■ 23.「二秒夢」

LastUpdate:2009/01/23 初出:YURI-sis

「パチュリー、居る……?」
 部屋の中に少しだけ身を乗り出すようにしながら、アリスは見える範囲には誰も居ない図書館の中に躊躇いがちにそっと声を掛ける。今日みたいな外が曇っている日は地下にある図書館に光は届かず、そのため魔法の照明を幾つも灯しているのがいつもの光景なのに、今日ばかりはその様子が少しだけ違って見えたのだ。
「アリスさん、ですか?」
「えっと……その声は、リトルさん、かな?」
 ここまで来る途中の紅魔館は照明で満たされていたものだから、まだ暗闇に視界が馴染まないアリスには声を掛けられたほうを見ても、そこに何も見確かめることができない。それでもこの場所で出会う場所は少ないから、声の調子だけで闇の向こうに誰が居るのかはすぐにアリスには伺うことができた。
 やがて闇の中から溶け出てくるかのように、すっと自然にリトルさんが姿がアリスにも見え始める。黒いスーツドレスと紅い髪は闇にとても馴染んでいて、普段の稚い様子からは想像もできないけれど――こうして改めてみると、やっぱり彼女は小さくても悪魔なのだな、と思い知らされる気持ちだった。
「宜しければリトルと呼び捨てにして下さい。……ここに住んでいると、さん付けされるのには慣れなくて」
「ん、わかった」
 アリスは言われるままに頷く。確かに、それはそうかもしれない。
「えっと……じゃあ、リトル。教えて欲しいんだけれど、どうして今日はこんなに暗いの?」
 図書館の中は普段から薄暗いところがあるけれど、それでも今日の暗さは明らかに度を越えているように思えた。ほんの少しの灯りはあるけれど、これでは書架の影ぐらいしか視界に捉えることはできない。
 この図書館の灯りは油や蝋燭を燃料にしているわけではないから、少なくとも必要に迫られて照明を落としているわけではないのだろう。すると、こんな風に照明を落とす理由なんて……パチュリーが不在なのか、それとも。
「……もしかして、パチュリー中で寝てたり?」
「はい、正解です。でも、よく判られましたね」
「前にパチュリーがね、面倒な時は図書館のどこでも寝る、って言ってたから」
「なるほど」
 得心したかのように、リトルが頷く。
(ちゃんと紅魔館の中に自室があるのだから、そこで眠ればいいのに)
 アリスは内心そう思いながら、けれどパチュリーの怠惰になる気持ちも少しだけ判るような気がした。アリスもまたこの図書館を利用し、パチュリーの傍で本を読んでいるときには眠たくなることが少なくなかったから。読みたし眠たしの心地で居ると、どうしてもそのまま眠りに落ちてしまいそうにもなるものだ。
「……じゃあ、日を改めることにするわ」
 主が眠っているのなら、仕方がない。
「あ、ま、待って下さい」
「え?」
 踵を返しかけたアリスを、リトルが呼び止める。
「アリスさんに来て頂いたのにそのまま帰った、なんてパチュリーさまが知ったら、悲しまれます」
「悲しむ、なんて」
 リトルに言われて、内心でアリスは彼女の言葉を否定する。
 パチュリーはアリスが来ても、疎ましい様子は見せない。
 けれど同時に、決してアリスのことを歓迎するような様子も見せないから。決してアリスが来ることを、パチュリーが望んでくれているようには思えなかったのだ。
「今日帰っても、また明日か明後日には来るわよ?」
「えっと……それはそれで、もちろん歓迎なのですが。でも……どうか、帰らないで下さい」
 強く引き止められて、アリスは正直困惑してしまう。
 リトルの様子には、あくまで引き止めるという強い意志が見えて。リトルがこんなに頑なな子だなんて、アリスは知らなかった。
「……わかったわ、帰らなければいいのね?」
「あ、はい! ……すみません、無理をお願いしてしまって」
「別に無理じゃないわ。私も暇だから来たわけだし……でも、どうすればいいの?」
 主が眠っている図書館に、まさかお邪魔するわけにもいかないだろう。そういう気持ちでリトルのことを見ると、ふるふるとリトルは察したように首を左右に振ってみせた。
「もう、アリスさんも大分、目が慣れたのではないですか?」
「……ああ、本当。割と暗い中でも、ちゃんと見えるものね」
 部屋の中を見渡せば、今は図書館の様子や書架の形がくっきりと見える。最低限残されている照明のお陰で、本のタイトル程度ならこのぐらいの明るさがあれば十分確かめられそうだ。
「じゃあ、お邪魔するわね。……読書灯ぐらいは、自分の魔法で点けても構わないのでしょう?」
「はい、勿論。パチュリーさまは一度眠られたらそう簡単には起きられない方ですが、一応気を使って頂けましたら助かります」
「ええ、判っているわ」
「私は本館のほうに用事がありますので、暫く不在にしてしまいますが。何かありましたら、適当にメイドさんを捕まえて連絡を頂けますと助かります」
 深々と一礼をして、リトルはその場から立ち去っていく。
 礼節を弁えた、よく出来た子だと思う。そう思うと、やっぱり彼女が本当にあの文献に見るような「悪魔」であるのかどうか、アリスにはどうしても疑わしく思えてならなかった。