■ 4.「雀の恋心も想うに溜まる - 03」

LastUpdate:2010/04/03 初出:YURI-sis

 ミスティアが振り払えないそうした疑問が、あるいは訝しげな表情となって顕れてしまっていたのだろうか。アリスさんの零す笑い声はどこかばつが悪そうなものになって、少しずつ小声になっていって、やがては焼き網の下で燻る炭の音にさえ掻き消されてしまう。
(……何か、事情がおありなのだろう)
 そう考えるのはあまりに容易いこと。つい最近まで気づくことができなかったとはいえ、ミスティアが無意識にもずっと愛しく思っていたアリスさんのことなのだから。彼女の真面目さや誠実さについては、誰よりもよく理解できている自信もあった。
 一体アリスさんに何があったのだろう、と思う。叶うならそれを知りたいとも思う。
 けれど、直接アリスさんにその理由を訊ねてしまうことは……ミスティアにはできなかった。いかにミスティアがアリスさんに対する正直な想いを知り得て、彼女の総てを知りたいと希う想いに正直でありたいと迷い無く考えることができるようになったとはいえ、アリスさんにとってのミスティアはおそらく『行きつけの屋台の店主』程度の認識でしかないだろうから。……なればこそ、店主と客、その関係としての分を越えた行為は許されない。
 押し黙ったアリスさんを余所目に、俎板を二つの布巾で手早く拭ってから骨を既に取ってある八目鰻の切身を二枚乗せる。どうせ既に開いてしまった八目鰻が明日まで持つ筈もなく、アリスさんが来て下さらなければ捨てていただけのものであるから。――せめて少しでも、気が晴れる時間を愉しんで頂く努力をすることぐらいなら、則を越えずに店主の分でも許されることだろうから。
 慣れた手つきで手早く串を通し、小壺に刷毛を浸したたれをそれぞれの切り身にたっぷりと塗りつけて、少し強めに炭の火力を調整した網の上に乗せると炭の上に零れたたれが一際大きな音を上げた。その音にはっとした様子で、俯いていたアリスさんが顔をあげる。


「……そういえば私、まだ注文もしていなかったのね」
「ふふっ、私もすっかり注文を訊ねるのを忘れていましたから、似たようなものですよ」


 まじまじと見つめてくるアリスさんの視線に、満面の笑顔でミスティアは応える。
 例え私に出来ることが何も無いのだとしても。愛しく思う自分の気持ちに気づいていながら、何もできないでいるのだとしても。アリスさんが傍に居て下さる、ただそれだけで……やっぱり私には幸せな時間だと思えるから。決して作ろうとしたものではなく、それはただ自然に零れ出てしまっただけの笑顔だった。


「あなたの……」
「ふぇ?」
「……ぁ、い、いえ、何でもないわ」


 僅かに口に仕掛けた言葉を問われて、慌ててぶんぶんと首を振るアリスさん。
 でも、何か私に関係があることみたいだし。それに……そんな取り繕うように強く否定されてしまうと、却って気になるというものだ。


「『わたしが』、どうしたのでしょう?」
「……うう」


 少しだけ嫌らしい訊き方だな、と自分でも思いながらそう訊ねると、アリスさんはとても困ったような顔をなさってみせた。……訊かないほうが良かったかな、とも一瞬だけ思うけれど。訊かなければ訊かなかったで、きっと家に帰ってから(アリスさんの言葉の先は何だったのだろう)と、うんうん呻りながら悩むことになるのだろう。