■ 70.「互譲の精神」

LastUpdate:2009/03/11 初出:YURI-sis

 家の周囲に巡らせた結界に反応があったのを察知して、アリスはすっくと椅子から立ち上がった。ちょうどそろそろ来るのではないかと思っていたところだったから、冷静な気持ちのままアリスはすぐに対応することができる。アリスが無茶な約束をさせてしまうよりも前の頃には、いつも魔理沙が訪ねてきてくれるのは突然のことで、だからその度に心は慌ただしい気持ちにさせられたものだけれど。今はそうした過去さえ、懐かしいことのように思えてしまうから不思議だった。

 

「いらっしゃい、魔理沙」
「邪魔するぜ。……今日も寒いなあ」
「暖かくしてあるわ。入って」

 

 今日みたいな寒い日には。……そうでなくとも、例えば風が強い日や激しい雨が降る日には、いつもそうしてまで訪ねてきてくれなくていいと――心配に似た気持ちでアリスは思う。魔理沙が約束を守って、こうして毎日のように訪ねてきてくれるのはとても嬉しいことではあったけれど。私の為に余計な苦労を背負い込んで、もし風邪でも引いたらと思うと、アリスは心穏やかではいられない。
 けれど逆に……私の為に、そうした苦労を魔理沙が買って出てくれることを、嬉しいと思う気持ちも無いといったら嘘になる。「毎日でも会いに来る」なんて、口にするのは簡単でも実行するのが大変であるのは明らかなことなのに。毎日私の為に時間を割いて、雨が降っていようと毎日飛んで会いに来てくれる。彼女の身体を心配する感情とは裏腹に、魔理沙がそうした苦労を私の為にしてくれることが、どうして嬉しいと感じられてしまうのか。その理由は、アリス自身にさえ判らないことだった。
 魔理沙から冷たい外套を受け取って、クロゼットに掛ける。寒い中を飛んできた疲労からか、ソファーに深く身を沈める魔理沙の為に、予め温めておいたティーポットに新鮮なお湯を注いでいく。紅茶特有の甘い香気が、瞬く間に部屋中に拡がっていくのがすぐに判った。

 

「はい」
「サンキュ」

 

 こうして魔理沙に紅茶を淹れてあげるのも、もう何日目のことだろうか。半ば無意識に飛び出してしまった言葉だったとはいえ、無茶な約束をさせてしまったのはちょうと冬の始まりのことだったから。どうせなら……もっと暖かい季節に約束をすることができたなら、魔理沙ももっと楽に私の家を訪ねることができただろうにと、今更しても仕方がない反省さえ心には覚えられてしまって。
 せめて寒い中を飛んで訪ねてきてくれた魔理沙の為に、こうしてすぐに温かな紅茶を振る舞うこと。それが二人の関係が始まってからずっと続いてく、いつしか当たり前の日常にさえなっているみたいだった。