■ 106.「緋色の心」

LastUpdate:2009/04/16 初出:YURI-sis

「ふはっ、はぅ……ぅ……」

 

 ようやくアリスさんの唇が離れた時には、もう天子はぜえぜえと肺で息をするような心地だった。不意打ちの口吻けは天子の心から簡単に総ての余裕を奪い取ってしまっていて、数分間にさえ及んだ口吻けの時間は、そのまま完全にアリスさんの意のままに玩ばれた時間でしかなかった。
 上手く呼吸できなかったせいで、荒く息を吐く傍らで肺が微かに痛みを訴えてくる。それほどに苦しい数分間であった筈なのに……天子は、アリスさんに乱暴に扱われたことを不思議と嬉しくさえ感じていた。

 

「……本心、なのね」
「はい」

 

 そうした天子の反応を見て、アリスさんが諦めのように小さく漏らす言葉に。天子は正直な気持ちから、ただ肯定の言葉のみを答えた。きっと乱暴な口吻けを通じて――アリスさんは、天子のことを試しておられたのだろう。天子が、本当にアリスさんに所有して頂くことを望んでいるのかどうかを。
 アリスさんに所有されたいと希う心は、即ちアリスさんの望んで下さること総てをそのまま受け入れたいと願うことでもあるのだろう。もしもアリスさんが乱暴に天子の躰を求めることを望まれるのであれば、天子もまたその望みに喜んで応えたいと思うから。だから、天子に許可を求めることなくアリスさんの意の儘に乱暴にして頂くことさえ、天子には嬉しいことのように感じられていて。――その感情をアリスさんが読み取られたことで、図らずも天子の想いは証明に繋がったらしかった。

 

「……あなたに、そんなに尽くして貰えるほどの価値なんて、私にはないのよ?」
「あるんです、私には。アリスさんが自分自身の価値を知らなくても……私はアリスさんのことを、世界の誰よりも大切に慕っていますから」

 

 いますぐにでも天子はアリスさんの躰に抱きつきたい気持ちだったけれど、戒められた両手の約束があるから、それを実行に移せないことが少しだけ残念に思えて。
 けれど、そんな天子の気持ちが通じたのか。あるいは……天子と同じような気持ちを、アリスさんのほうでもまた抱いて下さったのか。抱き締めることの叶わない天子に代わって、アリスさんのほうからそっと裸の天子の躰を抱き竦めて来て下さった。
 アリスさんの着ている服が少し冷たくて、天子は僅かに身震いしてしまうけれど。次第にぎゅっと強まっていく抱擁のに連れて、服越しに今度はアリスさん自体の温かさが伝わってくるみたいで。一瞬だけ感じた冷たさなんてすぐに忘れてしまうぐらいに、忽ち天子の躰は温められてしまう。

 

「昨日あなたを愛した時にも言ったけれど、私は独占欲が強い女なのよ。覚えてる?」
「はい、もちろん覚えています」
「そう……だったら、これも覚えていて。私は自分の価値を知らないけれど、代わりにあなたが知っていてくれるのならそれで構わないわ。あなたが私のことを慕ってくれている間は、私も自分の価値を少しだけ信じることができると思うから。だから――」

 

 アリスさんの顔が、耳元まで赤い。
 きっと天子のほうも、耳まで真っ赤になってしまっている。

 

「――あなたが私の価値を見失わないで居てくれる間だけは。天子、あなたは……私のものよ?」
「は、はい……!」

 

 私がアリスさんの価値を見失うことなんて、永遠に有りはしないのだから。
 アリスさんが約束して下さるその言葉は。天子にとって、久遠の約束に他ならなかった。