■ 20.「素敵な生活」
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
アリスが差し出したティーカップとソーサーを、まごまごしながらも天子は受取る。普段から低血圧のアリスは毎朝目が覚めた後に紅茶を飲むのが日課で、その為に寝台の両脇にはちょっとした物を置ける程度のテーブルを添え付けてある。だから、置き場所には困らないはずだった。
(……自分で淹れることになるとは、思わなかったけれどね)
普段ならアリス自信が布団から出るようなことをしなくても、人形を操って淹れて貰えば済む話なのだけれど。生憎とアリスが魔法で繰れる距離には人形達はどれも居なくて、今ばかりはアリス本人が直接淹れるしかない状況だった。
人形達には程度の差こそあれ、どれにも少なからず自我のようなものがある。なればこそ天子との情交を見られてしまうことはいかに人形達にであっても恥ずかしくて、天子を押し倒すよりも前にアリスが命令して予め人形達を遠ざけておいたのだ。
アリスも下半身だけをもう一度天子の隣、ベッドの内側へと潜り込ませてから紅茶へ口を付ける。アリスの隣で、天子も倣うように自分の分の紅茶へ口をつけた。
「あったかい、ですね」
「ええ」
天子の言葉に、アリスも頷く。甘い香味と共に温かなものが躰の内側に流れ込むと、それだけで内側からぽかぽかと温まってくるような心地よさがあって、この感覚がアリスはとても好きだった。
ベッドの上で上体だけを起こした格好のまま、同じく状態だけを起こしている天子の肩へ片手だけ回して、そっと自分のほうへと引き寄せる。天子は裸のまま眠ってしまって服を身に着けていないから肩近くにまで毛布を引っ張り上げていたけれど、同じ布団に入っているアリスの躰には直接に天子の躰が触れてしまうから。紅茶の温かさと、そして天子の躰の温かさ。その二つがあれば、冬の寒さなんてちっとも気にならなかった。
「……アリスさんの身体も、あったかいです」
「そう、かしら?」
まるでアリスの今の心地を見透かしたかのように、天子はそんなことを言ってくる。アリスのほうだけ服を身に着けているから、紅茶を淹れているうちに冷えてしまった服が彼女の肌に触れて、冷たくはないだろうかと気になっていたのだけれど。こくんと頷く天子の表情はとても素直なものに見えたから、それが天子の本心からの言葉だってすぐに理解できた。
アリスが天子の肩に手を回しているように、天子もまたアリスの腰へと手を回してくる。アリスが天子の躰を引き寄せるように、天子もまたぎゅっと引き寄せ返してきてくれて。
おかげで、私達はとても近い距離で互いの体温を感じ合うことができているように思えた。
「後で、あなたの部屋を準備しないとね」
「……よろしいの、ですか?」
「当たり前。あなたのことを抱いておいて、出て行けなんて薄情なことは言わないわよ」
半ば苦笑気味に、アリスはそんな風に天子に言ってみせる。
けれど自分が発したその言葉は、酷い違和感を伴ってアリスの心の中で反芻された。
(違う、わね……)
天子のことを受け入れたい理由。それは抱いた責任とか、情とか、そういうことではない。
「……ごめんなさい、言い直させて。私は――あなたと一緒に暮らしたい。あなたと一緒の時間を生きていきたいと思うから、あなたにここで一緒に暮らして欲しいと思うの」
すぐに偽りがちな心を、正直なまま伝えること。
今はきっと、そんなに難しい事じゃない。
「アリス、さん」
「ただ……私は独占欲が強いから。あなたがそれを受け入れてしまったが最後、二度とあなたのことを諦めることも、手放すこともできなくなってしまうと思うわ。――それでも?」
(それでも、うちに来る覚悟がある?)
言葉には出さなくても、アリスが伝えたい意志は天子に伝わるはずだった。
こくっ、と小さく天子の喉がなる。彼女は、アリスの視線を違うことなく受け止めてくれる。
「か、勘違いしないで下さい。先に好きになったのは……わ、私の方、なんですからっ」
「……ありがとう」
殆ど天子の躰を抱き締めるようにしながら、彼女の頬にアリスはそっと口吻ける。
これは、約束のキス。――きっと彼女のことを倖せにしてみせると、誓う為のキスだ。
「私のこと、独占、して頂けるんですよね?」
「ええ、もちろん。……ひとりじめ、しちゃうんだから」
「……でしたら私は、きっと倖せにしかなれませんから……」
アリスの目と鼻の先で、天子がそっと瞼を閉じる。
強請られているのだ、ということがすぐに判ったから。アリスもそっと瞼を閉じて、自分の唇を天子のそれへと重ねていく。
瞼を閉じていて見えない世界の中でも、沢山の感じられる天子の存在。
服を介しているはずなのに、それを意識させないほど濃密に伝わってくる温かさがあって。
この心地良すぎる彼女の温もり、この倖せのあまりを。――どうして手放すことなんてできるだろうか。