■ 百年の蠱毒
笙子にもう逃げ場は残されていなかった。狭い薔薇の館で入り口側から追い詰められたのだから、すぐに逃げ場を失って追い込まれるのは必然的ですらあることだ。だけど――笙子は戸惑っていた。どうして私が、彼女に追い詰められることになるのか想像がつかないからだ。
「江利子さま、どうして――」
笙子が怯えながら問う。江利子さま、と呼ばれた彼女は視線をまったく逸らさずにさらに笙子に詰め寄ってくる。床にへたへたと座り込んだ笙子がさらに後ろに身を引こうとするが、しかし勿論すぐに壁に阻まれてしまう。
そんな笙子を見てくすりと妖艶に笑う。心の臓を握り締められているみたいに、まるで笙子は生きた心地がしなかった。自分の総てを、江利子さまに握り締められている感覚。
「――どうして? そんなことは、とても簡単」
確実に距離を詰めてきた江利子さまの足が、とうとう半歩の距離にまで笙子を追い詰めて止まる。そっと唇に触れてきた江利子さまの指先がとても冷たくて、笙子は身を震わせた。
つーっ、と指先が笙子の唇を撫でる。
「笙子ちゃんが可愛いすぎるから、だから悪いのよ?」
「痛っ……!」
無茶苦茶な理屈を零しながら、笙子の唇を二本の指の爪できゅっと抓ってみせた。それは思いのほか痛くて、じんじんとした痺れが江利子さまの指が離れた今でも笙子の唇を捕らえて離さない。
江利子さまの細い瞳が笙子の瞳をじっと見据えてくる。――躰が、笙子の意思ではぴくりとも動かない。
蛇に睨まれた蛙。あるいは、メデューサの呪縛。
笙子の自由は江利子さまに奪われて。
「……!」
笙子の唇を江利子さまが奪う。
触れ合うキスではない。押し付けるような……違う、それでも足りない。
咬むようなキス。
江利子さまの牙が、笙子の唇に突き立てられる。
もちろん、それは真実ではない。実際にはただ強い力で唇を押し付けられただけ。
だけど、それはまるで吸血鬼か、あるいは毒蛇のように。
「ふうっ……!」
座っている笙子を、江利子さまの牙が咬む。
笙子を強い痛みと共に傷つけるだけではない。もちろんその毒牙からは、笙子を苦しめる毒が流し込まれてくる。笙子の意識は朦朧と仕掛けてきた。
もうダメだ、ここで毒蛇の餌食になるのだ。
躰に回った毒のせいか、諦めにも似た心地が笙子の中に沸いてくる。その毒素を笙子はあっさりと受け入れた。あるいは受け入れたことさえも、この毒のせいなのだろうか?
絶対的優位をたったひと咬みで奪った江利子さま。口元が獲物を手にして妖しく微笑んでいる。
あとはきっと屠られるだけ――
*
抵抗もできずに裸にされた笙子の胸元に、江利子さまの唇――牙が立てられる。
頸、顎、臍。そして胸。牙が笙子に深い傷を負わせるたびに、笙子の体を巡る毒素もより一層の濃度を増してくる。その度毎に鋭い痛みが与えられたが、それさえも体に響くと何ともいえぬ快感に昇華するのだった。
神経毒。あるいは、媚薬か。
躰の自由はもとより、意識の自由さえ笙子にはもはや許されていない。機能を停止させられた理性の中で、毒が体を蝕んでいくその感覚が、じんじんと甘い疼きとなって、笙子の自我さえも捕らえていく。
早く喰われたい。そんな欲望さえ芽生えてくる。
「はあっ……!」
胸を咬まれても上げなかった声も、臀部に牙が及ぶと我慢できなくなる。
血中に満たされた毒蛇の媚薬が、どこまでも体を疼かせる。
早く、早く喰われたい。
「もう我慢できない?」
江利子さまが挑発めかしてそう言う。笙子はただブンブンと首を何度も縦に振る。「そう」とだけ小さく言うと、毒蛇の頭部は笙子の足の付け根、下腹部の底にまで及んできた。
壊死した肢体は動かない。ただ食べられるのを待つだけだ。
笙子の陰核を毒蛇の長い舌が舐めた。ザラッとした刺激が、敏感になった体を突き抜ける。
「――笙子」
江利子さまが笙子の名前を呼ぶ。それだけで気が狂いそうだ。それも毒の魔力なのだろうか?
「これから毎日、食べてあげる」
それはなんとも魅力的なことのように思えた。毎日嗜食される喜び、こんなのどうやって表せばいいかわからないけれど。
江利子さまの手を煩わせて服を脱ぐのはきっと今日だけ。明日からは進んで毒蛇の供物になり、裸になって牙を待つのだろう。ああ、それのなんと甘美なことか。
「それじゃ」
――いただきます。
江利子さまの牙が、笙子の最も弱い部分に突き刺さる。
「……はあああっ!」
未知の快感が笙子の神経を突き抜ける。
たった最後に一度突き立てられた牙だけで、何回分もの激しい絶頂が笙子の身も心も狂わせる。
意識が真っ白になった。躰が急速に弛緩していく。
未だにとろけきった感覚の最中で、けれど笙子の期待はもう明日食べられる自分を想うのだった。