■ 1.「熱希求」
――嘗ての世界で、早苗が初めて八坂様の指先を学んだのも雪の日のこと。
たまたま今日が、その時と同じぐらいに寒い日で。
きっと愛される為の理由なんて、それだけで十分なんだと思う。
「なんだか、こうして頂けるのも随分と久しぶりな気がします」
「……そういえば、そうね」
吐息さえも届きそうな程の近い距離で。早苗の体を組み伏せるようにしながら、八坂様が頷いて答える。あちらの世界に未だ住んでいた頃には、それなりにこうして頻繁に求め合っていたものだけれど――幻想郷に来てからは、これが初めての求め合いだった。
求め合うことに飽いていたわけでは決してない。たぶん……早苗も、そして八坂様も、どちらもお互いを求めることを忘れていただけなのだと思う。灰色の淋しさに溢れていたあちらの世界に較べると、幻想郷の彩りは随分と鮮やかだったから。
「寒かったから、思い出したのよ」
早苗の意を汲み取ったように、八坂様がそう静かにつぶやく。早苗もまた内心でそれに頷いた。
今朝方の未だ暗いうちに降り始めた今年初めての雪は、夜も更けるいまでも戸口の外でしんしんと世界を広めている。雨にも勘違いしそうな頼りない霙混じりの初雪では降り積むこともないだろうけれど、幻想郷の寒い冬の訪れを予感させるには十分で。半端にだけ雪化粧された世界も、これはこれで早苗には好きになれそうな景色だった。
そうした霙る寒さが人肌を求めさせたのだろうか、それとも雪が初めての逢瀬を思い起こさせたのだろうか。八坂様の気持ちは判らないけれど、早苗も同じように熱い触れあいを求めたい気持ちで一杯だったから。八坂様との距離が自然といつもよりも近寄ったときにはもう、期待さえ心には生まれていた。
袴の生地越しに、そっと膝に触れられる感触。
「学生服の早苗も可愛くて、脱がせ甲斐があったのだけどね」
「……着替えますか?」
殆ど身一つで転がり込んだ幻想郷。それでも、身に付けていた制服だけは今でも押入れの仕舞ってある。
「今回は、いいわ」
けれど八坂様はそう訊いた早苗に、ふるふると首を振って拒んでみせた。
「その服のほうが、私のもの、という気がして好きだから」
首筋にそっと触れる唇の感触。
つぶさに感じられる柔らかな感触は、続いて早苗の顎に触れる。
「……私は、いつも八坂様のものですよ……?」
「ええ、知ってるわ」
簡単な言葉の応酬。それだけ理解頂けていれば他に早苗の側から望むこともなくて、静かに口を噤んで頬にまで宛がわれてきた口吻けに感じ入る。早苗と同じように八坂様もそれ以上には言葉を交わそうとはしなくて、外の雪に音が吸い込まれたかのような静寂に二人は囚われていく。
躰を交わし合うことは、過去の世界であっても純粋に好きな行為だった。立場とか、血族とか、義務とか、神力とか。そうした余計な装飾から生じる特別性は、ただ躰同士を触れあわせる為だけに特化された空間の中では何の意味も持たなくなる。性の世界に於いては早苗は現人神としての自分を喪失し、八坂様も早苗と同じように一人の人間として肌を寄せ合うだけ。切り離された二人の世界にまで唯一受け継がれるものといえば、早苗が八坂様のものであるという事実だけに過ぎない。
「んぅ……」
待ち侘びた口付けが、ようやく早苗の唇にも触れた。
唇を触れあわせる最中にも、器用に緩められていく白衣。薄い布地に秘めた早苗の乳房が露わになっても、不思議なほど寒さは感じられない。外には雪まで降っているのに早苗の躰は熱病の中にあるように熱く、少しだけ冷たい八坂様の指先が、心地よく感じられるぐらいだった。
早苗の上衣をある程度脱がしてしまうと、今度は口吻けのほうに変化が顕れてきた。触れあわせていただけの唇を、八坂様の細い唇が少しずつ押し広げていく。熔けるような早苗の口の中に八坂様の舌が入り込んできたときには、まるで自分の秘芯を擽られるような甘い痺れが、口内から滲むように躰の中に沁み入るような感覚さえあった。
