■ 111.「端書30」

LastUpdate:2009/04/21 初出:YURI-sis

 口吻けには特殊な魔力があるのかもしれない。普段は明確な上下関係が在るはずなのに、キスひとつを与えられてしまうだけで咲夜は何も言えなくなってしまう。咲夜の瞳を真っ直ぐに見据えてくる、美鈴の瞳から目を逸らすことさえ出来なくなってしまうと、まるで私が私でないかのように彼女に対して甘えたい気持ちばかりが先行し始めてしまう。
 もしかするとこちらが本性で、普段彼女に厳しく当たる姿の方が仮面であるのかもしれない。実際、こうして美鈴から愛して貰えるのだと理解してしまうと、私は剥き出しの心の儘に彼女に玩ばれたいのだという意志しか抱くことができなくなってしまうのだ。
 美鈴がどういった気持ちで咲夜の躰を求めてきてくれるのか……それは咲夜自身にさえ判らないことなのだけれど。私に対して抱かれる彼女の心の一分にでも、恋情が混じっていればいいのにと。殆ど縋るような気持ちで、いつも思うのだった。

 

「すみません、急に呼びつけたりして」
「……そんなこと、気にしなくていいわ」

 

 寧ろ、ここ数日はなかなか呼んで貰うことができなかったから、少なからず淋しい気持ちを抱いているぐらいだった。――美鈴に愛されることは好きだけれど、自分から咲夜はそれを求めることができないのだ。それをしてしまったが最後、彼女に対して上司である自分をきっと私は保てなくなるような気がするから……。
 頬に手のひらが添えられたことに気付いて、咲夜は率先して瞳を閉じる。触れるのは、吃驚する程に柔らかな口吻け。唇や胸、他にも至る所に美鈴が女性らしさを隠していることを、咲夜は今までの経験から熟知していた。

 

「…………んぅ……」

 

 長すぎる口吻けに息苦しくなって、思わず唇が触れあう隙間から咲夜は息継ぎする。口吻けも、咲夜の意志では離れることができないから。美鈴のほうから離れてくれない限り、咲夜はまともに息をすることさえできない。
 それを知っているのだろうか、美鈴はいつも長すぎるぐらいの長時間に及ぶ口吻けを咲夜に対して求めてきた。彼女にキスをされる時にはいつも怖いぐらい動悸が速くなってしまっているから、正確に計ることはできないけれど。……多分、五分や十分では済まない程の長すぎる時間
 勿論、息継ぎをしなければそれだけのキスを続けることはできない。唇と唇の隙間から、必死に酸素を求めて息継ぎする咲夜に対して、それも鍛錬の賜物なのか美鈴はあまりにも平然としていて。時に美鈴は唇に掛ける圧力を強めて、咲夜の呼吸を阻害しようとすることさえあった。

 

「んぅ、っ……!」

 

 口から息継ぎができなくなってしまえば、もう鼻から呼吸するしかなくなってしまう。こんな密接した距離にまで顔を寄せ合っている時に、鼻息なんて聞かれたくないのに。少なからず酸欠状態になっているせいか、真っ白に惚ける頭で必死に我慢するのだけれど、それでもすぐに限界が来てしまう。
 彼女の目と鼻の先で、たったキスひとつにこんなにも翻弄されている私がいる。普段は彼女に対して、上司として強気に当たる私がいるけれど、きっとそれは偽りの虚像に過ぎないのだと……咲夜自身、そう思う。本当の私は、こんなにも簡単に美鈴の意思ひとつで乱れさせられてしまう程度のもので。本気で美鈴が求めてきたら……本性の私はきっと、彼女の求める総てに簡単に従ってしまうだろうから。