■ 85.「泥み恋情38」

LastUpdate:2009/07/24 初出:YURI-sis

「この先にもう少し行ったらね、私の家があるの」

 

 そう言って久さんは、それほど離れていない坂道の辺りを指し示す。勾配が少しだけきつくなってきそうなその辺りは確かにもうそれほど離れてはおらず、このままのペースで歩けば数分と掛からずに着くように思えた。

 

「でもね、自宅には家族がいるから。美穂子が私のことを本当に好きだと言ってくれるなら、そこには連れて行きたくない」
「……それは、どうしてでしょう?」
「家族が居る家に連れて行っても、私は美穂子に対して多分何もできないから。……美穂子が私に『あなたを好きになる』ことを許してくれた以上、そんなつまらないところに連れていっても仕方が無いもの」

 

 久さんの指先が、今度は九十度程違った方向を指し示す。より丘の頂へ近い方向にある大きな建物、夜闇の中であってもそれが何なのかは美穂子にも漠然ながら判った。

 

「あれが……清澄高校、ですか?」
「うん、正解。あそこの部室にはひとつだけだけどベッドもあるし、少し移動すれば運動部のシャワー室も使えるから泊まれないこともないと思うんだけど、どうかな?」
「私は、泊まる所なんてどこでも構いません。初めからその覚悟で電車に飛び乗ってきましたから。……ですが、こんな時間に学校の中に入れるものなのでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。私はあの学校の鍵なら一通り持っているから」

 

 じゃらっと、重たい金属音を立てる鍵束。どこに持っていたのか、いつの間にか久さんの右手にはそんなものが握られていたりして、少なからず美穂子は驚かされてしまう。思わず「どうして、そんなのを」と訊ねていた美穂子に、久さんはにっとはにかむように笑んでみせて。

 

「これでも私は、清澄の学生議会長さんなのよ」

 

 そんな風に言ってみせたのだった。