■ 素直な言葉
複雑に擦れては感触を確かめ合う、唇と唇との柔らかな触れ合い。口吻けている端から、熱を纏わせた互いの息が漏れ出てきてしまう。それは息苦しさからではなく、単に恥ずかしさで呼吸を留めておくことが上手くできなくなってしまうような。――こうして早苗とキスを交わせるときには、いつもそれぐらいに心も躰も儘ならなくなるみたいだった。
二人して未だ慣れることができないでいる口吻けは、何度も回数を重ねてきた今でさえ上手く交わすことができないでいた。唇の位置が少しずつずれてしまう度に、瞼を閉じあった見えない視界のまま感触だけを頼りに二人で修正していく。やがて上手く交じり合うことが出来さえすれば、触れ合うだけのキスであっても熱い互いの呼吸が隙間を縫うように口腔間を行き交いするみたいで。喉や舌を灼くかのようにさえ感じられてしまうほどの熱い早苗の吐息が、さとりの中を満たしていく感覚があった。
口腔を満たす熱は、そのままさとりの躰中を埋め尽くし、意識さえも夥しい熱で蕩けさせてしまう。触れ合う時間が長くなり二人の呼吸が上手く行かなくなるほど互いの唇を通じて交わされる呼吸量も多くなって、早苗の体温を伴って喉に直接あたる吐息は、抗い難い熱量を躰の中に植えつけていくみたいだった。
〔舌を入れてみたいなんて言うのは……さすがにはしたないかな〕
キスをする際には互いに瞼を閉じるのが礼儀だという。けれど双眸を閉じてはいても、早苗の心に密かに浮かんだその願望を、さとりのもうひとつの瞳は見逃さない。――一瞬だけ情景を想像してみて、ひどく恥ずかしいことだと思って心が震えてきてしまう。それでも、さとりにだって舌を交わすキスへの興味も憧憬もあるのだし、何より早苗が望んでくれているのなら、恥ずかしい気持ちを押し隠してでも叶えてあげたかった。
相手の心を読むことができる程度の能力。この力を疎ましく思ったことなんて、今まで本当に数知れないほどあったけれど……今ではさとり自身、この力のことを好きになることができていた。
その機会を与えてくれたのは、間違いなく今この瞬間にも唇を触れ合わせている彼女のお陰だった。彼女――早苗は沢山のものをさとりに与えてくれた。早苗はあまりにも裏表のない人間で、それだけに最初はさとりも彼女に対して呆れのような気持ちしか抱くことができなかった筈なのに。
さとりに対して「仲良くなりたい」と最初に言ってきてくれたのは早苗のほうからだった。月に数度さとりの元を訪ねてきては、取り留めのない会話だけをさとりと交わすだけの関係。訪ねてくる裏には何かしらの目的があるのでは――早苗が訪ねてきてくれる度にそうした懸念をさとりは抱き、彼女の心の奥底を覗き込もうとするのだけれど、心の裡をくまなく覗き見てみてもそうした下心を見つけることはできなかった。
心を覗くことで代わりに思い知らされてしまうのは、あまりにも純粋な――さとりに対して早苗が抱いてくれている、好奇心や関心といったものだった。どうしてなのかはさとり自身にも解らないことだけれど、早苗はさとりのことを好いていてくれているみたいで。月に数度の訪問がやがて数日に一度になり、毎日のように早苗が訪ねてきてくれるようになった頃には、無条件に好意を寄せてくれる早苗にさとりも心を開かずにはいられなくなってしまっていた。
「友達が欲しいの」と、いつの日かまだ交流が浅かった頃に早苗が言った。そう告げてくる早苗の言葉に裏は無かったけれど――あれはまるで、私の心を読んだかのような言葉だった。望むことが叶わないと長い間諦め続けて、いつしか忘れてさえしまっていたさとりの本当の願いを、早苗が見つけて想い出させてくれていた。
意識した瞬間には、既に早苗のことは特別な存在になっていた。友達という掛け替えのない存在――今度は早苗が望むよりも早く、さとりが彼女により特別な関係を持ちたいと願うようになるまでには、それほど時間は必要ではなかった。
「んっ……」
小く上がった声は早苗が発したもの。さとりから静かに挿し入れた舌先に反応した、早苗の驚きの声。
けれどその動揺も僅かな間にしか顕れない。直ぐに早苗は全てを理解したかのように、さとりが侵入させた舌先を歓迎するかのように、自分の舌を絡ませてくれた。
こうして好きな人とキスができる果報に、さとりはじんと心の深い場所で感じ入る。まだ普通のキスにさえ慣れていない私達だから、やっぱり舌を絡ませるような高度なキスは上手くいかない手探りばかりで変な感じもするけれど、そうした辿々しい所も含めてさとりは自分たちの関係に倖せを感じないではいられなかった。
