■ 35.「恋獄の檻1」

LastUpdate:2009/06/04 初出:YURI-sis

 暗闇の中で緩やかにパチュリーは意識を取り戻していく。
 眠りに落ちていたぐらいなのだから十分に暗順応できている筈なのに、見渡す限りの世界には光がまるでないらしく、瞼を開いてみても周囲の景色を僅かにさえ伺うことはできなかった。
 さすがに訝しく思って、パチュリーはまだ半分虚ろな寝惚け眼を両手でこすってみる。……否、こすろうとはしてみたものの、パチュリーの両手の手首はそれぞれ何か硬く重い戒めに捕らわれてしまっていて、目元まで手繰り寄せることさえできなかった。
(手枷を、されている?)
 じゃらっと鉄の鎖が重たい音を立てていることに気づいて、その疑問は直ちに確信へと変わった。徐々に覚醒していく意識で気づけば、そもそもパチュリーの両手は自分の身体に対してきっちり後ろ手に戒められていて、これが尋常の自体である筈が無かった。
(誰かに捕えられた……?)
 息を潜めて周囲の気配を伺うけれど、誰の存在も感じることができない。続けて探知の魔法を行使しようとするけれど、パチュリーがいままさに発動させようとした魔法は、まるで雲散霧消するかのように掻き消されてしまう。


「あ、熱っ……」


 暗闇である以前に、後ろ手にされているせいで見確かめることはできないけれど、両手を戒めている手枷が妙に熱くなって燻る。原理は判らないけれど、この手枷が持つ何かしらの力がパチュリーによる魔法の行使を妨げているであろうことは簡単に予想できることだった。
(……弱った、わね)
 魔法が使えないとなると、パチュリーには最早打つ手がない。パチュリーが大きな力を持ち、紅魔館に相応しいだけの存在で居られるのは、偏にパチュリー自身の魔力と魔法の知識が膨大であるからだ。だというのに……その力を総て奪い取られてしまったとなると、私は最早ひとりの人間と変わらない程度の惰弱さしか持ち合わせてはいない。
 脱出しなければならない、とは思うのだけれど。何にしてもこうして全身を戒められている以上、今の私にできることなんて……無い。誰が何の目的で、そしてどうやってパチュリーをこのように拉致し、監禁せしめたのかは判らないけれど。今の私にはただ、時間の流れを見守って事実を知るしか術が無かった。

 

 

 

 ゴォンという重い扉が開くかのような鈍い音と共に部屋の空気全体がびりびりと揺れる感覚があった。察するにそれは、この部屋そのものが外との空気接点を最低限しか持たないからなのだろう。するとここは地下室か何かだと考えるのが自然だろうか。
 コツコツと、ゆっくりとしたリズムで近づいてくる足音。ランプのような光源を携えている彼女の顔は、未だに躰を起こすことさえできない不格好なパチュリーにも簡単に誰であるか見定めることができた。

 

「アリ、ス……」
「ごきげんよう、いい格好ねパチュリー」

 

 信じられない。顔をはっきりと見て、声さえ聞いてしまってなお、こんなことをした犯人がアリスであるなどとはパチュリーにはどうしても信じられなかった。

 

「……どうして、こんなことを」

 

 パチュリーの言葉に。はあっ、とアリスは大きな溜息を吐いてみせる。

 

「ええ、あなたには判らないでしょうね。……そんな馬鹿なあなただから」
「い、痛いっ!」
「私もあなたを、徹底的に苛めたくなるのよ」

 

 髪の毛をぎゅっと引っ張られて、鮮烈な痛みにパチュリーは悲鳴を上げる。アリスがこんなことをするだなんて、信じられないのに。信じたくなんて、ないのに。鮮烈な痛みが、嫌でもこれが夢でないということを思い知らせてくる。
 パチュリーには抵抗する術が無い。だから恐怖心を抱かないわけがない。けれど不思議とパチュリーは恐怖の感情そのものよりも……こんなにもアリスの心を追い込んでしまっていた自分自身が、許せなくて、申し訳ない心で一杯になってしまっていた。