■ 110.「倖せは夢の中だけ」
  
 私が、もしも好きだと告げたなら。
     君は冗談だと思って笑うのだろうか。それとも――。
霞んだ視界。指先でそれを拭い、飛び込んできた景色は見慣れた自室の天井で、自分が夢を見ていたのだとにとりは瞬時に理解する。――願望が夢を見させるというのはきっと真実で、出来もしない願望めいた物を垣間見る時には、いつもそれを夢だと心の中で意識する癖がついているから。だから今回も、不意に現実に返ってもそれほどにとりは戸惑うことは無かった。
「ふぇ……!?」
 代わりに、あまりにも意外な感触ににとりは驚かされる。何気なくベッドに宛がおうと思った右手の手のひら、けれどそれはベッドのシーフにも毛布にも触れることなく、代わりに何か温かで柔らかなものに触れていた。
     慌てて見確かめると――感触の正体は、魔理沙だった。彼女の左の二の腕に、にとりの手のひらが触れてしまっていて。にとりに触れられた刺激に、まだ眠っているらしい魔理沙の長い睫が、無意識のうちにかぴくりと小さく揺れていた。
    (ど、どうして魔理沙が隣で寝てるんだろう……)
     落ち着かない心を何とか諫めながら、必死ににとりは昨晩のことを思い出そうとする。昨日は文と椛と三人で飲んでいた筈で、だから二人の内のどちらかが泊まっているというのならまだ理解できそうな気もするのだけれど。
     ――そういえば昨晩は結構早い時間帯から飲んでいたせいか、三人で飲み合っている最中に誰か気づいたら混じっている闖入者が居たような気がする。それが誰だったかは、もう十分に酒が回っていた頃だったせいかはっきりと覚えてはいないのだけれど……ここに魔理沙が居る以上、それは魔理沙だったということなのだろう。
    (……うう、本当に思い出せない)
     お酒に強いようで弱い、といつかの日ににとりのことを評したのは確か椛だったような気がする。飲んでいる最中にはまるで水のように速いペースで飲んでいくし、酔い潰れるのも遅いから誰よりも後まで酒を呷っている。だけど飲んでいる最中にはしっかり酔っぱらって妙に口が軽くなるし、そのうえ飲んでいた時のことを翌日には殆ど覚えては居ないのだから、決して酒に強いとは言えない。――改めて思い返しながら、そう評した椛の言葉をにとりは確かに正しいものだと認めずにはいられなかった。
    (何か変なことを、言っちゃったりしてなければいいけれど……)
     にとりは基本的に口が堅い。だけど酒に酔うと人から預かっている秘密も、そして……自分の秘密も簡単に口にしてしまう。そうした自分の悪癖を知っていればこそ、にとりもごく限られた親しい友人としか深酒しないように気をつけているのだ。
     同じ河童である数人の友人と、それに文と椛。だからにとりが持っている魔理沙に対する恋心も、酒を飲むほどに親しい文や椛は既に知っているし、その上で秘密にしながら密かに応援もしてくれているのだけれど。
「ん……朝、なのか……?」
    「うぇっ!? お、おはよう、魔理沙。……う、うん、もう昼近いみたいだよ」
    「んー、そっかあ。……じゃあ、起きるかあ」
 隣で、にとりと同じように上体を起こす魔理沙。
     彼女の二の腕にも触れたのだし、気づくべきだったのだけれど。……魔理沙の格好は、普段のドレスを脱ぎ捨てた下着だけの格好で。にとりは思わず、その綺麗すぎる姿に魅入ってしまう。
「……あ、あんまりじろじろ見られると、さすがに恥ずかしいんだが」
    「わっ、ご、ごめん!」
    「別にいいんだけどな、女同士なんだし。……あー、でも。にとり相手には気にした方がいいのか?」
    「ど、どうして?」
    「そりゃ、だって。にとりは私のことが好きなんだろう?」
 にとりの気持ちを、魔理沙はあっさりと口にする。
     不確かな憶測を口にするのではなく。ごく当然のことのように、とても自然に。
「私、昨日魔理沙に言っちゃったんだ……?」
    「ああ、言われたぜ。まさか告白されるなんて思ってなかったから、さすがに私もびっくりしちゃったけどな。……椛から聞いたんだけど、酒に酔うと口が軽くなるし、翌日には覚えてないんだってな?」
    「……うん。ごめん私、魔理沙に告白したことも覚えてないんだ」
    「やっぱりその後のことも覚えてないんだよな?」
    「その後? うん、ごめん覚えてないかも……」
    「ああ、判ってる。椛から聞いて覚悟はしてたから、ちゃんともう一回言うよ」
そうとだけ告げると、はあっと魔理沙はひとつ大きな深呼吸をしてみせて。
「私もさ、にとりのことが好きだよ」
    「……魔理沙も、私のことが……って、ええええ!?」
    「お、目が覚めたか?」
    「そりゃ覚めるよ! え、そ、それは、本気、で?」
    「信じられない?」
    「う、うん。……ごめん、あまりに唐突だから」
    「そうか、じゃあ」
 不意打ちのように、にとりの視界が近づきすぎた魔理沙の顔で埋まる。
     唇に勢いを付けた感触が。けれど柔らかな感触が、触れてきて。
     キスされたのだとようやく理解できたのは、魔理沙の顔が離れてから数秒も経った後のことだった。
「これで信じられるか?」
    「…………あ、あ、あ」
 あれほど夢の中で望み続けたはずの、魔理沙とのキス。
     彼女とキスができることがあるとすれば、それは夢の中だけだと信じてきた筈なのに。
     けれど熱だけが残されたにとりの唇は。何度拭ってみても、夢にはならない。