■ 斯く熱めく

LastUpdate:2009/10/13 初出:YURI-sis

 ――かつては、おそらく。嘘をつくことが『不可能』であるさとり様のことが、空はあまり好きではなかったように思う。正確に言えば好きとか嫌いとか以前に、純粋に『苦手』といった意識の方が強かっただろうか。
 けれども、今では。一切の嘘をつかず、素直な気持ちの儘に求めることができるさとり様のことが、空は好きで好きで仕方が無かった。さとり様には見通してしまう瞳があるのだから、初めから嘘を吐こうという意志を抱く必要さえ空にはない。どうせ心の中で考えてしまった以上は筒抜けなのだから、口にすることを躊躇うことに意味なんてありはしないのだから。
 だから空は、いつだって衝動が導くままに思ったことを伝え、そして望むようになった。さとり様を愛して止まない心を隠す必要はなく、また心の有り様が全て伝わってしまう以上、空がどれほど深く想いを寄せているかをさとり様の方でも正しく認識して下さっていて。一途な想いであると判って下さっているから、さとり様もまた少なからず空のほうへ想いを返してきて下さるようでもあった。
 空は片時もさとり様のお側を離れなくなった。勿論その意志は恋心から来るものであり、さとり様も全てを承知の上で空をいつも傍に置いて下さった。眠られる時にも、湯浴みの時にさえ、空はさとり様のお側から離れはしない。それほど執拗な空を、けれどさとり様も僅かにさえ疎ましい表情をせずに許して下さっていた。
 薄い寝間着一つだけの格好のさとり様を見て。あるいは湯浴みに伴って空の眼前に全ての肌を晒しているさとり様を見ているうちに、いつからか空は愛情とは全く別個の騒めきたつ感情があることに気づくようになった。その正体が何かは判らないのに――けれど、さとり様のことをより身近に感じるようになり、より深く深く愛してしまうようになると尚更、その異質な感情は空の中ではち切れんばかりに膨らむようになっていった。
(私の心が伝わるのなら、この不可解な気持ちもさとり様には伝わっているのだろうか?)
 そう思って、空はこの感情についてさとり様に訊ねてみた。この気持ちがさとり様にも伝わりますか、と。この気持ちの正体が何かご存じでしたら、教えて頂けませんかと。
 空がそれを言葉にして訊ねた瞬間、さとり様は――おそらく、これほど積極的に空があらゆることを求めるようになって初めて、言い得ぬ躊躇いのような表情を浮かべてみせられた。数秒、あるいは十数秒にも及ぶ程もの間さとり様は悩みに悩み抜いて……ようやく、顔を上げて空に向かって返事を返して下さった。

 

「……空が持っているその気持ちは、私も持っているものです」

 

 そう、前置きしてから。
 小さく深呼吸をひとつしたあと。真摯に空の瞳を見据えて。

 

「それは――愛しているひとを、自分だけのものにしたいという欲求です。愛している人と誰よりも深い次元で繋がって、愛している人を誰よりも自分の存在で狂わせて、お互いにお互いのことしか考えられないようにしたいという征服欲と被征服欲が入り交じった感情。……つまり、性的欲求です」

 

 顔を真っ赤にしながら、さとり様はそう告げて下さって。
 こくん、と小さく喉を鳴らしてから。さらに言葉を続けられた。

 

「先程も申しましたが、その気持ちは私も持っているものです。……で、ですから、空。もしも、貴方さえ良いのでしたら」
「は、はい」
「その、私と……えっちなことを、一緒にしませんかっ」

 

 耳まで真っ赤にしながら、必死にそう伝えてきてくれたさとり様の言葉は。
 いつも空から求めるばかりであった私達の関係に置いて、初めてさとり様の方から求めてきて下さったものであり。同時に――どんな言葉や行動よりも真摯に、そして積極的に空のことを求めて下さる言葉でもあった。
 えっちなこと、という単語。さとり様の口から、さとり様の声で直接に零れ出たその単語が、空の耳から届くと頭の中で何度もリフレインを繰り返して離れなくなる。確かに――さとり様の仰る通り、空がこうして抱える感情の蟠りは……そのまま、さとり様をより強く深く求めたいという想いに他ならなくて。空が求めて止まない多くの望みが、えっちなことで確かに得られるのかもしれないと空も思うけれど。
 だけど……まさか、さとり様とそんな過激なことをご一緒できる機会があるだなんて。まして、さとり様のほうからそれを望んで下さるだなんてことは、全く予想だにしていはいなかったことで。
 急展開しすぎる事態に、空の思考や理性の方が追いつかなくなってしまう。それでも、安易な気持ちで返事をしてしまってはいけない、ということだけは判るから。空がすぐに返事をすることができずにいると……悩んでいるこの気持ちも伝わっているのだろうか、さとり様は急かす言葉ひとつ吐かずに、ただじっと静かに空の言葉を待っていて下さった。

 

「……私には、そういう知識があまりないんです」

 

 ある程度の、漠然とした知識としてならある。けれど、何かの本で読んだのか、それとも噂話か何かで耳にしたのか。空が持っている、性自体や伴う行為についての知識は酷く断片的で曖昧だった。裸になって相手を求めるということは判るし、とても快楽を伴うことであるということ、時には苛烈な痛みさえ伴うものであるということも知っている。だけど――その実、行為の詳細についての知識と言えるものは、何一つ空の頭の中には無かった。
 せっかく機会が与えられているのに。さとり様を愛している自分の心には随分と前から気づいていたはずなのに、その気持ちが報われる瞬間についてまでは一切の想像が及んでいなかった自分を、今更ながらに空は悔いていた。もしも私が、ちゃんとさとり様を愛せるだけの知識を有していたなら、きっともっと簡単に返事をすることは出来たはずなのに。――私だって、さとり様ともっともっと愛し合いたいとは思っているのだから。

 

「ありがとうございます、空」

 

 未だ返事らしい返事をすることができないでいた私に、不意にさとり様がそんな言葉を掛けてくる。
 空が返事を言葉にして届けるよりも、心のほうが先にさとり様の許へ届いてしまっているのだと。そのことに気づいたのは、たっぷり数秒はその理由を頭の中で考えてしまってからだった。

 

「その気持ちだけで十分です。……空も、嫌だと思っているわけではないのですね」
「い、嫌だなんて! た、ただ、その……上手くできないかもって思うと、怖くて」
「上手くできなくてもいいんです。下手でもいい……ただ、空と一緒に恥ずかしいことをしたいんです」

 

 ぴたっと、空の左手に優しく重ねられてくるさとり様の手のひら。
 とても冷たくて、けれど柔らかな手のひらは。今までその手に触れることができたどんな機会に感じたものよりもリアルで、手と手を触れ合わせているだけでかあっと体温が上がってくるような気がした。

 

「……私も、したいです。さとり様とえっちなことが」
「はい、ありがとうございます」

 

 ぺこりと、空に小さくさとり様は頭を下げてみせて。
 どこかへ引っ張ろうとするさとり様のか弱い力に、空の躰は抗うことなく導かれていく。

 

 

 

     *

 

 

 

 腕を引かれるままに連れて行かれたのは、さとり様のお部屋。地霊殿に住み着くようになって長いのに、殆ど入る機会さえ無かった部屋にこうして足を踏み入れてみれば、それだけでもやっぱり逸ってくる心がある。現実感ばかりを増大させていく愛されることの憧憬が、幸せすぎる実感と共に今更になって少しだけ怖くも思えてしまうのは不思議だった。
 そこまで考えて、空は『怖い』という感情を一瞬でも考えてしまった自分を悔いた。例え一瞬だけであっても、そうした感情を抱いてしまえば、きっとさとり様には伝わってしまうから。慌てて空は数多の雑念を生ませて心を覆い隠してしまおうとするけれど……そんなことで、一度伝わってしまった心を無かったことにできないのは明白なことだった。

 

「心を隠そうとしないで。『怖い』という気持ちぐらい、私も持っていますから」
「……すみません」
「謝ることじゃないですよ。……でも、そうですね。確かに、これからえっちなことをしようっていうのに、私だけ心を読めるのはフェアじゃないですよね」

 

 ふむ、とさとり様は少しだけ考える素振りをしてから。
 やがて何かを思いついたみたいに、うんうんと幾度か頷いてみせた。

 

「私に命令してください、空」
「め、命令ですか……!?」
「はい、私は……空のことが大好きです。だから、きっと空に命令されれば、それがどんなに自分に取って恥ずかしいことであっても拒まずに従えると思うんです。……ですから、私に命令して下さい。ひとつは『嘘を吐かないように』ということ、もうひとつは『心を隠さないように』ということを」
「さ、さとり様に命令だなんて……私にはできません」
「お願いします、空」
「……うう」

 

 確かに、好きな人に命令されれば拒めないというのは本当みたいで。『お願いします』とさとり様に言われてしまったが最後、空にはもうそれを拒むことができなくなってしまう。
 さとり様が主で、空を含むペット達が従。さとり様はあまり他者に対して何かを強いるような、命令ということをなさらないけれど。それでも、さとり様に飼って頂いているペット達の中に確かに存在する主従の意識に、抗うのは簡単なことではなかった。

 

「ええっと……じゃ、じゃあ。これから私と二人きりの時には、嘘を吐かないで下さい」
「はい」
「そ、それと。……なるべく、心を隠さないようにして下さい。私も、さとり様の正直な心を聞かせて頂けるのでしたら、是非聞きたいと思っていますから」
「はい。――では早速、ひとつだけ素直に甘えたいことがあるのですが、お願いをしてしまってもいいですか?」
「……はい。私にできることでしたら」
「ちょっとお願いするのが恥ずかしいことなのですが。……私の身体を抱えて、ベッドまで運んで頂けませんか。お姫様だっこっていうのが、ちょっとだけ憧れだったんです」

 

 可愛らしく微笑みながら、そう言って下さるさとり様の表情は稚くて。何だか、今すぐにでもぎゅっと力の限り抱き締めたくなる想いを、空の心に強く抱かせてくる。
 確かな現実感が伴っている筈なのに、現状の総てが嘘みたいだと空は思わずにいられない。頬を抓れば夢から覚めてしまうのだろうか、と。そんなことも思うけれど、もしもこれが夢で覚めてしまったらと思うと怖くて、実行に移すことさえできやしない。
 例えこれが夢だというのなら、覚めたくない。怖い程の果報が、空の心に怯えにも似たものを思わせて、震わせる。――この世界で一番怖いことは、きっと不幸せそのものじゃなくて。幸せを、失うこと。一度は腕の中に抱き拉ぐことが許された幸せを、取り上げられることなのだと思えた。

 

「大丈夫です。夢ではありません、から」
「……あ、すみません」

 

 心が届いてしまっていることに気づかされて、空が思わず謝ってしまうと。
 ふるふるとさとり様は首を静かに左右に振ってから、空の頬に手のひらを添えてきて下さった。

 

