■ 03−魔女のお茶会
――図書館に訪ねて来るや否や。
甘えるようにしなだれ掛かる彼女の躰を、パチュリーの腕力では支えることができなくて。
数冊の本を胸元に抱く手もそのままに、パチュリーは書架の影で組み伏せられるようにアリスに押し倒された。
「ど、どうしたの……?」
いらっしゃい、と声を掛ける間さえ無い。
普段のアリスからは想像できない、乱暴な力で押し倒されて。組み敷かれながら、パチュリーはただ驚きから目を見開いた。
元々薄暗い図書館の中。まして陰になるアリスの表情は、仰向けに見上げるような格好のパチュリーからは上手く見確かめることができない。それでも組み敷く彼女の息遣いや気配は、そこにいるのが紛れもないアリス自身であることを簡単にパチュリーに理解させた。
(お酒の、匂い……?)
アリスの吐息に密かに交わる、深い酩酊の香り。
それでパチュリーには納得がいった。彼女は酔っているのだ――そう思えば、こうして乱暴に押し倒されることさえ、どこか新鮮なことのように思えるから不思議で。
パチュリーが滅多なことではお酒を飲まないものだから、アリスもここへ来たときにはお酒を飲みはしない。二人が一緒に飲むのは殆ど紅茶ばかりで、偶には違う物を飲むことがあっても、お酒を飲むことは選択肢には初めから含まれない。
だから本当に、こんな風に酔ったアリスの姿を見るのは新鮮なこと。
「パチュリー……いい?」
少し、呂律の回っていない口調で、アリスが率直に求める。
「……それは人の服を脱がしながら、確認することかしら」
酔いの儘に抱かれるのか。そう思うことは、けれどあまり嫌な気持ちもなかった。
今夜、宴会があることは知っていたけれど、パチュリーはそれに出向かなかった。
博麗の神社であった筈の宴会には、もちろん主催の霊夢がその場には居たのだろう。そして酒好きの魔理沙もまた、まず間違いなくその場に居ただろうに。
なのに、霊夢や魔理沙ではなく。酔いながらもここまで来てくれて、他の誰でもなくパチュリーのことを求めに来てくれるアリスのことが、嬉しくない筈がなかった。
「……いいわよ」
パチュリーが頷くと、アリスもまた頷いた。
酔っているとはいっても、意外と普段の彼女と変わらないではないか、ともパチュリーは思う。服を脱がせてくるアリスの指先に身を委ねながら、酔いながらもきちんと性愛の許可を求めてきた理性的な面と、違わず服のボタンを解いてくる器用な指先とを眺めているとそう思うのだった。
けれどその認識が誤りであることには、すぐに気付かされてしまう。
「あ、アリス……」
「うん?」
「その、するのはいいのだけれど……できれば小悪魔に、暫く部屋から出ているように一声掛けて貰えないかしら」
パチュリーが懇願すると。けれどアリスは心底不思議そうに。
「……どうして?」
なんていう風に、言ってみせるのだった。
「ど、どうして、って……! だって、小悪魔に見られでもしたら」
「いいじゃない、見せちゃえば。パチュリー……見られるのとかも、嫌いじゃないでしょう?」
「な、何を――んむぅ!?」
抗弁しかけたパチュリーの唇を、酩酊の香がするアリスの唇が塞ぐ。
口吻けと呼べるほどには優しくない、咬むようなキス。アリスの舌が入り込んできて、思う儘にパチュリーの口の中を確かめていくような。対等でさえなく、一方的に蹂躙されるようなキスに、けれどパチュリーはいつも以上の興奮を覚えるのだった。
(こんなの……)
目の前に、他でもないアリスの姿が見えているのに。これは幻術の類か、あるいは夢を見ているのではないかとさえ思う。パチュリーが愛したアリスが目の前に居るのだとは、どうしても繋がらなかった。
そういえば、お酒のことを――外の世界では『狂い水』と呼ぶと何かの文献で見たことがある。だとしたらそれは、真実かも知れない。それぐらいにいまの彼女は、普段の彼女とは違ったものという気がしてならなかった。
