■ 12.「泥み恋情04」

LastUpdate:2009/05/12 初出:YURI-sis

 誰かに対して強い関心を抱くことが少ないのは、自分に対して強い関心を抱いてくれる人がいないからなのだと思っていた。存在感の無い私にとってそれは容易に得られるものではなく、実際両親を除いては自らの意志で桃子に話しかけようとしてくれる人でさえ、そうそう居るものではないぐらいだ。
 いつしか、誰かに見られたいという思いも失っていった。誰かに見つめて貰えるための努力をすることにさえ、疲れ始めていた。そんな私が……こうしてもう一度、誰かの関心を惹きたいと思えるようになったのは。偏に先輩のおかげであることは疑いようのないことでもあった。
 あの日、先輩が抱いてくれた自分への関心が、いまでも心の中で温かな拠り所になっている。もちろんあの日、先輩が桃子のことを求めてくれたのは大会の為に麻雀の面子が欲しかった以上の理由がないことぐらいわかっているけれど。それでも、あの日の先輩の言葉を桃子は忘れることができない。
 先輩に、見つめられたいと思う。僅かにでも好意の眼差しで見つめられたいと思えばこそ、今までが嘘みたいにその為の努力も面倒とは思わなくなった。先輩の関心を少しでも引きたい、先輩に少しでも良く思われたい。
 そうした願望を抱かずにいられない理由にも、桃子はすぐに気づくことができた。
 私は――先輩のことが、好きになってしまっているのだ。
 だから、もう一度。今度は大会の為ではなく、もっと純粋な理由から『君が欲しい』と先輩に望まれたい。もし先輩にそう言って貰えるなら、私は迷うことなく自分の総てを差し出すことができるだろうから。

 

 

 

「……モモ、モモ」
「ううん……?」

 

 ゆさゆさと肩を揺さぶられて始めて、先輩が自分を見つめてくれていることに気づく。
 ちょうど『先輩に見つめられたい』と。そんなことを考えていた矢先のことだったものだから、恥ずかしさから思わず桃子は慌てて目を逸らしてしまう。

 

「せ、せせ、先輩。……ど、どうしたっすか?」
「私はどうもしない。モモがどうしたのかと思ってな」
「私が……っすか?」
「今日は部室に来てからずっと、何か考え事をしているみたいだったからな」
「……なるほど」

 

 先輩にそう指摘されて、確かに、と桃子は苦笑せざるを得ない。部室に顔を出したにも関わらず、卓に付こうともせずに考え事に没頭していたのだから。……そんなことでは、心配されるのも無理ない話なのだろう。
(……あれ?)
 そこまで得心して、けれど桃子はそうした先輩の言葉にかすかな違和感を覚えずにはいられなかった。

 

「先輩……私のことが見えてるんすね?」
「もちろん見えている。でなければ話しかけることもできないだろう」
「それも私が、部室に来た瞬間から気づいてたんすか?」
「……言われてみれば、確かに気づいていたな」

 

 先輩自身も今更そのことに気づいたみたいで、少なからず驚いた表情を浮かべてみせる。
 今まで、こんなことなんてなかった。ふとした折に先輩が桃子に気づくこと、それ自体は珍しいながらも全くないことではなかったけれど。だけど、部室に来てからずっと考え事に没頭していた桃子に。……つまり一言も発さず、一切の存在のアピールをしなかった桃子に。先輩が最初から気づいているなんてことは、今までずっと有り得ないことだったのに。

 

「……そういう兆候は、以前からあったんだ」
「兆候、っすか?」
「ああ。最初は少しずつモモの存在を感じられるようになってきてな。もしかすると最近は、割と普通に桃子のことが見えるようになっていたりするのかもしれない」
「それ、本当っすか……?」

 

 先輩が嘘なんか吐かないことは知っているけれど、それでも桃子は疑いをそのまま口にせずにはいられない。何しろ長年同じ家に住み続けてきた桃子の両親でさえ、未だに姿の見えない桃子に対して言葉で存在を確認してくるのだから。
 だというのに。まだ知り合って数ヶ月しか経っていない筈の先輩が、桃子のことを見えるようになるだなんてことは。――いくら先輩でも、簡単には信じることができない言葉なのだ。

 

「……昨日は部室に来てから暫くの間、編み物をしていたな」
「うぇっ!? き、気づいてたんすか」
「そして部長が歯医者へ行かれて卓が欠けると、編み物をバッグに閉まってから――さもいま部室に来たかのように、モモは自分の存在をアピールしてみせていたな」
「うあ……。そ、そこまで的確に指摘されると、ぐうの音も出ないっす……」

 

 確かに、ちゃんと見えてでもいない限り、そこまで性格に昨日の桃子の行動を口にすることは不可能なことで。
 だとすると、本当に先輩には桃子のことが見えていて。世界で唯一人、桃子のことを先輩だけが見つけることができるのだとしたなら。……それは、とても素敵なことのように思えてならなかった。

 

「……実を言えば、モモのことが見えるようになった心当たりはあるんだ」
「心当たり、っすか……?」

 

 何だか先輩の言葉がどれも驚かされることばかりで、鸚鵡返しに訊ね返してばっかりだ。

 

「その、私は……寝る前に、色々考え事をする癖があるのだが」
「あ、私もベッドに入ってから眠っちゃうまで、よく考え事をしたりするっすね」

 

 そうした時間に考えるのは、いつも先輩のことばかりなのだけれど。
 さすがに恥ずかしすぎるから。そのことは噤みながら、桃子は同意の相づちを打つ。

 

「以前は麻雀のことや部活のこと、試験のこと、あるいは進路のことを考えるのが常だった。モモが入ってくれるまでは大会の面子も足りていなかったし、それに進路なんかは未だに決めかねているからな……」
「そう、だったんすか。先輩が進路に悩んでるなんて、知りませんでした」
「だが最近では、その……最近では寝る前に、いつもモモのことばかり考えている」
「………………え、えええぇ!?」

 

 あまりに嘘みたいな、信じられない言葉だったものだから。
 たっぷり数秒は先輩の言葉を頭の中で反芻してからやっと、桃子は驚きの声を上げる。

 

「そ、それは、どういう意味っすか……?」
「……おそらく、私がモモのことを好きになっているという意味だと思う」

 

 桃子が訊ねると、あっさり先輩の口から答えが返ってくる。
 先輩の声が微かに震えている。こんなにも恥ずかしそうに顔を赤らめている先輩を見るのは初めてのことで、桃子の方まで緊張でどきどきしてきてしまう。それなのに、訊ねられれば言葉を濁すこともせずに率直に答えてくれることが、なんだかいかにも先輩らしくって少しだけ可笑しかった。

 

「済まない、こんなことを正直に打ち明けても迷惑なだけだというのは判っていたのだが。……付き合ってくれなどと言うつもりはない。ただモモに、今の私には下心があるという事実を隠しておきたくはなかったんだ……」

 

 心底申し訳なさそうな口調で、先輩がそう吐き出してみせて。
 さらにそのあと、聞こえるか聞こえないかというほど小さな声で「……これ以上、卑怯者にはなりたくないからな」と漏らしてみせた。

 

「せ、先輩。……わ、私もひとつ、先輩に隠しておきたくないことがあるっす!」

 

 ぶんぶんと、勢いよく首を左右に振って桃子は強く先輩の言葉を否定する。
 先輩が総てを打ち明けてくれるのなら。私も、卑怯者になんてなりたくないから。
 その先の言葉は、先輩につられるかのようにごく自然に、吐き出すことができた。