■ 1.「素敵な生活」

LastUpdate:2009/01/01 初出:YURI-sis

「こ、こんにちは」
「………………こんにちは」

 


 元日の朝のこと。それはまるでアリスの目の前に天災の如く唐突に現れた。
 昨日はといえば、年を締めるいつもより少しだけ大規模な宴会が神社で繰り広げられたばかりで。だからこうして玄関まで迎えに出て尚、アリスの瞼はどうにも重たいままだった。きっと本来ならお昼までは余裕で眠っていたはずの穏やかな時間を、霹靂のような玄関の戸をノックする音に起こされたというのだから堪らない。目の前の彼女に対する恨みのようなものは――少なくともかつての地震の一件が済んだ今となっては無いはずだけれど、叩き起こされた不快感から自然と唇が尖ってしまうのは最早アリス自身にさえ抑えようが無いことだった。
 透き通るように清涼な青の髪、それを引き立てる薄桃のドレス。かつての異変の折に一度だけ会ったことがある、印象的な彼女――比那名居天子がそこには居た。
(……違う、わね)
 一度だけ会った、というのは真実ではない。あの異変以来というもの、彼女はまるで霊夢に対して誼あるかのように宴会の度毎にいつも顔を出していたのだから。アリスは宴会にそう頻繁に足を運ぶわけではないけれど、参加した時には必ずと言っていいほど天子の姿を見かけることができていたのを覚えている。
 それでも、宴会で顔を見かけるからといって言葉を交わすわけではない。異変が起きる都度に参加者数の膨れあがる宴会は、どうにもアリスには居心地が悪くて。大きな宴の輪の中には加わらず、咲夜や妖夢、それに早苗といった気心の知れる人間と輪を外れて少人数で呑んでいることが多いからだ。
 だからアリスの中で天子の印象が残っているのは、やはりかつての一日だけのことでしかない。言葉を交わしたことも弾りあったことも、まして天子をこてんぱんにしたことなんてあの日を置いて他には無いはずで。……だというのにどうして年明け早々、彼女が自分の家を訪ねてきているのかアリスにはどうしても理解できなかった。
(手がかりになりそうなもの、と言えば)
 アリスは半ば睨め付けるかのように天子の様子を念入りに窺う。強いて上げるなら、天子が携えているバッグにそのヒントがありそうに思えた。彼女の体躯には不釣り合いな大きさのバッグは、まるでどこかに泊まる時の荷物であるかのような、余程の重装備であるようにも見える。
 この家に宿泊目的で人が訪ねてくるのは、珍しいことだけれど決して無いわけではない。そして、そうした目的でアリスの元を訪ねてくる人は泊まりたいという意志を告げたあと、常にその理由として「魔法の森で迷った」ということを付け加えてくる。鬱蒼としていて迷いやすく、磁針も効かないこの森では迷う人間や妖怪は決して少ないものではないのだろう。
(……けれど、有り得ない)
 天子も森に迷い、疲れたところにこの家を見つけて訪ねてきたのではないか。そうした仮説を、アリスは浮かんだ傍から否定するしかなかった。彼女は空を飛ぶことができる程度の実力は最低限持っている、そのことを以前に手合わせしてアリスはよく知っていたし、そもそも迷うぐらいなら自身の持ちうる力で力ずくにでも道を押し開くだろう。――例え森の一角を更地にしてでも。

 

「あの……?」
「……ああ、ごめんなさいね。確か、比那名居天子さん、だったわよね?」
「はい、天子です。覚えていて下さったんですね」
「え、ええ、名前ぐらいはね。それで天子さん、わざわざうちを訪ねて来たご用件は何かしら?」

 

 天子が掛けてきた訝しげな声に、ようやくアリスは考えに陥っていた自分に気付いて我に返る。考えてもどうにも解りそうに無いことは、もう直接本人に訊いてしまうしかなかった。
 率直に訊ねたアリスに対して、天子は何だかきまりの悪そうな顔をしてみせて、少しの間言い淀んで見せる。そんな天子の様子を見て(聞きにくいことを訪ねてしまったのかな)とアリスは一瞬思うけれど、それでも用件がわからないことにはアリスにだって対処のしようもないというものだ。

 

「――あ、あのですね!」
「ふわっ!? な、何かしら?」
「あっ、ご、ごめんなさい、驚かせてしまって。今日こちらをお尋ねした用向きなのですが」
「え、ええ……どのような御用なのかしら?」
「ええっと、その、ですね……」

 

 すぅ、はぁ。すぅ、はぁ。
 大きな深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ数えてから。
 キッと天子は視線でアリスのほうへ真っ直ぐに向き直ってみせて。

 

「わ、私を! こ、この家に住まわせて頂けませんかっ!」

 

 そんな風に言ってみせたのだ。