■ 172.「泥み恋情59」

LastUpdate:2009/10/19 初出:YURI-sis

 首筋をちろちろと走る舌先。擽っさいその感触にパチュリーは思わず身を捩るけれど、無論それは抵抗の意志からではない。不快感がないのは勿論のこと、もとよりパチュリーにとって最愛の相手に他ならないアリスが私にしたいと思ってくれていることであれば、何一つ抵抗する意志など初めからパチュリーに有りはしないのだからだ。
 性愛こそ幾度も交わし合った私達だけれど、こうして首筋を舐められるという経験は少なくともパチュリーにとって初めてのことだった。耳たぶを甘噛みされたことならあるけれど、首へ直接与えられる官能的な刺激というものは、どうにも心が騒めいてしまって落ち着かせることができくなってしまう。
 勿論、平静を保てなくなる理由はそれだけではない。この後に控えている行為があればこそ、やがて訪れるその瞬間を期待してか、騒めいて止まなくなるというものだからだ。

 

 

 

 

「パチュリーの肩を、一度強く噛んでみてもいい?」

 

 つい十数分程以前に、そんな突拍子もないことを言ってきたのはアリスのほうだった。
 アリスが求めてきたその言葉の意味が、すぐにはパチュリーには判らなくて。驚きの余りにぱちくりさせた瞳の儘で、パチュリーは問い返す。

 

「なあに、吸血鬼の真似事でもしてみたくなったとでも?」
「それはちょっと秘密かな。――ねえ、してみてもいい?」
「……別に構わないけれど」

 

 秘密と言われれば、それ以上理由を問い詰めることもできない。
 何か釈然としない気持ちではあったものの。それでも――やはり恋人の願いであるせいだろうか。殆ど無意識のうちに、けれど素直に(嫌ではない)という気持ちからパチュリーは承諾してしまっていたのだ。

 

 

 

 

 首筋を滴ったアリスの唾液が肩口にまで伝い、気化熱のせいか徐々に少しだけの冷たさを残すようになる。
 アリスが求めることは首筋への愛撫ではなく、まさに肩口へのそれであるのだから。冷たくなった感覚が否応なしに(これから噛まれるのだ)ということをパチュリーに意識させて止まなかった。
 そんなことを想っていると、唐突に舌先による愛撫が止まって。やがて熱い吐息がパチュリーの肩口に触れてくると、続いて柔らかなアリスの唇までもが肩口に触れてくる。鎖骨の上に静かに落ちたキスは少しだけ冷たくて、けれど沢山の熱いものをパチュリーの躰の裡に沸き起こさせるかのようでさえあった。

 

「いい?」

 

 うん、と言おうと思ったけれど、それさえ言葉にならなくて。
 静かに頷くことで、パチュリーはアリスに肯定の意志を示した。

 

「は……っ! ぅ、ぁ……!」

 

 アリスが『強く噛んでみても』とは言っていたから相応の痛みは覚悟していたつもりだったのだけれど、想像を超えた鮮烈な痛みの訪れに、パチュリーは思わず上げまいと意識さえしていた悲鳴じみた声を上げてしまう。
 肩口の皮膚に突き刺さるような鋭い痛みは、同時に疼痛にも似たじくじくと辛い痛みさえも呼び起こす。我慢しようと思うのに、何度も小さな悲鳴をパチュリーは上げてしまっていて。それでも噛む力を弱めないアリスの歯が、あたかも皮膚を破って肩口の肉にまで届いているかのように錯覚してしまう程に、鮮やかな痛みを突きつけてくる。
 門歯や犬歯の与えてくる、抉るような耐え難い痛み。――けれど、それは辛くはあったけれど、不思議な程にパチュリーにとって不快なものではなかった。
(――これが、アリスのお願いなのだから)
 そう想う都度に、不思議とこの痛みと正面から向き合って、耐えることを選べている自分が嬉しくなったりさえしてしまう私がそこには居た。他の誰にも代え難い、最愛のアリスが自分に望んでくれることならば。例えそれが辛い痛みであったとしても、最早パチュリーにとっては嬉しいことでしかなかったのかもしれなかった。
(痛みも悪くない……)
 今も辛い痛みに苛まれながら、それでも心の隅にそんなことさえ想う。
 なぜなら苛烈な痛みこそが、却ってアリスに支配されている自分自身を痛切にパチュリーに意識させてくれるように想えるからだ。アリスが気まぐれに与えてくれた痛みさえ、これほどにも私の身も心もを好き放題に侵してきてしまうという現実。その痛みこそが――紛れもない被征服の実感となってパチュリーの心に快楽に近いものを与えてくれていて。

 

「あ、あああっ……!」

 

 快楽に心が痺れ、捩れていく感覚。
 その酩酊と幸福感は、絶頂のそれと酷似しているような気さえするのだった。