■ 71.「泥み恋情24」

LastUpdate:2009/07/10 初出:YURI-sis

 二人分の体重を受け止めたアトリエのソファーが、ぎしっと鈍い音を立てた。それだけならいいんだけど、一緒にちょっと無視できないぐらいの埃が締め切った部屋の中に舞い上がって、思わずロロナはぞっとしてしまう。
 部屋の掃除はそれなりにやっているつもりだなんだけど……アーランド国有鉱山まで往復で六日、素材の探索にも六日、合計で十二日間もアトリエを空けていた直後なのだから無理もない。もくもくと上がる埃にさすがのくーちゃんもちょっと眉を顰めてみせたけれど、それでもきっと睨み付けるような表情だけは緩めなかった。

 

「痛いよ、くーちゃん……」

 

 抗議の声を上げると、少しだけ申し訳なさそうな表情も浮かぶけれど。それでもくーちゃんは表情の裡に秘めた意志をすこしも曲げはしなかった。

 

「……私だって。私だって、ずっと痛かったのよ」
「い、痛かったって……く、くーちゃんどこか怪我してたの!?」
「怪我なんかしてないわよ! い、痛かったのは、こっちのほうよ……」

 

 そう言って、くーちゃんはとんとんと自分のお腹より少し上の辺りを指さしてみせる。

 

「……胸?」
「心よ! あ、あんたがずっと、あの騎士とばっかり……!」
「騎士って、ステルクさんのこと?」

 

 こんなに怒ったくーちゃんを見るのは初めてのことで、ロロナは思わず困惑してしまう。それと同時に、どれほど困らせてしまった時にも殆ど怒ったりしないくーちゃんが、これほどに怒っているのだから。
(……私、何かくーちゃんに酷いことをしちゃったんだ)
 そんなふうに、疑いなくロロナには思えた。

 

「わ、私、謝るから。くーちゃんに何をしちゃったのか、判らないけど、でも」
「理由も判らないのに謝ったりするなっ! わ、私が怒ってるのは、ロロナにじゃなくて」
「……もしかして、ステルクさんに?」
「そうよっ! あ、あのクソまじめ騎士のやつ……! な、何が『君を護るのも騎士の務めだ』よっ! そんなの、そんなのっ!」
「く、くーちゃん……?」
「――そんなの、あんたに気があるからに決まってるじゃないのよっ!」

 

 表情は怒り顔の儘なのに、けれどくーちゃんは両眼に一杯の涙を浮かべながら。唐突にそんなことを言ってみせたのだ。

 

「……そんなことある筈ないよ。私、そんなに魅力的じゃないもん」
「自分を卑下するなっ! あ、あんたのそうやって、すぐ自分を卑下する所が私は嫌いよっ!」
「う、ごめんなさい……」
「あんた自身に判らなくても、ロロナの魅力なら私にはちゃんと判る! あ、あんたがどれほど魅力的な女の子なのか、私はちゃんと知ってるんだからっ!」
「………………え、ええと。……ありがとう、かな?」

 

 さすがに力説される言葉が恥ずかしくって、小さな声でロロナはそう答える。
 するとくーちゃんは何かにはっと気づいたかのように、急にかぁーっと顔を真っ赤にしてみせて。ソファーの上でロロナの身体を組み伏せるような格好のまま、けれどなんだか小っちゃく縮こまってみせた。
(……くーちゃんって、本当に軽いなあ)
 押し倒されているみたいな状態はちょっとだけ恥ずかしいけれど……こうやってくーちゃんとたくさん身体を触れさせているのは、なんだか少しだけ幸せな気持ちがするのが不思議だった。服越しにも伝わってくる温かな体温、それにくーちゃんの身体は程度に心地よい重みをロロナの身体に与えてくれて。そんな状況じゃないって判ってはいるけれど、気を抜いてしまうと今すぐにでも眠れてしまいそうな、そんな心地よさをくーちゃんからは強く感じる気がするのだ。

 

「くーちゃんの身体って、なんだか温かいね」
「……へえっ!? う、うえあああ、な、何を急に言い出すのよっ!」
「ふふっ、ごめんね。……なんだかこうやってくーちゃんと一緒に寝れたら、温かそうだなって思ったんだ」
「はあっ!?」
「……あ、口に出して言っちゃったら、なんだか眠くなってきちゃった……かも」

 

 ふああ、とあくびがつい口を吐いて出てしまう。
 お出かけしてる時にはどうしてもゆっくり眠れないから、こうしてアトリエに戻ってくるとどうしても急に眠くなってしまうのはいつものことだった。固い地面の上じゃなくて柔らかいソファーの上で、モンスターに襲われる心配もないし。……それに、くーちゃんの存在がなんだか安らぎに近いものさえ与えてくれるから。

 

「た、確かにちょっと……眠い気がするわね、ふあぁ……」

 

 ロロナにつられたのか、ロロナの身体の上でくーちゃんもつられるようにあくびをしてみせた。
 眠っちゃいけないと思うのに、気がつくと意識は少しずつ微睡んでいって。そうした中かろうじて意識を保っていると、いつしかロロナよりも先にくーちゃんのほうが安らかな寝息を立て始めていた。
(……いつもくーちゃんは、私を助けてくれてるんだよね)
 何日も旅をするだけでも大変なのに、モンスターと戦う機会も多い素材集めの旅は本当に大変で。それなのにくーちゃんはいつも何一つ文句を言わずについてきてくれる。しかもロロナが何度お給料を払うと言っても聞いてくれずに、それなのに戦闘中にはいつもロロナのことを最優先に考えてくれて、文字通り身を挺して護ってくれたことだって、今まで数え切れないぐらいにあるのだ。
(いつもありがとう、くーちゃん)
 純粋な感謝の気持ちから、ロロナはくーちゃんの頬にそっとキスしてみる。
 もともと目と鼻の先、数センチしか離れていないところにくーちゃんの顔があるから、それは身体が動かせない状態のロロナにとっても容易いことだった。そっと唇を寄せるくーちゃんの肌はとても柔らかくて、しっとりとした潤いさえ湛えていて。キスをしたロロナのほうこそが、何だか変な気持ちになってしまいそうだった。


 眠気と心地よさに身を委ねて、そのまま意識を深い場所に落とす。
 夢に落ちる直前に、ロロナの身体の上でくーちゃんがもぞもぞと身じろぎしてみせて。そのせいで、今度はくーちゃんの唇と直接にキスしてしまった気がしたけれど。
 それもまた、とても心に深い幸せばかりを与えてくれるものだから。より幸せな気持ちにばかり包まれながら、ロロナは夢の中へと意識を沈ませていくのだった。