少し積極的で、求めることに遠慮をしない素直な椛の姿。いつもとはちょっと勝手が違って、一方的に椛のいいようにされてしまうのは少しだけ違和感があったりもするけれど。それも裸のにとりの前でだけ見せてくれる姿だと思えば――嬉しいことでない筈がなかった。
 にとりの顎に、椛の指先が幾つか触れてくる。それがキスを求める仕草だと知っているから、にとりは迷うことなく瞼を閉じた。
 重ねられる唇。触れるだけのキスだけれど、お互いの唇の形が潰れるほどにその交わりは強い。椛の与えてくれるキスはいつだって力強くて、少しだけ乱暴。でも……そんな乱暴なキスをされるのを、にとりもまた愛している。
 乱暴なキスにやられてしまうと、もうにとりは椛に対して軽口を叩くことさえもできなくなってしまう。普段は控えめな椛だけれど、今だけは違うのだ――にとりのことを一方的に愛することができる立場。乱暴なキスはたったそれひとつだけで、にとりから立場を理解させて抵抗の意志を根こそぎ奪い取ってしまう。

 

「いっぱい、愛してあげるからね」
「……は、はい」

 

 心が期待に満ちる。胸の高鳴りばかりが膨らんで、周囲の音が何も聞こえなくなる。
 にとりはただ、やがて肌に触れてくれる少しだけ冷たい指先を待つ。
 抗えない、愛して止まない。にとりの躰を唯一、虜にできる指先を。


     *


 心の裡で燻っていた感情の火種を、もう抑えることはできない。いちど燃焼を始めてしまったが最後、にとりの躰中に拡がっていく火熱は真っ赤になるまで身を焦がしていくかのよう。先日暦の上では春になったばかりの今日この頃はまだまだ寒さばかりを感じて仕方が無いはずなのに、部屋の中とはいえ全裸の格好のにとりはそうした寒さの震えを僅かにさえ感じはしなかった。
 むしろ部屋の空気に触れるほど、その冷たさが肌に心地よいぐらい。どれほど躰が外から冷やされようと、裡から絶え間なく焚かれる熱がある限り、にとりの躰が寒さを覚えることはないように思えた。
 にとりの乳房や腹部、お尻や腿の辺りを幾度も椛の手のひらが撫でていく。たくさんのくすぐったさと、無視できない程度の居心地の悪さ。それと……ほんの少しの気持ちよさとが入り混じって、心は平静を保つことができないでいる。躰の上に覆いかぶさる椛の顔がすぐ近くにあって、にとりの視線は彼女のそれに囚われてそむけることができない。きっと耐え切れない恥ずかしさで見られたくないような顔をしているのに……椛が絶え間なくにとりの顔を見つめてきてくれるから、その瞳から逃れることができないのだ。

 

「……は、ぁ……」

 

 無意識に漏れ出てしまったにとりの息も、静かな部屋の中ではどうしても響いてしまう。きっと椛にも聞かれてしまっただろうな――そう思うと、恥ずかしさは余計に抑えきれなくなって。恥ずかしい気持ちで一杯になって、椛が与えてくれる愛撫の手だけでこんなにも心が埋め尽くされてしまっているのだという自覚が強まってくるにつれて、それを嬉しくばかり思う心がどんどん強いものになっていく。
 ベッドの上が性の雰囲気だけに満たされてしまえば、いつも二人の間に言葉なんて必要ではなくなってしまう。だって、軽口であっても正直な言葉であっても、愛し愛される最中において言葉なんて意味を持てはしないのだ。お互いが伝えたいと思う気持ちは言葉になんてしなくても必ず伝わってしまうし、伝えたくないと思う恥ずかしい気持ちや感情に至るまでどうしても伝わってしまうのだから。

 

「愛してるよ、にとり」
「は、ぁ……! わ、私も、ぉ……」

 

 言葉にする意味があるものといえば、ただ愛の言葉だけ。
 にとりは椛がいかに自分のことを愛してくれているのか正しく理解しているし、にとりが椛のことをどれほど愛して止まないでいるか、その想いが正しく椛に伝わっていることも理解している。だから本当はこうした愛の言葉も、言葉にする意味なんてないのかもしれないけれど。……それでも、愛の言葉はいつだって特別な言葉になる。椛が自分を愛してくれる想いの程をどれほど深く理解し尽していても、言葉として示される度ににとりの心と体には特別な感情と感覚とが沸き起こるのだ。すなわち言葉ひとつで――きゅうっと胸が詰まって、同時に下腹部の奥のほうも、きゅうっと収斂するような感覚がある。

 

「ふぁああ……! ぁ、ぅ……!」

 

 震える膣の入り口のあたりにまで椛の指先が触れると、もうにとりは何も考えることができなくなってしまう。あれほど感じられて仕方が無かったくすぐったさはもうどこかへ消えてしまっていて、膣口を椛の指先が撫で付けるたびに躰が心から震えるほどの快楽が痺れるように貫いてくる。椛の指先の僅かな動きひとつで、こんなにも躰の総てと心の総てを自由に蹂躙されてしまうのだ。
 恋愛は求めないのが崇高である、無償の愛が真理だと言う。けれど――そんなの、絶対に嘘っぱちだとにとりには思えた。愛することも好きだけれど、やっぱり……愛されることはもっと好きだから。自分の躰と心のぜんぶを、こんなにも相手だけのものにしてもらえる感覚があるというのに。この気持ちを求めずにいられる恋愛なんて――それは、ただのお飾り。嘘ばかりの恋愛に間違いないのだ。

 

「ん、ぅ……! ぁ、ぁぅ! ぁあああああ……!!」

 

 絶頂に導かれる躰。気をやらされるたびに、少しずつ椛だけのものになれている感覚。この甘すぎる痺れを求めたくならない恋愛なんて、きっと存在しないのだ。相手を自分のものにしたいとだけ思ううちは、まだ恋愛はきっと未成熟。相手に飼われたいという希う気持ち――この感情がどんなにも満たしてくれる心の震えは、きっと辿りついた人にしか、判らないのだ。