■ 108.「泥み恋情53」

LastUpdate:2009/08/16 初出:YURI-sis

 彼女の持つ強さは、鬼として与えられた強さだけではない。
 それに気づいた瞬間から、早苗は彼女を気にせずにはいられなくなった。

 


「こんにちはー」
「おー、いらっしゃい。申し訳ないけれど、いま霊夢は留守だよ?」
「存じております、先程香霖堂のほうで見かけましたから」
「不在と知っていて来たの?」

 

 不思議そうに首を傾げてみせて、けれどその数秒後にはどうでもよくなったのだろうか。萃香さんはにっと小さく微笑むみながら、早苗のことを歓迎してくれた。

 

「今日は漉餡で柏餅を作ったので、お裾分けに」
「霊夢に? 渡しておくよ?」
「いえ、霊夢さんには先程既にお渡しましたから。これは萃香さんにですね」
「……私に?」

 

 今度は先程以上に不思議そうな表情を浮かべて、萃香さんはうーんと考え込む素振りをしてみせた。
 無理もない、と思う。萃香さんと早苗の接点なんて、およそ宴席で数度言葉を交わしたことがある程度のもので。だから萃香さんには、どうして早苗が自分に逢いに来るのかが判らないのだろう。――もちろん、たった数言程度交わした言葉で、早苗が萃香さんに対して心惹かれていることになんて気づけるはずもない。

 

「うーん……何だか良く判らないけれど、私の客なら歓迎しない道理はないね。霊夢から借りてる私の部屋があるから、良かったら上がって行ってよ。お茶か酒ぐらいしか出せないけどさ」
「はい、是非お邪魔させて頂きますね」

 

 縁側からそのまま霊夢さんの自宅に上がって、萃香さんの後を数歩遅れて歩く。
 ある程度予想できていたことではあったけれど。案の定、通された部屋にはお布団を除いて他に物らしい物というものがなくて。呆れるほど生活感の無い部屋の様子に、自然と苦笑が零れてしまう。

 

「何もない部屋だろう?」

 

 自分でもそう思っているのだろう。萃香さんはそう言うと、自分でも可笑しそうにくくっと噛みしめるような笑いを零して見せた。

 

「お持たせで申し訳ないけれど頂いてしまおうかね。お茶でいい?」
「はい、ありがとうございます」

 

 早苗が頷いたのを確認してから、萃香さんは部屋から離れていく。
 ひとりぽつねんと残された早苗は、静かに腰を下ろしてから部屋の様子を窺ってみる。確かに一切と言っていいほどに物がない部屋だけれど、きちんと空気が入れ換えられていて清潔でもある部屋には窮屈感が無くて、初めて通された部屋であるはずなのに妙に落ち着くような気がした。
 畳の上に腰を下ろした体勢のままで、ちょっとだけお布団のほうに寄り添ってみる。取り込まれたばかりなのだろうか、ふかふかのお布団からは太陽の匂いがするみたいで。布団が与えてくれるあまりの心地よさに、気を緩めすぎるとすぐにでも眠ってしまいそうでさえあった。

 

「お茶よりも、お昼寝のほうがお望み?」

 

 そんな早苗の様子を見て、お茶を二つお盆の上に乗せて返ってきた萃香さんが優しく微笑んでみせる。

 

「……これはお恥ずかしい所を」

 

 慌てて佇まいだけを直してから、萃香さんが差し出して下さる湯飲みを受け取る。
 お布団からお陽様の匂いと共に淡く感じられた甘い匂いは、もしかしてお酒の匂いだろうか。まるで生活感のないこの部屋なのに、なんだかいかにも萃香さんらしい生活感をそこに見出してしまったような気がして、少しだけ早苗は妙に嬉しい気持ちにもなってしまうのだった。