■ 5.「素敵な生活」

LastUpdate:2009/01/05 初出:YURI-sis

 キスによって与えられていた深い酩酊が、天子の言葉によって少しだけ現実に引き戻される。早く自分の思いを伝えないと――そうした焦燥感は理性が回復するに従って落ち着いてきたけれど、それでも天子に『好き』と自分からも伝えたいと願う心はアリスの中で変わらないみたいだった。

 

「狡い、こと?」

 

 想いを伝えること。それを抑止した理由をアリスが訊ねると、天子はコクンと頷いてみせる。
 ちらり、と天子は先ほどまで二人で腰掛けていたはずのテーブルを見やる。アリスもそちらのほうを伺ってみるけれど、そこには二人で一緒に飲んだお茶の缶、それに二組のティーカップがあるだけに過ぎない。

 

「……まさか」
「その、まさかだと思います……」

 

 じりじりと、嫌な汗が噴出してくるような、不確かな感覚があった。
 確かに――思い返してみると、色々と不可思議な点はあった。住みたいと訪ねてきた天子を強い言葉で追い返せなかったこと、天子に『好き』と言われて怖いぐらいに心が高鳴ったこと。キスされて……少しも嫌な気がしなかったし、離れた後にはとても寂しい想いがしたこと。
 この気持ちの総てが、嘘だとは思えない。嘘だと思いたくないと、願う心さえある。だけど、この気持ちの一部でも――あのお茶に含まれた何かしらの薬に導かれたせいであるとするなら――それはとても自然に合点の行くことのように思えるのだ。

 

「――何を混ぜたの」

 

 殆ど咎めるような口調になりながらそう口にすると、怯えたように天子は「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
 薬のせいなのか、それとも本心から導かれた想いなのか。何にせよ天子のことを自分も『好き』だと確かに意識してしまった今では、そんな風に天子を問い詰めることさえアリスには辛いことだった。
 薬草や毒草には相応の知識を持っている自負がアリスにはあるけれど、その知識も天界の草花にまで及ぶことは無いから。だから――例えば、媚薬のようなものを混ぜられたのだとしても、アリスには解らないことだ。
 もちろん、お茶を口にするときには細心の注意を払っていたつもりだった。香りを確かめたのは当然のこと、天子が実際にお茶を口にするのを確認するまでは、

 

「混ぜた、というわけではないんです。ただ、お茶本来の成分のようなもので」
「言い訳なんていいわ。効果は何なの?」
「えっと……ちょっとだけ多弁になったり、積極的になったりするかもしれません」

 

 やっぱり精神に働きかける作用が含まれたお茶だったのだ、と諦めにも似た心地でアリスはひとつ大きな溜息を吐く。だとするなら、こうして天子に対して抱く感情の全て――彼女のことを好ましく想うこと、彼女のことを抱き締めたいと想えるこの気持ちさえ、お茶に惑わされた偽りのものだというのか。
 天子のことを責める気持ちはないけれど、ただ――悲しかった。今まで他人に対して特別な想いを抱いたことが無かったアリスが、初めて誰かに対して抱いた『特別な想い』だった。心の深い場所で強く溢れる、この気持ちを否定して欲しくなんて、無かった――。
 そんな、悲しい気持ちばかりが止め処なく溢れてくるのを抑えきれないでいる最中。ふと、アリスは気付く。

 

「……待って、天子。一つだけ質問をさせて」
「あ、はい。私に答えられるものでしたら」
「このお茶の効能って、本当にその二つだけなの?」
「えっと……そのように、聞いています。自分で買った物ではなくて衣玖に調達してきてもらったものですが、他に何かの作用があるとは聞いてないです」
「そう、なんだ……」

 

 天子が嘘を吐いているようには見えなかった。
 彼女の言葉が真実のものであるとするなら、キスをされることを自分から受け入れてしまった私の積極性はお茶のせいであるのかもしれないけれど。――アリスが、天子に対して抱いている気持ちそのものは、お茶などに左右される物ではなく、あくまで真実のものであるかもしれなくて。
 初めて誰かを好きになった、初めて抱いた想い。……この気持ちだけは、お茶だとか、そんなつまらないものに左右されること無い真実の想いに他ならないのだとしたなら。
 嬉しかった。天子のことを特別だと思える自分のことが。そして、私のことを特別だと口にしてくれる天子のことが。

 

「もうひとつだけ、質問をいいかしら」
「えっと、何でしょう……?」
「あなたは私のことを『好き』だと言った。この言葉に嘘はないのね?」
「――ぁ、は、はい! それだけは、絶対に嘘じゃないです」
「そう」

 

 くいっと、天子の顎に片手を宛がって引き寄せて。
 彼女の瞼が閉じられるのを待つこともなく、有無を言わさずに口吻けてみる。

 

「〜〜〜〜〜〜!?」

 

 驚きのあまりに何かを口に仕掛けた天子の言葉は、けれどキスによって塞いでしまう。
 アリスは瞳を閉じなかった。天子もまた、瞳を閉じることができないみたいだった。