■ 3.「焔心」
「――目をつぶっちゃ、駄目だよ」
暗い部屋の中を、祐巳さんの声は冷たく透き通るように響く。
駄目、と強く否定されてしまえば志摩子は従わざるを得ない。躰も息も恐怖に震えているそのまま、おそるおそる瞼を開いて、光源を伴うそれが仰向けに横たわる裸の志摩子の躰へと傾いていくのを見据える。
両手は頭上よりもはるかに高いところで縛られていた。両脚は縛られてこそいないものの、膝立ちのような格好の祐巳さんから押さえつけるようにされていて、こちらも自由にはならなかった。
光源の正体は、先端に火を灯している、少し大きめの蝋燭。志摩子の躰の上で徐々に傾けられていき、ある程度の角度にまで達した途端一筋だけ灯りに煌めきながら、溢れ落ちてくる白い雫。
「っ、はぁぁあっ……!!」
熱に熔かされた蝋が躰の一部、腹部の辺りへと達すると、そのあまりの熱さに志摩子は声を荒げて身を捩った。
融点の低い和蝋燭だから大丈夫、そう祐巳さんは言っていたのに、それが疑わしく思えるぐらいに鮮烈な生蝋が肌を灼く体感があった。落ち着けていた息が、瞬く間に荒々しいものへと変えられてしまう。
「は、あつ、ぅっ……!」
祐巳さんが蝋燭を志摩子の躰へと傾け続けているものだから、今もなお生蝋は断続的に垂れては志摩子の肌へと侵し続けている。腹部の辺りから少しずつ上に、ぽつぽつと滴る凝縮した熱は辿るように志摩子の肌を伝う。
また一滴。また一滴。もはや熱さとも痛みとも判らないものでできた雫が、ぴちゃんと志摩子の肌に落ちては僅かにだけ撥ねていく。熱い蝋の一打が肌を灼くごとに、志摩子は悲鳴を上げて身を捩らせた。
「ぅっ……! や、ぁっ……!」
蝋の痛みは長くは続かなくて、灼かれた箇所もものの数秒のうちに熱さを忘れてしまう。それでも新鮮な熱さを持った蝋が次々と滴り落ちてくるものだから、やっぱり熱による痛みには際限がなかった。
「……! は、ぁぅん……っあ!」
下肢は祐巳さんの膝で押さえつけられているものだから動かすことができず、志摩子は拘束が許す限りに上肢だけを身悶えるように揺れ乱した。身を捩って、いま火の雫が垂れた箇所の肌を庇おうとするのだけれど、けれどそんなことは何の助けにもならない。衣服はもちろん、下着さえ身につけることを初めから許されていない志摩子にとって、熱い生蝋から身を守れる部分など無いのだから。
「熱い? 辛い?」
「…………!!」
声にならない声を上げながら、志摩子はしきりに祐巳さんの問いかけに頷いて答える。
蝋が熱さを齎すことぐらい、判っていたことだったけれど。蝋が肌を灼く痛みがこんなに辛いものだなんて、知らなかったのだ。
「じゃあ『やめなさい』って私に言ったら? そうすれば、すぐにやめてあげるよ?」
「……それは」
とても辛い責めなのに。やめるようにせがむこと、それだけはどうしてもできないことだった。
確かに祐巳さんは、始める前に「やめて、って言ったらすぐにやめてあげる」と。そう志摩子に約束してくれた。
けれど……志摩子には、どうしてもそれを望むことができない。
何故なら。「やめてあげるけれど、その代わりに」と祐巳さんが提案してきた内容。
それが、どうしても志摩子には受け入れられないものだったからだ。
事の発端は、志摩子のお姉さま。
佐藤聖がある日、祐巳さんにプレゼントした和蝋燭だった。
ううん……プレゼントというよりは、押しつけだろうか。
「是非、使ってみた感想を聞かせてちょーだいね!」
お姉さまはそう言って、赤面する祐巳さんの手に無理矢理蝋燭を握らせていってしまったのだ。
……もちろんお姉様だって、実際に私たちが『使う』ことなんて想像もしていなかったことだろう。
晴れて私たちが恋人同士になることができてから、ちょうど一年が経過したお祝い。そんな日にこうした『意味深なもの』をプレゼントすることで、単に私たちをからかいたかっただけに違いないのだから。
