■ 朝のひととき

LastUpdate:2003/08/24 初出:web

「あ、お姉さま、ちょっと……」
 瞳子が抵抗の声を上げるのも束の間、お姉さまの唇は瞳子のそれにゆっくりと重ねられる。瞳子自身も本気で抵抗したりなんてしない。声を上げて、抵抗の素振をするので精一杯。瞳子はゆっくりと瞳を閉じた。
 唇なんて僅かな場所を触れ交わすだけで、瞳子の躰は自分でも感じるほどに熱く火照ってきてしまう。
 キスを交わすことはいつのまにか二人の間で神聖化された儀式のようになっている。舌は入れない。唇の感触と、僅かな空気の行き交いだけを楽しむキス。そんな簡単なことで瞳子の意識の大半は奪われてしまい、酔いのままに身を委ねそうになる。唇が離れても、僅かに唾液が線を引いていた。
 こうなると、もう抗えなくなる。いつもはお姉さまに悪態をついてみたりしているけれど、接吻という儀式を交わしたその瞬間から、瞳子はお姉さまの総てに逆らうことができなくなる。支配の儀式とでも言うべきか、瞳子にとってお姉さまの言葉は絶対になる。
「瞳子ちゃん、脱いで」
 だから、どんなことを言われても、それは瞳子の中で絶対のものになってしまう。
 早朝の薔薇の館。いくつかの鳥の声が聞こえるほかには何も聞こえない、静謐な空間。まだ時間は早いとはいえ、いつ人が来るともしれないこの場所で、脱ぐ。
「お、お姉さま、せめて鍵を」
「大丈夫、誰も来ないよ」
 瞳子の哀願も簡単に却下されてしまう。お姉さまの視線が瞳子を離さない。だから、それ以上抵抗の声を上げることすらできなくなってしまう。
 皺が寄らないように丁寧に制服の上下を畳み、上履きを脱ぎ去り、ソックスを片方ずつ脱ぐ。下着だけの姿になった瞳子をお姉さまがあまりに見つめつづけるものだから、瞳子の意識は上気してどうかなりそうになってしまう。
 素足で触れる薔薇の館はひんやりと冷たくて、ちょっとびくっとしてしまう。普段からこまめに掃除されているから汚いということは全く無いのだけれど、両のソックスを脱いで裸足のままでそこに立っているだけで、体温は床に吸い取られて震えてしまいそうだった。
 お姉さまの目が「まだ」と言っている。外気は冷たいが、躰の火照りは止まらなくなる。瞳子のあまり豊かで無い乳房を覆う淡い色のブラジャーが外され、ショーツに手を掛けたところで動きが止まる。瞳子がストリップをしている時に、あろうことか祐巳さまは窓を次々と開けているのだ。
「ま、窓はせめて……」
 開け放たれた窓から走る早朝の風が、恐ろしいほどに冷たく感じられる。しかしそれも、瞳子の裡での熱情の火を消すことは無く、返って頭の中は真っ赤に熱くなり、意識はふにゃふにゃになってくる。
 瞳子が抗議しても、お姉さまは一瞥をするだけで窓をとうとう総て開け放ってしまう。そして最後には、薔薇の館の階段に通じる扉まで。
 ――いま、もし誰か来たなら。そう考えると恐ろしい。薔薇の館の中で全裸でいる姿なんてもし見られてしまったなら、絶対に言い訳なんかできっこない。
「だ、誰か来たら……」
「そうしたら、面白いよね」
 お姉さまは指を口元に当ててくすくすと笑う。瞳子が逆らえなくなるマゾヒストな一面が現れるように、瞳子の姉である祐巳さまもまた、サディスティックな性格……という程ではないけれど、苛めっ子というか、そういう部分が表れてしまう。
「自分で脱げないのかな?」
 お姉さまが瞳子の一番敏感な部分をショーツの上から指先でちょこちょこと突付く。
「ぬ、脱げますから!」
 慌ててショーツを自分の手で脱ぎ降ろす。濡れそぼったそこが露にされても、お姉さまはそこに触れてくるのを止めない。「身体検査」と言って直接触れてくるそれに、瞳子はじっと耐えることしかできない。
「わ、もう濡れてきてるんだね」
 無邪気にそう笑いながら、お姉さまの指先が敏感な部分を刺激してくる。瞳子のただでさえ昂ぶっていた躰は、それだけで簡単に達してしまいそうになる。しかし、外から流れてくる早朝の外気が、嫌でも瞳子にこの空間が密閉されていない現実を突きつけてきて、瞳子はその麻薬のような誘惑に抗わざるをえない。達してしまえば、声を上げずにはいられない自分を知っている。だから。
 瞳子の期待を裏切って、お姉さまは簡単に手を離した。部屋の隅に置いてある学習机、瞳子たちの教室にある個々の机と同じものを持ち上げてきて、瞳子の前に降ろした。一緒にセットになっている椅子も持ってきて、机から一メートル程離れた所に腰掛ける。
「その机の上で、見せて欲しいな」
 ――なんてことを。
 瞳子は思わず声をきり上げて抗議しようかと思う。しかし、一瞬の後にはその興奮は冷め、ただお姉さまの命令を承服し、従順に机に足を掛ける私が居た。

 

      *

 

