■ 15−遣らずの雨

LastUpdate:2007/09/03 初出:web(mixi)

「ああーっ……私も恋したい! 志摩子さんみたいに惚気たい!」
 テーブルに突っ伏すみたいにしながら、由乃さんが叫ぶ。その隣に座る瞳子ちゃんや真美さんまでもが呼応するようにコクコクと何度も頷いてみせたりしてきて、志摩子はただ困惑してしまう。
「の、惚気るだなんて……」
 由乃さんの言葉に少なからず志摩子は焦る。
「あ、ゴメン。もちろん志摩子さんが、そういう意味で言ったんじゃないって判ってるから」
「そう?」
「うん。ただね……その、ちょっと羨ましかったり、してね」
 羨ましい、と言われてもいまいち志摩子にはピンと来なかった。
 ……確かに、祐麒さんに告白して、祐麒さんからも好きと言って頂けたこと。このこと自体は、他の何よりも果報なことだと志摩子は思う。
 だけど……だからといって。どうしてそのことイコール羨ましいと結びつくのかが、どうしても志摩子には結びつかなかった。
「……どうして、って訊いたら。やっぱり、気を悪くするかしら」
「え?」
 志摩子が訊ねると、由乃さんは一瞬(何のこと?)といった調子で見つめ返してくる。
「だから、その……どうして、羨ましいだなんて、思うのかなって」
 そう訊かれて。由乃さんは一瞬だけ渋い顔をしてみせたあとに、はあっと大きな溜息をついて。なんだか少しだけ苦笑いを浮かべるみたいな表情で、
「……それ、本気で言ってるんだよねえ……」
 なんていう風に、答えてみせた。
「志摩子さまは」
「うん?」
 急に、由乃さんではなく瞳子ちゃんに話しかけられて、志摩子は向き直る。
「志摩子さまは祐麒さんと今後、めでたくお付き合いされるわけですよね」
「お付き合い……そ、そうなるの、かしら」
 瞳子ちゃんの口から『お付き合い』という単語が出て、志摩子は少し考え込む。
 そういえば私たちは、互いに『好き』の気持ちを確認し合っただけで。それ以上の……例えば、今後の明確な形の未来については、何ひとつ打ち合わせたわけではなかった気がするのだ。
(そっか……祐麒さんと、交際、するのよね)
 心の中で『お付き合い』という言葉が『交際』という言葉に変換されると、それはよりリアルな実感となって志摩子には感じられてしまって。どこか気恥ずかしい気持ちで心が埋め尽くされて、かぁーっと顔が熱くなってしまうのが感じられた。
「それです」
「………………へっ?」
 考え事に耽っていた志摩子を、瞳子ちゃんの言葉が現実へと引き戻す。
「それ、って?」
「だから、そのお気持ちです。……志摩子さまがいま、お顔を熱くされたようなことが、私や由乃さまにはとても羨ましく思えるんです」
「……そう、なんだ」
 確かに、いま実際に感じられた心底からの感情は、志摩子にとってとても倖せなものだった。
 心を馳せていたのは、この先祐麒さんと紡ぐかもしれない未来。また一緒に図書館のテーブルでお話をしたり、一緒に映画を見たり。あるいは一緒に雨の中を、相合い傘で歩いたり。
(ああ、なるほど……)
 志摩子は得心したかのように頷く。
 大好きな誰かと、馳せる未来への想いは。そのどれもがキラキラと煌めく宝石のように、きっと幸せに想えるような強い期待に溢れたものばかりだった。
「恋に恋する、とでも言いましょうか。私も……映画みたいな恋に、憧れたりしますから」
「なるほど……」
 そう言って貰えると、志摩子にも気持ちがよく理解できるような気がした。
 ありがちな恋愛映画。そんな映画の中で、ヒロインの女性が恋する男性にしているように。
 例えば、祐麒さんと一緒に遊園地に行ったりしたい。
 例えば、祐麒さんに手作りのお弁当を作ってあげたりしたい。
(そういえば……)
 志摩子は祐麒さんと一緒に見たときの、映画の内容を思い出す。
 あの時に二人で見た映画は、外国での日本人ふたりのラブロマンス。いかにも『大人の恋愛』を描き出している映画の中には、省くことなく『大人の情事』もまた、写し撮られていた。
 咬むようなキス。キスのあと、実際に男性は女性の喉に歯を立て、首筋を甘く優しく噛んだりもしていた。狭いベッドの上で生地を通さない肌と肌とが触れあい、体温が行き交いするほどの密接な行為。その中で行き場無く紡がれる空笑いの声は、やがて絡まり合う躰のそれに従って、次第に熱いため息へと変わっていく……。

 


  『――俺は、男ですから』

 


 ふと、頭の中で。昨日の深夜に祐麒さんが囁くように言った一言がリフレインしてしまって。
 志摩子の頭の中に想像されるのは、もちろん映画の二人の情事。……心に描いた画の中で女性は自分に、そして男性は祐麒さんに置き換えられていて。
 瞬く間に煮沸するかのように顔が熱くなって。あまりの熱に、思考さえ儘ならなくなった。
「本当に……羨ましい、かも」
 そう口にしたのは、他でもない乃梨子だった。
「そ、そう……?」
「うん」
 乃梨子が力強く頷く。
「だって、いまの志摩子さん見てたら……」
 そこまで言ってから、乃梨子の顔が真っ赤になって。
 その意味がなんとなく判って、志摩子は思わず顔を両手で覆った。

 

「わ、私、そんなに変な顔してた……?」
「いいえ」
 乃梨子はそれを、すぐに否定してくれて。そして、
「とても……とても、倖せそうな顔をしていました」
 そんな風に言ってみせたのだ。