「私も少しだけ、これが夢であったらと思うと怖いと思います。……でも、これが夢であるはずがない」
「どうして、ですか?」
「ふふっ、それはですね。夢の中の空と違って、本物のあなたが沢山迷ってくれているからです。私が毎晩夢に見る空は、いつも迷い無く私のことを口説いて求めてくれるのですが。……ですが、本物の空は違いますから。色んなことを考えて、迷って、躊躇って。そうした弱い心が、伝わってくるんです」
「……すみません。あまり器用ではないもので」
「あ、勘違いしないで下さいね。責めているわけではありませんし、それに……どちらかというと、嬉しいんですよ? こうして空と想いを通じ合えた今でも、私だって沢山のことを考えて、悩んでしまいます。明日からの未来を想うと、期待に震えそうになる心もありますし、不安に怯みそうになる心もあるんです。ですから――空が私と同じように、沢山のことを考えてくれるということ。それが、嬉しくない筈がないのです」

 

 そういえば、あまり深くは考えていなかったけれど。確かにさとり様の仰る通り、互いに想いを伝え合ってしまった以上、明日からはこれまで通りではいられなくなってしまうのだろうか。
 さとり様は他人の嘘を容易く察知することができるせいか、ご自身が嘘を吐くことを元々好まない性分でいらっしゃるし。空はといえば、考えていることがすぐに顔に出てしまうせいか嘘や隠し事が上手くできないものだから。お燐を初めとした、地霊殿のペット達に私達の関係がバレてしまうのは時間の問題のようにも思えた。
 今まで通りではない日常が、すぐにでもやってくる。確かにそれは酷く魅力的なことのように思える傍ら、小さくない不安を空の心に抱かせてくるけれど。
 ――それでも、空が強く抱いている、さとり様ともっと親密になりたいという想い自体は決して嘘にはならないし、嘘にしてしまうつもりもないのだから。自分が馬鹿だっていうのは判っているけれど……どうせ私には、未来を恐れて予めどうこうできるほどの器用さも学も無いのだから。

 

「失礼致します――」
「わ、わわっ!?」

 

 肩口の近くからさとり様の背中にそっと腕を回して、もう片方の腕で掬うように膝を抱え上げる。しっかりと持ち上げるつもりだったのに、さとり様の躰は信じられないぐらいに軽くて、意気込んだ空の力の半分も必要とせずに軽々と持ち上がってしまう。
 さとり様が望んで下さった、お姫様だっこの格好。当たり前だけれど、こんな格好で誰かを持ち上げるなんていうのは空にとって初めての経験で。実際に持ち上げてみて、思いの外に空の顔と近い高さにさとり様のお顔があって、少しだけ内心で戸惑ってもしまう。

 

「……重くはないですか?」
「軽すぎてちょっと怖いぐらいです。何だか、壊してしまいそうで」
「大丈夫ですよ。案外、女の子っていうのは丈夫にできているものなんです」

 

 ごく近い距離で、可愛く微笑むさとり様の魅力、射竦められる想いがする。
 こんなに魅力的な方が、自分と愛し合うことを求めて下さって居るだなんて。やっぱり今でも、空にはどこか信じられなかった。

 

「ですから、空。気にせずに、少しぐらい乱暴にしていいんですからね?」
「え、ええっと……一応、優しくしたいとは思っているのですが。私も、一度始めたら自制できますかどうか」
「ふふっ、私も優しい空が好きですけれど。じゃあ少しだけ、乱暴な空に愛されることを、期待してもいいのかしら?」
「……き、期待なんてしないでください」

 

 自慢じゃないけれど、割と熱くなりやすいほうなのだ。さとり様に拾って頂いて、温厚なさとり様の許で暮らすようになってからは随分そうした自分も鳴りを潜めてはいるけれど、かっとなるとすぐに自制できなくなる性分が自分の中に眠っていることを空は正しく自覚している。
 喧嘩っ早い心は、多分性的な衝動においても顕れるものかもしれなくて、それが少しだけ怖い。乱暴に愛することを許して下さっているとはいえ、空はできるだけ紳士的にさとり様のことを愛したいと思うからだ。乱暴に愛することで、少しでもさとり様に無理を強いたり、傷つけたりすることがあれば……私は、自分で自分を許すことができなくなるだろうから。
 できるだけ丁寧に、を意識しながらベッドの上にさとり様の躰を降ろしていく。不器用な空にはその程度のことも難しくて、少しだけ勢いがついてしまったさとり様の躰が、ぽふっと撥ねる柔らかなベッドに包まれるように受け止められた。
 横たわったさとり様が、見上げるように空の瞳を見つめてくる。降ろす際にそうなってしまったのだろうか、ベッド上で乱れてしまったさとり様の着衣や髪といったものが、妙に艶めかしくて胸の裡で一段と鼓動が早くなったのが空自身にとっても意識されていた。

 

「なんだかこんな格好で空に見下ろされるのは、少しだけ恥ずかしいですね」
「不思議と、私の方も結構恥ずかしかったりします……」
「……そうなのですか。では、お相子ですね」

 

 頬を赤らめながら、さとり様が小さく零して下さる言葉が、空の心を少しだけ温かくしてくれる。私達がこれからしようとしている行為を思えば、本当はこの程度のことで弱音を吐いていてはいけないのだろうけれど。
 それでも、二人で一緒に感じる想いということであれば許されるような気がして。愛情も然る事乍ら、比較して負けないほどの使命感に似た想いにも駆られている空にとっては、主であるさとり様が先に弱音を吐いて下さることは(私も弱音を吐いていいのだ)と意識させてくれる有難い言葉でもあった。

 

「空、お願いします。……私の服を、脱がして頂けますか」
「……は、はい」

 

 何かを覚悟するように、さとり様は瞼を静かに閉じられた。
 小さなお躰を包む、少しだけぶかぶかのブラウス。前開きのそれを、襟元側からひとつずつ空は丁寧にボタンを外していく。ボタンをひとつ外していくごとに、露わになっていく薄桃の肌着がどうしてもちらちらと視界に入ってきてしまって、目のやり場に困ると共にちょっとだけえっちなそれが空の脳内に様々な想像を掻き立てて止まなかった。

 

「……ふふ、安心しました。ちゃんと私相手でも、えっちなことを考えて下さるのですね」
「え!? ぇ、ぁ、そ、その」
「すみません、目を閉じていても心のほうは見えてしまうものですから。――ですが、ありがとうございます。少なくとも今だけは、私は空だけのものですから。空の好きなようにして頂いて構わないのですよ?」
「そ、そういうわけには……」

 

 いかない、と強く思いながらも。けれど空はその先の言葉を濁してしまう。
 だって、空の眼前であまりにも無防備な姿を見せて下さっているさとり様を相手に、いつまで冷静な自分を保っていられるかは空自身にさえ判らないことなのだから。
 ブラウスのボタンを全部外してしまうと、さとり様の薄桃のシャツが空の目の前に完全に露わになった。ぶかぶかのブラウスとは違っていて、さとり様の躰にぴったりと適合するサイズの薄手のシャツは、透けたりこそしないものの包み秘めた躰のラインをはっきりと浮かび上がらせていて。背丈こそ空とそれほど変わらない筈であるのに、空よりもずっとずっと細すぎるさとり様の躰は、魅力云々以前に見ている空を心配にさせて止まなかった。
 女性として、痩身は魅力のひとつであるのだろうけれど。さとり様のお躰は、シャツの上から察するだけでも怖いぐらいに痩せ細っていて。食が細いのは知っていたし、病弱気味でいらっしゃるのも知っていたけれど……まさか、これほどだなんて思っていなかったものだから。寝食を共にする立場にありながら、さとり様のか弱さに気づくことが出来ずにいた己を空は恥じないでは居られなかった。

 

「……空のせいではありませんよ。私が、自分を大事にしていないだけなのですから」
「そんな……そんな、悲しいこと言わないで下さい。もっと、ご自分を大事にして下さい」

 

 自分が大事でない、なんて。
 今すぐにでも泣いてしまいそうな程、その言葉は辛く空の胸を突いた。

 

「――私は自分があまり好きではないので、大事にしようと思うことができないのです」
「わ、私はさとり様のことが好きです! さとり様が自分を嫌いなのだとしても、私がその分までさとり様のことを好きで居ますからっ! だ、だから……そんな悲しいこと、言わないで下さい……」
「空……」

 

 さとり様の手のひらが、再度空の頬に触れる。
 こうして頬に触れられるのは、空にとってとても好きなことだったけれど。温かな感触が、今だけはどこか淋しく空の胸には堪えて止まない。こんなに……こんなにも、さとり様のことが好きなのに。伝わらなくてもいい想いはどんなにも伝わるというのに――こんな単純な感情がどうして伝わらないのだろう、どうして判って頂けないのだろう。

 

「すみません、空。……判りました、今後は自分のことを大事にするように留意しますから」
「あ、ありがとうございます!」
「……お礼を言うのは、空ではなく私のほうだと思います。自分自身では好きになれない私ですが……空が好きだと言ってくれるおかげで、少しだけ好きになれるような気がしますから」

 

 小さく細い瞳から真っ直ぐに見つめられて、空は急に頬や顔が熱くなってきたのを感じてしまう。心の中では何度も唱えていたことだし、その都度さとり様に伝わっていたのだろうから今更なのかもしれないけれど……空の方から言葉に出して『好き』だと訴えたのは、これが初めてのことかもしれなくて。殆ど直情的に吐き出していた自分の言葉に、今更ながら少しだけ恥ずかしくなってしまったのだ。
 そんな空の動揺を見て、さとり様は可笑しそうに小さくくすくすと笑ってみせて。笑われるのもやっぱり恥ずかしいことではあるのだけれど。それでもさとり様が笑って下さるというだけで、空自身も嬉しい気持ちにさせられてしまうから不思議だった。

 

「そうそう、ひとつだけ訂正しておきますが。……空の想いは、ちゃんと私にも伝わっていますからね」
「で、でしたらどうして、もっとご自分を大事にして下さらないのですかっ……。私がさとり様のことを好きなのは、昨日今日のことではないのに」
「……すみません。私が、結局自分を好きになれていなかったということなのでしょうね。空が私を好きだと心で伝えてきてくれればくれる程、何だか却って申し訳ない気持ちになっていたりもしたのです。嫌悪されるべき私を、空が好きだと言ってくれるのは……なんだか、あなたのことを騙しているみたいな気がして」
「騙す、だなんて……」

 

 有り得ないことだ、と思えた。空は空なりに、普段からさとり様の傍で有りの儘の姿を見つめ続けているのだから。生活を共にする相手を騙すだなんてこと、簡単にできることではないのは明白な事なのだし。……そもそも、さとり様が親しい相手に嘘を吐けるようなお人でないことは、空だって十二分に承知していることなのだから。

 

「私はちゃんと、本当のさとり様を存じ上げておりますから。……騙されたりなんて、しません」
「そうですか。……そう、ですね。いつも誰より私の傍に居てくれるのは、空なのですから」
「はい。さとり様のことでしたら、誰よりも詳しい自信がありますし」
「ふふっ、確かに空は誰よりも私のことをよく知っていて下さるような気がします。……もしかしたら私自身以上にさえ、私のことを理解していて下さるのかもしれませんね」
「そ、そうですよ! ――さとり様がどんなに優しい人であるか、私がちゃんと知っていますから。だから……どうか、ご自分のことを疑ったり貶めたりなさらないで下さい」
「……はい、そうですね」

