■ 108.「緋色の心」

LastUpdate:2009/04/18 初出:YURI-sis

 慈しむような指先が、天子の躰を愛でる。そっと肌を撫でて、感触と存在を確かめるみたいな優しい手のひらと指先。性愛に相応しいような、相手の躰を求めたり昂ぶらせるような指遣いではないけれど、アリスさんからそんな風に愛でられるのも天子にはとても嬉しく感じられていた。
 もしかしたらこれが、人形を愛でるような指遣いで。天子の躰そのものが、自身がそう望んだように優しく愛でられているのかも知れなかった。触れてくる指先には抑揚が無く、天子の躰に何かを与えようという意志が籠められてはいないけれど。ただ、触れるだけの指先に――静かに触れられるの愛撫にも、ひどく愛おしい慕情を抱かずにいられないのは。実際そのような愛され方も、天子自身が心のどこかで求めていた証拠なのかもしれなかった。

 

「天子」
「……ふぁい」

 

 心地良い指先と温かさに包まれていて、半ば夢見心地のような状態に陥りつつさえあったものだから。答える天子の言葉もまた、少し虚ろに頼りない口調になってしまっていたけれど。アリスさんはただ、くすりと小さく微笑みながら、そんな天子の頭を静かに撫でてくれた。

 

「あなたの名前って、いい名前よね」
「そう、ですか……? あまりそのように、自分で思ったことはないのですが」
「私は初めて天子に会った時からそう思っていたわ。初対面の時に、あなたは名前を教えてくれたから」

 

 初対面の時に、という言葉に。アリスさんと初めて会ったときのことを思い出して、あまりの恥ずかしさに天子は、今すぐにでも消え入りたくさえなる。確かに、天界まで辿り着いたアリスさんと会ったときに、訪ねられて天子は自分の名前を明かしたわけだけれど。そのときのことは……正直、あまり思い出したくない。


   『――私は比那名居天子。天界に住む歌と踊りが仕事の天の人よ』
   『地震は起こるよ。だって地震を起こしているのは私だもん』


 いかにも強気に、そして人を小馬鹿にするような口調で。アリスさんに対して、そう言い放ったなんて……当時はまだ恋愛感情を抱いていなかったとはいえ、あまりに恥ずかしいことで。正直、思い出したくもない。
 あのとき挑発的に告げられた天子の名前を。アリスさんが初めから好ましく思ってくれるだなんて……そんなこと、あるものだろうか。

 

「あの日、有頂天まで昇ったら――『てんし』に会ったわ」
「……私、ですね」
「ええ。そしてあなたの『てんし』という名前は、あなたの口から聞かされたその時には、そのまま『天使』なのだと思ったわ。実際あなたは天界の住人で、それに……あなたのその綺麗な藍青色の髪は、特別な名前に相応しいものだと思えたから。だからあなたが自分の名前を『天使』だと呼ぶことに、私は違和感さえ覚えなかったわ。……もちろんあとから聞いて、『比那名居天使』じゃなく『天子』なのだと知ったのだけれど」

 

 天子の髪を、そっとアリスさんの指先が梳く。
 まるで繊細な人形を扱うかのように、優しい指遣いで。

 

「私の髪なんて……。私には、アリスさんの髪のほうが余程綺麗だと思うのですが」
「天子に気に入って貰えるのなら、私の髪にも価値があるのかもね。……でも私は、やっぱり天子の髪のほうが羨ましいわ」
「あ、ありがとうございます……」

 

 大好きな人に自分の躰を褒められるのは、もちろん嬉しいことなのだけれど。なんだか嬉しすぎてしまって、ちょっとだけむず痒い思いがする。