「本当にお姉さまは無茶が過ぎます!」
「ご、ごめんって。わあ、瞳子ちゃん、許してよお」
 ひとたび性の交渉が終われば、豹変したお姉さまがそこには顔を見せる。さっきまでのお姉さまはどこへ行ったやら、今見えているのはいつものお姉さま。だから私は平気で悪態をついて、精一杯困らせてやるのだ。
「大体ですね! 窓や扉を開けたりして、見つかったらお姉さまだってただでは済まないんですよっ!」
「だから、ごめんって。瞳子ちゃんを苛めている間は、そういうのが考えられなくなっちゃうんだよね」
「お姉さまは全生徒の憧れなんですから、少しは自粛頂かないと困ります」
 ははは、なんて笑いながらお姉さまは悪びれたふりもなく、お茶を飲んでいる。
 笑い事ではない。本当に人に見つかってしまったら、瞳子だけでなくお姉さままで大変なことになっていたのだから。瞳子のせいでお姉さまが停学や退学になんてなってしまったら、瞳子はそれを一生引き摺ってしまうに違いない。
「昔の白薔薇さまの性格がうつっちゃったのかな。瞳子ちゃんがまだ高校に入ってない頃の人なんだけど、凄くセクハラが好きな人でね……」
 そういいながらお姉さまはじっと見つめてくる。私はその視線だけでどぎまぎしてしまう。
 唐突にお姉さまが、あなたに逢えてよかった、とつぶやいた。いままでの会話に関連性が無いそれの意図を、瞳子は瞬間測りかねる。
「瞳子ちゃんが居てくれてよかった。これで私も何の心配もせずに卒業できるよ」
 その一言は瞳子にとって苦痛だった。お姉さまは明日にはもうここにはいないのだ。その事実が胸を掠めるたびに、とても哀しい気分になってしまう。
「そんなこと、言わないで下さい……」
 お姉さまが少しだけ憎いと思った。私は全霊を掛けてお姉さまを愛したのに、お姉さまは簡単に私の求める手を避けて、離れていってしまうのか。抱いたり抱かれたり、そういった愛を交わすことは、姉妹である間だけの時限的な物でしかなかったのか。
 だけど、それをお姉さまが望むのであれば。……瞳子自身はいつまでもこんな時が続けばいいと思っていた。いつまでも、お姉さま一人だけを愛し続けられたら良いと思った。しかし、お姉さまが終わりを望むのであれば。別れは仕方の無いことだし、私はこれ以上お姉さまに迷惑を掛けたくは無かった。
 席を立ったお姉さまが私の躰を抱き竦める。触れられるのは今日まで。抱いてもらえるのは、今日まで。
 そう考えると、どうしようもないくらいに瞳子の目に涙が溢れた。慌てて押し留めようとしてももう遅くて、情けない嗚咽まで漏らしてしまう。泣いてもお姉さまを困らせるだけなのに。つくづく私はお姉さまに迷惑を掛けてしまうだけの妹で、申し訳ないと思った。
「瞳子ちゃん……」
 お姉さまが優しく目元を拭ってくれる。
「優しくしないでください……」
 辛かった。お姉さまが優しすぎることが。私はお姉さまに何もして上げられなかったのに、なのに。
 私は毅然と立ち上がった振りを装って、お姉さまの手を振り払った。
「いいんです。今まで、ありがとうございました、お姉さま……。瞳子はもう、大丈夫ですから……」
 私の精一杯だった。演技家としての私の精一杯のプライドで、涙を止めて、ちゃんと告げる。もう十分だった。これ以上お姉さまに何を望むというのだろう。お姉さまは十分に私に優しくしてくれたし、十分に私を愛してくれたじゃないか。
 だけど、そんな決意とは裏腹に、お姉さまは頭の横に「?」のマークを浮かべて、私のほうを凝視した。
「なに、瞳子ちゃんは、私を、捨てるの?」
 そんなことを、まるで有り得ない、とでも言わんばかりに言うものだから、思わず私のほうまで訳が解らなくなってしまう。
「は? お姉さまが私を捨てるのではなくて?」
「な、なんで私が瞳子ちゃんを捨てるのよっ」
 慌てた様子でお姉さまがまくしたてる。
「や、やだよっ! やだからねっ! 私、瞳子ちゃんと別れたりしないからねっ! 瞳子ちゃんが嫌がったって、絶対に分かれたりしないんだから――!」
 さっき必死で押し留めたばかりの私の涙が、再び目に溢れてくる。だけどなぜか暖かいそれは、悲しくて泣くんじゃない、嬉しいことの涙だ。

 

      *

 

「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 先頭に志摩子さま、数秒送れて令さまと由乃さまが入ってきて、薔薇の館にいつもの空気がやってくる。後から由乃さまたちが入ってくる頃には既に鞄を下ろして一息ついていた志摩子さまが気づいたようで、志摩子さまの姿を認めた瞬間に逃げるようにお茶を入れに行った私のほうに来て、そっと耳打ちしてくる。
「ひょっとして今日、朝から?」
「……はい」
 志摩子さまには、やはり女性特有のこの匂いは誤魔化せなかったらしい。席に戻ってお姉さまに「ほどほどにね」なんていう言葉を投げていた。困り果てたお姉さまの百面相の横で、遅れて気づいたらしい由乃さまが「ははーん」なんて言っている。さらにその横で、なんのこと、と言わんばかりの令さまがちょっと面白かった。
 そんなふうに志摩子さまに言われて、困っているお姉さまを可愛いと思ってしまう自分も、そうとうにまいってしまっているなあと改めて思ってしまう。だから私は、おかわり二つを含めた五人分のお茶を一人で運びながら、
 「本当にお姉さまったら強引で、困ってしまいますわ」
 なんて言葉を投げて、場に花を添えることにした。