「はあっ……! はっ、はっ……」
ようやくキスから離れることが赦されると、パチュリーは荒れた呼吸でその場にへたり込む。
息一つ乱していないアリスと、その前で崩れ落ちるパチュリー。場を支配している優先と劣勢の関係、あるいは上下関係。そういったものは、火を見るよりも明らかだった。
まるでお酒の酩酊が感染ったように、キスひとつでパチュリーの思考は儘ならなくなる。どこか虚ろにだけ感じられる現実の中で、アリスがそっとパチュリーの衣服を解いていくのだけが感じられた。
「……ふぁ……」
季節はまだ冬。比較的温かな地下室であっても、上衣をはだけられればやっぱり少し寒くも感じられてしまう。思わずパチュリーが上げてしまった小さな声に反応してか、一瞬アリスの脱がせる手つきがピクリと止まるけれど、やがて何事も無かったかのように再び衣服を脱がせていく。
(本当に、酔っているのね)
その様子を見て、改めてパチュリーは思う。
パチュリーが少しでも躊躇いの声を上げてしまったなら。いつもアリスはその都度「大丈夫?」と訊ねてくるのが常だった。それはもちろんアリスの優しさや誠実さであって、そうした部分も含めてパチュリーはアリスのことを愛しているわけだけれど。
時として、そうしたアリスのことを――煩わしい、と思うことが無かったと言えば嘘になる。
もちろん普段のアリスの優しさはただ嬉しいし、パチュリーも素直に好感だけを抱く。けれど、それでも……せめて躰を重ねる性愛行為の最中ぐらいは、もっと優しさを忘れてくれはしないだろうかと。そう思うことも、決して少なくはないのだった。
愛される行為ぐらいは、せめて野蛮に。パチュリーが泣いて縋っても、虐めてくれても構わないぐらいなのに、誠実で優しすぎるアリスにはそれを求めることは到底無理な話。
そう思って、諦めてもいたのだけれど。
「……」
今日だけは。部屋着を脱がした後、下着を脱がし始めても許可さえ求めては来ない。
もしかするとパチュリーが理想とさえ思っていた、野蛮な彼女の姿が。狂い水の力で、いま目の前にあるのかもしれなかった。
「恥ずかしい……」
最後の肌着であるドロワーズまでもが簡単に脱がされてしまうと、純粋な恥ずかしさからそう声が漏れた。目の前のアリスは、まるで別人のようで。だからなのか、初めて愛されたときのような恥ずかしささえパチュリーは覚えてしまう。そのうえアリスに見られるだけならまだしも、小悪魔までもが近くで見ているかも知れないと思うと、やっぱり落ち着かない。
「――綺麗よ、パチュリー」
アリスの言葉を聞いて。
(ああ……)
感嘆深く、パチュリーは想う。
お酒の力で少し様子がいつもとは違っていても、目の前にいるこの人はやっぱりアリスなのだ。パチュリーを一糸纏わない姿にした後には、いつも『綺麗』と、嬉しい言葉を掛けてくれる。
「綺麗すぎて……虐めたくなる、ぐらい」
けれど続く言葉は、決していつも通りではない。
(もしかすると、いつもそう想っていてくれたのだろうか)
パチュリーがそれ以上をアリスに求めることができなかったみたいに。アリスもまた、誠実さを超えてしまうような性愛を、パチュリーに求めることができなかったのだろうか。
もしもそうであるなら、可笑しな話。アリスが一言「いい?」と聞いてくれれば。あるいは私が「お願い」と一言望めば。それだけで、互いに求めるものを簡単に得られたのかもしれないのに。
「……いいわ」
少しでも、素直になる努力をしないといけない。
「あなたの……好きなように虐めて頂戴」
その為に、まずは酔っている彼女に対して。
私は、総てを赦すことから始めてみたいと。そう、心から想えたのだ。
*
