■ 75.「泥み恋情28」

LastUpdate:2009/07/14 初出:YURI-sis

「だって私、手品を使わないあなたが欲しいんですもの」

 

 いつか透華がボクにいってくれたその言葉。透華がボクに価値を見出してくれて、未来を与えてくれたからこそこうして今に満足して麻雀を打っていられるボクがいられている。
 透華が言ってくれた『あなたが欲しい』との言葉。その言葉が、いつしかボクの心の中で拠り所のようになっていると――もしそう言ったなら透華はどんな顔をするのだろう。やっぱり、嫌な顔をするのだろうか。
 それでもボクは、あのとき透華が与えてくれた言葉を大切に抱いている。透華がボクを『欲しい』と言ってくれたから。だからボクは、他の誰でもない、透華だけのものである自分を意識することができるのだから――。

(そんなことを、常日頃から考えていたからかもしれない……)
 そう、はじめには思えた。普段とは違って少しだけ乱暴な手つきで、気がつけば透華のベッドに押し倒されていたボクの身体。数センチ程度にしか離れていない至近距離に透華の顔があって――けれど、そんな状況でさえボクは不思議と冷静な自分を意識することができていた。

 

「案外、驚きませんのね……」
「……ううん、驚いてはいるよ。これが事故じゃないのなら、だけど」
「さすがの私もこんな風に器用にはじめを組み敷くような格好で、都合良く押し倒す事故をするほど間抜けではありませんわ」

 

 そう言って、透華の右手の人差し指がボクの頬をつつっと撫でる。
 事故でないなら……やっぱり故意に押し倒されたと言うことなのだろう。だとするならベッドの上で、こんな格好で押し倒される意味なんて、きっとひとつしかない。

 

「透華。……ボクに、そういうことをしたいの?」

 

 透華の行動を拒絶するのでもなく、あるいは受け入れるのでもなく。純粋な疑問から気づけばはじめはそう問い返していた。思わずボクが発したその言葉は、透華が予め想定していた幾つかの答えのいずれにも一致しなかったのだろう。透華は頬に紅を浮かべながら僅かに狼狽してみせたあと、眉尻を下げながら正直な気持ちを吐露してくれた。

 

「……したい、ですわ」
「だったら、透華の気持ちを聞かせて欲しいな。……そうしてくれたら、ボクも笑顔で答えることができると思うから」
「――っ!」

 

 透華の表情に浮かぶ狼狽が、より強めいたものになる。
 本当ははじめのほうから先に『好き』って言ってあげれば、透華の気持ちも大分楽になるのだろう。そうは思ったけれど、はじめはあえてそれを口にしなかった。こんなのはボクの我儘なのだろうけれど……透華に先に、気持ちを聞かせて欲しいと思ってしまったから。
 ボクの気持ちを試そうとしてこんな風に押し倒してみせているのだろうけれど、透華がどんなに優しい人なのかボクは正しく知っている。もしボクが少しでも抵抗の意志を見せたなら、たぶん透華はすぐにボクから離れてくれるのだろうけれど……こんな風にいかにも『無理矢理』を装ってボクを押し倒すのだって、本当は酷い罪悪感のようなものを透華は抱えてくれているのだろう。
 でもボクは、絶対に抵抗したり何てしない。拒絶なんて、しない。
 だって透華が寄せてくれる想いを、少なからずボクは知っていたから。知っていて、それをただどんなにも幸せに思っていたのだから。不器用なやり方だけれど、こうして透華が実行に移してくれたことが、嬉しくない筈がないのだから。

 

「あ、あああ、あなたの、こ、ことがっ。……はじめのことが、好き、ですわ」
「……うん、ボクも透華のことが好きだよ。世界で誰よりも、好き」
「本当に? ……嘘じゃありませんこと?」
「うん、本当に。だからボクも、透華と『そういうこと』がしたいと思ってるよ」

 

 折り返し、ボクからも正直な気持ちを伝える。
 目と目が合って話せなくなる。ごく近い距離で向かい合って、吸い付けられるように透華から目を離せなくなる。透華もまた、じっとボクの目だけを見て視線を逸らさない。
 そんなふうに見つめ合うのも幸せなことだけれど、あえてボクは瞼を閉じて交わす視線を閉ざしてみる。透華と顔が数センチしか離れていない距離で、瞼を閉じる。それが何を催促する行為であるかぐらいはきっと伝わるように思えたから。

 

「……本当に、よろしいのですね?」
「ん」

 

 瞼を閉じたまま、小さく頷いて応えると。
 やがてとても冷たくて柔らかな感触が、そっとボクの唇に重なってきた。