■ 201.「泥み恋情」

LastUpdate:2009/11/17 初出:YURI-sis

 自分の感情に嘘を吐いて突き放すのはいつだって簡単なことだ。誘うように紫が差し伸べてくる甘い指先さえ、霊夢の意志次第ではちゃんと拒むことができる。
 甘えたいと想う心はあるけれど……他の誰にも、私達の関係を知られてしまうことを霊夢は望まないから。だから萃香やお燐が自宅に居る時、あるいは魔理沙やアリスが遊びに来ている時には、そうした願望もぐっと我慢しながら紫の誘いを振り払ってきた。
 紫もまた、霊夢のそうした心理をちゃんと判った上でじゃれ合うように求めてきているのだろう。他の余計な誰かが居る時には冗談交じりにしか求めてこないし、拒まれれば簡単に引き下がってみせる。

 

 ――そして他の誰もが居なくなって、二人きりになると。
 必ず、霊夢が絶対に拒めないやり方で求めてくるのだった。

 

 

 

 不意打ちのように背中から強い力で抱き締められると、それだけで霊夢には何も言えなくなってしまう。包み込むと言うよりも、しがみつくように犇と抱き竦めてくる両手は不器用だけれど、なればこそ真摯な誠実さを伴っているようにも感じられて。紫が寄せてくれる想いの強さを意識できてしまうだけに、霊夢もまた腕を振りほどくこともできずに……絆されるように、ただ愛おしい心ばかりを募らせていく。
 まだ紫と心を交わし合うよりも以前には、理由も判らずに膨れあがる感情に押し潰されそうになっていたのを覚えている。紫と心を交わし合い、互いに寄せ合う恋心を意識し合うようになると、破裂しそうに強まりすぎていく感情を晴らす術さえなく、もどかしさに眠れない夜ばかりを過ごしていたのを覚えている。
 躰を交わし合うことを覚えてからは、愛する感情を発散する手段を得て降り積む感情に苦悩することも無くなったのだけれど。――代わりに、愛し合えない日々が一日経つ都度に、狂おしく心を苛みゆく感情が互いの裡に生まれるようになった。誰よりも愛する相手のことを信じている筈なのに、たった一日躰を重ねられない時間が続くだけでも淋しさは募り、まるで麻薬のようにもどかしい気持ちばかりで心を焦がすのだ。
 淋しさが心を満たし尽くせば、決まって次に溢れてくるのは不安の想いだった。愛する人と一緒に日々を重ねていくだけでも、相手が紡ぐ会話のひとつ、仕草のひとつ、細やかなものから大きなものまで相手の魅力を見つける瞬間なんて幾らでも転がっていて。そうして相手の魅力の大きさを思い知る程――不安は大きく心を揺らしてくる。
 本来なら届くはずがないほど魅力的な彼女に、伸ばした手が届いている今の現実が嘘のように思えてくるのだ。きっと幻想郷の誰もが彼女の魅力に気づく機会を持てないで居るだけで、ほんの少しでも彼女の傍で共に時間を過ごす機会さえ得ることがあるなら、誰もが彼女に恋心を抱くのは当たり前なのだと。真実、そのように思えてならなくなる。
 不安が募れば、相手がどれほど心変わりしないことを訴えてくれても焦燥を拭いきることはできなくなる。自分の魅力というものは、自分自身では決して理解できないようにできているから。私など足下にも及ばない程に魅力的な誰かと出会う機会さえあれば、彼女がやがて自分を捨てるのも無理ないことだと卑屈とも思える理解に引き摺られる心は止めようがない。

 

「今夜はおひとり?」
「紫が居てくれるから、二人よ」
「……そう」

 

 先程とは違い、必死さを失った優しい抱擁でもう一度ぎゅっと霊夢の躰は包まれる。
 不安を晴らすことができるものがあるとすれば、それは唯一つ――躰を重ねて愛し合うことだけなのだ。愛する幸福と快楽が齎す充足感だけは、理屈を超越して躰と一緒に心までも満たしてくれるから。
 決して長続きはせず、不安を原因から取り除くことにはならない対症療法。
 けれど恋の病に効く薬なんて、そんなものしか存在しないのかもしれなかった。