■ 6.「素敵な生活」

LastUpdate:2009/01/06 初出:YURI-sis

 鼻孔から漏れ出た彼女の呼吸さえ感じられて、短い睫毛もくっきり見えるほどの、ごくごく近い距離で。アリスは真っ直ぐに天子の瞳を絡めて、離さなかった。息苦しさと恥ずかしさからだろうか、顔を逸らそうとも唇を離そうともしてくる天子の抗議を、けれどアリスは許さない。天子の顎に添えた手のひらひとつで、逃れようとする彼女の意志全てをアリスは封じてしまっていた。
 長すぎるキスに限界がきたのか、鼻孔から呼吸する空気の振動をアリスは鋭敏に感じ取る。それでもアリスは彼女の顔が自分の傍から離れていくことを決して許しはしない。――それどころか、閉じ合ったまま触れあわせている唇の境を、舌の先でこじ開けようとしてみたりする。

 

「…………!!」

 

 さすがの天子も、これにはさらなる驚きを覚えたみたいだった。
 アリスの家に押しかけてきてからこれまで、ずっと天子の主導で進んでいたはずの二人の立場が、今では完全に逆転してしまっていた。殆ど一方的に弄ぶかのように、アリスはゆっくりと天子の口内へ自分の舌先を押し入れていく。

 

「…………はぁ、ぅ…………」

 

 交錯する唇の間隙から、天子の喘ぎが僅かに漏れ出てきて。そうした悩ましげな嬌声は、やはりアリスの情欲の火に油を注ぐことにしかなりはしない。何の抵抗さえできないでいる天子の口腔を、蹂躙するかのようにアリスは舌先を遊ばせる。
 おずおずとアリスの舌に天子が自分の舌を絡ませてきてくれる。ねっとりと互いの唾液に満ちた柔らかな舌を幾度も幾度も絡ませていくうちに、天子の瞳からは完全に抵抗の色が消えて、とろんと惚けたものになっていった。
 顎に添えた手をアリスが外しても、天子がそれに気付いて自分の顔をアリスの元から離すまでには、十数秒の時間が経っていた。ぜえぜえと荒い息を吐く天子に対して、息一つ乱さずに彼女のことを眺めているアリス――この場の優位劣位が誰にあるかは傍目から見ても明らかだった。

 

「私もあなたのことが好きよ、天子」
「…………!! ほ、本当、ですか……?」
「ええ、本当に。そうでなければキスなんて、きっとできないわよ」

 

 若干苦笑気味にアリスはそう告げる。まして先程まで二人で繰り広げていたような、舌を絡ませるような濃厚なキスともなればなおさらだろうから。
 アリスの言葉に、やがて驚きの表情を崩した天子は「えへへ」と嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。

 

「あなたのことが誰よりも好きよ。好きだからキスしたくなるし……それ以上のことも、したくなるわ。一応確認しておくけれど、その覚悟ぐらいはあって、ここに住むなんて言い出したんでしょうね?」
「あ……は、はい! 私だって、そのぐらいはちゃんと」
「そう――だったらちゃんと言葉にして、私にお願いしてみせなさい?」
「………………えっ?」

 

 アリスの言葉に、天子は息を呑む。
 二人の間に流れている時間が、まるで一瞬だけ止まったみたいだった。

 

「え、えええええっ!?」

 

 天子が驚くのは当たり前のことだった。何しろ言葉を発した本人であるアリス自身でさえ、自分が発してしまった言葉に驚かずにはいられなかったのだから。
(……お茶の力は、本物だわね)
 内心でアリスは苦笑せずにいられなかった。キスで一方的に負かされて、荒い息を吐く天子の表情を見ているうちに――少なからず、彼女のことを(苛めてみたい)とアリスが思ってしまったのは事実だったからだ。まさか『多弁になったり、積極的になったりする』というお茶の効果をこんな形で確かめてしまうことになるとは。
 それでも、一度発してしまった言葉を無かったことにはできない。一瞬でも天子のことを苛めてあげたい、だなんて。こんな気持ちを持ってしまって……そして言葉に出してしまった自分に、さぞ呆れていることだろうとアリスは思う。

 

「わ、わたっ、私、を……あ、アリスさんだけの物に、してくださいっ……」

 

 けれど天子が答えた言葉は、あまりにもアリスの予想を超えたものだった。アリスに対して天子は呆れてなんておらず……どちらかといえば、こうして想定外に生まれてしまった確かな上下関係を、寧ろ嬉々として受け入れているようにさえ見て取れてしまう。

 

「……本当にいいのね?」

 

 そう再度訊いたアリスの言葉の裏側には(本当にこんな関係のままでもいいの?)という真意が籠められている。
 天子はアリスのことを『好き』だと言ってくれるし、アリスも天子を『好き』だと心から思っている。互いに確かな『好き』を抱いているのなら――もっと、真っ当に愛し合う関係を望むべきかもしれないのに。
 アリスの質問の真意に天子も気付いたのだろう。コクンと一度アリスに頷いてみせてくれて。

 

「私は構いません。初めからアリスさんの人形のひとつにでもして頂ければと思ってここに来ましたし、それに……」
「それに?」
「……私は、苛められるのとかも結構好きなので……」

 

 天子の言葉にアリスは一瞬だけ虚を突かれて。やがて、お互いにくすくすと笑い合ってしまった。
 こんなにも好きだと思えてしまう、天子への気持ちは決して偽りなんかじゃない。
 ……ついでに、天子のことを苛めてしまいたいとちょっとだけ思ってしまった気持ちも、彼女のことを自分だけのものにしてしまいたいという欲求も、やっぱり偽りなんかではないのだった。