■ 55.「緋色の心」
「天子、どうしたの?」
「あ、アリス、さん……」
先導していたはずのアリスさんが戻ってきて、心配そうな表情で天子の顔を覗き込んでくる。
心の中で幾重にもアリスさんの顔や姿を想像していただけに。実際にこうしてアリスさんの顔をみてしまうと、さっき馳せたばかりの想像図はよりリアルな像を心に描いてしまうみたいで。怖いほどに早まった胸の高鳴りは、ますますどうしようもなくなってしまう。
アリスさんが、どれほど優しい人か知っている。知っているからこそ、こうした天子の勝手な想像は本当に妄想に過ぎないもので。地下室、という場所に反応して考えてしまった数多のことも、絶対に起こりえないことだと判っている。判っているけれど、私は――。
(……だって、見てしまったのだから)
その願望にも似た考えを、棄てきることができないのだ。
だって、初めて愛して頂いた昨日の夜。アリスさんの舌遣いに追い詰められてしまった時のことを、天子は鮮明に覚えている。躰も心も、与えられる快楽の刺激でどちらも儘にはならなかったけれど、それでも……あの時に見てしまったアリスさんの表情だけは、いまも天子の心に食い込んで離れないのだ。
一度は絶頂を迎えた天子の躰を、アリスさんは容赦なく責め立てて下さった。達したばかりで鋭敏になりすぎている躰を休み無く責め立てられることは辛くて、苦しくて。……けれど天子は、そんな辛い苛みさえも好きになることができた。アリスさんに「乱暴なのも好き」と告げた言葉は、決して嘘ではなかったから。
だけど、苛みの指先に躰を振り乱す傍らで天子を驚かせたものがあった。それは……天子の躰に辛い仕打ちを与えているアリスさんが湛える表情。気付いてしまったが最後、その魅惑に取り付かれたかのように天子の瞳を捉えて離さなかった、僅かに嗜虐の色を纏うアリスさんの表情がそこにはあったからだ。
今にして思えば、あれは幻か何かだったのではないかとさえ思う。それぐらい、普段の優しいアリスさんとは豹変した表情だったから。それでも……もしもあの瞬間にアリスさんが見せて下さった貌が真実であるのなら、天子は何度でもあのアリスさんの本性に苛まれたいと。そう願わずにはいられないのだった。
「ちょ、ちょっと! 天子、大丈夫なの?」
心底心配そうなアリスさんの表情。そんな顔をさせてしまっていることを、申し訳ないと思う。
それでも、天子の躰はまるで自由が利かないのだ。あの日に見てしまった、魅惑の顔に射止められてしまったかのように。天子の心も、そして躰も。被虐の魅惑に、震えてしまって仕方がないのだから。