元々抵抗する意志がないとはいえ、物理的に封じられてしまうと余計に「抵抗できないのだ」という気持ちが強く意識されてくる。縛られている――ただそれだけのことで、いつもとは比べものにならないぐらいに心が沸き立っているのが、どうしても感じられてきてしまう。
パチュリーの背中で、後ろ手に縛っている魔法の力を撚られて形成された縄には、麻縄のような弛みがない。窮屈な拘束感はそれだけ被虐感と悖徳感を高めて、結果としてパチュリーの心を昂ぶらせることにだけ繋がっていく。
(私……変態なの、だろうか……)
そうした心の在り様が判ってしまうだけに、考えたくないことも考えずにはいられなかった。
「――ひっ!」
首筋に這わされたアリスの舌先が、思考の世界からパチュリーを引き戻す。
つつ、と伝う舌の冷たく粘る触感が、首筋から頬へ、やがて耳元にまで伸びる間中とても淫靡な刺激として感じられる。
舌先で耳たぶを舐められれば、ぴちゃっという静かな唾液の音が耳のすぐ傍で静かに聞こえる。慣れないむず痒さから反射的に抵抗の意志も生まれるけれども、やっぱり後ろ手の拘束があっては抗うことなどできるはずもない。居心地の悪さからただ躰を震わせることしかできなくて、そんなパチュリーの反応が面白いのか、今度は甘噛みするかのようにアリスはパチュリーの耳たぶへと、かぷっと軽い力で齧り付いた。
「ふぁう……」
耳は性的な器官のようなリアルな性感を生まないのに。リアルな音を静かに伝えるせいなのか、耳元への愛撫はとても鋭敏な感覚で受け止められてしまう。
「ふぁひゅひー、ひひがほはいのねー」
「ひぁ……! み、耳を噛みながら、喋らないで……!」
耳たぶを甘噛みで咀嚼されるたびに、なんともいえない不思議な感覚が全身を貫いた。
奇妙な恥ずかしさがあって、目を開けていることもできない。けれど瞼を閉じたら閉じたで、耳元で淫靡に響く甘噛みの音。静かな音がこれだけ精神に深く響くものだなんて、知らなかった。
「はあっ、はあっ……」
ようやくアリスの顔が耳元から離れたときには、気が付けば酷く荒い息を吐いている自身の姿がそこにはあった。慣れない感覚に呼吸を乱されていたのか、それとも耳への愛撫にそれだけ、深く感じ入っていたのだろうか。
「パチュリー、凄いことになってる」
「え?」
一瞬なんのことか判らなくて、伺うようにアリスの顔を見ようとした瞬間。
「んぁ……!!」
パチュリーの下腹部に、アリスの指先が挿し入れられてきて。深い性感の酩酊が躰を突き抜ける感覚に、パチュリーは喘ぎの声を上げてしまう。指先の挿入は快楽の波だけを走らせて、僅かな苦痛もなくパチュリーの裡の深い場所にまで、簡単に押し入ってきた。
「……凄い」
アリスが感嘆の声を漏らす。前戯もなしに指先が躰の深い場所にまで突き刺さる理由なんて、ひとつしかない。
痛みはなくても、快楽は深すぎるぐらいに心に響き蝕む。挿入された指先が、今度は引き出されて擦れる快感。耳たぶなんかよりも、ずっともっと快感を伝える神経が集中した器官の中で。襞を擦れる指先の刺激が、狂おしいほどの快感を生みながら何度もパチュリーの裡を行き交いする。
「……ぁ……ぅ……、……っぁ! ぁ、ぁぅ……!!」
まだ乱れたままの呼吸では、喘ぐことも少しだけ辛い。声を押し殺すでもなく、詰まるような声でパチュリーは自身の中で蠢く指先に絶え間なく咽び喘ぎながら身を震わせる。
「ねえ、パチュリー。見て見て」
「……っ!」
パチュリーの目の前に掲げられたアリスの指先。たった一本の人差し指にも、これでもかというぐらいに纏う粘質の液。まだ少し指先を抜き差しされただけなのに、夥しいぐらいにアリスの指先を汚す液の量を見せつけられては、パチュリーは絶句して目を逸らすしかできなかった。
「パチュリー、指が汚れちゃったわ」
言って、パチュリーの顔の前にさらに指先を近づけるアリス。
