■ 107.「端書29」

LastUpdate:2009/04/17 初出:YURI-sis

「帰るの?」

 

 コートを羽織る静かな衣擦れの音に気付いて。書架の向こう側にパチュリーが声を投げ掛けると、コートを着終わってから魔理沙はひょこっとこっちに姿を見せに来てくれた。

 

「ああ、もう随分と暗くなってるみたいだしな」
「泊まっても構わないのよ?」
「昨日も一昨日も泊まっちまったし、さすがに今日は帰るわ」
「……そう」

 

 そう言われると、引き留めるだけの言葉をパチュリーは持たない。
 見送りに立ち上がれるような性分ではないから、背中を向けた彼女を追いかけるようなことはしないけれど。せめて書架に遮られて姿が見えなくなるまでは、ずっと魔理沙の背中を目で追っていた。
(次に来てくれるのは、いつだろう)
 こうして魔理沙が訪ねてきてくれるようになって、嬉しいことが沢山増えたけれど。同時に、淋しさを感じる機会も随分と増えてしまった気がする。今日みたいに魔理沙の背中を見送った後にはいつも、ずきりと鈍く痛む不思議な胸の感覚があった。
 魔理沙が傍に居ない時には、いつも胸が痛む。魔理沙が傍にいてくれる間だけは、この痛みを忘れていることができるのに。こうして再び離れてしまうと、痛みを忘れていられた分ごと纏めて酷く胸が痛むような思いがした。
 まるで歯痛のように、じくじくと抗いがたい痛み。これほど胸を痛ませる、この思いが何なのかわかりもしないくせに。けれどパチュリーの胸の裡は何かを必死に私自身に伝えようとするかのように、辛く心を苛み続けるのだった。

(本当に、どうしてこんなに胸が痛いのだろう……)

 その答えが知りたくて、何度自分の心と向き合おうとしたか知れない。けれど心は誠実にその存在を見定めようとすればするほどに、却って輪郭を失ってぼやけるようにしか確かめることができなくなってしまう。
 魔理沙と会わずにいられたころには、時間の流れを遅いと感じたり、あるいは惜しむように思うことさえなかったというのに。
 今は、魔理沙と一緒にいられない時にはいつも、もっと早く時間が過ぎればいいのにと思うし。魔理沙と一緒にいられる時にはいつも、僅かずつ零れ落ちる砂のような時間さえ、パチュリーには惜しいことのように思えてならないのだった。