 

 くすりと、小さくさとり様が微笑む。
 その微笑みは、今までに見る機会があったどんな微笑みよりも柔らかく、幸せな笑顔に満ちていて。――さとり様がこんな風に笑って下さることの、ほんの少しでもお役に立てたのかなと思うと。笑顔を見つめる空のほうこそが、それ以上に途方もない幸福感ばかりに満たされる思いだった。

 

「私はこれまで、自分を大事にできませんでした。自分を信じることさえ、できてはいませんでした」
「……でも、これからは違うんですよね?」
「はい。空が、私のことを全部護ってくれていましたから」

 

 小さく、けれど力強くさとり様は頷いて答えて下さる。
 ご自身の胸元に宛がう手のひら。覆われたその裡に、秘められたさとり様の心があるのだろうか。

 

「私が大事にできない私自身を、空がずっと護って大事にして下さいました。私が信じることのできない自分自身を、代わりに空が誰よりも信じていて下さいました。……誇張でもなんでもなく、さとりである私が今でも自棄にならずにこうして自分を許して生きていられるのは。全部あなたの、お陰なのかもしれませんね」
「……そのようなことは。ですが、少しでもさとり様のお役に立てているのなら、私も嬉しいです」
「立っていますよ。空がここに居てくれなかったら、私は今どうしていたでしょうね……」

 

 さとり様の索漠とした瞳が、虚空を捉える。
 そこに私が居ない世界が馳せられているのかと思うと、わけもなく空の心は淋しくなった。

 

「そんな想像、しないで下さい。……私はどこにも行きませんし、行く宛もありません。ずっとさとり様の傍で、さとり様の為に生きたいと思っておりますから」
「でしたら。私にも、空の為に生きることを許しては下さいませんか」
「――え?」

 

 淋しさに、心が揺れていたからだろうか。その時の空は、決して俊敏とはいえないさとり様の行為にも、まるで反応できなくなってしまっていて。静かに寄せられるお顔に、まるで気づくことも出来ないまま。ごく容易く、唇を奪われてしまっていた。
 僅かに一瞬だけの触れ合い。それだけでも、柔らかすぎる感触と小さな熱が空の唇に宿るように残されていく。愛おしい熱と感触は、空の中に欲望めいた何かを呼び起こさせてしまって、すぐに離れてしまったさとり様の唇が――酷く、惜しいもののように感じられていた。

 

「さ、さとり様……」

 

 ざわっと、躰の中で急速に何かの感情が鬩ぎ立つ。
 その答えがキスに呼び起こされた歓喜なのだと、感情が躰中に満ちて初めて空にも理解できた。

 

「……お嫌ではありませんでしたか?」
「い、嫌だなんて! で、ですが……不意打ちなんて、狡いですよ……」
「ふふっ、そうですね。ごめんなさい」

 

 空の言葉に、さとり様は簡単にぺこりと頭を下げて謝ってしまうけれど。上体を起こした後には、その口元にちょこんと舌を突き出していらっしゃって。
 そうしたさとり様の姿にはもちろん誠意も何もあったものではないけれど。あまりに可愛らしいその様子を見せられては、何もかも許してしまえそうな。そんな気持ちばかりが空の胸中には溢れていた。
 普段は粛々としていて、あまりこういうはしゃいだ様子を見せてくれないさとり様が、今だけはまるで体躯に見合う年齢相応の無邪気さで接してくれているように思えて。空は何だか嬉しい気持ちで一杯になる。きっと他のどのペットも、お燐でさえ知らない可愛らしいお姿を、いま自分の前でだけ見せて下さっているのかと思うと。

 

「恋というのは、好きな人を自分のものにしたいという欲望なのだと思っておりましたが。……違うのですね」
「……そう、なのでしょうか。私にはまだ、よく判らないみたいで」
「はい、少なくとも私にとっては違うものみたいですね。私には……空を自分のものにしたいというよりも、私が空のものになりたいという欲求が強いみたいで。……ずっと空の傍に居ることを許して貰えて、空の為に生きたいと。今は、その想いだけが何よりも強く、私の胸の裡に犇めいているかのようです」
「そ、そのような! ……お、恐れ多い、です」
「どうしてですか?」

 

 不思議そうに見つめる瞳が、空を捉える。
 純粋な疑問を湛えた瞳に見つめられると、なんだか不思議と居心地の悪い感覚に満たされて。気づけば空の方から、さとり様と結ばれた視線を逸らしてしまっていた。

 

「と、当然じゃないですか。私は、さとり様のペットなわけですし……」
「かつての声も力も持たなかった頃の空であれば、確かに私でも主足り得たのかもしれませんが。ですが、いまの空には言葉も相応の力もあるではありませんか。いまのあなたは地霊殿に縛られることなく、どこででも自由に生きることができる筈です。自活できる以上、それはもうペットでなど有り得ないのですよ、空」
「そ、そんな……! で、でも私は、ここに居たいです!」
「はい。私も、ずっと空にはこの場所に居て欲しいと思ってます」
「で、でしたら。どうして、そのような悲しいことを仰るのですか……」

 

 さとり様の言おうとしていることが判らなくて、空は混乱してしまう。
 元々そんなに頭が良い方ではないのだ。難しい話は、進んで避けてしまうぐらいなのに。安直に内容を訴えて下さるものではなく、婉曲に伝えようとする言い回しでは、混乱させられるばかりでなかなか要点を掴むことができない。

 

「ふふ、回りくどい言い方をしてしまって済みません。言いたいことは、一つだけなのです」
「な、何でしょう?」
「簡単ですよ。……いまこの場所に住む空の為に、私がしていることなんて何も存在しないということです。私はこの地霊殿でしか生きることができず、空はどこででも生きることができる。そんな貴方が地霊殿に居て下さるのは、偏にあなたが私を大事にして下さるが為。あなたが好意で私の傍に留まって下さっているだけであり、そこに上下関係などあろう筈もないということです」

 

 それと、とさとり様は続ける。

 

「私は……きっと空が居なければ生きていけません。ですから私は、空にここに留まって欲しいといつも願っている。あなたはそれに応えて、ここに留まって下さっている。――もしも私達の間に主従というものがあるとするなら、あなたに生かされている私の方が従になっていいぐらいなのだと思いますが」
「私が、さとり様の主……!?」

 

 あまりにも魅惑的なその絵を、一瞬だけ想像してしまって。
 けれど、あまりにも違和感のあるその想像図を、空はすぐにぶんぶんと振り払った。

 

「わ、私はさとり様のペットで居たいです。それじゃ、駄目ですか?」
「駄目です。あなたは私の庇護を受ける必要が無いのですから、ペットではありません」
「うう……」
「ですが、私は。――あなたの庇護を受けなければ死んでしまいます。ですから、私が空のペットになることでしたら、おかしくないと思うのですが」
「そ、そのような恐れ多いことは……」
「……ふむ。では、言い方を変えましょう」

 

 こほん、と小さく咳払いをひとつしてから。
 さとり様の――縋るような瞳が、空を真っ直ぐに捉えてきた。

 

「私は、まだあなたが言葉も力も持たなかった頃から長期間ずっと、主とペットという関係を続けてきました。だからといってあなたに恩を売ってきたなどと、押しつけがましいことを言いたいわけではありませんが。――私だって、幾度となく空のペットになりたいと思ってきたのです」
「さ、さとり様……?」
「ですから、空さえ嫌でないのでしたら、そろそろ。……いちど主従を代わって下さっても、良いのではありませんか?」

 

 主従を、代わる。
 今日まで一度として考えたこともないことが、急速に現実感を帯びる。

 

「で、ですが、私はさとり様のお側に……」
「主従が逆になっても、ずっと私達は一緒にいられます。……寧ろ、主人であるあなたが『ずっと傍に居なさい』と言って下されば、それだけでこれまで以上に私はずっとあなたから離れず傍に居ることができますよ?」
「う、うう……。でも私は、主人がどんなことをすればいいのかも判らないですし」
「簡単です。やるべきことなんて、たったひとつぐらい」
「そうなのですか?」
「ええ。……私のことを、呼び捨てに呼んで下さればいいのです」
「――よ、呼び捨て!?」

 

 頬が、とても熱くなる。
 そのお名前を。呼び捨てにしたいと思ったことが、無いと言ったら嘘になる、けれど。

 

「ええ。今までに数度だけ、心の中で私のことを呼び捨てにして下さいましたよね」
「き、気づいていたんですか!?」
「ふふっ、私はさとりですよ? それに、好きな人の心には誰よりも敏感なものなのです」
「わ、わわわ……。す、すみません」
「謝る必要なんて何も無いのです。……空の心の声を聞いた時、私もあなたにそう呼び捨てにされたいと心底から思ったのですから。どうか今日は、その夢を叶えては下さいませんか?」

 

 熱い物が喉元に込み上げてくるような、そんな感覚があった。嚥下しようとする意志とは裏腹に押し返すように溢れるそれは、気持ちごと長い間封じてきた反動からだろうか。
 それでも、目の前でさとり様本人が許して下さっているということ。そして何より、自分自身の意志が勝って、空はもう言葉を抑えていることができなくなってしまった。

 

「さ、さとり……」
「――はい、空様」
「うぇっ!? う、空様だなんて呼ぶのはやめて下さいっ! さ、さすがに抵抗が!」
「それは残念です。……仕方有りません、空が呼び捨てで呼んで下さっただけでも良しとしましょう」

 

 にんまりと勝ち誇った笑みを浮かべるさとり様に、もう空は何も言えなくなってしまう。
 いいように誘導されて、気づけば呼び捨てで名前を言わされてしまっていて。完全にさとり様の思い通りにことを運ばされたような感覚があるのに。……不思議と、それも嫌な感覚ではなくて。
 ううん、もう(嫌ではない)と意識することさえ嘘になってしまうぐらい。明らかにそれも、空にとって(嬉しい)と思えてしまうことに他ならなかった。

 

「好きですよ、さとり」
「――はわっ!? き、急にどうしたのです、空」
「あは、言いたくなったもので、ちょっと主人っぽく言ってみただけです」
「び、びっくりさせないでください……」
「でも、私のその気持ちが嘘じゃないってご存じですよね? それに……好きだから、我慢もできなくなってしまいます」

 

 すっかり話し込んでしまっていたけれど。思い出したように空は、再度さとり様の衣服に指先を触れさせていく。
 その感触にか、ぴくっと一瞬だけ緊張を走らせたさとり様の躰は。けれどすぐに、空に総てを許してくれるかのように、緊張を解いて指先を受け入れてくれた。

 

「――脱がしてしまいますよ、さとり」
「はい。……空、あなたの好きなように」

 

 薄桃のシャツに指先をかける。
 薄い薄い生地のそれは、少しだけ汗を纏わせた重さを持っていて。さとり様も緊張しながら誘ってくれていたのだと判ってしまうだけに、嬉しさはより明瞭に空の心に溢れてくるかのようだった。

