■ 18−遣らずの雨

LastUpdate:2007/12/28 初出:web(mixi)

「お泊まり?」
「うん。もし良ければ今週末どうかな、と思って」

 


 日付をひとつ経るごとに確実に冬の気配が強まってきて、そろそろ年の瀬さえも意識され始めた水曜日の放課後。薔薇の館ではなく藤組の教室までやってきた由乃さんから唐突にそんな話を切り出されて、志摩子は少なからず驚かされてしまう。
「急に、どうしたの?」
 妹の乃梨子とならいざ知らず、由乃さんや祐巳さんとは休日にお会いすることだけでも、あまり多いことではないのに。まして『お泊まり』だなんて、唐突なことのように思えたからだ。
 由乃さんも、それは承知の上で話しているのだろう。訊ね返した志摩子の言葉に、うんうんと頷いてみせる。
「本音を言えば……志摩子さんに、祐麒くんとの馴れ初めとか聞いてみたくって」
「馴れ初め、ねぇ」
 由乃さんからそんな風に言われて、今度は志摩子の方が苦笑せずにはいられなくなってしまう。
 祐巳さんに由乃さん、それに乃梨子に瞳子ちゃん、さらに蔦子さんと真美さんまで。祐麒さんとお付き合いさせて頂く旨を、薔薇の館で告白したときと全く同じ方々の目の前で、キスをしたのはもう二日も前のこと。あんな場面を見せてしまったのだから、由乃さんが聞きたがるのも無理ない話なのかもしれないとも思う。
 こと恋愛の話に関しては、いつしも好奇心が堪えないもの。それは誰にとってもそうだろうし、もちろん志摩子にとってもそう。もしも志摩子よりも先に由乃さんが誰かと恋に落ちていたなら、私だってその話を由乃さんに聞きたがったに違いないだろうし。
 でも、馴れ初めなんて。
「……本当に、お話するほど面白いものではないのよ?」
 由乃さんがそれで納得する筈がないと判っていながらも、志摩子にはそう説明するしかない。

 


 ――僅かに半日で恋に落ちた。
 恋したその日にキスしたことは特別だったけれど、落ちる課程に特別なことはなかった。
 図書館で偶然お会いして。それから、一緒に映画を見て。
 由乃さんにお話できることなんて、その程度でしかなくて。
 それだけに馴れ初めとして恋愛話らしい何かを期待されても、志摩子には何も面白いことが言えないのは間違いのないことのように思えた。

 


「そんなの、いいの。一度ちゃんと聞いておきたいだけで、変に期待して聞くわけじゃないから」
「……それなら、勿論お話すること自体は構わないのだけれど」
 祐麒さんと過ごした半日のことには、秘匿したいような内容は僅かにさえ伴わない。由乃さんが聞きたいと言うのであれば、もちろん志摩子も話すのに吝かではない。
「ただ、今週末は祐麒さんと先約があって。……泊まりというからには土曜から日曜でしょうし、申し訳ないのだけれど来週とかにならないものかしら」
 厳密には、祐麒さんと明確に『会う』という約束をしたわけではない。
 ただ二日前に、なんとなく週末に会えるとお互いに思っていた気持ちを確かめ合っただけ。
「それなら心配いらないと思う」
「え?」
「お泊まりって私の家じゃなくて祐巳さんの家だから。祐巳さんにもう話はついてるし、土曜から泊まって、そのまま日曜日に祐麒くんとデートすればいいんじゃない?」
「ぁ……そ、そうなの?」
 由乃さんは、いともあっさりと口にしてみせたけれど。
 祐巳さんの家にお泊まり、って。……それはつまり、祐麒さんの家にお泊まりするってことで。
「志摩子さんいま、ちょっと期待した?」
「し、してないわ」
 由乃さんの鋭い指摘に、いちどはぶんぶんと首を左右に振って、慌てて否定してみせてから。
「……ごめんなさい、いま嘘を吐いたわ。少し、考えたかも」
 いちどは嘘を吐いてリリアンで生きることを決意していた自分を、変えてくれた親友にだから。すぐに嘘を吐いた事実を、志摩子は由乃さんに正直に謝った。
「律儀ねえ。別に嘘を吐くぐらい、気にしなくてもいいのに」
「……どちらかというと、私が気にするから」
 かけがえのない親友にだから、せめてもう嘘は重ねたくない。そのことはいつだって、心の中で決めていることだから。
「ま、でも少しは期待してもいいんじゃない? 同じ家の中に居るんだし、呼べば祐麒くんも祐巳さんの部屋までぐらい来るんじゃないかな」
「……そうかしら?」
「来るわよ。賭けてもいいわ、志摩子さんが居るんだから」

 


 なぜかいまいち自身が持てない志摩子以上に、由乃さんが自信満々にそう言って下さるのを少しだけ不思議に思いながら。
(でも……もしお会いできたら、嬉しい)
 例え翌日の日曜日には確実にお会いできるのだとしても。祐麒さんとお会いできる機会がひとつ増えれば、それに併せて増える嬉しさがあるから。
 志摩子の心はもう、三日後の土曜日に馳せられていて。
 まだ来ない未来に、期待は膨らむばかりだった。