■ 29.「泥み恋情12」
無条件に諦めていたのは、従者としての分か、或いは既に余地がないからなのか。どちらが本意なのかは咲夜自身にさえ判らないことではあるのだけれど、けれどこれでいいのだろう。自分の意志を通して余計な波風を立てることなど、それこそ決して本意ではないのだから。
諦念あらばこそ、アリスに対する恋心を内々では抱いていても努めて咲夜は冷静に彼女に接することができた。久々に図書館に入って、ひとりきりのアリスを見かけたとしても。震えることない手つきでアリスに紅茶を差し出せるぐらいは。
「パチュリー様はどちらに?」
「……ああ、やっぱり従者といっても、知らないこともあるのね」
その言葉に、従者としての能力を否定されたように感じて咲夜は一瞬むっとしてしまう。けれどアリスの口調は決して非難めいたものではなく、純粋な疑問から出てきた言葉のように感じられて。咲夜はすぐに早合点した自分を反省しながら、その心を振り払った。
「パチュリーだったら、今は紅魔館のほうに居るわ。体調を崩して、リトルに世話されているみたいだけれど」
「そう、だったの。……だったら何故、アリスはここにいるの?」
「……え? 居ちゃいけない?」
それもまた、純朴な疑問の瞳で。アリスがそう訊ねてくるものだから、咲夜は言葉を濁した。
「パチュリー様の傍に居なくていいの?」
「リトルが居るなら、私は居ても邪魔なだけじゃないかしら」
「ええと、そうじゃなくて……好きな人を看病したいとか、そういうことは思わないわけ?」
咲夜の言葉に、今度はアリスは目を丸くして驚きの表情を見せてくれた。
「……私が、パチュリーのことを好き?」
「そうなのだと思っていたけれど?」
咲夜もまた、少なからず驚きながらアリスに言葉をぶつける。
けれど、あまりにも予想外といったアリスの表情が、真実を語っているのは明白だった。
「生憎と、私が好きなのはパチュリーじゃないわよ」
「……どうやらそうみたいね。失礼したわ」
「ええ、全く失礼だわ。私はちゃんと、あなたのことが好きなのに」
「………………は?」
驚きのあまり、アリスの瞳を見確かめると。アリスは真っ直ぐに咲夜の方に視線を向けてきてくれていて、却って咲夜の方が恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。
聞き違いか何かでは、とまず疑ったけれど。ただでさえ静かすぎる地下の図書館で、まして咲夜とアリスの二人以外には一切の雑音がないこの世界で、聞き違いするなんて到底ありえない現実だった。
「ふふっ、やっぱり気づいてなかったのね」
「え? え? あ、アリスが……私、を?」
しどろもどろになりながらもそう訊ねると、簡単にアリスは頷いて肯定してくれる。
一度は諦めきって、熱を失った感情が。ざわざわと、咲夜の心の中で息を吹き返してきている。
「私の勘違いでなければ、咲夜もそうだと思ったのだけれど?」
まして心の裡まで見透かされていようなら。
閉じていた心にさえアリスの熱が届いてくるのも、不思議ではないのかもしれない。