 

「……寒くは、ありませんか」

 

 さとり様の方から一度上体を起こして下さったから、シャツを脱がせるのは簡単なことだった。汗ばんだシャツが少しだけ肌に張り付いたりもしたけれど、丁寧に脱がせる空の指先にはそれも些細な問題にしかならなくて。
 ただ汗をかいていらっしゃるからには、脱がせたことで躰が冷えてしまわないだろうかと、それだけが空には心配で。覗き込んだ空に、けれどさとり様はふるふると左右に首を振って否定なさった。

 

「寒くはありません。……熱いぐらいですね」
「……熱い、ですか」
「はい。なんだか心の深い場所がぽかぽかして、ちっとも寒くならないんです」

 

 そう告げたあと、上手く伝えられませんね、とさとり様は苦笑気味にはにかんで見せるけれど。
 言葉では確かに上手く伝えられていないかもしれなくても、空には正しく理解できるような気がした。

 

「私も同じ感覚です……。なので、さとり様のお気持ちは判るような気がします」
「……そうですか。そういうものなのかもしれませんね。ですが空、ひとつだけ」
「はい?」
「また私の名前を呼ぶのが、『様』付けに戻っていますよ?」

 

 確かに、無意識のうちに『さとり様』と呼んでしまっている自分に、指摘されて空ははっと気づく。……だけど、やっぱり急に呼び方を変えるだなんていうのは難しいことなのだ。なにしろ、まだ力を持たないただの地獄烏に過ぎなかった頃から、ずっとずっとそうお呼びしてきたのだから。
(そういえば……)
 ふと、空は思う。空が考えていることは、そのまま『心の声』になってさとり様に届いているはずで、そうすると心の中でも空はさとり様のことを『さとり』と、呼び捨てにお呼びしなければならないのだろうか。

 

「……ふふっ、そうですね。できれば心でも呼び捨てにして頂けると嬉しいです」
「難しいですよ、それは……」
「はい、難しいと思います。ですが私達には、これからも長い時間があるのですから」

 

 さとり様は、それ以上を言葉にはなさらなかったけれど。
〈だから、空も頑張って慣れて下さいね?〉
 そう続けて伝えて下さるさとり様の心の声が、空にも聞こえるような気がした。
 シャツを失ったことで、上半身が完全に露わになったさとり様の躰。その総てを見たいという空の気持ちが通じてしまったのだろうか、緊張に躰を震わせながらも、おそるおそるといった調子でさとり様は胸元を覆い隠していた両腕を下ろして下さった。
 まず目に入ったのは、殆ど膨らみらしいものがない乳房。それは空自身も同じことだし、空よりも小柄なさとり様の体躯からすれば想像できていたことなので、驚く程でもなかったのだけれど。……やっぱり目に飛び込んできて辛いのは、そのあまりの痩せ細ったお躰そのものだろうか。
 幾度か湯浴みを共にして何度か目にしてはいたのだけれど。やっぱりこんな至近距離で、まじまじと見つめることが許されながら見確かめてみるとさとり様のお躰の様子が明白に判ってしまう。乱暴に扱えば、間違いなく壊れてしまいそうな華奢すぎるさとり様のお躰は、どうしても空に小さくない躊躇を抱かせてしまう。

 

「大丈夫です。これでも長い間生きてきた妖怪なのですから、見た目ほど脆弱というわけでもないのですよ」
「……今後はご自分を大事にして下さるという約束、ちゃんと守って下さいね?」
「はい。空がそれを望んでくれるのでしたら、空の為に頑張ろうと思っていますから。……空も、私がちゃんと頑張れるように、傍で監督して下さいね?」
「承知しております。……嫌だって仰っても、離れてなんてあげませんから」

 

 左手を伸ばしてお腹の辺りにそっと触れてみると、さとり様の肌は実際かなりの熱を帯びていらっしゃって。先程ぽかぽかして熱いと仰っていたのが、真実のものであることが空にも伝わってくる。右手で自分の躰のほうにも触れてみると、服越しであっても自分の躰もまた同じぐらいに熱を持っていることが判って。二人一緒なのだと思うと、嬉しさはさらに強まって感じられた。
 熱めく躰は指先を触れさせるだけでも熱く、手のひらをそっと宛がえば裡に秘めた熱の奔流がそのまま流れ込んでくるかのようでさえあった。さとり様のお腹に、乳房に。より深い熱の在処を求めるかのように空の手のひらはさとり様の躰を這い、求めていく。腕を介して伝わってくるさとり様の熱が、空自身が持つ熱に相俟って融け合い、ひとつのものになる。それは空自身が持つどんな力よりも膨大な熱を湛え、胸の裡で今にも破裂しそうな程に犇めいて存在を主張していた。
(熔かされてしまいそうだ……)
 そう思う。熱さには慣れているはずなのに、さとり様の肌が浮かべる熱気には抗えなくて、そこに手を触れさせているだけで今にもどうにかなってしまいそうな程に心が乱されていくのを、ただぼんやりと空は感じ取っていた。上半身だけを脱がしてしまっただけでこうなのだから、さとり様に残された総てをも脱がしてしまえばどうなるのだろうか。
 さとり様のスカートに手を掛けて、指先で探し当てたホックをそのまま外してしまう。急に緩くなったスカートはベッドの上であっても容易く脱がすことができそうで――そうした状況になってしまって初めて、下半身も脱がしてしまおうとする前に、脱がしても良いものかさとり様に許可を求めるべきであったことに空は気づかされた。
 もう殆ど膝までスカートを脱がしてしまっているからには、今更改めてそのことを空のほうから訊ねることはもうできなくて。……けれど、さとり様のほうから何かしらの言葉が吐き出されることもなく、どうしてよいものか空は困惑してしまう。いっそ咎めて下さったら素直に謝れるのに――そのようにも思うのに、けれど空のそうした心の声が聞こえている筈であるにも関わらず、さとり様は何一つ空の行為を咎めては下さらなかった。

 

「……私は空のペットですから」
「へっ?」
「だから、あなたの好きにしていいんですよ」

 

 咎める代わりに、告げて下さった言葉。
 それは許す言葉であると言うよりも、さとり様の望みを何よりも直接に伝えてきてくれる言葉のように、空には聞こえていた。

 

「判りました。ですが……本当に嫌なことがあったら、ちゃんと拒んで下さいね」
「……はい」

 

 頷いて下さった、その笑顔を確かめてから。
 半脱ぎのスカートに再度手を掛けて、空はそれを完全に抜き取ってしまう。さとり様に残されているものといったら、もう小さなお尻を包むショーツひとつだけ。先程脱がしてしまったシャツとお揃いの薄桃のショーツは、さとり様にとても似合っていらして。……同時に、得も言われぬ邪な欲望を、空の中に掻き立てるようでもあった。
 空はもう、それを脱がしていいかをさとり様に問うことはしなかった。さとり様は総てを許して下さっていて、空が逐一訊ねることを望まれないだろうから。恥ずかしさを負わせることになることを承知の上で、遠慮知らずに薄桃のショーツにも指先を触れさせる。
 一瞬だけぴくりと震えた躰。けれど、さとり様も覚悟を決めて下さっているのだろう、返ってきた反応はそれだけで、怯える表情ひとつさえ浮かべてはいらっしゃらない。寧ろさとり様の瞳には一種の決意めいた意志さえ見えるようで、そのお気持ちの儘に空は少しずつ最後の薄布を下腹部から抜き取っていった。

 

「はあ、っ……」

 

 声こそ上げない代わりに、熱い溜息がさとり様の喉元から零れ出る。
 溜息ひとつでさえそうなのに。その上、何一つ衣服を身につけておられない裸のさとり様が、いま空の目の前に総てを晒して下さっていることもあって。少しでも気を緩めたなら、酷くくらくらする頭の感覚にすぐに意識を持って行かれてしまいそうにも思えた。

 

「……お綺麗です、さとり様」
「ほ、本心からそんなこと言わないで下さい。は、恥ずかしい……」
「私だって、本心じゃなきゃ……こんな恥ずかしい台詞、言えないですよ」
「う、うう……。嬉しいですが、擽ったくて変な気持ちです……」

 

 さとり様はいかにも居心地の悪そうな声色でそうした気持ちを伝えてくるけれど。……少なくとも、その声の中に不快や嫌悪といった感情は含まれていないように思えるから、空は慎むことを知らない。
 僅かにでもさとり様の言葉に不快が混じるようであれば、辞めるつもりではいるけれど。そうでない限りは、さとり様もきっと嫌だと思っておられるわけではないように思えるから。――さとり様は直接に空の心を読み取ってしまうけれど、空だって長らくお側に居たのだから。さとり様の心を推し量ることだって、少しぐらいはできている筈だから。

 

「お慕いしております、さとり様。……この世界で誰よりも」
「あ、ああっ、空っ……!」

 

 正直な儘に吐き出された言葉ほど、強い力を持つ物はない。
 まして虚実を看破するさとり様に対し、これ以上に意味のある言葉などあろう筈もない。
 ショーツを脱がしたことで露わになった、さとり様のもっとも秘匿すべき場所に、そっと指先を這わせる。最初は存在を確かめるかのように優しく這わせされていた指遣いは、次第に感触を確かめられるだけの堅さを纏い、やがては愛撫を課すだけの執拗ささえ持ち合わせ始めていく。
 これまでにした行為といえば、ただ服を脱がせて差し上げただけである筈なのに。さとり様の躰には、驚くほど空の指先を受け入れるだけの準備が既に整っていた。恥毛のひとつさえ無い膨らみの先、夥しい熱を纏わせた隙間の付近を探ると、愛おしげに空の指先を絡まってくる薄まった水飴のように粘質の何かがある。部屋の照明に翳せば、きらきらと輝いて映えるその魅惑的な液体の正体を、もちろん空も知っている。
 知っていて、さとり様が嫌がるかもしれないとは思いながら……それでも空は自身の好奇心に抗うことができずに、今にも指先から滴り落ちようとする愛液をぺろっと舌先で舐め取ってみる。――もちろん水飴のように甘い味なんてするはずもないけれど、ちゃんとさとり様の躰から滲み出たものだと判る『さとり様の味』がするから不思議だった。

 

「な、舐めたりなんてしないで下さいっ……!」

 

 案の定、すぐさま発されたさとり様の抗議の声に、空は苦笑しながらすぐにぺこっと頭を下げた。

 

「ごめんなさい、興味があったので」
「……そんなのに興味なんて持たないで下さい」
「それは、無理です。……さとり様の愛液に興味を持たないなんて、できるわけないですよ」

 

 もちろん、それも本心そのままの答え。
 偽らない言葉は、当たり前だけれどそれだけで総て本心の言葉になってしまう。
 それが判るからなのか、空の言葉にとても複雑そうな顔を浮かべてみせるさとり様が、あまりにも可愛らしくて。何だかキスしたくなってしまって空がそっと顔を寄せると、けれどさとり様は意外なことに空の顔に手のひらを宛がってそれを制止してみせるのだった。

 