「……まさか」
「二度は、言わないわ」
「……うぅ」
アリスが求めていることぐらい、判る。それでも。
「い、嫌よ。……それだけは、嫌」
ここにきてパチュリーは、初めて抗意を露わにする。
「嫌なの?」
「だ、だって……それ、私のじゃない」
アリスの指先から、今にも滴りそうな蜜液。その正体は、もちろん他でもないパチュリー自身の躰から出た愛液なのだから。直視するだけでも嫌悪に顔が歪みそうな程なのに、それを舐め取る、だなんて。
「これが、アリスのなら。喜んで私は綺麗にするわよ。でも、自分のは……嫌」
言いながら、少しだけ不思議なことだと思う。これがアリスの躰から溢れた愛液であるのなら、本当に私は何の抵抗もなくパチュリーは彼女の指先を舐め取っただろう。同じ躰の部分から湧き出た液体である筈なのに、相手のはよくても、自分のは……尋常ではないぐらいに、嫌悪されることでしかない。
「パチュリー。ひとつ訊くわ」
「……何?」
「あなたは『好きなように虐めて頂戴』と私に言ったわ。それは、嘘だったの?」
咎めるように、ではない。純粋に気持ちを伺うかのように、アリスはそう訊いてくる。
嘘ではない。少なくとも、アリスにそう告げた自分の気持ちには、嘘や誇張の気持ちなんて僅かにさえ含んでいなかったはずだった。それでも……私はいま、嫌悪からアリスの求めてくれていることに対して躊躇している。
「わかった、わ……」
観念したように、パチュリーはそう呟く。
アリスの言う通りだった。どうして迷う必要があるだろう……どれほど嫌なことであっても、他でもないアリスが求めてきてくれることであるなら。それにただ応えることだけが、心の証になり得るというのに。
躊躇いがちにパチュリーはアリスの指先へと顔を近づけ、舌先を伸ばす。
嫌悪感に心が歪み、躰も顔も震えていた。それでもパチュリーは、もう迷わない。アリスの指先を汚している、パチュリー自身の愛液に、そっと舌を這わせて舐め取る。
「うう……」
嫌悪感にか、それともあまりに虚しい哀しさにか。自然にぽろぽろと涙が毀れ出た。
アリスの愛液と変わらない、無機質な味。けれどアリスのとは違って、酷く嫌な気分にさせられる辛い味だった。愛液を口に含んでコクンと喉を鳴らせば、今にも吐いてしまいそうな程の嘔吐感が胸をぐぐっと締め付ける。
それでもただ我慢しながら。パチュリーは丹念にアリスの指先を舐め取って綺麗にする。自身の愛液を穢いものだと思えば思うほど、それでアリスの指先が汚されているという事実が許せない。そう思えば、辛い思いをすることにも幾らか気が楽になった。
「……終わったわ」
「そう」
端的なアリスの返答。
「わわっ」
けれどそんな淡泊な物言いとは異なって、とても強い力でパチュリーはぎゅっとアリスに抱き竦められる。
裸のパチュリーと、ひとつも脱いでないアリス。衣服越しでも、けれど確かにアリスの熱が伝うぐらいに、力強い抱擁。後ろ手に縛られているから抱き締め返せないのが少し残念だったけれど、逆に縛られているおかげで私も素直に抱きしめられるだけで良かった。
「ごめんね、試すようなことを、して」
アリスが申し訳なさそうに口にする。
「私だって……きっと自分のを舐めさせられたら、泣いちゃうと思うわ。酷いことだって判っているのに、それでも……パチュリーなら、応えてくれるんじゃないかな、って」
言われてパチュリーは、ただ(嬉しい)と思う。
酷いと判っていることをされて、怒ってもいいぐらいなのに。酷いと判っていることを求められて、それでもパチュリーが応えるだろうと、アリスが信じてくれていたこと。それが、途方もなくパチュリーには嬉しかった。
「アリス」
愛しい人の名前を口にする。
「……パチュリー」
愛しい人に名前を呼ばれる。