私達はまだ恋愛について何も知らない素人同士。けれどそれは、私達が共に初恋を相手に対して抱いたという掛け替えのない証でもあった。学ばない知識を得られはしないのだから――何も知らない私達が、唯一愛し合う人との繋がりから恋愛の全てを学べるということが、嬉しくない筈がなかった。
絡まり合う舌はやがて解けて、さとりも早苗も、少しだけ離れた距離で荒くなった息を整える。ようやく落ち着いた呼吸で向かい合うと、どちらからともなく笑みが零れてしまった。
初体験なんて、拙くていい。初めはなかなか上手くできなくても、それはお互い様だから。私達はゆっくりと、ただ二人きりで学んでいけばいいのだから。
「やっぱり……少しだけ恥ずかしいですね」
「そう、ですね」
頬に深い紅を浮かべながら、そう言ってくれる早苗が誰よりも愛おしい。
きっとさとりの頬も、早苗に負けないぐらい紅くなってしまっているだろうけれど。
「……ですが。こういうのは、とても……倖せです……」
まるで何かに感じ入るかのような深い色を湛えた瞳を、静かに瞼で隠しながら。早苗は静かに、そう呟いてみせる。
さとりもまた、同じ気持ちだから。彼女に倣うように静かに瞼を閉じた。
*
早苗の心に合わせようとするのではない。
伝わってくる早苗の意志、感情。その総てが、そのままさとりの意志とまるで同一だから。
「こんなこと、友達同士ではできませんね……」
「……そうだね」
さとりの言葉に、くすりと微笑んで早苗が答えてくれて。彼女の笑顔を見ていると、さとりの表情も自然と綻んでしまう。友達が欲しい――早苗のそうした言葉から始まった私達の関係だけれど、さとりにはもうその言葉を叶えてあげることができない。だって……さとりも、そして早苗も。もう相手のことを「友達」だとは思えなくなってしまっているし、自分のことを相手に「友達」と思われることにも満足できなくなってしまっているのだから。
どちらから押し倒すわけでもなく、静かに倒れ込むように二人してベッドに体を横たえる。ぎしっと木の軋む音を立てて二人分の体重を受け止めてくれる小さなベッドには、けれど二人の少女を受け止めてまだ余りある広さがあった。
二人してシーツに顔を埋め合いながら、そのまま些細なキスを交わす。触れては離れ、離れては触れるバードキス。ついばむような唇の触れあいは、ベッド一つ分だけを残して世界を遮断するには十分な幸福感を齎してくれるみたいだった。
ふとした拍子に交わす、今度は少し長めのキス。唇を触れさせる度にまばたきしていた瞼を、今度は静かに永く閉じ合わせたまま早苗の感触だけを確かめていく。やがて早苗のほうから唇が離れた時には、まるで手品のように――さとりも早苗も、何一つ衣服を身につけてはいなかった。
「何もこんなことに、奇跡を使わなくても」
半ば苦笑を抑えきれないままさとりがそう口にすると、つられるように早苗も温かな微笑みを見せてくれる。
「あなたの為に奇跡を使わなくて、何に使えと言うのですか」
「……随分と奇跡も安くなったものですね」
軽口を叩いてみるけれど、そんな雰囲気も長くは続けられない。腕や脚が早苗の躰と触れてしまう度に、さとりの脳にはしっとりとした早苗の躰の感触が鋭敏に伝わってきてしまう。一糸纏わないさとりの躰と、同じく一糸纏わない早苗の躰。ベッドの上で無意識に触れあう程、さとりは早苗をより深く意識せずにはいられなくなる。
伝わってくる感触はどれも、ひとつひとつ艶めかしくて、そしていやらしい。駆り立てられる淫靡な雰囲気に呑まれるように、今にも襲いかかりたくなる自分の心を抑えるのにさとりは必死だった。
「我慢なんてしないで、好きにしていいんですよ?」
「――!!」
早苗の言葉に、一瞬さとりはどきりとする。
私が早苗の心を伺い知る術を持っているように、早苗もまた――私の心の有り様を、本当は見透かしているのではないだろうか、と。
そんなことを思ってしまうさとりに、早苗は小さくくすくすと笑ってみせる。
「もちろんさとりの考えている事ぐらい、わかりますよ?」
「……そうなの?」
こんな力を持っているのは私だけだと思っていたけれど――。
なおもさとりが彼女の真意を知ろうと見つめると、早苗は優しい笑顔の儘で頷いてくれて。
「だって――好きな人のこと、ですから」
何の衒いもなく、まるで当たり前のことを口にするかのように。さとりの瞳を真っ直ぐに見つめながら、そんな風に言ってみせるのだ。
狭い狭い、二人だけの世界がどんなにも熱くて、冬だというのに肌は汗ばんできてしまう。それと共に感じられるのは、微かな相手の汗の臭い。頭がくらくらするほど官能的な世界に誘われる儘に、早苗の肌に自分の舌を這わせたいという欲求をさとりは抑えきれなくなる。
