■ 29.「一夜の虜囚」
日課のように繰り返している、大将棋。
一回の勝負におよそ丸一日も掛かる大将棋は、まさしく二人の一夜を決めるのに好都合な遊びだった。
普段の椛には見ることができないようなほんの少しだけ乱暴な手つきで、抱えられていたにとりの身体は投げ出される。椛の家まで『お持ち帰り』されるに当たって、にとりの身体を椛が易々と抱え上げてしまったのにもびっくりだったけれど……家に到着するまでの十数分もの間もにとりの体重を抱えていたというのに、息ひとつ乱さずににとりの身体を投げ出せるほど鍛錬されている椛の筋力に、改めて驚かされる想いがした。
投げ出されたにとりの身体はそのまま、ぽふっと柔らかなものに受け止められてしまう。どこか男性的で硬派な外見とは裏腹に、ベッドとか人形とか、そういった少女趣味なものを椛はこよなく愛していることをにとりは知っていた。
掛け替えたばかりの新鮮なシーツからは、仄かに洗剤とお陽さまの匂いがする。同時に……シーツを超えて伝わってくるベッドからは、椛の匂いが少なからず感じられるような気がして、わけもなくにとりの心は高揚してきてしまう。
「……優しくしないと、ダメだよ?」
ちょっとだけ挑発気味に、にとりがそんな悪態をついてみせると。
椛は破顔するかのように緊張した面持ちを綻ばせて、優しい眼差しでにとりを見つめてくれた。
「捕虜がそんなふうに言っちゃダメだよ」
そう、椛の指摘する通り、今のにとりの立場はただの捕虜でしかない。優しくするもしないも――それは全部、椛が自由に決めてしまっていいことで。もしも椛さえ望むなら……乱暴にされて傷つけられても、文句は言えないのだ。
にとりと椛、二人で日がな一日打ち続ける大将棋に、ひとつの約束事が追加されたのは少しだけ前のこと。二十九種類もの駒のうち、玉将や太子が二人の勝負の中で辿る運命は――椛とにとり、二人が夜で迎えることになる運命とそのまま連鎖していた。
今日の勝負で負けたのはにとりの方で。だから……今夜にとりの身体をどのように扱うか、総てを決定する権利は椛の方にあった。憎まれ口を叩くぐらいなら許されるけれど、本当に抵抗しちゃうことは許されないこと。
(抵抗なんて……するつもりも、ないけれどね)
こんな勝負事を決めることになったのは、にとりも椛のどちらも、決して約束を盾にして相手の身体を自由にしたいと思ったからじゃない。寧ろ逆で……相手に少しでも、自分の体を求めることに遠慮を感じて貰いたくはないと思ったからだ。
二人の関係が親友から恋人へ昇格したのは随分と前のことだから、こうして椛に押し倒された回数ももう数え切れないぐらいだけれど。椛はいつだって……にとりの躰を求めるとき、その傍に優しさを忘れなかった。誠実な指先、真摯な愛撫――もちろん愛する人の与えてくれる快楽だから、降り積む刺激のまま素直ににとりの躰は導かれてしまうけれど。いつだって優しすぎる程の愛され方は……少なからず、にとりの心に不安を抱かせることにも繋がってしまったのだ。
もし椛がどれほど乱暴な求め方をしてきたとしても、絶対にそれを受け止めてみせる。それだけの覚悟をにとりは常日頃から決めていたし、例えどのような特殊なことを求められたとしても応えてみせるだけの意欲もまた併せ持っていた。そんなことで椛のことを好きな心は僅かにさえ欠けたりしないし、恋人として椛に扱って貰っているのだから……応えることは、恋人であるにとりとしては当然のことだとも思うからだ。