それだけで溢れんばかりの幸福感が心を埋め尽くす心地だった。
「パチュリー、愛してる……」
「私も……あなたを、愛している」
辛いことを超過するからこそ、愛しているという言葉は真実相手に届くのかもしれない。
もしそうであるなら。試されることも、決して無駄にはならない。
「いいわ、アリス。……あなたが望むだけ、私を試してくれればいい」
私はそれに、完璧に応えてみせる。
「鞭でも蝋燭でも、何でもいいわ。――私は絶対に、あなたの信頼を裏切らないから」
「……あら。ふふ、それじゃ本当に『虐め』じゃない」
パチュリーの言葉に、アリスはくすくすと微笑む。
「ありがと、パチュリー」
そう言って、ちょこんとアリスはパチュリーの頬に軽くキスをする。
一瞬触れるだけのキスだったのに。それはとても熱い感触となって、数秒の間パチュリーの頬で熱を持ち続けた。
*
拘束の魔法を解こうとするアリスを、パチュリーは首を左右に振ってやんわりと拒む。縛られることは少しも嫌ではなくて、却って嬉しいぐらいだったりもするのだ。
自由を求める気持ちなんて頭からない。アリスのことを自由にしてしまいたいという気持ちならあるけれど、それとは全く別の問題だと思うのだ。彼女のことをパチュリーが自由にしたいと想う気持ちは、パチュリーが彼女の思う儘にされたいと想う気持ちと並ぶものであって、自身の自由を求める気持ちではない。こうして魔法の手枷をされていることは、あたかもパチュリーの所有権をアリスが握っているかのように感じさせられて。そのことが、不思議なぐらいに嬉しくも感じられるのだった。
――自然と、二人の間に漂う空気が変わる。
熱っぽい静寂の音と静かな息遣いだけが聞こえる空間。アリスが求めなくても、パチュリーから促さなくても。お互いにこれから「愛し合う」のだという意識が顕れては、二人きりの世界を生み出しているみたいに。
「……ああ。そうだわ、ごめんなさい」
「え?」
けれど、そうした愛欲の雰囲気をアリスの側から霧散させてくる。
「さっきの鞭と蝋燭だけれど。言質――取ったからね。近いうちにかならず実現させるんだから、覚悟しておいてね?」
「……本気?」
訊ね返すと、ただアリスはコクンと頷いて答える。
「パチュリーのことを傷つけたいわけじゃないから、あまりしたいことでも無かったのだけれど。でも……あなたが応えてくれると言うのなら、確かめたい気持ちもやっぱりあるから」
「……わかった、わ」
パチュリーだって、アリスがきちんと私の気持ちを見定めてくれるというのなら。どんなことにだって、応えたいと思う。
灼けるような、熱。あるいは、鋭く鮮やかな、痛み。
それを想像すれば(怖い)と思う気持ちもやっぱりあるけれど。堪えることや応えることで証明できる、愛する気持ちがあるというのなら。パチュリーだって望んで向き合いたいと思うのだ。
「そのかわり、私も同じだけの誠意を尽くすから」
パチュリーが心に決意を秘めているその時。アリスはふと、そんなことを言ってみせる。
「一方的な関係に、したいわけじゃない。……あなたが信頼に応えてくれる分だけ、私もきっちり応えてみせるから」
「私は、あなたになら。一方的な関係でも全然構わないのだけれど」
「嫌よ」
アリスはあっさりと、パチュリーの言葉を拒む。
「……私が、嫌なのよ。私だってパチュリーに虐められたいと、思っている」
「そう、なんだ……」
アリスの告白は、パチュリーの予想外の言葉でもあった。
何しろ二人で初めて交わしたときの行為が、ああだったものだから。アリスは絶対的に上位の関係であるのが好きなのだろうと、無意識のうちにパチュリーは理解していた。
(――でも、違うんだ)
アリスの告白を受けて、パチュリーは心の中で理解する。
パチュリーがアリスに虐められることを心の中で望んでいるように。アリスもまた、同じだけの苛みの手を、パチュリーに求めてくれているのだ。