「お願いですから、その。……私のアレを舐めた後に、キスしようとしないで下さい……」
「あ……も、申し訳ありません。配慮が足りませんでした」

 

 眉を顰めて、先程以上に複雑そうな顔をしながらそう告げるさとり様の言葉は、あまりにも当然のもので。これには、さすがに空も自分の行為を猛省するばかりだった。

 

「……誤解しないで下さいね。空とキスをしたくないわけではないのですが」
「わ、判っております。……すみません、今のは私が軽率でした」

 

 自分の愛液を口にしたくないと思うのは自然なことだし、空だって同じ状況になれば嫌だと思うだろう。性愛の最中で感じ続けている熱に浮かされて、少し思慮が鈍っていたのかもしれないと空は自分を恥じる。さとり様が何でも許して下さるからといって、すぐ調子に乗ってしまうのは自分の悪い癖かもしれない。

 

「何だか……私だけ恥ずかしい格好をしているのは、変ではありませんか?」
「へっ?」
「服です、服。私ばっかり裸なのは狡いです。空も同じ格好になって下さい」
「わ、私もですか……」

 

 突然の要求に、空は一瞬だけたじろぐ。
 それでも、さとり様がそう思われるのは当然のことだし。……さとり様がそれを望んで下さるのであれば、空には断る理由もない。頷いて応えたあと、すぐに空は自分からいそいそと服を脱ぎ始める。
 緊張が僅かに指を震えさせていたけれど、着慣れた衣服を脱ぐ程度であれば問題にもならない。上着とスカートをベッドの脇に脱ぎ落として下着姿になり、シャツの裾に手を掛けたところで、不意にさとり様の手のひらが空の手の甲に触れて制止してきた。

 

「下着を脱がせるのは、私がしてもいいですか?」
「そ、それは……もちろん構いませんが」
「ありがとうございます」

 

 身につけている白いシャツに、そして時折空の素肌にもさとり様の細長い指先が触れてくる。
 ――当たり前だけれど、腰やお腹の辺りを触られるなんて初めてのことで。擽ったさと伴う、自分の意志に拠らない些細な刺激に空は身動ぐ。さとり様も先程その感覚を空に脱がされたことで、身をもって知っていらっしゃるのだろう。空の反応をみて、小さくくすりと微笑んでみせた。

 

「ばんざい、してください」
「……はい」

 

 言われるままに両腕を上げると、続いてするするとシャツが抜き取られていく。躰が昂ぶってからというもの、随分と前からずっと暑いと感じていたし、その意識は上着を脱いでも変わらなかったのに。最後に下着の薄いシャツ一枚を脱がされて裸にされてしまうと、一変したように薄ら寒く感じられてくるから不思議だった。

 

「ひゃうっ!?」

 

 そんなことを考えていた矢先、不意に胸に変な感触を感じて空は悲鳴を上げてしまう。
 乳首に襲いかかった、湿り気を帯びた妙な感触。空の乳房のすぐ傍にまでさとり様のお顔が近づいていて、舐められたのだとすぐに空も理解した。

 

「び、びっくりさせないで下さい……」
「すみません、舐めてみたくなったもので。……少しだけしょっぱい味がするのは、汗の味でしょうか?」
「……し、知りませんっ」

 

 胸元を舐められて、その感想まで口にされたことで恥ずかしさがかぁっと空の中に込み上げてくる。
 上半身裸の空の躰に、擦り寄るようにさとり様の躰が近づけられてきて。ほとんど膨らみらしいものもないけれど、二人分の胸と胸とが直接に触れ合う。手意外の場所でこんなふうに密接にさとり様と触れ合うのは初めてのことで、互いの鼓動さえはっきりと聞こえる程の近すぎる触れ合いが、やっぱりどんなにも恥ずかしくて……そして嬉しかった。

 

「わ、わわっ」

 

 さらには、覆い被さるようにさとり様の躰がのし掛かってきて、空はベッドに押し倒されてしまう。
 つい先程まではさとり様のことを空が愛そうとしていた筈なのに、なんだか急に立場が入れ替わってしまったみたいだ。さとり様に一方的に攻めたてられて、空はたじろぐことしかできない。
 でも、こういうのもやっぱり悪い気はしない。さとり様は自分がペットになりたいと仰って下さるし、相手を自分だけのものにしたいという思いももちろんあるから、それはそれでとても幸せなことではあるのだけれど。……途方もなく愛せずにはいられない相手であるからこそ、独占欲以上に強く心に犇めく想いもあって。自分が相手だけのものになりたいと、愛する人の為だけの存在でありたいと希う心もまたあるからだ。

 

「――やっぱり、何度聞かせて頂いても嬉しいものです」
「何がでしょう……?」
「あなたの気持ちが、ですよ。空が私に対して抱いて下さる想いはとても大きなもので、それはそのまま誰より大きな声になって私の心へ届いてくるのです。――どんなにも真っ直ぐで、信じずにはいられなくなる想い。あなたのその想いが届く度に、私は何度でも幸せな気持ちにさせられてしまうのです」

 

 心が読まれていることを知っていても、改めて説明されると少しだけ恥ずかしくも思うけれど。
 それでもさとり様のことを誰よりも愛している自信があった私を、さとり様自らが肯定して下さったこと自体は、やっぱり嬉しいことでしかない。
 本当に……いつだって、さとり様のことだけを考えている。あなたの為だけに生きたいといつだって考えている私が居て、他ならぬ私自身がそうした自分を好きで好きで仕方が無いのだ。

 

「その気持ちも、少しだけ判るような気がします」
「さとり様……?」
「先に申し上げたとおり、私は自分があまり好きではありませんが。ですが……空のことを馬鹿みたいに愛してしまっている自分のことだけは、私自身あまり嫌いではないみたいなのです」

 

 空のおへそより下の辺りに、さとり様の少しだけ冷たい指先が触れる。
 いつの間に脱がされてしまったのだろう。秘所に近い部分にまでさとり様の指先が及んできて初めて、頼るべき最後の下着さえ自分が身につけていないことに空は気づかされていた。
 緊張にか、恥ずかしさにか。頭が真っ白になって、何も考えることができなくなってしまう。怖い気持ちと躊躇いの気持ちが少しだけあって、けれどそれらを包み込んでしまう程、嬉しさや期待に犇めく心がある。どうにかなってしまいそうな自分、どうにかされてしまいたいとさえ思ってしまっている自分。不安に心こそ揺れては居ても、きっと総てが幸せにばかり繋がっていきそうな気がする。
 ――だなんて思うのは、さすがに楽観的すぎるのだろうか。

 

「はっ……」

 

 不意に触れられた感触。空の閉じている両脚の付け根へ、押し入るように及んできたさとり様の指先に、一瞬びくっと空は躰を硬くさせる。
 けれど先程さとり様の大事な場所へ空も触れたのだから、さとり様が望まれるのであればそれを空だけが拒むのは不平等というものだ。躰を硬くさせた緊張はまだ空の中から抜け落ちてはくれないけれど、精一杯の努力で両脚を開いて受け入れる心を伝えようとする。

 

「ふぅ、ん……! ぅ、はぁ、っ……!」

 

 態度から空の意を察して下さったのか、それとも空の心を直接に読み取られたのか。然程の間も置かず空の脚の付け根に及んでくるさとり様の指先があって、空はただその擽ったさに必死に耐える。直接の刺激なんてまだ殆ど投与されていない筈なのに、既に出来上がったように敏感になり過ぎているそこは、些細な愛撫であっても激しい感覚を生み出して空の脳髄をぐらぐらと揺らしてくる。
 擽ったさはあるけれど、それ以上に……やっぱり気持ちよくて。陰唇を撫でる程度の愛撫であっても夥しい快楽が生み出されては溢れて、ともすればそれだけでも達してしまいそうなぐらいだ。

 

「空も、濡れているのですね」
「……そう、みたいですね」

 

 さとり様に触れられて初めて、小さくない滑り気を帯びた指先の感覚で夥しい程に自分の秘所が濡れそぼっていることが判る。多少の不快感はあったから、もしかしたらとは思っていたけれど。――やっぱり、愛する人と特別な時間を過ごすということは、それだけでも性感を著しく刺激するものであるのだろうか。
 空の目の前に差し出されてくる、さとり様の指先。今にも滴りそうなほどに湛えられた自分の愛液は見るに耐えなくて、すぐにでも目を背けたい衝動にも駆られるけれど。……それでも空は目をそらすことができなかった。だって空の愛液を纏わせた指先が、あろうことかさとり様の口元のすぐ傍にまで寄せられているからだ。

 

「お、お止めください、さとり様!」
「ふふっ、駄目です、止めません。……だって、空だけなんて狡いじゃないですか」

 

 そう答えると、空の静止も聞かずにさとり様は躊躇なく指先をご自分の口腔へと含んでしまう。
 秘所から滲み出た愛液。それは空には到底綺麗なものには思えず、自分から生み出された汚いものがさとり様を穢してしまったようで、空は言い得ぬ辛い心苦しさのようなものを感じずにはいられなかった。
 唯一の救いといえば、指先を含み味わうさとり様の表情に不快の色ひとつ浮かばなかったことだろうか。あらぬ方向を見定めながら、さとり様は静かに不思議そうな顔をその表情に湛えてみせる。

 

「……なんだか、掴み所のない謎な味がしますね」
「うう、汚いですから。その辺に、『ぺっ』して吐き出しちゃってください」
「嫌です。……味はよく判らないのですが、これを舐めていると不思議と強い空の存在を感じる気がするのです。惜しくて、吐き出すなんてできません」

 

 もごもごと、指先を加えたまま蠢くさとり様の口元。
 その中で、自分の愛液が味わわれているのかと思うと、恥ずかしいような居た堪れないような、何とも言えない居心地の悪さのようなものを空は感じてしまう。

 

「不思議、ですよね。空のものであれば私は本当に嫌な気持ちひとつ抱かず、喜んで口に含むこともできるのですが。なのに……自分のだけは、どうしても嫌な気がしてならないのです」
「……さとり様も、そう思われるのですか」
「はい、私も空と同じです。あなたが私のを舐めて下さっている間はずっと、申し訳ない気持ちばかりで一杯だったのですよ」

 

 確かに自分のを舐めるなんて、想像をするだけでも嫌なこと。
 けれど、さとり様の愛液を舐めるのはちっとも嫌でなんかなかった。指先に絡まるそれを舐めているだけでも、深くさとり様の何かを感じることができるような気がして嬉しい気持ちを感じていた程で。……もしも叶うなら、指に掬い取るのではなく直接に舐めてしまいたいぐらいだ。

 

「ちょ、直接は、さすがに汚いと思います……」
「ふぁっ!? ……す、すみません、変なことを考えてしまって」
「い、いえ。私が勝手に心を読んでしまっているだけですし……」

 

 疚しすぎる考え。さとり様に直接伝わり知られれてしまったことで、空は自己嫌悪のようなものを強く感じずにはいられない。
 好きになることを許されれば許されるほど、心は贅沢で貪欲になっていくばかりだ。初めはさとり様のお側にずっと居たいと、それだけを願っていたはずなのに。……今は、どんなにもさとり様のことを強く感じたいと、そればかりを心が深く深く求めたがって収まってはくれないのだ。

