■ 52.「緋色の心」
「こっちが天子の部屋になるわ。……入ってもいい?」
「え? あ、はい……ど、どうぞ」
ここはアリスさんの家なのに。アリスさんからそんなことを訊かれてしまうのには、何だか妙な違和感がある。きっとアリスさんなりのけじめなのだろう――天子が頷いて承諾すると、「お邪魔します」と言ってアリスさんはドアを開いて部屋の中へと足を踏み入れる。
天子も遅れて中に入ると。そこは、アリスさんの私室より何倍も広いお部屋だった。窓が二つあって、太陽が高い位置にある今の時間帯には、ちゃんとお陽さまの光だって窓から入ってくるみたいで。森の深緑に差し込む光が綺麗で、窓から見える光景もなんだか幻想的でさえある。
こんなにいい部屋を使わせて頂いて、いいのだろうか。勝手に押しかけてしまった身の上には、なんだか恐れ多いような気がして……ちらりとアリスさんのほうを見やると、アリスさんはこくんと優しく天子に頷いてくれた。
「気に入ってくれると嬉しいのだけれど」
「……いいのでしょうか、こんないい部屋を私なんかが」
「ええ、その為に昨日から人形立ちに片付けさせたのだから。……そのせいで、ちょっと物が少なすぎるけれどね」
部屋の中にあるのはテーブルが一つに椅子が二脚、それと衣装棚が一つだけで、広すぎるお部屋のスペースの大半には何も設置されていなくて。確かにアリスさんの言う通り、少しだけ淋しい感じもする。
天子にはこんなに広い私室なんていらないのだから、もっと狭い部屋でもいいのに。若しくはここに住まわせて頂くにしても、荷物はそのまま置いておいて下さっても構わないのに。――天子がそのことを口にすると、アリスさんはゆっくりと左右に首を振って、天子の言葉を否定してみせた。
「あなたに、ここでの生活で不自由を感じて欲しくないの。今はまだちょっとだけ淋しい部屋だけれど、これからあなたの意志で物を増やして、あなた好みの部屋にしてくれればいいわ。……っていうのが、建前ね」
「……建前?」
「ええ。本音を言えば……あなたがいつまでここに住んでくれるのか、私には判らないから。せめて天子にも、ここが自分の家だと思えるような部屋にして欲しいと思うの」
そう口にするアリスさんの言葉には、少しだけ淋しそうな語調が混ざる。
「あなたは突然私の元に来てくれたけれど。……そのせいかしら、あなたがある日突然私の元から居なくなりそうな気がして、私には……少しだけ怖い」
「そんなことは」
「……無いって、信じられたらいいのだけれど。でもね、天子。ここにずっと居るって約束することは、あなたの力や役目の意味を縛ってしまうかもしれないし、それに天界にはあなたの家族や友達が居るのでしょう?」
「それは、居ますけれど……」
父様や母様、それに衣玖を初めとした何人かの親しい人たち。
あちらに帰ることが絶対にないと、確かにそれを約束することはできないけれど。
「あなたにずっと私の傍に居て欲しいって、思う。だけど……それはきっと、私の我儘でしかないから」
「あ、あの、アリスさん。……確かに仰る通り、もし父様に呼ばれたりするようなことがあれば、私はあちらに戻らなければなりません。ですが」
天子だって――相応の覚悟をもって、ここに来たのだから。
「私は……必ずここに戻ってきます。アリスさんが与えて下さった私の居場所がここにある以上、こちらも私の家だと……そう思ってもいいんですよね?」
「え、ええ。それはもちろん」
「でしたら、私は必ずこちらに帰ってきます。私はアリスさんのことが好きですから……アリスさんに最も近い場所に居たいと、私自身はずっと思い続けていますから」
好きな人の傍に、ずっと一緒に居たいと思うのは、きっととても自然なこと。
天界に行かなければ会えない人が居る。だから、時にはあちらに帰ることもあるかもしれないけれど……それでも天子にとって帰りたい場所は、やっぱりアリスさんの傍に他ならないのだから。