「ふわっ……!」
嬉しさから。じーんと感慨に耽っていたパチュリーの意識を、陰唇へと伸ばされた優しい指先の撫ぜりが、急に現実へと引き戻す。
軽く撫でられるだけで、いまも夥しく濡れそぼっていることが改めて意識させられてしまう。
「ぁぅ……」
陰唇を撫ぜ上げた指先が包皮に護られた敏感な箇所にまで及ぶと、軽く指先に触れられただけでも小刻みに躰が震えを帯びてくる。一度突起を撫ぜたアリスの指先が、二度、三度と幾重にも軽くパチュリーの敏感な芽に触れ合わさると、それだけでぴりりと鋭い感覚が躰中を突き抜けてきて、全身から力が抜けていくのが感じられた。
四度、五度。六度……延々と静かな愛撫で、けれども執拗にアリスはパチュリーの秘所の突起を責め立てる。本当に軽く触れるだけの優しい優しい愛撫であるのに、狂おしいほどにパチュリーはその都度身を悶え震わせる。
「ちょっと、ふっくらしてきた?」
「……っ!! い、言わないでよ、そんなこと」
ぶっきらぼうに答えながらも、多分敏感なその箇所がもう十二分に膨らんでいるであろうことはパチュリーにも何となく予想がついていた。触れられるたびごとに、神経が集中していくみたいに溢れる性感もまた強まったものになっていくみたいな感覚がある。
「ふぁ……」
直接触れることができないように。護っている包皮が、おなかの側へと引っ張られて剥き出しにされてしまう。神経が集中しきっている場所だからなのか、そのことがパチュリー自身にもすぐに判った。
「……怖い」
思わず漏れ出していた言葉。それが、パチュリーの純粋な今の気持ちだった。
包皮の上から軽く触れられるだけでも、今すぐどうにかなってしまいそうなほどの深刻な快楽があったというのに。……自分で自分を慰めるときには、よくそこを愛撫するけれど。それでも包皮の裡に護られたそこに直に触れた経験は、未だパチュリーには無かった。
「――さっきの話を蒸し返すみたいで、申し訳ないのだけれど」
アリスが、思いのほか穏やかな口調で切り出す。
「これだけは忘れないで欲しい。パチュリーには……私のことを好きにする権利があるってこと。私がどんなに嫌がったり、泣いて縋ったりしても、パチュリーには私を好きにする権利があるわ。――そして、私にも同じだけあなたを自由にする権利がある。パチュリーがどんなに怖がったりしても、パチュリーのことを好きにしてしまう権利が私にはある」
言ってからアリスは「違う?」とパチュリーの顔を訊ねるように伺う。
「……違わない、わ」
「そう」
怖い、のに。
それでも、私のことを好きにするだけの権利が。彼女には、ある。
「じゃあ――好きにするわね?」
「ええ」
端的に答えて。けれど、明確に頷いてみせる。
「……ぁ、ぅ……!」
愛液を纏った指先がつんと小突くように、直接パチュリーの陰核に触れる。
「ぅぅ……! ぁ、は、ぁあ、っ……!」
愛液で潤滑される、僅かな摩擦。僅かな圧迫。それだけのことでさえ、包皮という最後の防護を失った今では非常に強固で抗いようのない快楽となって牙を剥くかのようだった。上肢は拘束されているから身悶えすることしかできず、下肢に至っては力さえ入らず両脚を閉じる程度の抗いさえ儘ならない。痙攣するばかりの躰を、執拗にアリスは責め立てる。
「んぁ! あっ、ひ、ぁあっ……!」
アリスはもう容赦をしなかった。摩擦はより執拗に深まり、圧迫はより強固になる。増していく刺激の投与と、止め処なく鋭敏になっていく性感とが相俟って、すぐに思考までもが不確かなものになっていく。
「ああ、あぁぁっ……!!」
絶頂から深い酩酊までもが心に及ぶと、意識自体まで不確かなものに霞むようだった。あらゆる感覚が朧気になっていく中で、けれど絶頂を迎えた今でさえ容赦なく課される快感だけは鋭敏さを果てなく増していき、気持ちよさは確かにあるのだけれど、それもどこか苦悶の様相になる。