 

「……本当に。その通りだと思います」
「え?」
「心が貪欲になる、ということですよ。私も空と一緒にこの先も生きていければいいと、それだけを願っていたはずなのに……気づけばこんなにも簡単に、心は贅沢にあなたを求めずにはいられなくなる。――すみません、正直に申し上げてしまいますが。私も……直接に舐めてみたいと、そう思ってしまっているのです」

 

 さとり様のその言葉に嬉しさこそ覚えつつも、けれど空は心強いに拒否反応を抱かずにはいられなかった。さとり様の秘所を舐めたいという想いは空にあるけれど、逆にさとり様から舐められるだなんていうのは……想像するだけでも、あまりにも心苦しくて仕方が無いことなのだ。自身の汚い場所にさとり様の舌や唇が触れる――嫌悪よりもなお強い感情が、心の裡で荒れ狂うように心を締め付ける。

 

「汚くなどありません。空の躰に汚いところなど、ありはしないのですから」
「そ、それは詭弁ですよ……」
「でしたら。先程から空が同じことを私に対して思って下さっているのも、やはり詭弁なのですか?」
「……そ、それは」

 

 指摘されて空は怯む。――詭弁などではない。僅かにさえ、紛った気持ちなどではない。
 さとり様の躰に汚い個所など、存在するはずもないのだから。

 

「詭弁などではありませんが、でも」
「でしたら、試してみませんか。……昔読んだえっちな本に、そういう行為もあったような気がしますし」
「……ですが」

 

 それだけは、許してしまってはいけないと思う心がある。
 さとり様がそう言って下さっているのだから、甘えてしまえばいいと思ってしまう心もある。

 

「空と、そういうことをしてみたいのです。……駄目ですか?」
「………………駄目、ではないです」

 

 心で迷い諍う、そうした心も。結局はさとり様の甘い囁きひとつで、簡単に決着させられてしまう。
 ――空もまた、昔読んだ本で学んだ知識をひとつだけ思い返していた。恋愛って言うのは結局、どうしようもなく相手のことを好きになってしまった人の負けでしかなくて。強請られれば最後、どんなことであっても抗おうという意志さえ抱けなくなるのだと。そんなことを、何かの本で読んだ気がするのだけれど。
(本当に、その通りなのだなあ……)
 そう思う。さとり様に望まれたが最後、空には抵抗さえできないのだから。

 

 

 

     *

 

 

 

 率先してさとり様のほうから下になると言ってきて下さったのだけれど。いかに柔らかなベッドの上でとはいえ華奢すぎるさとり様の躰に負荷を掛けるのは申し訳なくて、なんとかそれだけは拒否を貫いて空のほうから先にベッドに躰を横たえてしまう。
 躊躇いがちに横になった空の顔の上を跨ぐさとり様の表情は、今まで見たことがないぐらいに申し訳なさそうに見えて。先程まであんなに積極的に強請ってみせていたのが、まるで嘘みたいだった。

 

「し、失礼しますね……」

 

 そう告げると、さとり様は静かに空の上に躰を下ろしていって。やがて、一人分の体重としては軽すぎるほどの重みが空の躰全体に掛かってくると、改めて自分が下になることを提案してよかったと空は思わずにはいられなかった。こんなにも軽すぎるさとり様の躰を組み敷いてしまっては、私の重みや力で壊してしまいそうに思えてならないからだ。
 空の目と鼻の先に、僅かにさえ隠れもしないさとり様の秘部がさらけ出されている。もちろん同じように、さとり様のお顔のすぐ前に空の秘部もまた露わになっている筈で。時折さとり様が零す吐息が空の敏感になっているそこに掛かってくると、あまりの恥ずかしさに気がどうにかなってしまいそうだった。
 それでも視界一杯に映るさとり様の秘部が否応なしに空を現実のそれへと引き戻してしまう。滴るほどの蜜を纏わせたさとり様の蕾は、怖いぐらいに魅力的に空には見えて。

 

「ふぁ……!」

 

 おずおずと舌先を伸ばすと、どこか遠い場所から小さくさとり様の喘ぎの声が聞こえてきて。構わずにまだ体温を残しているその温かな蜜を掬って舐め取ると、つい先程感じた無機質な味が総て嘘であったかのように、蕩けるような深い甘さを感じる気がするから不思議だった。

 

「いっぱい、空の匂いがします……」
「……そういうことは、思っても言わないで下さい。……恥ずかしいので」
「ふふっ、先程『なるべく心を隠さないように』と言ったのは、空ではありませんか」

 

 そう言って、さとり様はくすくすと小さく笑い声を零す。交わす言葉や、それと笑い声に伴う些細な吐息さえ、二人が上下に絡み合ったこの格好では空の秘所に届いて鋭敏に感じられてしまうから、なんだか変な気分だった。

 

「……ご不快ではありませんか?」
「はい、嫌では全くありません。好きな人の匂いに包まれていられるというのは、不思議と安心するものなのですね。それに、もうひとつ」
「もうひとつ、ですか?」
「ええ。安心するのともうひとつ……この匂いを感じていると、凄く欲情させられる気がします」
「よ、欲情ですか……」

 

 言われて一瞬、恥ずかしい気持ちになって。けれど、そういうものかもしれないとも思う。
 実際、空もまたさとり様の秘所を目の前にして、その匂いに包まれていると。深い安心感と共に欲情の酩酊らしきものを感じずにはいられないからだ。酷く心が落ち着いて静まるのに、その反面荒々しく猛りそうになる心も同時にあるというのは、なかなか不思議な心地だった。

 

「えっと……しちゃいますね、さとり様」
「……はい。私も、しちゃいますね」

 

 何を、とは言わなくても。こんな格好でやることなんて、ひとつしかない。
 舌全体を使って陰唇の襞をなぞるように舐め取ると、その都度に空の躰の上でさとり様の躰が幾度もぴくりと身動いで応えた。もちろんさとり様もやられるばかりではなく、ちろちろと優しい舌遣いで秘所を責め立てて来て、空もまた繊細な愛撫が与えてくる刺激の前に幾度も躰を揺さぶられずにはいられない。

 

「はっ……ぁ、あ……!」
「ん、ぅ……!」

 

 二人分の嬌声が広くはない部屋の中で交錯する。さとり様の秘所しか見えない今の格好ではさとり様の声はどこか遠くにしか聞こえないけれど、代わりに喘ぎに混じる吐息は直接に空の敏感な所に伝わってきて。だから声が微かにしか届かなくても空の舌による愛撫にさとり様が十分に感じて下さっていることはよく伝わってきたし、さとり様の方にも同様に空がこんなにも感じさせられてしまっている事実が克明に伝わってしまっている筈だった。
 舌を這わせれば這わせるほど、さとり様の陰部はよりとろとろに柔らかくなって、同時に尽きることなく蜜を滴らせてくれて。甘露にも似た甘すぎる蜜、それを求めて止まない飢えにも似た感覚の儘に、夢中になりながら空はさらに舌を這わせていく。

 

「ふぁ! はぁ、ん……ぁぅ……!」

 

 けれど夢裡に誘うのも性愛なら、夢裡から現実へ引き戻すのもまた性愛のそれに他ならなかった。さとり様が与えて下さる繊細な愛撫は慣れてくるに従ってより大胆に、そして勢いを伴ったものになっていって。刺激がより大きなものへ変化するほど、空もまたより顕著に快楽に揺さぶられることになる。

 

「はぁ、ぁあ……ああ! あぅ、んっ……!」

 

 あまりの快楽に何も考えられなくなって、空からは何もできずに殆どさとり様の為すがままになってしまうと。お互いがお互いを責めることで成り立っていた均衡が崩れて、攻撃は完全に一方的なものになってしまう。
 空のほうからも責め返さないといけないと判っているのだけれど、こうも深い快楽の酩酊に揺さぶられていては、首を起こしてさとり様の秘所へ顔を近づけることさえ儘ならなくなってしまう。そうなればもう状況は決してしまったようなもので、空の攻撃から解き放たれたさとり様の愛撫はより強固で鮮烈なものとなって、敏感になりすぎている空の秘所にさらなる追い打ちを掛けていくばかりでしかなかった。

 

「はあああっ……! さ、さとり様ぁっ……!」

 

 怖いぐらいに愛しすぎる名前を呼ぶ。
 苛む指先、執拗な愛撫。絶え間なく与えられ続ける快楽の刺激は少しだけ辛くもあるけれど、その総てを与えて下さっているのが他ならぬさとり様なのだと思えば、空にはそれを幸せに思うことしかできない。
 包皮をゆっくりとずらして、唾液を纏わせた舌先で転がすように陰核を愛撫する。ひたすらに過敏さを増していく空の性器を、一心不乱に苛まれる行為さえ。――少なくとも今は、空の為だけにさとり様が夢中になって下さっているのだと思えばどうして嬉しくない筈があるだろうか。常日頃からさとり様のことだけを考えて止まない虜である空のことを、この瞬間だけは誰よりも強く見つ返して、そして感じていて下さっているのだから。

 

「あ、ああああああああっ!!」

 

 絶頂の瞬間はあまりにも唐突に訪れた。舌先に遊ばれる陰唇や膣口よりもずっと奥、お腹の下辺りにきゅうっと堆積していた何かが、たちまち爆ぜるように霧散させられてしまって。背筋からつま先までがピンとしなやかに張り詰めて、小刻みな躰の震えが止まらなくなる。
(い、いっちゃった……)
 弛緩と共に果てゆく躰。その感覚に浸りながら……敬愛するさとり様に、それも舌だけで達させられてしまっただなんて。たったいま確かに起こったことであるはずなのに、どこか嘘みたいに現実感が沸かなかった。
 けれど違いない現実であるから、空の秘所にはいまもさとり様が舐めて下さった感覚が残っている。……きっとこの先、さとり様との逢瀬を夢を見てしまう際にはいつでも明瞭に思い出してしまえる程。空の記憶に、忘れられないぐらいに深く残るのだろう。

 

「気持ちよかった、ですか?」

 

 空の躰から下りると、急にさとり様がこちらを見つめてきて。
 行為に耽っている間には互いに顔を見ないでいられたのに、急に達したばかりの今になって顔を見られてしまったことで、空の恥ずかしさは急速に高まってくる。さとり様は空の目を真っ直ぐに見つめてくるけれど、空は視線を重ねていることができなくなって、ぷいっと視線を逸らしてしまう。

 

「……気持ちよかったです」

 

 それでも嘘を吐くことはできない。
 だって……本当に。怖いぐらい、気持ちよかったのだから。

 

「ふふっ、それは何よりです。……空」
「はい?」
「あなたが大好きですよ。他の誰よりも、特別に愛しています」

 

 心が読める人というのは、他人の心を掴むことにも長けているのだろうか。長く濃密な性愛の時間を経て、さとり様のことだけを感じ続けた時間を終えた今になって囁かれるそんな甘い言葉は、あまりにも容易く空の心を虜にしてしまうのだった。

