■ 196.「希い、請願う」
普段の多弁な彼女の姿がまるで嘘であるみたいに、ベッドの上に押し倒されると文は静かに押し黙ってみせた。
彼女の口から拒絶の言葉が吐き出されたなら、すぐに土下座でも何でもして謝ろうと思っていた。あるいは落し倒されてなお、普段通りの陽気な彼女がこうした行為を面白い冗談だと笑うのなら、アリスもまた総てを「ごめんなさい、つまらない冗談だったわね」と嘘にしてしまうつもりだった。
少なくとも、それぐらいには逃げ道を沢山作っていた計画だったし、こんなことでアリスの想いが伝わる可能性など殆ど期待さえしてもいなかったというのに。――なのに、顔を真っ赤に染め上げて、恥ずかしそうに視線だけ逸らしながら押し黙る彼女の反応は、恰も。
「……抵抗しないのなら、私はそれを肯定だと解釈してしまうわよ?」
驚きと、それに歓喜に震えてしまいそうな声を必死に堪えながらアリスがそう告げると。アリスの躰とベッドに押し挟まれた文の躰は僅かにぴくりと小刻みに震えて。それでも……僅かにさえ抵抗するような素振りを文は示さない。
だとするなら……どうしてそれが、肯定の意志でない筈があるだろうか。そう信じ込むように自分に言い聞かせながら、アリスは文の顎にそっと自分の左手を宛がって、俯く彼女の視線を自分の方へと矯正してみせる。
至極近い距離で見つめ合いながら、アリスはくいっと文の顎を自分のほうへと引き寄せて続ける行為の意志を彼女に示してみせる。突拍子無いアリスの行為に、文が怒って頬を打ってくるかもしれないと覚悟さえしていたのだけれど。
まるでアリスの願望や夢が幻を見せているみたいに。覚悟こそ決めながらも心の深い場所ではアリスが望んで止まなかった表情を、文は浮かべてみせながら。今度こそ疑いなく肯定の意識をそこに示すかのように、ゆっくりとアリスの目の前で自分の瞼を閉じてみせた。
「いいのね……?」
見確かめられない程の小さな頷きが、彼女の顎に添えた左手に克明に伝わってきて。
だからあとは心の中でひとつ覚悟だけ決めてしまえば、アリスは容易く彼女の唇を奪ってしまうことができた。
「……んっ」
深い唇同士の交わりに、熱っぽい吐息が文の口の端から漏れ出る。
キスのマナーに倣うかのようにアリスもまた瞼を閉じているというのに。見えない視界の中で、けれど予想以上に柔らかすぎる感触だけが馬鹿みたいなリアルさを伴いながら伝わってくると、普段視界に捉えている以上の鮮明さでアリスは文の存在をすぐ傍に感じることができるような気がした。
(当たり前だけれど、レモンの味はしないわね)
心の中で苦笑しながら、いつかの本で読んだそんなことをアリスは思う。
けれど唇同士を繋ぎ合いながら、感触だけを拠る辺にしながら幾重にも瞼裏に描き想う彼女の姿は、確かに病みつきになりそうな甘酸っぱさを持ち合わせているような気もするから不思議だった。