■ 13.「素直な言葉」

LastUpdate:2009/01/07 初出:YURI-sis

 複雑に擦れては感触を確かめ合う、唇と唇との柔らかな触れ合い。口吻けている端から、熱を纏わせた互いの息が漏れ出てきてしまう。それは息苦しさからではなく、単に恥ずかしさで呼吸を留めておくことが上手くできなくなってしまうような。――こうして早苗とキスを交わせるときには、いつもそれぐらいに心も躰も儘ならなくなるみたいだった。
 二人して未だ慣れることができないでいる口吻けは、何度も回数を重ねてきた今でさえ上手く交わすことができないでいた。唇の位置が少しずつずれてしまう度に、瞼を閉じあった見えない視界のまま感触だけを頼りに二人で修正していく。やがて上手く交じり合うことが出来さえすれば、触れ合うだけのキスであっても熱い互いの呼吸が隙間を縫うように口腔間を行き交いするみたいで。喉や舌を灼くかのようにさえ感じられてしまうほどの熱い早苗の吐息が、さとりの中を満たしていく感覚があった。
 口腔を満たす熱は、そのままさとりの躰中を埋め尽くし、意識さえも夥しい熱で蕩けさせてしまう。触れ合う時間が長くなり二人の呼吸が上手く行かなくなるほど互いの唇を通じて交わされる呼吸量も多くなって、早苗の体温を伴って喉に直接あたる吐息は、抗い難い熱量を躰の中に植えつけていくみたいだった。

 

〔舌を入れてみたいなんて言うのは……さすがにはしたないかな〕

 

 キスをする際には互いに瞼を閉じるのが礼儀だという。けれど双眸を閉じてはいても、早苗の心に密かに浮かんだその願望を、さとりのもうひとつの瞳は見逃さない。――一瞬だけ情景を想像してみて、ひどく恥ずかしいことだと思って心が震えてきてしまう。それでも、さとりにだって舌を交わすキスへの興味も憧憬もあるのだし、何より早苗が望んでくれているのなら、恥ずかしい気持ちを押し隠してでも叶えてあげたかった。

 相手の心を読むことができる程度の能力。この力を疎ましく思ったことなんて、今まで本当に数知れないほどあったけれど……今ではさとり自身、この力のことを好きになることができていた。
 その機会を与えてくれたのは、間違いなく今この瞬間にも唇を触れ合わせている彼女のお陰だった。彼女――早苗は沢山のものをさとりに与えてくれた。早苗はあまりにも裏表のない人間で、それだけに最初はさとりも彼女に対して呆れのような気持ちしか抱くことができなかった筈なのに。
 さとりに対して「仲良くなりたい」と最初に言ってきてくれたのは早苗のほうからだった。月に数度さとりの元を訪ねてきては、取り留めのない会話だけをさとりと交わすだけの関係。訪ねてくる裏には何かしらの目的があるのでは――早苗が訪ねてきてくれる度にそうした懸念をさとりは抱き、彼女の心の奥底を覗き込もうとするのだけれど、心の裡をくまなく覗き見てみてもそうした下心を見つけることはできなかった。
 心を覗くことで代わりに思い知らされてしまうのは、あまりにも純粋な――さとりに対して早苗が抱いてくれている、好奇心や関心といったものだった。どうしてなのかはさとり自身にも解らないことだけれど、早苗はさとりのことを好いていてくれているみたいで。月に数度の訪問がやがて数日に一度になり、毎日のように早苗が訪ねてきてくれるようになった頃には、無条件に好意を寄せてくれる早苗にさとりも心を開かずにはいられなくなってしまっていた。
「友達が欲しいの」と、いつの日かまだ交流が浅かった頃に早苗が言った。そう告げてくる早苗の言葉に裏は無かったけれど――あれはまるで、私の心を読んだかのような言葉だった。望むことが叶わないと長い間諦め続けて、いつしか忘れてさえしまっていたさとりの本当の願いを、早苗が見つけて想い出させてくれていた。
 意識した瞬間には、既に早苗のことは特別な存在になっていた。友達という掛け替えのない存在――今度は早苗が望むよりも早く、さとりが彼女により特別な関係を持ちたいと願うようになるまでには、それほど時間は必要ではなかった。

 

「んっ……」

 

 小く上がった声は早苗が発したもの。さとりから静かに挿し入れた舌先に反応した、早苗の驚きの声。
 けれどその動揺も僅かな間にしか顕れない。直ぐに早苗は全てを理解したかのように、さとりが侵入させた舌先を歓迎するかのように、自分の舌を絡ませてくれた。
 こうして好きな人とキスができる果報に、さとりはじんと心の深い場所で感じ入る。まだ普通のキスにさえ慣れていない私達だから、やっぱり舌を絡ませるような高度なキスは上手くいかない手探りばかりで変な感じもするけれど、そうした辿々しい所も含めてさとりは自分たちの関係に倖せを感じないではいられなかった。
 私達はまだ恋愛について何も知らない素人同士。けれどそれは、私達が共に初恋を相手に対して抱いたという掛け替えのない証でもあった。学ばない知識を得られはしないのだから――何も知らない私達が、唯一愛し合う人との繋がりから恋愛の全てを学べるということが、嬉しくない筈がなかった。
 絡まり合う舌はやがて解けて、さとりも早苗も、少しだけ離れた距離で荒くなった息を整える。ようやく落ち着いた呼吸で向かい合うと、どちらからともなく笑みが零れてしまった。
 初体験なんて、拙くていい。初めはなかなか上手くできなくても、それはお互い様だから。私達はゆっくりと、ただ二人きりで学んでいけばいいのだから。

 

「やっぱり……少しだけ恥ずかしいですね」
「そう、ですね」

 

 頬に深い紅を浮かべながら、そう言ってくれる早苗が誰よりも愛おしい。
 きっとさとりの頬も、早苗に負けないぐらい紅くなってしまっているだろうけれど。

 

「……ですが。こういうのは、とても……倖せです……」

 

 まるで何かに感じ入るかのような深い色を湛えた瞳を、静かに瞼で隠しながら。早苗は静かに、そう呟いてみせる。
 さとりもまた、同じ気持ちだから。彼女に倣うように静かに瞼を閉じた。