 

「……わ、私も。さとり様のことが、誰よりも特別です」
「はい、存じております。心を読むまでもなく、あなたの想いはとても真摯に伝わりますから」

 

 胸元に手を宛がって、感じ入るように目を細めながらそう告げてくれるさとり様の表情からは。本当に、無条件に空のことを信頼して下さっている様子がありありと伝わってきて、空はあまりに嬉しくて泣いてしまいそうでさえある。
 盲目的に愛さずにはいられない相手が、無条件に自分を信頼してくれているということ。それは果たしてどれほどに果報なことであるだろうか。

 

「さとり様」
「はい?」
「え、えっと……私はその、お陰様で最後まで気持ちよくして頂きましたが。さとり様は、その……途中ですよね?」

 

 空がそう訊ねると。さとり様は思い出したように、ゆっくりと頬を紅色に染めながら。
 それでも空の目を見つめて、しっかりと静かに頷いて下さった。

 

「……確かに途中まででしたね。もしかして、続きをして下さるのですか?」
「は、はい。もちろん、さとり様がお嫌でなければ、ですが……」
「嫌でなどある筈がありません。私は空が求めたり与えて下さるのであれば、それを決して嫌だと思うことはありませんから。……でも、そうですね。でしたらひとつ、お願いしても宜しいでしょうか?」
「お願い、ですか?」
「ええ」

 

 こくん、と頷いてさとり様は応えてみせる。
 恥ずかしげに俯くその頬がより色濃い紅に染まっていて。何かえっちなことを期待していらっしゃるであろうことが、何となく空にも伝わってくるような気がした。

 

「先程は空が下になって下さいましたが。今度は、私の方を下にして欲しいのです」
「それは構いませんが。……重いかもしれませんよ?」
「はい、空の重さを感じさせて欲しいのです。……もっと言うなら、あなたの躰で私を組み敷いて。私が抵抗できないようにして、強引に抱いて欲しいのです」
「て、抵抗できないようにして、って……」

 

 身動きを封じて、強引に抱く、だなんて。
 さとり様が口にしたそれは、あまりにも被虐的な要求ではないだろうか。

 

「……被虐的ですか。あまりそう考えては居なかったのですが……なるほど、そうなのかもしれません」
「あ、す、すみません。変なことを考えってしまって……」
「いえ、空がそのように思うのも無理ないことだと思いますし。……確かに、もしかすると私は、あなたにに苛められたいとさえ思っているのかもしれませんね」

 

 あっさりと肯定されたことで、却って混乱させられるのは空のほうだった。
 空にとってさとり様は本当に特別な方で。……苛めるだなんて、想像さえできないことなのに。

 

「……勘違いしないで下さいね。別に被虐嗜好があるというわけではないのです」
「そうなのですか?」
「はい。多分私は『空のものになれた私』というものを強く感じたいのだと思います。……ですから、少しぐらいは乱暴に愛されることで、あなたの意の儘にされたいという思いがあるのでしょう」
「私の……意の儘に、ですか」

 

 その気持ちなら、空にも少しだけ理解できるような気がした。
 ペットとしてお仕えはしていても、さとり様は空を初めとしたペット達に何かを求めたり、強いたりすることは一切なさらないお人だったから。生きる為の場所を与えてくれて、空にとっては生きることに伴う喜びさえも与えて下さったさとり様に対する恩は深い。
 それなのにさとり様は恩を返す機会を与えて下さらないから、尽くしたい想いばかりが募って。ペット扱いで構わないから、もっと思う儘に私のことを使って下さればいいのに――と。そう思った機会なら空にも数え切れないほどにある。それと、同じようなことなのだろうか。

 

「……それは、少しだけ違うかもしれませんね」

 

 すると、空の心を読んださとりさまが静かに首を左右に振って否定する。

 

「あなたは恩義から私に尽くそうとして下さったのかもしれませんが。私は……空のことが好きだから。この世界で誰よりも空のことが好きだから、あなたの所有物になりたいという想いが強いのです。空が傍にいて欲しいと思って下さる時には、いつでも私のことを捕まえて離さないでいて欲しいと思いますし。……あなたが、えっちなことを私にしたいと思う時には、いつでも好きに押し倒して欲しいと思うのです」
「そ、そんな乱暴なこと、できませんよ……」
「……優しいあなたに、それができないことは承知しています。ですが私はそれでも、あなたに私の身体や心を好きにして欲しいという望みを抱かずにはいられないのです。この気持ちを『被虐』と呼ぶのなら、そうなのかもしれません。――私は、誰よりも空の特別である為に、あなたの唯一のペットになりたいという想いを捨てることができないのです」

 

 さとり様が口にしたそれは、少し捩れた想いなのかもしれないとも空には思えた。
 けれど、その想いを訴えて下さるさとり様の表情や語調はこの上なく真摯なもので。
 だから空も――求めて下さる想いに応えたいという気持ちが、心の裡でだんだんと強くなっていくのを意識せずにはいられない。空だってさとり様のことを、この世界の誰よりも愛しているのだから。愛する人が望んで下さることを叶えたいという願いを、空もまた抱かない筈がないのだ。

 

「承知しました。ですが、もし途中で嫌になったり辛くなるようでしたら、いつでもそう言って下さいね?」
「ええ、お約束します。――あなたは本当に優しい人ですね、空」
「そ、そんなこと言わないで下さい! ……そんなこと言われたら、私も乱暴にしにくいですから」
「ふふっ、それは困りますね。では私は、これから優しくないあなたを期待することに致します」
「……ご期待に添えるか、わかりませんが」

 

 自分の心を平静に保つ為に、ひと呼吸置いてから。
 おもむろに空は、覆い被さるようにしながらさとり様の躰を自分の躰ごと押し倒してしまう。さとり様も空の行動を予期していたのだろう、抵抗らしい抵抗もせずに簡単にベッドの上に押し倒されてしまうと、そのまま空によって組み敷かれるような格好になってしまう。
 目の前に、押し倒されたさとり様のお顔がある。僅かな不安さえも浮かべず、期待にばかり満ちた瞳は無条件に空のことを信頼して下さっている証に他ならない。空が愛して止まず、そして空を誰より愛して下さるこのお方を、今から好きにしていいのだと思うと、動悸がまるで張り裂けそうなぐらいにまで押し止められなくなっていくみたいだった。

 

「……んっ……」

 

 唇を塞ぐ。もちろんキスの許可を求めたりなんてしない。
 さとり様の躰も、唇も。今だけは乱暴に猛る心の儘に、求めることが許されているから。

 

「とても熱い、のですね。……空の唇は」
「……さとり様の唇も、十分熱かった気がしますが」

 

 やがて唇が離れ合ってから、互いにそんなことを言い合ってみる。
 結局は二人共がそれぞれに熱を抱えていたのだろう。触れ合わせた先、唇と唇とが繋がり合うその空間に生まれた膨大な熱量も、二人分の熱が相俟った結果なのだと思えば得心がいくように思えるからだ。
 もう一度、空のほうから顔を寄せる。ベッドに組み敷かれているさとり様には逃げ場もなく、為すがままに空の唇を受け入れてくれた。空が閉じるよりも先にさとり様の方から瞼を閉じてくれたから、心を読めない空にだってそのお気持ちは簡単に察することが出来て。同じ気持ちでいて下さることの嬉しさが、改めてじんと胸に沁みた。

 

「……空は、キスが好きなのですね」

 

 先程よりも少しだけ長めのキスを終えて。呼吸を整えながら、さとり様はそんな風に言ってみせる。

 

「大好きです。だって、さとり様とですから」
「そ、そういうことを面と向かって言わないで下さい。……言われる私の方が、照れてしまいます」
「……すみません。私にはどのみち、嘘も隠し事もできないもので」

 

 言葉にしなくても。結局は、想いが伝わる。
 強い想いはそれだけ大きな心の声となって聞こえるのだと、いつかの日にさとり様が教えて下さったけれど。だとしたらいま空が上げている心の声も、随分と大きな声になってしまっているだろうから。さとり様にそれが、伝わらない筈ない。

 

「……そうですね。とても大きくて、力強くて。も心を揺さぶられる真っ直ぐな声が、ちゃんとこちらにも届いていますよ」

 

 ご自身の胸元を指さしながら、さとり様が嬉しそうにそう囁いて下さる。
 もちろんその言葉に、それ以上に嬉しい気持ちにさせられるのは空のほうなのだけれど。

 

「ふぁ……」

 

 腕を伸ばして乳房に触れると、さとり様の喉から小さな声が零れた。
 殆ど膨らみと呼べるものがない乳房。とはいえ痩せ細るばかりで骨張ったさとり様の躰の中で、乳房だけは触れる空の手のひらに柔らかく応えてくれて、見た目には未成熟でもちゃんと女性らしさをそこには感じることができた。
 両手で撫ぜるように優しく求めれば、柔らかく温かく返ってくる感触があって。繋がった手のひらから深いさとり様の存在を意識すると、感動は空の心の中でぶつかってより大きな愛しさに生まれ変わっていく。小さくて華奢な躰、か細くて甘い声。さとり様の総てをこの身に代えてでも守りたいと思うのは、単純にそれが空自身にとって何にも代え難い大事なものであるからだ。

 

「……ぁ、ぁ、ぁ」

 

 肋骨の輪郭をなぞり、空の手のひらがさとり様のお臍の辺りをも這いながら下りていくと、その都度に喘ぎにも聞こえる扇情的な声が紡がれた。不安と期待に満ちた声色、それを裏切らずに腹部を通り過ぎた空の手のひらは、違うことなくさとり様の秘所を求めていく。
 先程舐め取った時よりもさらに多くの愛液を纏わせている秘所は、軽く表面を撫ぜるだけでも空の手を熱い蜜で一杯にしてしまう。まだ体温が残る温かな愛液、それは陰唇からぐぐっと押し入るようにさとり様の裡を求めれば尚更、顕著に指先や手のひらを埋め尽くしていく。

 

「えっちですね、さとり様。待ちきれなかったのですか?」
「え、ええっ!? そ、そんな意地悪言わないで下さい……」
「……すみません。可愛いさとり様を見ていると、少し意地悪したくなってしまいました」

 

 嘘の無い言葉。苛めたくなる無垢な可愛さが、さとり様にはある。
 だから空も、より積極的な形で。衝動の儘にそのお躰を求めずにはいられなくなるのだ。

 

「ぁ、はっ……! ふぅ、んっ……!」

 

 大量の愛液を纏わせた手の儘で、さとり様の秘所にあたかもそれを擦り込むかのように、執拗な愛撫を空は這わせていく。既に十分すぎるほど敏感になりすぎているのだろう、空の愛撫のひとつひとつにその小さな躰を揺すりながら、さとり様は刺激から生まれる感覚に感じ入っている様子だった。
 感じすぎてしまっているのか、目元の端に涙さえ浮かべていらっしゃるのを見てしまうと、少しだけ申し訳ない気持ちも空の心には生まれて。けれどそうした感情とは対照的に、同時にもう少しだけさとり様のことを苛めたいと思ってしまう不思議な気持ちも空の心には生まれているみたいだった。
 ――これが果たして『嗜虐心』と呼ぶものなのかどうかはさとり自身にも判らないけれど。魅惑は抗いがたく、意地悪を言わないでと願ったさとり様の意志を無下にするかのように、衝動の儘に言葉を吐き出してしまう。

