■ 14−遣らずの雨

LastUpdate:2007/08/27 初出:web(mixi)

「どうぞ」
「……ありがとう」
 ティーカップを差し出す乃梨子。受け取る志摩子。どちらの声も、いつもより少しだけ上ずっているように感じるのは、確実に気のせいではない。
 少しだけ居心地が悪い雰囲気が薔薇の館に流れていて、志摩子はそれを申し訳なくも思う。
(……それぞれ、個別にお話すべき内容だったかもしれない)
 けれど、今更思い直しても当然後の祭りで。だから今はそのことについて、伝えきるしかないのだと思うしかなかった。
「えっと……それじゃ、各自紅茶で一息ついた所で」
 由乃さんが「コホン」と軽く咳払いをする。
「ひとつだけ、どうしても確認しておきたいんだけれど……いいかな?」
「ええ」
 志摩子が頷くと、由乃さんも軽く頷いてくれた。
「……まさかとは思うけれど。志摩子さん、祐麒くんに告白されて……それを断れなかっただけ、なんてことは無いのよね?」
「ええ、違うわ」
 これには志摩子も、すぐにかぶりを振って否定することができた。
「……その、笑わないで欲しいのだけれど」
「うん、誰も笑わないよ」
 蔦子さんが、落ち着いた声でそう言ってくれる。
 その優しい言葉が、いまの志摩子にはとても暖かかった。
「えっと、祐麒さんには……私から『好き』と言いましたから。それに……」
「それに?」
「それに、私から、その……………………キスを」
「……そ、そうなんだ」
 志摩子の告白に、落ち着き払った声で対応してくれていた蔦子さんの声にも、どこか焦りの色が生まれる。――無理もない。
「……志摩子さんが、そんなに大胆だなんて、知らなかった」
 とは乃梨子の弁。志摩子も、それにはただ心の中で頷くしかない。

 

 そう……志摩子だって。
 自分がこんなにも大胆で積極的な人間だなんて、知らなかったのだ。

 

「ごめんなさいね。特に祐巳さんには、すぐにお話しておくべきだったかもしれないのに……」
「あ……ううん。それは別にいいし、こうして話してくれたんだから、むしろ嬉しいんだけれど」
 そう言いながらも、祐巳さんは少しだけ首を傾げてみせる。
「祐麒と志摩子さんが両思いなら、もちろん私は構わないんだけれどね。ただその……私、全ッ然二人がそういう関係だなんて、気づかなかったなあ……なんて、思ったりして」
「それは……」

 

 ……それは、当たり前のことだ。
 だって、他ならぬ志摩子自身だって。昨日の朝ぐらいの頃までは、どうして祐麒さんとこうして想いを交わし会えている自分の姿を、想像できただろう。

 

 

 

 そのことを祐巳さんに。
 そして、その場にいる全員に志摩子は正直に伝えた。

 

 昨日は乃梨子の都合が悪くなって、ひとりで図書館に出向いたこと。
 祐麒さんに会って、少しだけお話ししたこと。
 相合い傘で図書館から出ながら、さらにお話をしたこと。
 それから、二人で映画を見たこと。
 ……最後に、逃げるようにキスをしたこと。

 

 

 

「えっと、質問です」
 手を挙げた乃梨子に、志摩子は頷いて応える。
「その……こんなことを訊いてしまっていいものか、判らないのですが……」
「何でも、遠慮せずに言って?」
「あ、はい。……私がドタキャンしたせいで、お二人が半日デートすることになったのは判ったのですが、その……」
 そこまで口にしてから、少しだけ乃梨子は口ごもる。
 けれど、やがて意を決したかのように口を開いて。
「……どうして志摩子さんが、祐麒さんのことを好きになったのか。それが、私には判りません」
 乃梨子の正直な物言いは、あまりにも直接的で。由乃さんや瞳子ちゃんが、少し咎めるように乃梨子のほうを一瞥する。
 けれども、乃梨子が訊いていることはきっととても真実に近いもので。だから志摩子も、自然とその疑問を自分の心へとぶつけることができた。
「……そうね、どうしてでしょうね……」
 それは、不思議なこと。
 理由付けようとしても、上手く言い表せない。
 なのに明確なほど突きつけられる、逼迫した気持ちの答え。
「上手く、乃梨子に説明できないのだけれど……」
「はい」
「半日なんて……本当に短すぎる時間のはずなのにね。でも、気付いたら……」
 そう、気がついたときには。
「祐麒さんのことが、とても特別に見えていたの」
「特別に……ですか?」
「ええ」
 どう説明するか迷っていたら、思わず口を突いて出た『特別』という言葉。
 けれどその言葉は、実際口に出してみれば。なるほど志摩子の心の在様を表すのに、どんなにも的を射た言葉であるように思えた。
 そう……特別。
 彼の優しさ。体躯。言葉のひとつに至るまで、何もかもがただ特別に感じられる。
 そのことが……祐麒さんのを好きな理由なのだと。
 今にして、ようやく志摩子は理解することができた気がした。
「ありがちな言い訳みたいで申し訳ないけれど。……理由なんて、本当に無いのかもしれない」
 正直な気持ちのまま、志摩子はそう口にする。
「きっと小説や映画が言う答えとおんなじで……好きになったほうが、負けなのかもしれないわ。理由なんてなくて、気付いたら好きになっていて。いちど、そのことに気付いてしまったら……」
「――もう抗えない、みたいな?」
「ええ……乃梨子の言う通りだわ」

 

 乃梨子の相槌に、志摩子は心から頷く。
 好きになることには、きっと理由なんてない。

 

 あるのは、好きになってしまったという結果と。
 好きになってしまったが為に止め処なく押し寄せてくる、抗えないほどの衝動ばかりなのだ。