■ 71.「互譲の精神」

LastUpdate:2009/03/12 初出:YURI-sis

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 一緒にいるからといって、私達は特別な何かをするわけではない。紅茶を淹れる時には魔理沙の分も一緒に淹れるし、夕食も二人分纏めて作るけれど。魔理沙が一緒に居るからといって普段と変わるのはそれぐらいのもので、魔理沙は何一つアリスに特別な何かを望まなかったし、アリスもまた魔理沙に対して何かを望むようなことはしなかった。
 だから一緒に居るといっても、せいぜい二人がそれぞれ勝手気ままに本を読んだり、あるいは魔法の研究をする程度のもの。ふとした拍子に会話をする程度のことなら間々あるけれど、原則として魔理沙が傍にいることは何の負担にもならないし、いつか『恋人になりたい』と告げた言葉とは裏腹に、魔理沙は何も恋人らしいことをアリスに求めはしなかった。
 そんな関係だから、お互いが寄り添う時間を重ねれば重ねていくほど、そこに余計な気兼ねのようなものは自然に消えていった。まるで私達は昔からそうしていたかのように、ただ傍にいる。傍にいることで存在を感じて、時には言葉を交わし合って。不思議なことにアリス一人きりの部屋よりも、魔理沙と一緒に居ることができる世界は確実に暖かだった。
(初めの頃には、色々覚悟もしていたのだけれどね……)
 魔理沙が私に対して抱いてくれている気持ちが分かりきっている以上、彼女がその想いからアリスに求めてくるかもしれない行為には、それなりに想像が及ぶところもあったから。本で得た知識ばかりとはいえ、愛する者同士が睦び合う幾許かのことについてはアリスにも相応の知識があったし、男性には些かの興味も無いせいか女同士での性愛についてもそれなりに知り得てはいるのだけれど。
 そうした行為を、魔理沙はこの数ヶ月ただ一度さえ求めなかった。性愛と呼べそうなものから、そうではない恋人同士の求め合いの一端の行為――例えば唇を重ねたり、あるいは手を繋ぐことひとつさえ、アリスに求めるようなことはしなかった。
 こんな無茶な「約束」を提案してしまった以上、あれからすぐにでも魔理沙に押し倒されてしまうのではないかと――そんな想像した機会も無数にあった。こうして毎日来るという「約束」を交わした以上、魔理沙が恋人として望む何かしらを求めてきたとしても、アリスにはそれを咎めることなどできはしないのだ。
 まだ約束から間もない頃であるなら、「魔理沙が本当に約束を果たせるかわからないから」と、十分でない履行を盾に拒むこともできたかもしれないけれど。
(……けれど、今もしも求められたら)
 魔理沙はもう、十二分に約束を守ってくれている。こうして毎日、自宅とアリスの家とを往復することが、どれだけ本来魔理沙が為し得る研究の妨げになっているのかもわからないぐらいで。これだけの労力を自分の為に払ってくれているいま……もしも魔理沙に求められたなら、アリスには拒むことができるだろうか。
 きっと……拒めない。彼女は一般的に恋人として満たさなければならない条件、果たさなければならない十分な対価に遍く応えてくれている。即ち、私に対して想いを打ち明け、私に対して惜しみないものを提供してくれるのだから。アリスに、彼女の真摯すぎる想いを拒む事なんて……たぶん、もうできはしない。
 それにアリスのほうだって……きっともう、魔理沙のことを好きになってしまっている。例え初めは何も彼女に対して特別な感情を抱いていなかったのだとしても。あれほど真っ直ぐに想いをぶつけてくれて、こんなにも傍にいてくれる彼女に……どうして絆されずになどいられるだろうか。
 気付けば毎日、魔理沙が訪ねてきてくれるのを心待ちにしている自分の姿があった。魔理沙がそろそろ来るかな、という時間になると心がどうにもそわそわして落ち着かなくなって。そうでなくても、まだ魔理沙が来るには随分と早い時間帯から、魔理沙に少しでも綺麗に見られたくて……何時間も鏡台の前に座って、身嗜みを整えている私が居るのだから。
 これが魔理沙に対する恋愛感情でなくて、何だというのだろう。
(魔理沙のことが、好き)
 胸に手をあてると、その意識がじんわりと拡がって。
 不思議と、その気持ちは何度でも心の中で反芻したくなる。
(私、魔理沙のことが、好きなんだ……)
 小さな痛みを伴う疼きに呻いていた筈のアリスの心は、そう認めてしまうだけで直ぐに楽になるみたいだった。
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