 

「これからどうして欲しいですか。……さとり」

 

 意図して呼び捨てにした空の言葉に。
 さとり様は一瞬大きく目を見開いて驚きの感情を露わにした後。けれど、やがて決して不快そうにではなく。どこか心を奪われたかのような惚けた表情で、空のことを見つめ返してきた。

 

「……空様の、お好きなように苛めて下さい」

 

 さとり様の言葉が、空の心を容易く鷲掴みにしてしまう。
 思えばこの瞬間から、私達は互いに性愛の最中で相手が望む役割を演じ始めたのかもしれなかった。乱暴にされたいと告げるさとり様の願いを叶える為に空はいつしか『嗜虐的』な自分を演じ始めていて。そうした空に応えるかのように、さとり様も『被虐的』な自分を演じ始めていたのだ。
 もちろんそれは性愛の最中限りの、一時の幻想に過ぎないのだけれど。それでも……いまこの瞬間だけは、誰よりもさとり様の総てを独占できているという意識、それが空の心を深い酩酊に誘い堕としてしまう。

 

「あ、ああっ! ひ、ぁ、あああっ……!」

 

 ぴんと緊張しきっているさとり様の躰。先程までの空なら緊張がすぐにでも伝染してしまって、がちがちに緊張してしまっていたことだろうけれど。先にさとり様に愛して頂いて絶頂を迎えることができたせいだろうか。不思議と空の心には少しだけの余裕があって、緊張しているさとり様をただ愛しい気持ちの儘に愛でることができていた。
 最愛の人。求めたいと想う気持ちが、そのまま空に指先を走らせていく。不慣れな儘に行使する指先だけれど、愛撫によって生まれる刺激そのものを、さとり様が表情や声に乗せて届けてくれるから。少しずつ学びながらより的確に敏感な個所を見つけては、さとり様を追い詰めていく。
 時にはすりすりと撫でさするような愛撫、時には容赦なく責めたつ指先。熱く息づく薄紅の膣口は刺激の都度小さく戦慄いて応えてみせて。とろとろに蕩ける膣肉の襞を指先で攪拌すれば、新鮮な愛液がより密度を増して滲み生まれていくばかりだ。

 

「はああ、ああっ……! 空、空ぉ……!」

 

 先程一度だけついた敬称はもう消えていたけれど、切羽詰まった声で紡ぎ出される自分の名前は、どんなものよりも特別に空の心に響く感覚があった。名前を呼ばれる度に、空もまた心の中で誰よりも強くさとり様の名前を呼ぶ。口に出さなくてもその声はちゃんとさとり様に届いている筈で、名前を呼び合う度にちゃんと繋がっている二人の間の何かを確かめることができている気さえしていた。
 普段の怜悧さを失った、陶然とした瞳。今にも吸い寄せられそうになる、陶酔しきった表情はこんなにも淫靡なのに。けれどやっぱり、どこか清楚な雰囲気がさとり様にはあるから不思議だった。
 きっと特別な人しか見ることができない、特別な姿を惜しげもなく空の眼前でさとり様は晒して下さっていて。見つめるだけで、虜にされてしまう。どんどん強く惹かれすぎていく自分を、空自身怖いぐらいに意識できてさえいるのだった。

 

「……大好きです、さとり様」

 

 なおも指先を淫らに蠢かせながらそっと耳元に囁くと、空の愛の言葉に一際大きくさとり様の躰が打ち震えて応えてくれる。さとり様の喉からは随分と前から喘ぎ混じりの声しか吐かれてはいないのに、空の囁きを嬉しいと感じて下さっていること、そして空の囁きにそのまま答え返してくれるような愛の言葉までもが空の心には届いてくるように感じられて。――まるで、私もさとり様の心が読めるようになってしまったような錯覚さえ感じる。

 

「はぁああっ! あぁ、ぅ、ああぁああああぅ……!」

 

 一際強い嬌声が部屋の中に響くと同時に、空は手のひらに熱い飛沫を感じる。組み伏せているさとり様の躰が空のすぐ下で弓なりに撓み、やがて力なくぐったりと果てた。達されたのだ――そのことは、空にもすぐに理解できて。私の指先に感じて下さって、その快楽で一杯になって下さったのだと思うと、何にも代え難い胸に迫る嬉しさがあった。
 絶頂の余韻に小刻みに震わせているさとり様の躰に、空は静かにキスの雨を降らせていく。首元に、鎖骨に、乳房に、お腹に。時には少しだけ強く吸っては、さとり様の躰に薄い痕を残すようにして。もしかすると私は、愛し合えた証をさとり様の無垢な躰に残しておきたいのかもしれなかった。

 

「気持ちよかった、ですか?」

 

 空は、さとり様の瞳を真っ直ぐに見つめながらそう訊ねてみる。
 それはつい先程、空が先に絶頂を迎えた直後にさとり様に訊ねられた言葉と同じもの。直接的に訊ねられるのはあまりにも恥ずかしすぎることで、その時には空もさとり様から視線を外してしまったものだけれど。
 さとり様は視線を逸らすことなく。代わりに少しだけ拗ねたような顔をしてみせながら。

 

「……気持ちよかったですよ」

 

 それでも、空と同じように正直に。そう伝えてきてくれたのだった。

 

 

 

     *

 

 

 

 それからは、ただ二人で隣に並んでベッドに躰を横たえながら静かに手だけを繋ぎ合って時間を過ごした。さとり様を愛する行為に没頭していたせいか忘れていたけれど、一度絶頂に導いて頂いた空の躰もまた十分に疲労しきっていて。果てた躰をぐったりと弛緩させるさとり様の隣で、空もまた急に全身を支配し始めてきた疲労感に身を任せる儘に呼吸を整えていく。
 繋ぎ合った手のひら、それと躰を横たえながらも至近距離で互いに見つめ合っていると、愛し合えたのだという実感がどんなにも嬉しく心を衝き上げてくる。

 

「――幸せです、さとり様」
「そうですね、私も幸せです。……もう『さとり』と呼び捨てにしては下さらないのですね」
「そ、それは。……これから頑張って慣れるようにします」
「ええ、楽しみにしています」

 

 柔らかく微笑んで下さる、さとり様の表情が嬉しい。私がさとり様と一緒にいられることで感じる幸せを、さとり様も同様に感じて下さっているだなんて。これに勝る幸せなんて、果たして存在するのだろうか。
 きっとさとり様は、地霊殿で飼われているペット達の誰にとっても憧れの対象であるのに。私ばっかり独占してしまっていいのだろうか――今更ながら、そんなことさえ考えてしまう。とはいえ空はもう一度さとり様を独占してしまう幸せを覚えてしまったのだから、もう手放すことなど出来ようはずもないのだけれど。

 

「私も、同じことを思っていますけどね」
「へっ?」
「あなたのことですよ、空。あなたの明朗にして快活な姿に心を惹かれない人の方が少ないというのに。……これほどに魅力的なあなたを、私ばかりが独占してしまってよいものかと、あなたに心を寄せる周囲の方々に少しだけ申し訳なくも思ってしまいます」
「わ、私にそんな、魅力なんてありませんよ……」
「……自分では判らないものなのでしょうか?」

 

 不思議そうにさとり様は首を傾げてみせて。
 くすっと、小さく微笑みながら。ぎゅっと繋がった空の手を、さとり様は少しだけ強く握りしめて下さった。

 

「あなたはとても魅力的な人ですよ。あなたにだから、私だってこんなにも心を惹かれたのですし。……この地霊殿やその近隣で、あなたを慕う者の数も一人や二人ではないでしょうし」
「う、嘘ですよ、そんな」
「心を読める私が言っているのですから、虚言などではありませんよ。それに……私が嘘を言っているかどうか、あなたになら判るのではないですか?」

 

 言われて、空は言葉に詰まる。さとり様は普段から嘘というものを殆ど吐かない方でいらっしゃるから、慣れない嘘ほど看破しやすいものもないだろう。
 真っ直ぐに見据えた瞳、語調、表情。どれをとっても嘘を吐かれるようなそれではなかったし、何より……自惚れかもしれないけれど、さとり様が私に嘘を吐くことなど有り得ないような気がしてならなかった。
 つい先程まで熱く愛し合っていて、性愛の最中でさとり様がどれほど誠実でいて下さったかを覚えているから。空の心だけでなく、躰もまた愛された指先の誠実さを覚えているのだから。

 

「……正直、私にそれだけの魅力があるとは思えないのですが」

 

 さとり様の言葉を嘘だと思うわけではない。
 それでも空には、どうしても自分などに他者に慕われる魅力があるとは思えなかった。

 

「自分の魅力というものは、得てして判らないものなのかもしれませんね。……空がどれほど愛して下さっても、私が私の魅力について理解することができないように」
「さ、さとり様の魅力でしたら、たくさん言えます!」
「私も空の好きな所でしたら、幾つでも挙げることができますね」

 

 言い合う言葉が少しだけ可笑しくて、どちらからともなく笑みが零れた。
 自分の魅力なんて、自分自身で知っておく必要なんて本当は無いのかもしれなかった。自分で気づくことが出来なくても、他の誰かが気づいてくれるかもしれないから。まして愛する人が自分の魅力を知って居て下さるのであれば、それ以上に望むものなど果たしてあるだろうか。

 

「――幸せです、さとり様」
「私もですよ、空。あなたが私の傍に居て下さるから」

 

 小さなベッドの中で身を寄せ合う。空よりずっと小柄なさとり様の躰は、抱き包むようにすれば簡単に空の腕の中にも収まってしまいそうだ。稚くて華奢な躰。けれど空よりもずっと聡明で、怜悧な瞳。――私はこの方の魅力を誰よりも知っていて、きっと誰よりも特別で強い想いを今までも、これから先も抱き続けていくのだろう。

 


  『私にも、空の為に生きることを許しては下さいませんか』

 


 愛し合う前にさとり様が言って下さった言葉が空の脳裏に蘇る。僅か数時間程度しか経っていない筈なのに、不思議とその言葉が酷く懐かしいものであるかのように感じられてしまうのはどうしてなのだろう。
 さとり様が私の魅力を知っていて、私の傍で生きることを選んで下さる。空もまたさとり様の持つ数多の魅力的な部分を理解していて、許される限りそのお側で生きたいと希う。
 どちらがどちらのペットだとか、もしかしたら結局はそんなのどうでもよいのかもしれなかった。私達はただ互いが相手の傍に居たいと切望していて、その為に『恋人』という絆以上に便利な関係を模索しているだけなのかもしれない。

 

(……いっそ結婚してしまえば、ずっと傍に居られるのかな)

 

 頭の隅でふと想った、そんな考えさえ。
 あるいはすぐ隣で静かに息衝く、最愛の人に伝わっているのだろうか。