早苗の手を取って、その人差し指を咥えるように頬張ってみる。薄く塩はゆい指先の味わいが、より深い酩酊の中へとさとりの思惟を陥らせていく。
一方で早苗もまた、倣うように同じようにさとりの指先を咥えてみせる。さとりの人差し指、それに中指を加えた二本の指先が早苗の口内に囚われると、彼女の口腔の酷く熱い熱気の中でもとりわけ赤熱のように熱い舌が執拗に舐っては高温の唾液と共に包み込んでくる。
さとりもまた倣い返すかのように、もう一本の人差し指を自分の口内へと咥え込む。早苗の指先はとても細くて小さいけれど、それでも二本も口腔に押し入れてしまうと少しだけきつくて――だけど、自分の意志で口内に捩じ込んだ指先の圧迫感が、却って心地良くもあった。
口内って、本当はとても無防備な場所なのだと思えた。そのさとりの無防備な場所を、早苗の二本の指先が埋め尽くしていて、自分の意志で咥えた筈だというのに――あたかも早苗に支払いされ、そして犯されているかのような心地良い苦しさが頭の中を埋め尽くしている。ただでさえ口内に頬張った指先のせいで酷く息苦しくて、さらには僅かにでもさとりの喉へと早苗の指先が触れるだけでも噎せ返るように苦しい。だというのに――馬鹿みたいに、そんなことさえも嬉しいのが不思議でならない。
きっと早苗も同じ感覚、同じ気持ちを共有してくれているのだと思えた。時々噎せるように漏れ出る詰まったような早苗の声が聞こえてしまうのに、それでも早苗はさとりの指先を決して吐き出しはしなかった。
「……どうにか、なってしまいそう」
ようやく互いに指先が相手の口元から離れると、ぜえぜえと呼吸が酷く乱れてしまっていて。二人してぐったりとしながら、早苗がそんなことを口にしてみせる。
さとりもまた早苗の言葉に、ただ頷いて答えた。これからどうなってしまうのだろう――僅かな畏怖の気持ちと、恐ろしいほどに膨らんだ期待の感情。どうにかなってしまいそうで怖いのに……もうさとりの心は、早苗によってどうにかしてもらうことでしか解消できないほどに圧迫されてしまっている。
「あ、あ、あ……」
さとりの乳房とお腹、そして下腹部。他でもないさとり自身の唾液を纏わせた早苗の指先が、つつっとぬめった感触を残しながらさとりの躰を触れ降りていくたびに、抗えきれない感覚と期待の儘の声が喉から漏れ出てしまう。
やがてさとりの躰で最も脆い筈の場所にまで早苗の指先が辿り着いてしまうと、僅かに触れられるその感触だけでも、今にも正気を失ってしまいそうだった。心はそれほど期待に満ち、躰は震えるほど刺激に飢えている。酷く切ないさとりの心には僅かに触れるだけの早苗の指先の摩擦でさえも苦しくて、渇ききった喉へと一滴の清水を滴らせるのと同じぐらいの悲痛さで、呼び水となって欲望と渇望とをさとりの中へ溢れかえらせてしまう。
「も、もう我慢できません……っ! は、はや、く……」
「……うん、私も我慢できないから……さとりも、お願いね?」
「は、はいっ……!」
互いの指先が、互いの躰で最も敏感な部位に触れる。
「ふああああっ……!!」
「ああっ、あうううっ……!!」
殆ど悲鳴にも似た潰れるような声で、たちまち互いの喉から嬌声が零れ出てきてしまう。
あまりの倖せに胸が詰まる思いがした。早苗がさとりの秘所を責めてくる指先には容赦が無くて、彼女の意のままにされているのだ――という意識が、余計にさとりの中での幸福感ばかりを膨らませていくみたいだった。
同時にさとりも容赦することなく早苗の秘所を苛むほど、彼女もまた振り乱すように声を上げてくれて。心を読まなくても否応なしに伝わってくる彼女が自分を受け入れてくれているという想いがあり、自分の指先に幸せを感じてくれているという事実があった。
「ふぁ、ぁ、ぅ……! さな、えぇっ……!!」
「さ、さとり、ぃっ……! は、ああああんっ……!!」
愛し合ってから互いの躰が強く震えるまでに、さして時間は掛からなかった。二人して破裂せんばかりに膨らんでいた心と躰だから、導かれるだけの準備は既にできていたし、そのことが解っていればこそ相手の躰にも分別を忘れた指先の苛みを課すことができたからだ。
疲れの儘に弛緩しようとする躰、けれど愛欲はまだ満たされていなくて、休む間もなく私達は互いの躰を求める指先の苛みを課していく。素直な儘に幸せを求める方法を誰よりも知っている私達だから、ようやく手にすることができた倖せに対して今さら躊躇う気持ちを抱こうとさえ思わなかった。