「ぁぅう……! あ、あ、あぁ……!!」
アリスは責めの指先を、僅かにさえ緩めない。パチュリーが絶頂を迎えたことには気付いているはずなのに、知っていてなお苛みは鮮烈さを増していくかのようだった。
「ゅ、るして……!!」
あまりの辛さに。半ば無意識に、パチュリーはそう哀願する。
涙が溢れすぎて、視界も儘ならない。
見えない視界の中でアリスが笑んでいるのか、それとも。
(アリスには、私のことを好きにするだけの権利がある)
だから、どんなに許しを乞っても意味がないことなのに。
「赦してぇ……!! はあ、ぁっ……た、助け、ぇ……!!」
まるで壊れた人形のように。
絶妙な指技で私を追い詰め続ける人形遣いに、哀願を続けることしかできなかった。
*
――ふと、パチュリーは目を覚ました。
ずしんと重たい疲労感が、全身を侵し尽くしているみたいで。目を覚ましたのはいいのだけれど腕は上がらず、足腰に至ってはぴくりとも動かない。痺れるような麻痺と倦怠感の中で、責められ続けたせいか未だ性器だけがずくずくとした鈍い疼痛を訴え続けていた。
(……あれから、どれぐらい眠っていたのだろう)
凄く長い間眠っていたような気もするのだけれど、遠くの窓の先でまだ夜が明けていない所を見ると、意外とそうでもないのかもしれない。
気を失ったパチュリーを、アリスが運んでくれたのだろうか。身動きも取れないベッドの上で、なんとか右腕だけ力を込めて持ち上げて、すぐ隣に眠るアリスの頬にそっと指先を触れさせる。
安らかで、優しそうな寝顔。誠実な彼女の性格を顕著に見せるような柔和な表情は、とてもではないけれど意識を失う前までに彼女が見せていた激しい一面を想像させはしなかった。
アリスの静かな息遣いからは、もうお酒の匂いなんて少しもしない。
(酔った振りなんて、しちゃって……)
一緒に飲んだことはないけれど、アリスがそれなりにお酒に強いことは魔理沙から聞いて知っていた。魔理沙とは違ってアリスはちゃんと自制ができる人だから、酔いつぶれるまで飲むことなんて考えられはしない。
実際、酔った振りをして有無を言わせずにパチュリーを抱けていたのは始めだけで。思い出してみれば、途中からはいつもの誠実なアリスでしかなかった。
(その下手な演技に、少し騙された私も私……かな)
少なくとも、始めの十分間はあっさり騙されていた。
騙された理由には……きっと酔っているアリスに対する期待感があったのかもしれない。誠実でなく、見境を無くした彼女にも、抱かれたいと思う自身の心があればこそ。
すぐ傍で、演技ではない寝顔を見せるアリスの表情を見ながら。
(今度は、私の方が酔った振りをしてみようか)
なんてことを、パチュリーは思う。
アリスの演技も下手だけれど、私の演技もそれ以上に下手だろう。
もしも私が下手な演技で、いつものような臆病な心を隠してアリスのことを思う儘に求めようとしたなら、アリスはどんな反応をするだろうか。
――ああ、それとも。
(本当に、酔わせてみようかしら)
きっとパチュリーが無理にお酒を勧めたなら、アリスは拒めないから。
彼女の酔いの儘に。真実優しくない手に抱かれるのも、それはそれでとても楽しみなことのように思うのだ。
未来を思うのは、いつも楽しみなことばかり。
ああ、時には――困った未来を思うこともあるけれど。
実際、いま避けられない悩みがパチュリーにはひとつだけある。
(……明日、なんて言い繕おうかしら)
自分が司書として契約した、小さな悪魔の従者。
パチュリーとアリスが交わした激しい行為を。おそらくずっと書架の隅かどこかで覗き見ていた彼女に対して、夜が明けたらどんな言い訳をすればいいだろうか……。