「はぁ、っ……」
ようやく唇が離れたときには、息苦しかった反動から早苗は大きく息も継いでしまう。苦しさから解放されて楽になった筈なのに、唇が離れたことは少しの淋しささえ心に感じさせた。
「早苗」
八坂様が、静かに私の名前を呼ぶ。
「……はい」
意図することが判ったから、早苗もまた静かに頷いて答えた。
開けられて既に肌の多くが露わになっている服を、立ち上がって早苗はひとつずつ脱ぎ畳んでいく。八坂様に背中を向けて脱いでいるのに、背中からでも八坂様の寄せてくる視線が否応なく感じられてしまって、恥ずかしさから脱ぐ動作は少しだけぎこちなくなってしまう。
白衣に袴、そして下着。全部の拠る辺を失った早苗は、ぽすっと待っていた八坂様の胸元に躰を預けてしまうだけでよかった。あとは早苗から何を望まなくても、八坂様が倖せにして下さることが判っているから。
八坂様の顔がゆっくりと近づいてきて、早苗は静かに瞼を閉じる。
「ん……」
もう一度、触れるだけの口吻け。
倖せにして下さるのだという、八坂様の約束の口吻けだ。
「あぅ」
八坂様の細い指先が早苗の秘所に触れる。静かな世界の中だから、ぴちゃっという小さな水音も耳にまで届いてしまって、それがより一層早苗の恥ずかしさを煽り立ててしまう。まだ濡れている意識は早苗自身には無かったのだけれど……こうして八坂様に抱いて頂くのは本当に久々のことだから、いつもより躰のほうにまで期待が滲み出てしまっているのかもしれなかった。
繊細な指遣いが齎す震えるような甘い痺れが、次第に早苗の躰を満たしていく。性感の狂おしさと儘ならなさから自然と荒くなっていく早苗の呼吸に合わせるように、優しく責め立ててくる八坂様の吐息もまた熱っぽい荒々しさを交えて世界に浸透していく。
寒さは全く感じられないのに、早苗の吐息も、八坂様の吐息も薄い部屋灯りの橙と白とを交えながらひっそりと溶け消えていく。白色灯で照らされていた旧世界の灯りに較べれば、こちらの世界の油灯りなんて頼りないほど暗すぎる照明なのに、いまは眩しすぎるぐらいに橙が視界に滲んでいて、直視することができないぐらいだった。
「ん、ぅっ……」
陰裂を幾度も撫でつけるような愛撫。擦れる執拗な指先が、尖った刺激で擦過傷のように早苗の躰に擦り入ってくる。恥ずかしさと気持ちよさ、そして堪え難い何かから早苗は目を開けていることもできなくなって。それでも暗闇に閉ざされた世界の中で、蕩けるような愛撫の指先と裸の早苗へと直接に伝わり届く体温とが、愛されている事実と愛して下さる八坂様の存在を克明に知らしめてくれていた。
「あ、あ……っ、ぁあ……!」
びくっと収縮するように躰が揺れ始めると、八坂様は力強く犇と早苗の躰を抱きしめて幻想の中へと留め置いて下さった。抱きしめる傍で八坂様は、同時に早苗の秘所へとさらなる愛撫の指先を這わせることも忘れない。増大していく快楽の刺激と、ひっそり存在を主張する抗いがたい寂寥。不明瞭にも肥大に満たされていく満足感と、否定しきれない不安が早苗の心までもを満たし尽くしてしまうと、抗えない絶頂感が早苗の躰を突き抜けていった。
ぴりぴりと早苗の全身を震わせていた強大な快楽が、徐々に緩み果てていく。
弛緩していく躰を預けている間も、八坂様は力強く早苗の躰を抱きしめていて下さって。
八坂様の温かさに包まれていられるお陰で、性の余韻が躰から抜けきっても冬の寒さは早苗の躰を少しも蝕み始めては来ない。
心地よい腕の中、疲労から来る眠りへの誘いさえ抗いもなく受け入れてしまえば。
安らかな心地の儘に身を委ねてしまえる幻想の世界が。八坂様が与えてくださる温かな腕の中にだけは、確かに在るような気がした。