けれど、祐巳さんにはそれが判らなかったのか。……あるいは、判った上でなのか。
「じゃあ――今晩、使ってみる?」
祐巳さんは、あまりにも自然にそう訊いてきて。
祐巳さんからそう言われてしまうと。志摩子もまた……どこか期待混じりに、頷かずにはいられなかったのだ。
私たちの関係は、恋人同士でありながら対等ではなかった。
少なくとも性的な行為に及ぶときにはいつも、祐巳さんのほうが絶対的に上位の立場で。どちらかというと志摩子は、祐巳さんから一方的に虐められる側に回ることが多くて。
だから、祐巳さんが今晩それを『使う』と言うのであれば、志摩子が『使われる』側になるのは自然なことだった。
「……ちょっと、怖いかも」
蝋燭を使った行為に及ぶより少しだけ前に、志摩子がそう正直に不安を打ち明けたとき、祐巳さんは「大丈夫だよ」と笑って答えてくれて。
「辛かったら、すぐにやめるから」
「……本当?」
「うん。やめて欲しいときは『やめて』って言ってね?」
祐巳さんがそう約束してくれたことで、志摩子の気持ちは随分と楽になったものだった。
衣服を脱いで裸になって、さらには両手を縛られて。そんな自由を完全に奪われた格好になっても、もう志摩子が不安を感じることはなかった。祐巳さんが『大丈夫だよ』と約束して下さったからだ。
「あ、でも」
「え?」
「あんまり気楽すぎるんじゃ、つまんないかな?」
もう、こんな格好にまでされているのに。いまになって祐巳さんがそんなことを言い出すものだから、志摩子の不安は急速に大きなものへと膨らんでいく。
「ど、どうしたの……?」
おそるおそるといった調子で志摩子がそう訊ねると、祐巳さんは「うん」とだけ頷いて見せて。
「こういうの『えすえむ』っていうんでしょ? 誰かを虐める、みたいな」
「……ええ、そうね」
「なんだか、こういう風に安全が保証されてたら『えすえむ』って言わないんじゃないかなあ、と思って」
「………………そう、かもしれないけれど」
けれど、こんなことをするのは初めてのことなのだから。せめて今回ぐらいは、安全が保証されていてもいいのではないだろうか。
「今回だけは、大目に見てくれない?」
志摩子がそう提案すると。祐巳さんは少しだけ悩んだ様子だったけれど、やがて。
「……うん、そうだね」
半ば不承不承気味ではあったものの、頷いてくれた。
志摩子は内心で安堵の息を吐く。けれどそんな志摩子の思惑をよそに、祐巳さんは「でも」と言葉を継ぐのだった。
「でも……?」
志摩子がおそるおそる、祐巳さんに問う。
「でも、中断した場合は代わりに『お仕置き』ね? それぐらいはいいでしょう?」
「あ……ええ、そのぐらいは、勿論だわ」
お仕置き、という言葉は二人の中で比較的気軽に遣り取りされる言葉で。
大体はその……志摩子がエッチの際に、過剰に虐められる程度のことでしかないから。そういうペナルティならと、喜んで志摩子も受け入れたのだけれど。
祐巳さんが提示した『お仕置き』の内容は『交代』。
つまりは志摩子が弱音を吐いた時点で、祐巳さんがこの肌を灼く痛みの的に代わることだった。
「あぅっ!! っぁ、あついっ……!!」
涙が止まらなくなったのは少しだけ前からのこと。それでも、志摩子は決して『やめて』と口にすることができない。滴り落ちる焔はとても辛いけれど、この痛みを祐巳さんに押しつけるわけにはいかないのだから。
初めはの乳房を灼いた蝋は、いまはもうお臍よりも下にまで及んでいる。やがて与熱源が下腹部の辺りにまで辿り着いてしまうと、熱が与える感覚はより鮮明な刺激となって志摩子の神経を揺さぶってくるかのようだった。
「ひいいっ……!!」
秘所を灼く焔。かつては護り覆っていた筈の恥毛があればまだ幾許かの救いもあったかもしれないのに。
無防備な弱点を炙る炎熱。志摩子自身の裡から滾った炎熱の海に呑まれるように、蝋は静かに固まり漂っていった。